井上尚弥の「ひかりTV」「ABEMA」によるPPV、村田諒太が予定していた「Amazonプライム」でのサブスクリプション。

ボクシングが地上波TVから離れることは、マイナー化とマニア化の底なし沼にハマってゆくことと同義です。

それでも、プロボクシングが夢のある世界だと伝えてゆくには、正しい、そして勇気ある選択だったと思います。
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しかし、そこに欠かせないのはクリアな数字です。

大橋秀行会長は「目標数値は超え、満足のいく次につながる結果だった。合格点。成功といえる」と、視聴料金3960円に設定されたPPV配信を自画自賛しましたが、具体的な視聴者件数は発表しませんでした。

今回に限らず、ボクシング界の悪しき慣習です。

報酬はプロスポーツの価値を最もわかりやすく表現する手段です。

これまで、日本のプロボクシングでは大橋会長の「コロナ下なのに100万ドル、このまま防衛戦を重ねると天文学的数字になる」「目標数値は超えた(でも数値は発表しない)」のコメントに代表されるように、ザックリとした数字(ときにはザックリ以下)が主催者からボヤッと発表されるのが常でした。

そこにあるのは「見栄や背伸び」だけでなく「ジムはプロモーターとマネージャーまで兼任」「選手は所属ジムの〝社員〟」という一蓮托生な関係です。

良い意味もありますが、悪い意味でも非常にウェットな人情的なつながりです。

ジムはほとんど儲けがなくても、社員の世界挑戦を実現するために興行を立ち上げます。世界王者になって安定した興行収入を得られるようになると、社員はジムに恩返しするようにジムが決めたファイトマネーをもらいます。

それが、たとえ競争入札となっても、そこにつぎ込んだ想定以上の金額を補填するために、ジムにファイトマネーの一部を還元する薬師寺保栄のような選手の存在も、日本では物珍しい目で見られることはありません。

ボクシング界には「まず契約ありき」のプロ野球などで見られる給料泥棒は存在しません。

ボブ・アラムのように「テレンス・クロフォードの試合は赤字」と傘下の選手を皮肉ることもありえません。

先月の井上のPPVは、米国型の販売件数からファイトマネーが拠出されるスタイルではないのは明らかです。

ひかりTVとABEMAはPPV販売がどんな数字になろうとも、選手報酬を下支えする〝放映権料〟を先行投資のつもりで支払っていたはずです。

ひかりTVとABEMAにとって、今回の取り組みはビジネスというよりも「未来のための実験」という性格が濃かったのは、日本のPPV文化を考えると当然です。

今後、米国の半分でもPPVが浸透するようなら、地上波テレビでは全盛期の亀田並みの視聴率を稼がなければありえなかったファイトマネー数億円という金額を、誰が身を切るわけでなく、選手に支払われます。

〝米国の半分〟が長い道のりの先にあるのかどうか、不安になりますが、地上波テレビが力を失った大洋に、もう最初の船は出航しました。 

これからPPVの時代が幕を開けるのかどうかは、わかりません。現段階では否定的な意見の方が多く見られます。

しかし、確実に始まるのは世界チャンピオンの格付けが、今以上に残酷に鮮明になってゆくということです。