暖かかった日中、近所の公園では八重桜がほころんでいました。

花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき(林芙美子)。

いのち短し 恋せよ乙女(「ゴンドラの唄」1915年:吉井勇作詞・中山晋平作曲)。
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革命にはタイムリミットがある。【チクタクチクタク…】シリーズの続きです。

以前も紹介した「もっと有名になるべきエピソード」を、あらためてご紹介しながら村田諒太と井上尚弥に思いを馳せます。
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さて、日本経済新聞の取材で、大谷翔平の二刀流挑戦について聞かれた栗山英樹が即答した言葉です。

「タイムリミットを意識せざるをなかった」。

昨年の大爆発で忘れ去られていますが、大谷の二刀流は逆風の大嵐の中で船出しました。

「二刀流なんて歴史上誰もやっていない。その意味を理解すべき」「王貞治ですら打者に専念した」「投手と野手で毎試合出場できるわけがないから、成績はどっちも中途半端に終わる」「早くどちらかに専念しないと時間の無駄」…全て正論です。

「二刀流、面白いじゃないか!大谷なら出来るかもしれない。がんばれ!」という声は圧倒的に少数派でした。

否定の集中砲火を浴びる中で、栗山は「偉大な実績のある元選手や、大きな影響力のあるメディアが足並み揃えて二刀流に否定的な意見を展開していた。彼らが広めていた否定論を、とにかく早い段階で払拭しないと〝革命〟の火種はもみ消されてしまう」と考えたというのです。

常識をひっくり返そうとする革命は、それ自体が困難な挑戦であるのはもちろん、外野の雑音も大きな敵になるということです。

井上尚弥の場合は「冒険しろ」という外野の声も多いのに、本人が「バンタム級に敵がいなくなったとしても、階級を上げてつぶされるようなら上げない」(読売新聞)と、至って常識的な正論を口にしています。

まさに〝逆〟大谷翔平。

どちらが正しいとか、どちらが間違っているとかではありません。

井上の流儀は、ウンベルト・ゴンザレスから度々挑発されながら、ストロー級に閉じこもったリカルド・ロペスにも通じる完璧主義です。

もちろん、大谷も完璧主義者かもしれません。高い次元で二刀流をやってのける、確固たる自信があったのかもしれません。だから、周囲から何を言われようが、二刀流を貫いたのでしょう。

井上が憧れた「パッキャオが見た風景」は、実現するにはもうタイムリミットを超えてしまいました。バンタム級の完全統一も、慢性の減量苦からタイムリミットが近づいています。

村田諒太のケースは、大谷とも、井上とも違います。

本物のビッグネームと戦い、勝利する。それが村田に期待された宿願でした。タイムリミットへの意識は、より強烈だったかもしれません。

2020年に内定していたカネロ・アルバレス戦。2021年にチケットまで発売されていたゲンナジー・ゴロフキン戦。いずれも中止・延期に追い込まれて、来月にようやくゴロフキン戦がセットされました。

村田のタイムリミットは超えてしまったのか、それとも…。その答えは来月9日まで、誰にもわかりません。