ボクシングマガジン、1986年4月号です。定価650円。

表紙はアレクシス・アルゲリョ。

「アルゲリョが連続KO」「ミニフライ級初代王者は小野」「ハッピー・ロラ、バスケス降しV1」「中近東初の世界戦、ソットが勝利」「ファイトマネー総額40億円のヘビー級統一トーナメント」…そんなトピックスが並びます。

今夜、取り上げるのは「ホープ杉谷、KOで王座を奪取」。

この試合が私にとっての、後楽園ホール初体験でした。 

杉谷満というと、最近では「北海道日本ハムファイターズのムードメーカー杉谷拳士のお父さん」かもしれません。

昔は強打の日本フェザー級チャンピオンだったのです。
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1986年2月25日、後楽園ホール。日本フェザー級タイトルマッチ。

王者は27歳のチバ・アルレドンド。兄リカルド、弟レネが世界王者のボクシング一家のメキシカン。21歳の杉谷も、兄の実が元日本ジュニアウェルター級王者。

世界が期待される杉谷にとっては、リトマス紙となる一戦でした。

杉谷は17勝11KO1敗、唯一の黒星は全日本新人王決定戦で六車卓也にSDで落としたもの。

アルレドンドは7勝6KO3敗、底の見えた荒いボクサーでした。

アイドル的な人気を博した飯泉健二の壁になったのも印象深いスラッガーでした。

優位に試合を進めていた杉谷が、8ラウンドに強烈な右ストレートをさくれるさせて試合を終わらせます。

フェザー級、126ポンド(57.15㎏)は日本人にとって決して重いウェイトではありません。しかし、当時も今も難関階級です。

杉谷が日本王者になった、このときの王者はWBAがエウセビオ・ペドロサの20連続防衛を阻んだアイルランドのスター、バリー・マクギガン。

WBCはアズマー・ネルソンでした。

ネルソンやマクギガンと日本人が戦う…想像しただけでゾクゾクしました。

世界挑戦は1989年3月26日、川崎市民体育館。

WBA王者のアントニオ・エスパラゴサは「超A級チャンピオンではない」という見立て通りでしたが…杉谷は勇敢に戦い、10ラウンドで力尽きてしまいました。