村田諒太がアタックする世界ミドル級の頂点。

それがいかに峻厳なテッペンであるのかは、70年代から80年代のボクシングシーンを見たファンはよくわかっています。

ミドル級から一つ下のジュニアミドル級で輪島功一、工藤政志、三原正が世界王者に輝いた時代。たった1階級しか違わないのに、ミドル級とは世界王者の価値が全く違うことに、多くのボクシングファンは気づいていました。

輪島が死闘を繰り広げたカルメロ・ボッシやオスカー・アルバラード、柳済斗らは世界的には全く無名の水増し階級の王者に過ぎず、ミドル級に君臨していたカルロス・モンソンとはメジャーリーグとマイナーリーグほどの差がありました。

工藤が「戦えたことが幸せ」と絶賛した世界選手権優勝のアユブ・カルレは、シュガー・レイ・レナードがトーマス・ハーンズとの大勝負前に調整試合に選ばれ、その通りに斬り落とされてしまいました。

三原を破壊したデイビー・ムーアはスーパースター候補でしたが、老雄ロベルト・デュランのオーラに飲み込まれて粉砕されてしまいました。

デュランやレナード、ハーンズ、そしてマーベラス・マービン・ハグラー、ミドル級ウォーズを繰り広げるFOUR KINGSがどれ程強いのか、日本のボクシングファンにはその高嶺は見えませんでした。
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しかし、村田諒太がアゼルバイジャン・バクーの世界選手権2011で銀メダル、ロンドン五輪2012では世界の強豪を退けて金メダルを獲得したとき、世界ミドル級の輪郭が見えてきました。

プロ転向後は16勝12KO2敗。二つの敗北はいずれも完璧な形で雪辱を果たしています。

「トップ選手との対戦がない」というのはゲンナディ・ゴロフキンやカネロ・アルバレス、ジャモール・チャーロと戦っていないということですが、アルファベット団体のコンテンダー相手なら圧倒的有利のオッズと予想が叩かれ、その通りの結果も残してきました。

米国や英国の超人気階級でこのレベルの才能と巡り会えるのは、日本ボクシング開闢以来の幸運です。

来年にもゴロフキンやカネロを倒す、そんなシーンを日本で目の当たりにすることができるかもしれません。

さて、英国ボクシングニューズ誌がランキングしたThe 10 greatest middleweights of all time(ミドル級歴代最強10傑)、残りの二人です。


【2位】カルロス・モンソン

途轍もなく強かったボクサーだったが、人間的には大きな問題を抱えていたアルゼンチンの英雄。

ドメスティックバイオレンスの重度の常習者で、パパラッチを殴り、暴力を振るった女性から拳銃で足を撃たれたこともある。

モンソンを知る人は、マイク・タイソンを見ても「お行儀の良い子だ」と思うことだろう。

1970年に敵地ローマでニノ・ベンベヌチを撃破してその名を世界に知らしめた。軽量でモンソンをからかったベンベヌチに、モンソンは「お前を殺す」と静かに語った。

その場にいた人の誰もが、これはトラッシュトークではないんじゃないか?と身震いするほど、モンソンは冷たい目をしていた。

モンソンがその宣言を実行するのを防いだのは12ラウンドで試合を止めた主審だった。

ロドリゴ・バルデス、エミール・グリフィス、ベニー・ブリスコ、ジャン・クロード・ブーティエ…モンソンは強豪相手に防衛戦を軽々とクリアし続け、その回数を14度まで伸ばした。

1977年、モンソンは王者のままグローブを吊るす。

それから4年後、ブエノスアイレスでモンソンはリング復帰を宣言。

「なぜカムバックするのかって?私よりもマービン・ハグラーの方が強い、という馬鹿がいるからだ」。

「ハグラーは27歳で私は39歳?それくらいのハンデがないとハグラーが可哀想だろう」。

このニュースを聞いたとき「モンソンに勝ち目はない」と思いましたが、モンソンが万全の状態に仕上げたならアラン・ミンターやビト・アンツォヘルモとは別次元のボクサーです。ハグラーにとって、キャリア最強の相手になったことは疑いようがありません。
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1995年、妻を殺害した罪で11年の刑期を終え、週末に一時帰国中に自動車事故で52歳の若さでこの世を去った。

しかし…妻を殺害したことで懲役刑を科せられたモンソンは11年間を牢獄で過ごします。52歳のモンソンには、もはや戻るべきリングはありません。

自動車事故で、その破天荒な生涯を自ら閉じました。

ボクシングファンが尊敬するグレートたちの多くは天国に招かれるが、モンソンはどうだったのだろうか?

もしかしたら、地獄に落ちて、熱い業火に今も焼かれ続けているのかもしれない…。


*【1位】はみなさんよく知ってるあいつなので、ここでは割愛します。