「キックボクシング」は1966年に野口修によって作られた日本発祥の格闘技ですが、統括団体やルールにおいて絶望的なまでに一貫性・正統性・継続性がないまま、56年の時間だけが流れてしまいました。

団体の興亡と、発作的なヒーローの登場・消費が繰り返されてきたのです。

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沢村忠、魔裟斗、那須川天心…彼らは何の脈絡もない突発的で刹那のヒーローでした。

とはいえ、世界的には〝キックボクシング〟の土壌はけして貧弱なものではなく、ボクシングのようなハッキリした西洋的輪郭を持たないものの、空手やムエタイは東洋の神秘そのもので、欧米でも小さなムーブメントが起きて来ました。

ボクシングのような統一ルールを持たない格闘技を「蹴りもありの立ち技」で一括りにするのは乱暴なカテゴライズかもしれませんが、その大きな分類においては層が薄いとはけしていえない母体があるのです。

そして、そんな乱暴なカテゴライズを見事にやってのけたのが、K-1 GRAND PRIXでした。 

競技人口300人以下のストロー級は言うに及ばず、1000人以下レベルのジュニアフェザー級あたりまでのボクシング超軽量級と全盛期のK1ヘビー級王者になる難易度はどちらが上でしょうか?

そんな最大の成功事例になるはずのK1ですら事実上崩壊してしまったのは、突き詰めると、UFCのようなスポーツであることへの飽くなき追求が欠落していたからです。

キックボクシングもPRIDEもK1もRIZINも、スポーツとして認知されることを二の次にして、目先のスター育成と奇抜なマッチメークを優先する〝焼畑経営〟から脱却しようとしませんでした。

そもそもがプロレス、さらに辿ると大相撲が、日本の格闘技の源流です。そこにはスポーツとは相容れない、星のやりとり、八百長が当たり前に許容される風土があります。

上っ面だけとはいえ一応国技である大相撲はアウトですが、社会的に認知されていないK1やRIZINの興行で八百長や八百長まがいの行為が横行するのを咎める権利は誰にもありません。

騙される方が悪いのです。

キックボクシングや、日本の総合格闘技に継続可能な成長と発展をもたらす方法は、社会的な認知、まともなスポーツとして認められることでしかないのですが、〝運営側〟にはそんな気は一切ないのが現状です。

そんな、紛い物の見本市からでもボクシングで大活躍するグレートが出現するのです。

マイク・ベルナルドやジェロム・レバンナは論外ですが、ビタリ・クリチコは日本の興行にも登場したキックボクサーでした。

最近でもディリアン・ホワイトやジャレル・ミラーら、ボクシングのトップ参戦で活躍するキックボクサーは脈々と続いています。

一夜限りの夏祭り、その屋台で売られる焼きそばや、リンゴ飴がミシュランの三つ星を獲得するような痛快さです。

那須川天心は、夜祭りの屋台というにはあまりにも華やかですが…。