他のスポーツとボクシングの決定的な違いは試合数の少なさです。

それは「何が評価されるか?」という問題に直結します。

強豪を倒さなければ数字が付いてこないテニスや野球、サッカーでは「誰に勝ったのか?」は大きな問題ではありません。

「ロジャー・フェデラーのグランドスラムは弱い相手に勝っただけで評価できない」なんて誰も言いません。

しかし、プロボクシングでは「誰に勝ったのか?」が評価の柱です。
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それは、4団体17階級・同一団体が同一階級に複数王者を抱えるというアバンギャルドな倒錯時代では、特に優先的な評価基準です。

軽量級史上初の4階級制覇を達成したレオ・ガメスや、無敗のままフライ・ジュニアバンタムでそれぞれ二桁防衛のオマール・ナルバエスらが欧米メディアから笑い者にされることがあるのは「誰に勝ったのか?」に対して何も答えられないからです(オマールの場合はそれだけでは済みませんが…)。

誰に勝ったのか?もっと具体的に言うと「旬の強豪に勝ったのか?」。

「旬の強豪」同士の激突がファンの関心を呼ぶのは当然です。そして、それが同国人対決となると、その国では最大の関心事です。

「タイソン・フューリーvsアンソニー・ジョシュア」はその最たるカードです。

日本は「井上尚弥vs井岡一翔」=両者合わせて7階級制覇・PFP対決=という究極の絵札を持ちながら、それを求める声はファンはもちろん、メディアからも聞こえてきませんでした。

昨日、井上がそれを口にしました。流石です。

とはいえ、今は何も始まっていません。

井上は減量苦も伝えられており、バンタム級にとどまる時間は今年がタイムリミットかもしれません。

井岡も軽量級最大の激戦区115ポンドの完全統一を目指しており、その実現はどんなに最短でもあと2試合は必要です。

もし、全てが順調に運んで「井上vs井岡」が実現するなら、今年の大晦日でしょうか。


前置きが長くなりました。


「叶わなかったJapanese ShowDown」

第1回は「日本のジムから誕生した27人目の世界王者・井岡弘樹」と「28人目の大橋秀行」。

「井上vs井岡」の原型と言い切って差し支えのない好カードです。

井岡弘樹は1969年1月8日生まれ、86年1月プロデビュー。87年10月にWBCストロー級初代世界王者決定戦に勝利。ファイティング原田の最年少記録を更新する18歳9ヶ月、具志堅用高に並ぶ最短9試合での戴冠でした。

大橋は井岡より4歳上の1965年3月8日生まれ、85年2月に「150年に一人の天才」としてプロデビュー。ジュニアフライ級では張正九の壁に跳ね返されますが、90年2月に階級を下げてWBCストロー級で世界奪取。

デビュー前から騒がれた二人の小さな巨人は、運命の糸に絡まれていたようにも見えました。

井岡の最短記録更新を狙った大橋は痛烈な挫折を体験しますが、井岡が陥落してから1年3ヶ月続いていた不名誉な世界戦連続失敗記録を21でストップ(15ヶ月で21試合も世界戦をやったということです)。
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しかし、1990年2月7日の後楽園ホールで21試合連続失敗ストップのクサビを打ち込んだ大橋への注目度は高くありませんでした。そうです、4日後にお隣の東京ドームで世界的なメガファイトが迫っていたからです。

それでも大橋のパワーボクシングはストロー級で開花、井岡キラーのナパ・キャットワンチャイにも圧勝します。

大橋は「井岡君の後追いしてるようでイヤ。世界王者なんだからアジア以外の選手とも戦いたい」と語っていたように、少なからず意識はしていました。

そして、大橋は「クーヨ・エルナンデスの最高傑作?そんなわけないでしょ」とリカルド・ロペスを選んでしまうのです。


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井岡は初防衛戦で李敬淵との死闘を制してエディ・タウンゼントへ感動の餞とします。しかし、ナパとの試合で限界を曝け出しただけでなく「疑惑のゴング」で悪役に。

それでも、PFPファイターで無敗、のちにモダーン部門で殿堂入りする柳明佑を攻略、大番狂わせを起こして2階級制覇を果たします。大橋が苦しめられた〝韓国の壁〟を越えたのです。


両者が対決することはありませんでしたが、80年代後半から90年代初めにかけて、二人は糾える縄の如く日本のボクシング界を支えていたのでした。