80年代に世界のボクシングに惹き込まれ、その「世界」が日本やアジアとは無縁であることに幻滅したときに、マニー・パッキャオが現れました。

私にとって「世界のボクシング」とは、80年代の「誰がマービン・ハグラーに勝てるのか?」というミドル級ウォーズであり、00年代の「マニー・パッキャオはどこまで登り詰めるのか?」に凝縮することができます。

私は、ハグラーのような「絶対的な強さ」も、パッキャオの「無限の勇気」とも対極の、小賢しい生き方しかできませんでした。

だから、私は、そんな彼らに恋い焦がれたのです。

ボクシングファンはパッキャオのことなんてもう忘れているでしょうが、私はもう、強烈病的発作的なパッキャオ・ロスに苛まれています。
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先日、サンディエゴでマニー・パッキャオJr.がアマチュアの試合でデビューしました。パッキャオ関連のニュースは今でもボクシング専門ニュースでは、たびたび目にすることができます。

ジュニアに父親以上の才能があったとしても、そして父親以上の業績を残したとしても、私にはもう熱狂することはできません。

ジュニアは最初からAサイド。それも超Aサイド。私を耽溺させた父親とは真逆のコーナーのリングに上がるのですから。