ボクシングでも映画でも小説でも、何でもかんでも、人それぞれ「好み」があります。

7年前。もう7年も経つのに、今でも忌々しい記憶として鮮烈に覚えています。

2015年の5月2日の147ポンドの試合に、米国では没落一方のマイナースポーツにもかかわらず、ボクシングがCNNなど大手メディアが毎朝、毎昼、毎晩、大々的に取り上げていたのです。

試合までのカウントダウン。あの時期が、一番幸せやった〜。
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2015年1月に急転直下で交渉がまとまった、超弩級のメガファイト。

まだ、数ヶ月先だというのに米国の地上波ニュースでも「今日のパッキャオ」がトップで報じられるなど「マイナースポーツからメジャーに復活?」と大きな盛り上がりを見せていました。

しかし。しかし。しかし。

「没落ボクシングを救う」と期待された、試合でしたが…。

初めてボクシングを見る人でも「おーーーー!」っと、心が鷲掴みにされる展開にしなければならなかったというのに、あの2人、究極のエゴ野郎どもときたら…。

もうこれ以上ない醜悪な試合を見せられて、私はこのスポーツを一時とはいえ、大嫌いになって、リング誌やらを知り合いの古書店に売り払おうと、決断しました。

米国でもボクシングは斜陽、そして、身売りを繰り返し、没落一方のリング誌…。

捨てて当然のゴミです。
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ずーーっと、大昔。

高校の図書室に、洋雑誌が毎月届くのをドキドキしながら楽しみに待っていました。

その中でも一番楽しみにしていたのは、リング誌です。面白い記事はもちろん、リング誌のロゴまでメロメロに大好きなほどでした。

村上作品の中でも「

そんな80年代。日本の活字文化では、村上春樹の時代だった気がします。

村上は私の「好み」には全く合わず、むしろ嫌悪していました。

面白くないのは嫌いなんです。

私にとってはどう読んでも作品が面白くない、のです。私の感性が鈍いだけなのでしょうけど、面白くないものは、面白くありません。

今、思い返すと、村上のファン、ハルキスト?の存在も、おぞましいと見てしまったから、村上さんを最初からマイナスで見てたのかも知れません。

酔った勢いで吐き出すと、羽生結弦や井上尚弥の盲信的な支持者たちにも似た、気持ち悪さをハルキストに、感じてしまっていたのです。

…日本中を敵に回したかもしれませんが、これはある意味生理的なもので、どうしようもありません。

村上はさておき、私が、羽生や井上にどれほど感動を与えてもらったか。

それは、十分やら充分どころか、獣分レベルで伝わってると思うのですが、私の言葉や文章が拙いからわからない人もいるかもしれません。

まず、気持ち悪いのは、羽生や井上ではないのです。

そして、最初に書くつもりだった話は、どこかの街角に迷い込み「信者が嫌い。そいつらは真っ先に手の平を返すから」という、私の嗜好を垂れ流す話になってしまいました。

村上作品でも「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」(1999年平凡社)は、非常に面白く読めました。

「サントリークウォータリー」という企業色濃厚マガジンに連載されていた頃からのお気に入りで、単行本が出てすぐに買いました。

聖地アイラ島を中心にスコットランドを巡る旅エッセイで、奥様の陽子さんが撮った写真もちりばめられて、一種写真集の雰囲気もあります。

単行本は誰かに貸して行方不明になったので、今あるのは新潮社の文庫版。

行間から不思議な空気が流れるのは、ウィスキーの神様が魔法をかけてるからな訳はなく、陽子さんの存在が全く感じられないからです。

村上春樹がただ1人、スコットランドをウィスキー紀行した、そうとしか読めないからです。

写真家は黒子なんだから、当たり前なんですが。