昨日は千住、今日は北海道である。

「お前が仕事をすると属人化する」とずっと非難され続けてきましたが(現在も進行形)、本物のプロの仕事はすべからく属人化である。

なんて、私の場合は好き勝手にやってるだけなのですが…。

ところが10年ほど前に「何をしてもいいから北を建て直せ」と言われて、大喜びで札幌赴任を引き受けたのでした。

初出勤の日、自己紹介ではなく「他者紹介」され、「趣味と得意技は火中の栗拾い、であります」と言われて、どっと沸いたとき「ああ、火中の栗拾いをしなければいけないことをわかってるのか、ここは大丈夫だ」と頼もしく思いました。

確かに、火中の栗拾いは大好きなのである。火中の栗拾い、それを正確に言い換えると「ピンチはチャンス」ということです。

そんな仲間たちと、札幌で久しぶりの再会です。

というワクワクしながらの機内で、安易な「いただいたコメント」へのリターンです。面白いラリーになれば良いのですが。

最初にお断りしておきますが、竹原慎二の功績にケチをつけるつもりは全くありません。井上尚弥の場合と同じく、陣営が好き勝手発表していた嘘にはハッキリNO!を突きつけますが。

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ミッシェル 2023/05/02 10:55
 

村田涼太…素晴らしいボクサーですね。 
実績、技量、スマートさは言うに及ばず。誠実で勤勉…でもヤンチャな下地を秘めた稀有な存在ですが、竹原慎二が、村田のような手厚いサポートを受けていたらどうなっていたのだろうか?といつも思います。 
 

竹原選手のミドル級のタイトル奪取の偉業は、村田選手の比ではないと思います。

 

元記事: Megapelea Muy Extraña〜世にも奇妙なメガファイト[③] (編集)


ミッシェルさんの〝サーブ〟に込められているのは①「竹原慎二が、村田のような手厚いサポートを受けていたら」と、②「竹原選手のミドル級のタイトル奪取の偉業は、村田選手の比ではない」の2点です。

①は、「広島の粗大ゴミ」と「五輪金メダリスト」という「乞食と王様」をひっくり返したら?という、非常に鋭い角度から斬り込んだビッグイフです。

ただし、このビッグイフのページを開くと「日本のミドル級」という特殊環境の中で「そもそも王様のマッチメイクの方が厳しい」という倒錯のチャプターがいきなり出現してしまいます。

竹原がデビュー戦(1989年5月15日)で、村田のように当時の東洋太平洋王者(当時は白仁鉄)と拳を交えていたなら…かなりの確率で序盤でKO負けだったでしょう。というか、白との対戦なんて考えもしなかったでしょう。

「いやいやいや、それ言ったら村田でも東洋太平洋王者が白だったら絶対に選んでいない!」と反論されるでしょうが、村田の線路は日本に閉じこもっていた竹原よりもはるかに過酷なもので、アジアレベルですら傑出していたとは言い難い竹原とは決定的な実力差があります。

竹原の東洋太平洋タイトルでは3度目の防衛戦で迎えた李鉉植(当時は協栄ジムから12勝7KO3敗と公表されていましたが実際は1勝2敗1分でなぜか指名挑戦者)など怪しい相手が盛りだくさん。

ダブルノックダウンの宿敵・李成天の戦績も怪しさ満点です。もちろん、当時はBoxRecなどなく、戦績は〝自己申告〟でしたが…それにしても、おいおい協栄さん…です。まあ帝拳も大橋も毒入りオレンジを仕込まないだけマシで、ほとんど変わりませんが。

ファイティング原田のエデル・ジョフレまでになると、この種の嘘は絶対つけませんが、ジョフレまで行くと脚色して強く見せようとするのがバカらしくなる、本物の強さです


どう見ても怪しい韓国人相手に手を焼いていた竹原が、村田が圧倒していた米国の州王者レベルにどこまで対抗できたでしょうか?

そんな現実も踏まえて「②竹原選手のミドル級のタイトル奪取の偉業は、村田選手の比ではない」をあらためて見ると、アジアレベルでアップアップだった竹原がホルヘ・カストロによく勝てたな、という視点で、あの大番狂せは多くのファンが考えているよりも、はるかに巨大なアップセットだったと言えます。

さらに言ってしまうと、竹原は「あの日あのときのカストロ」以外には勝てない、もし再戦していたら、呆気なくパワフルな機関車の下敷きになっていたでしょう。


さて、竹原vs村田、です。

このブログで繰り返しているように、時空を超えた戦いに正解などあり得ません。

そこにあるのは、楽しく想像することだけです。 

一つだけ確実に言えることがあるとしたら、「失うものなど何もない竹原」と「勝たなければいけない重圧を常に背負っていた、失うものに恐れていた村田」との対決になります。




ちょうど、北の大地へランディング。機内モードを解除します。