オスカー・デラホーヤはアマチュアとプロで頂点に立ち、プロモーターとしても大成功を収めた稀有なグレートです。

モハメド・アリもシュガー・レイ・レナードも五輪金メダルとプロでスーパースターの座を掴むまで、でした。

フロイド・メイウェザーはプロとプロモーターで大きな爪痕を残していますが、五輪は銅メダル、プロモーターとしても頂点に立ったとは言えません。
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デラホーヤがゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)を設立したのは2002年。

選手を〝搾取〟するトップランクのやり方に我慢ができずに、選手ファーストの理念を掲げ、こっぴどいKO負けを食らったバーナード・ホプキンスらを幹部に迎え入れました。

旧態依然の〝背広属〟のライバルプロモーターからは「経営感覚も学識もないボクサーに興行を仕切れるわけがない」と冷ややかな目で見られた船出でしたが、スーパースターの自分がまだ現役だったことをフル活用、メディアとテレビにはスムーズに受け入れられました。

一方で、トップランクは〝搾取〟した資金を投入して若い才能を育成するノウハウに長けていましたが、GBPは2010年のアブネル・マレスのWBCバンタム級王座獲得まで「生え抜きの世界王者は生まれない」というジンクスに悩まされました。

マルコ・アントニオ・バレラ、ホルヘ・リナレスらが絡め取られた「大型契約を結んだスターは直後の試合で番狂わせを喰らう」という「GBPの呪い」も、成熟したスター選手との相思相愛の裏返しでした。

マネジメント料を抑えてスター選手に還元する、のはスター選手にとっては結構な話ですが、報酬の低い新人にとっては厳しいシステムです。

GBPの選手ファーストは、自前の選手が育たないという影も持ち合わせていました。

2007年にGBP傘下の子会社が経営難に苦しむリング誌を買収した頃が、GBPの夏でした。

「プロモーターに買われてしまうなんてリング誌もいよいよ終わり」と揶揄されましたが、デラホーヤは「編集には一切口を出さない。GBPの選手を優遇して報道することは絶対にない」と断言しました。

実際に私が読んだ限りGBP寄りだと感じたことは一度もありません。

「今、生きているボクサーのPFP」でも、デラホーヤは圏外。GBPを冷遇してる印象すら受けました。

しかし、リング誌の経営状況は好転しないまま、今度はGBPがアル・ヘイモンやエディ・ハーンとの競争に敗れて経営難に陥り、リング誌はまたまたオーナーが変わります。



まだ49歳のデラホーヤが「買い手はいくらでもいる」と言うのは嘘ではないでしょう。

ゴールデンボーイ・プロモーションズの名前も少なくとも、当面は残るはずです。

とはいえ、厳しい世界です。

40年以上も先頭集団を走っているトップランクも完全に黄昏を迎え、かつてのライバル、ドン・キングは第二集団に埋没してしまいました。

それでも、デラホーヤの脱・背広属、選手ファーストの思想はメイウェザー・プロモーションズやMPプロモーションズに脈々と受け継がれています。



カネと栄光の亡者マニー・パッキャオがGBPとトップランクを弄ぶように二股契約、トップランクからGBPへの移籍を画策・失敗したノニト・ドネア、契約締結当初から横暴が目立ったカネロ・アルバレス…。

それにしても、GBP、まだ20年でしたか。私のアイドル、パッキャオも深く関わった思い入れの強いプロモーターでしたが、寂しいです。

デラホーヤは経営者から外れても、顔役とし残るかもしれません。