ダルビッシュがSNSでボールの握りや手首の角度を公表しているのは、有名な話です。

「ボールのどこに、どういうふうな形で力を与えるか、どういうふうに出してくるかということをわかれば、それは誰だって投げられる球なので。そこをより言語化して、具体的にして、すべての球がすべての投手に投げられるようになるのが僕の夢」。

互いに技術をオープンにすることで、それまで試行錯誤だった取り組みが「言語化」「具体的」になり、技術向上の効率は一気に上がります。

箱根駅伝の常勝軍団、青山学院を率いる原晋監督も、オープンシェアの騎手です。
 
「冷静に振り返ってみると、しらっとやっていたほうが、もっと箱根駅伝で勝てたかもしれない。いつの間にか他のチームが強くなってきたと感じる部分が正直ある。勝利の方程式を作って、自分だけがノウハウをもってやれば、確かに勝ち続けることができたかもしれない。しかし、それでは業界の発展もないし、自分の監督としてのスキルアップもないと感じた。今まで自分の感覚でやっていたものを、かみ砕いて論文化させ、きちっと形にして発信することによって、自分の頭脳と技術力がイコールになってさらに自分に磨きがかかる」。

どうして、こんな話を書いてるかというと、とっくに開始予定のオンライン会議が一部出席者の回線トラブルで中断して、新聞読んでてオープンシェアに思い至ったからです。

日本経済新聞のその記事は、スポーツではなく「お笑い」。

師匠のもとで下積みして芸を磨くのが当たり前だった時代から、ダウンタウン以降は師匠につかずに〝芸能学校〟で学び、すぐに舞台(その舞台の大小はありますが)に立つようになりました。

記事中にオープンシェアな考え方は出てきませんが、お笑いの世界はそもそもオープンシェアできる環境にあります。

スポーツの世界では「技術は盗め」。お笑いでも「芸は盗め」。 そこには「誰も教えてくれない」という大前提がありました。

技術のオープンシェアとは少し違いますが、かつて江川卓を得意にした加藤博一は引退後に「クセをわかっていたから。それは誰にも言わなかった」 と語りました。

それは、プロとして当然だと思います。

しかし、クセまでオープンシェアにしていれば、他の打者も江川を打ち込み、江川はクセを修正してさらに高いステージに登っていたのか、それはわかりません。 

師匠と弟子。コーチと選手。技術論はもちろん、人間的な相性もあります。徒弟制度はによって芽吹いた才能も、潰された才能もあるでしょう。

寿司職人も「飯炊き3年握り8年」なんて理不尽極まりない無駄な時間です。「桃栗三年柿八年」のパロディじゃないんだから。

師匠やコーチが最高の先生である時代は、とっくの昔に終わっていたのかもしれません。