しかし、あと23日でっせ。皆々様。

兎にも角にも!あのゲンナジー・ゴロフキンが日本にやって来ます!!!



というわけで、今夜は「来日・プレーした大物たち」を、思いつくままに懐古します。

独断と偏見で、ゴルフとテニスは除外させていただきました。

京都大学に落ちて傷心の40歳近く歳の離れたお友達から頂いた「グレンリベット12年」を、ありがたくすすりながら、酔いながら、きっと大物が抜け落ちていると思いますのでフォローしてくださいませ。


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1934年の第2回日米野球で来日したのは「野球の神様」。

3年前の第1回大会では長い船旅を嫌い、出場を拒否していたルースを説き伏せたのは、交渉を担当していた鈴木惣太郎。

鈴木は、諦めずに何度もルースを説得しました。最後は、理髪店にいるところまで押しかけて「日本のファンが待っている」と自ら描いたポスターを見せると、神様は大笑いして「行く、決めた。日本に行くよ」と快諾したのでした。


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1965年と65年に来日。

当時は1団体10階級時代。PFPなどというチンケな妄想が付け入る隙がなかった時代です。

後年、リング誌がジョフレを「60年代PFPキング」に選出したことからも、黄金のバンタムに2連勝したファイティング原田はPFP1位だった可能性が大です(原田は60年代5位)。

当時はボクシング黄金時代。原田がジョフレと戦う熱狂は、私たちには想像できません。

それでも、当時の報道や視聴率から、日本代表がサッカーW杯の決勝に挑むような底なしの興奮であったことは十分に窺えます。

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PFPがあちこちのメディアで立ち上がる現代、ローマン・ゴンザレスも1位評価を受けましたが、PFPキングの時期には日本のリングに上がっていません。

何よりも、ボクシングの人気とステイタスは現代と60年代では比べるべきもありません。



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初防衛戦に選んだ地は日本。

1973年9月1日、日本武道館でホセ・ローマンを1RKOで下し初防衛を果たします。

そして〝象をも倒す〟フォアマンを倒したモハメド・アリが1976年に来日、現役の世界ヘビー級王者としてプロレスラーのアントニオ猪木とエキシビションを戦うという〝暴挙〟に出ます。

70年代はオカルトブームに火がついた時代でした。なるほど、信じられないことが現実になるのを何度も目撃していると、超常現象を信じてみたくなるのも無理はありません。

オカルトなんてありえませんが、アリやフォアマン、猪木は間違いなく超常現象です。




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陸上競技史上、最も偉大なランナーでありジャンパー。

1991年の世界陸上・東京大会100mで世界記録となる9秒86をマークして優勝。

1983年の第1回世界陸上から、1996年アトランタ五輪まで世界のトップを走り跳び続けた超人でした。

100m1種目限定の衝撃度ではウサイン・ボルトに軍配があがるでしょうが、ロングジャンプでも五輪4大会連続金メダルの大偉業は〝大谷翔平〟的尺度でボルトを凌駕します。




バブル真っ只中の日本に、評価バブル史上最高クラスのアイアン・マイクが来日したのは1988年(トニー・タッブス戦)と、1990年(バスター・ダグラス戦)。
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どちらの試合も顔見世興行の色合いが強い防衛戦でしたが、ダグラス戦では、42−1のオッズを引っくり返されるまさかの大番狂わせに沈みます。

日本のバブル崩壊と同じように、「強い相手には誰一人勝てなかった」タイソンの評価は弾けてしまいました。



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1991年に、ブラジルのスポーツ大臣を辞任し、た日本サッカーリーグ2部の住友金属工業蹴球団(鹿島アントラーズ)のオファーを受諾。

全盛期をとっくに過ぎたジーコを選ぶなら、前年MLBで打率.273、27本塁打、87打点で、日本でも額面通りの衝撃を見せつけたボブ・ホーナーは?とかいう「意見もあるでしょうが、ホーナーは大物ではありません。

Jリーグ開幕から現在まで、ゲイリー・リネカーからアンドレス・イニエスタまで大物が数多く日本のピッチを駆けましたが「ジーコが来る!」の衝撃は他と比較することはできません。

日本サッカーに「練習量がとにかく少ない」と指摘、夜中にスナック菓子を食べる選手に「食事管理をしっかりしろ。牛乳飲んで早く寝ろ」と叱責するなど、世界トップとの差がどこにあるのかを明確に教えてくれました。