1986年11月17日生まれの亀田興毅(35歳)と、1993年4月10日生まれの井上尚弥(28歳)。

亀田興は2003年プロデビュー、2015年にグローブを吊るしました。

2012年にプロデビューした井上は当時、亀田一家がリング外で撒き散らしていた競技とは関係のない下劣な騒動に「あの頃のボクシング界が大嫌いでした」「井上家では世界チャンピオンなんて軽々しく口にできなかった」と、その名前こそ口にしないものの、亀田家に対する嫌悪感をあらわにしてきました。

しかし…。

井上信者は否定するでしょうが、この2人はいくつもの共通点を持つ、極めて酷似した存在です。

2人とも「父親」の情熱に呼応しながら世界王者を目指し、「メディア」のミスリードに踊らされたファン(亀田の場合はアンチ、井上の場合は信者)と共に、その道が「マニー・パッキャオ」というゴールにつながっているという幻覚を見てしまったのです。

そして、パックマン(番狂わせを起こす男)に憧れながら、冒険的なマッチメイクは徹底的に回避、決して「アンダードッグのリングに上がらない」という点でも、全く同じです。
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「亀田興毅 19歳 強打の源」↑。ふざけているのではなく、当時は真面目にそう報じられていたのです。

そして、リング誌は2019年にわずか7ヶ月で井上を単独カバーするも、その後は完全に無視。身勝手なメディアの玩具にされ、アンチや信者を産み落としたという点でも2人は酷似しています。

亀田一家は最初からヒールであったわけではありません。

プロデビュー前から「世界王者になる亀田三兄弟」として注目を浴び、2006年8月2日に亀田興が最初に世界挑戦したときの空気は「ヒーロー誕生」を期待するもので、テレビ視聴率は42.4%を記録しました。

「亀田とKOはセットや!」。

すぐにギャグとなり、あまりの恥ずかしさから本人たちも封印してしまう台詞も、当時は11戦全勝10KOの表層的な数字もあって誰も失笑しませんでした。

あのとき、ファン・ランダエタと空位のWBAジュニアフライ級タイトルを争う19歳を、日本のスポーツファンは普通に応援していたのです。

しかし、この世界初挑戦に成功した、本当なら記念すべき勝利が、亀田一家をヒールに貶める最初の落とし穴になってしまいます。

かつて、鬼塚勝也もこのときの亀田興と同じようにメディアとファンの短絡的で的外れな非難の標的にされました。

鬼塚の〝ランダエタ〟はタノムサク・シスボーベーであり、この十字架は最強挑戦者アルマンド・カストロを撃退することで贖罪されます。

亀田一家が最初に背負わされた十字架は、その後の自業自得の愚行から招いた世間からのバッシング とは違い、彼らには何の落ち度もないことでした。

しかし、彼らは〝アルマンド・カストロ〟と戦うことなく、背負う十字架の数だけが増えていったのです。