ボクシングがメジャースポーツだった時代、世界タイトルマッチがゴールデンタイムに生中継されるのが当たり前だった時代は、遠く彼方に過ぎ去ってしまいました。

この傾向は21世紀になってから加速、2013年の「IBF・WBOへの門戸開放」でボクシングの世界戦はハレの大舞台ではなくなっています。
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2001年7月に畑山隆則がWBAライト級のストラップを奪われてから、20年以上の歳月が流れました。

この間、日本のリングでエースと呼ぶにふさわしいボクサーは印象的な複数階級制覇を果たした長谷川穂積、亀田興毅、井岡一翔、井上尚弥に、問答無用のミドル級で2度王座に就いた村田諒太の5人。

白井義男が1952年に日本人初の世界王者になってから、畑山陥落の2001年までの49年間で、日本が輩出した世界王者は42人。

その後の20年あまりでは、54人もの世界王者が大量生産されました。畑山以前は偉業だったタイトル奪回や複数階級制覇は当たり前になり、54人の世界王者が獲得したタイトルは延べ100を優に超えています。

東京1964から「世界で戦う日本人を応援する」のはボクシングの専売特許ではなくなりました。

そして、80年代の岡本綾子、90年代からは野茂英雄や中田英寿らによって、日本のスポーツファンは「世界で戦う」ことの本当の意味を決定的に知ってしまいます。

日本のリングに世界王者を引っ張り上げて、繰り広げられるアルファベットタイトルの世界戦、あれは何だったのか?

今は、団体と階級、そして同一階級ですら王座が増殖される狂気の時代です。

他のスポーツのように「勝ち続けていれば、その先に栄光がある」なんて生易しい世界じゃありません。 

特に軽量級の場合は、野球の米国MLB、サッカーの欧州トップリーグのような「格好良い海外の夢舞台」が存在しません。 
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21世紀、ジュニアフェザー級以下の軽量級で、世界で最も大きな試合を現出したのは亀田興毅であり、亀田からずっと遅れをとった井上尚弥が続きます。

リングの外で世間を騒がし、下劣な注目を集めて商業的に大成功を収めた亀田と、リングの中での強さを追求するその先にラスベガスの夢舞台があると幻覚を見て〝赤字興行〟を繰り返し、米国から撤退した井上。 

すでに、井上自身が達観しているように、ラスベガスで何度勝ち星を重ねようが「天文学的数字」になるのは日本からの持ち出しだけです。そんなの喜劇です。
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井上が憧憬したマニー・パッキャオは米国から外資を奪い獲りましたが、井上の場合は日本から放映権料などの〝憧れ料〟を吸い取られるだけでした。

パッキャオに憧れたのに、やってることは〝逆〟パッキャオでした。



もし、井上が熱望する井岡一翔との試合が実現したら、世界のメディアも「軽量級離れしたメガファイト」と大きく報道するでしょう。

あるいは、亀田和毅とのマッチメイクなら、井岡戦を超える盛り上がりを見せることも十分に考えられます。WBCあたりが〝サムライベルト〟なんかを作って、おこぼれに与ろうとするほどの興行規模になるかもしれません。

残念ながら、井上と陣営に少なくとも現段階では、危険なマッチメイクに挑戦する気概がないのは、ほとんどのボクシングファンに伝わっているはずです。

井上の「上の階級に上げて潰されたら何の意味もない」という言葉が全てです。おそらく井上は、一度もアンダードッグを経験することなく、そのキャリアを全うするつもりかもしれません。

つまり、ここでもパックマンと真逆です。

井上の思考には、パッキャオがどうして米国で大人気を博したのか、一番重要なそこが抜け落ちているのです。

危険なマッチメイクに挑戦する気概のないボクサーが、パックマンを目指すというのは、倒錯的に理不尽で不条理な理解不能の思考回路です。



那須川天心vs武尊の盛り上がりを目の当たりにして「多くの注目を集める大きな試合がしたい」 と羨望したのが、井上の本音でしょう。

井岡戦、亀田和毅戦は、まさにそんなメガファイトになります。

プロモーション次第では「辰吉丈一郎vs薬師寺保栄」や「亀田興毅vs内藤大助」も凌駕する興行規模、つまり世界史上最大の軽量級の試合が期待できます。