野球やボクシング、80年代に米国のトップスポーツに惹き込まれた私にとって、運動能力の才能に最も恵まれた人種は黒人でした。

黒人でしかあり得ませんでした。

ロサンゼルス1984で、100mを9秒99で制したカール・ルイスは日本人にとっては最も遠く離れたアスリートでしたが、14年後に伊藤浩司が10秒00をマーク。

1984バージョンのルイスに、日本人が肉薄したのです。

黒人と日本人の差は才能の問題などではなく、時間の問題だったのです。

もちろん、アフリカから劣悪な船旅で生きてアメリカ大陸の土を踏んだ彼らの祖先が強烈な生命力を持っていたことは間違いありません。

アフリカで積み込まれた黒人の半数以上が船上で死ぬことも珍しくなかった過酷な船旅、その最も長い航路の終着点の一つがジャマイカという事実も、迫真の説得力があります。

そんな黒人奴隷は強い男女を〝交配〟させて、より強い個体を産み続けてきたのです。

長い船旅で生き残り、さらに強い男女から生まれた彼らと、島国の中で安寧としていた日本人とは元々の生物的に種類が違うという見方は、私は断固否定しますが信じ込んでる人もいるでしょう。

そんな、負け犬根性が染み付いてるのは日本人だけでなく、米国の白人たちも同じでした。

今、日本人横綱を希求するよりも切実に、彼らはホワイト・ホープの出現を渇望していたのです。

それは、ヘビー級において、より顕著でした。というよりもホワイト・ホープはヘビー級でこそその登場が待たれていたのです。

それが、今やウェルター級やミドル級でスター性のある黒人が絶滅、ヘビー級に至っては米国白人どころか、黒人ですら門前払いの厳冬の時代。

今や、ブラックホープが待たれる時代になってしまいましたが、今回のテーマはホワイトホープです。

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白人ヘビー級王者のクライマックスは1950年代に活躍したロッキー・マルシアノ。

白人の夢が完全に握りつぶされた時代ではありませんでしたが、ホワイトホープの理想像がロッキー・バルボアという架空の人物の名前を持ち出すまでもなく、マルシアノであることは明らかです。

マルシアノ以降、白人ヘビー級王者になったのは、南アフリカのゲリー・コーツィー

最後の白人ヘビー級王者はトミー・モリソン。1993年6月7日、ジョージ・フォアマンに12R判定で勝利し、WBO世界ヘビー級タイトルを獲得。

そして、多くの人が「ホワイトホープ」と聞いて真っ先に思い浮かべるのはジェリー・クーニーではないでしょうか?





生涯戦績28勝24KO3敗。

負けたのはラリー・ホームズ、マイケル・スピンクス、ジョージ・フォアマン。最強の黒人ヘビー級でした。

引退試合となったフォアマン戦は1990年1月15日、当時の〝メッカ〟ニュージャージー州アトランティックシティのコンベンションセンターが舞台でした。

2ラウンドでホワイトホープを豪快に沈めたフォアマンは、マイク・タイソン戦を猛アピール。

このときは、フォアマンがどこまで戻っているのか、誰もわかっていませんでした。

ドン・キングはフォアマンに500万ドルの報酬を提示していましたが「安すぎる」と拒否。

フォアマンをプロモートするボブ・アラムも「タイソンにとっても大きな試合。全財産をつぎ込め」と挑発。

多くのファンは「宇宙人でもタイソンには勝てない」と信じていましたが、クーニーのトレーナー、ギル・クランシーは「タイソンはジャバーが苦手。フォアマンのジャブは41歳の速さ、強さではない、というよりも年齢関係なく世界最強。タイソンでまだまだ儲けたいキングは応じるべきでない」と警告していました。

「不倶戴天の敵、キングと一緒に興行を打てるのか?」と聞かれたアラムは「シュガー・レイ・レナードとロベルト・デュランの初戦を実現させたのはドンと私だ」と答えます。

のちに、タイソンとフォアマンと戦ったイベンダー・ホリフィールドも「どちらが勝つか?」と聞かれて「タイソンはフォアマンのパワージャブとプレッシャーにパニックを起こす。タイソンを下がらせるのは簡単だった、あのレノックス・ルイスでも後退させたが、フォアマンは無理だった」と、タイソンの敗北を予想していました。

タイソンvsフォアマン。実現していたら、何が起きていたでしょうか?


しかし、1ヶ月も経たない2月11日、タイソンは東京ドームでフォアマンよりも数段落ちるジャバーの餌食になってしまい、その後もフォアマン戦を回避し続けるのでした。