このブログを立ち上げた2017年の記事ですから、もう5年のブランクを空けての②です。

あらゆるお話には続きがあるのです。


この5年で「大谷翔平が通用する、しない」のレベルではないことは明らかになりました。

5年前に「飛ばないボール」を東京ドームの天井に叩きつけた大谷。

「国際球じゃない(のが混ざってる)!」と関係者が慌てふためいたエピソードは、メジャーの打者としての成功を確約するものでした。

埼玉の中村剛也は、飛ばないボールが導入された2011年に自己最高の48本塁打をスタンドに放り込み、千葉のチーム本塁打46本を上回りました。

「飛ばないボールが飛ぶ」。あり得ない話です。

中村や大谷が規格外のパワーヒッターであっても、飛ばないボールになれば、飛距離や本塁打数は落ちるはずです。

「飛ばないボール」が、特定のプレーヤーにとっては「飛ぶボール」になる、なんて理屈があるのでしょうか?
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かつて、落合博満は「球場の大型化で本塁打が減る」と言われて「広さとか関係ないの。ちゃーんと芯で打ったらボールなんて飛ぶんだから」と笑いましたが、そんなわけありません。

もちろん、落合は狭い川崎球場を利用したバッティングをしていました。飛ばそうと思えば、もっと飛ばせるというのはそうでしょう。

最初の三冠王を獲ったときは「数字が低い。幸運な三冠王」と批判され「三つ獲りゃ三冠王でしょ。どんなに多く打っても2番じゃ意味がない」と反発、その後文句無しの数字で三冠王に二度輝きました。

三冠王の件は落合の反骨だったと思います。最初の三冠王のときでも、50本打とうと思えば打てていたというような物言いは嘘でしょう。

しかし、佐々木主浩をはじめ好投手を得意としていたことや、ウィニングボールを仕留めることをこだわって2ストライク後の打率が異様に高かったことは、常識では考えられません。
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「ウィニングボールを待つ」というのはイチローも何度も口にしていたこだわりで、「それを打って初めてその投手に勝ったことになる」という、究極の勝負論です。

普通に考えると、追い込まれる前のカウント球を打つのが常識です。

では、落合やイチローが意図的に追い込まれてウィニングショットを待つ、なんて訳の分からないことをしなければ、もっと凄まじい成績を残していたのでしょうか?

落合の「ヒット狙いなら4割打てる」や、多くの人が確信していた「イチローが本塁打狙いに徹したら40本は打てる」というのはその通りでしょう。

イチローの最多本塁打は球場拡大で全体の飛距離が落ち本塁打が激減した1995年。本塁打王の28本に、3本差に迫る25ホーマーをかっ飛ばし、打率と打点の二冠、あの年のイチローは明らかに三冠王を狙っていました。

超トップにだけ共通する、常識では説明不可能のパフォーマンス。



筋肉バキバキのボクサーが一発強打者であるとは限らず、ノニト・ドネアやルスラン・ブロボトニコフのような、緩い胴体のKOパンチャーもいることは、体重移動やパンチを打つときのメカニクス、拳を握る強さや手首の返し…当て勘と一括りにされる、さまざまなタイミング的要素から説明がつきます。

しかし、井上尚弥や往年のマニー・パッキャオが奪うダウンシーンは非常にわかりやすい一方で、晩年のパッキャオが取っていたフラッシュダウン気味のダウンはどういう技術体系に基づいているのかは分かりにくい、経験の一言で片付けるしかありませんでした。

ゴール前でこぼれ球が来る場所を予め分かっているかに見える優れたストライカーは、何故そこにいる?というシーンがよく見られます。

スポーツで起きる全ての事象は科学的に説明出来るはずです。

何故、おかわり君は飛ばないボールを軽々とスタンドに運べたのか?

打率280、本塁打20程度の巨人時代の落合を、佐々木主浩はなぜあそこまで恐れたのか?

パッキャオの左は晩年でも警戒されていたにもかかわらず、どうして対戦相手は軽く押されても尻もちをつくような足を揃えた体勢に追い込まれてしまうのか?

超一流の摩訶不思議に迫るお話の再開です。

全部、科学的に説明できるはずです…そうでなければなりません。

彼らは、まだ解明されていない技術体系に先んじて辿り着いただけの〝シュガー・レイ・ロビンソン〟の一派に過ぎません。

途轍もない一派には違いありませんか…。