昔の方が良かった、なんてわけがあるはずもなく、世の中は前を向いて歩き続けています。

80年代でも後楽園ホールはタバコの煙で充満し、リングサイドには見るからにその筋の人が鎮座していることも当たり前の風景でした。

女性や子どもなどが気軽に見れる、そんな空気ではありませんでした。

これを言い出すと、プロ野球も大相撲も暴力団と無関係ではいられない時代が長く続いていました。

もっと言うと、多くの上場企業ですら総会屋=暴力団などの反社会的勢力とは無縁ではいられませんでした。

80年代とはそういう過去との決別が始まる時代でもありましました。

私がボクシングの魅力に取り憑かれた80年代とは、そんな時代です。

それにしても、今更ですが「平成の怪物」のような紋切り型の表現は嫌いじゃありません。

年号で一括りに出来るほど、アスリートの才能は単純ではありませんが、松坂大輔の登場によって江川卓は「昭和の怪物」になりました。

村田兆治の「昭和生まれの明治男」も、令和に生きる若い人にはよくわからない感覚かもしれません。

そもそも、昭和が長すぎるんです。

昭和元年(1926年)〜昭和63年(1988年)。63年間です。

ここに区切りを入れるとなると、いくつか考えられますが、一つだけとなると昭和20年(1945年)で誰も異論はないでしょう。

この年で大日本帝国が滅亡したというのに、元号が続いたというのは、世界史的にもあり得ない事象でした。

ボクシングは戦前から行われていましたが、日本人が世界選手権を目指す、となったのは戦後すぐのことでした。

相撲や野球では体感できない、世界で戦う日本人を応援できる愉悦。プロボクシングは、特別なスポーツでした。

「6回戦でもボクシングだけで食っていけた」。そんな時代があったのです。





「今や、世界戦を作ればテレビ局が飛びつくという時代は過去のものとなり、日本のボクシング関係者にとって大変ビジネスのやりにくい時代に入ったといわれる」。

これは、最近のニュース記事ではありません。

昭和60年(1985年)、37年前の「ワールド・ボクシング9月号」の「日本のリングビジネス」の導入部分です。 

常に視聴率30%以上を叩き出していた具志堅用高の時代は終わり、具志堅からエースのバトンをリレーした渡辺二郎ですら「良くて20%、裏番組で巨人戦があったとはいえフリオ・ソト・ソラノ戦では12%と極端に低い数字に終わった」。
 
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渡辺二郎も憧れた世界ミドル級王者マービン・ハグラー。

当時の米国リングの中心はマービン・ハグラーがメガファイトを繰り広げ、1985年は4月にトーマス・ハーンズとの白熱の3ラウンドで戦慄のKO劇を演じていました。

とはいえ、米国でもボクシングは斜陽スポーツ。ハグラーが破格のファイトマネーを稼ぎ出し、マイク・タイソンが世界王者に向けて破竹の快進撃を続けていましたが、全体市場は縮小する一方。

しかし、80年代から世界のボクシングに耽溺した私の皮膚感覚では、日本や米国のボクシングが下り坂だと感じることはできませんでした。

全盛期、黄金時代を知らないのですから、それも当たり前のことでした。

1980年代、渡辺が高額チケットを引き受けてくれる、テレビ局との裏交渉もしてくれる、反社会勢力のサポートを感謝したとして、誰が非難できるでしょうか。 

そんな80年代からさらに遡る1960年代。

ボクシングの黄金時代。ファイティング原田の時代です。

そして、その裏側、黄金時代の闇に飲み込まれたのが青木勝利でした。

先日、青木勝利の人生と当時のボクシングシーンを描いた「『ジョー』のモデルと呼ばれた男」を購入して帰宅すると、ファイティング原田に大きくページを割いたリング誌7月号が届いていたと書きました。

偶然は重なり、青木本を読んでいると仕事関係の知人から「中央線の古本屋をサーキットしましょう」とメールがありました。

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そのときは、すぐに気付きませんでしたが、青木が少年時代を過ごし、晩年には暴力沙汰や無銭飲食を重ねた善福寺川から西荻窪界隈を知人の車で走ると「そうか、ここだ」と思い至りました。

ファイティング原田が、ノンタイトル戦だったにもかかわらず最も印象に残る試合に青木戦を選び、エデル・ジョフレは自らの伝記本の表紙にジョー・メデル戦ではなく青木戦の写真を使いました。



原田のジョフレ戦に次ぐ、日本人最大の勝利を収めた柴田国明(ビセンテ・サルディバル戦)が憧れたのが青木でした。

「とにかくすべてがカッコよかった。ジョフレに倒された時の倒され方まで、カッコいいと思った」(柴田)。

当時のことは映像でしか知らない私でも、青木が放つ妖しい色気はわかるような気がします。

青木はファイティング原田、海老原博幸、と並んで「三羽ガラス」と称されました。

最も才能があると言われながら、直接対決では原田にも海老原にも敗北。世界王座にも、1人だけ手が届かなかったのが青木です。

あの妖しい色気は、闇の深淵から立ち上っていたからこそ際立っていたと感じるのは気のせいでしょうか。