米国ボクシングがメジャースポーツとしての〝威厳〟を保っていたのは、70年代までとされています。
ボクシングのステイタスは、それ以前の50年代をピークに下り坂に入っていました。
50年代。世界王者は世界に8人しか存在しない時代です。
ヘビー級では白人のロッキー・マルシアノが国民的英雄として活躍、シュガー・レイ・ロビンソンのパフォーマンスにボクシングファンがメロメロにされた時代です。
世界王者の価値が高かっただけではありません。
50年代、米国ではテレビの時代の幕開けでもありました。
小さなリングで2人が拳を交わすボクシングは、画面が小さく、画像も荒くても、少ないカメラ台数で試合展開がよく伝わる、最もテレビ向きのコンテンツでした。
60年代から70年代、ボクシングのステイタスは地盤沈下の一方だったにもかかわらず、表面的には活況を呈しているように見えました。
ボクシングのステイタスは、それ以前の50年代をピークに下り坂に入っていました。
50年代。世界王者は世界に8人しか存在しない時代です。
ヘビー級では白人のロッキー・マルシアノが国民的英雄として活躍、シュガー・レイ・ロビンソンのパフォーマンスにボクシングファンがメロメロにされた時代です。
世界王者の価値が高かっただけではありません。
50年代、米国ではテレビの時代の幕開けでもありました。
小さなリングで2人が拳を交わすボクシングは、画面が小さく、画像も荒くても、少ないカメラ台数で試合展開がよく伝わる、最もテレビ向きのコンテンツでした。
60年代から70年代、ボクシングのステイタスは地盤沈下の一方だったにもかかわらず、表面的には活況を呈しているように見えました。
しかし、それはモハメド・アリという1人のボクサーの一挙手一投足に世界中が酔っていたから、だけでした。
70年代に扉が開いた衛星放送によるスポーツ世界生中継も、地球で最も有名なアスリート、アリの二つの拳によってでした。
そのアリがいなくなるのです。
ボクシングってこんなにショボいスポーツだったのか。
アリが引退してしまうと、全てがバレれてしまう。そんな危機感が、米国ボクシング界に沈殿していました。
アリの穴なんて、埋めることなどできるわけがない。
80年代以降もボクシングの没落に歯止めはかからず、ボクサーが最後にスポーツマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたのは1981年のシュガー・レイ・レナード。
それから、40年以上もボクサーは米国スポーツのヒーローから遠ざかったままです。
80年代は暗くて長いトンネルの入り口になる、そのはずでしたが…。
確かに、ボクシングの社会的地位は下降が止まらず、ニッチスポーツに成り果てますが、摩訶不思議な現象が引き起こされます。
80年代以降、ヘビー級に勝った男が7人も登場するのです。
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