10代・20代の頃の憧憬は、どんなに年を取っても色褪せません。

私にとって箱根駅伝も、そんな甘酸っぱい記憶の一つです。
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昨日、購入した「Number1042」を読みました。

それにしても。

私たちの時代はマーベラス・マービン・ハグラーやマイク・タイソン、アイルトン・セナ、長嶋茂雄や落合博満…問答無用のメジャーが表紙を飾り、特集していたNumber誌です。

Numberが、箱根駅伝を完全選手名鑑を付録に奉納してくれる時代が来るなんて、当時は考えられませんでした。

90年代初頭まで、大学スポーツの花形は圧倒的にラグビー対抗戦グループでした。Number誌も繰り返し特集していた記憶があります。

六大学を中核とした野球が続き、そこから大きく引き離されて箱根駅伝は3番手(グループ)に埋もれていました。

「対抗戦」「六大学」「箱根駅伝」、この三つの大学スポーツの大会に共通しているのは「関東ローカル」ということです。つまり、大学の中でも地域タイトルを争う大会に過ぎないのです。

「対抗戦」「六大学」に至っては、他の関東リーグに蹴散らされることも珍しくない、関東ローカルのOne of themという局地的な大会です。

ボクシングで例えると、Undisputed Champion(完全統一王者)よりもWBOアジア・パシフィックの方が圧倒的・絶対的に人気がある状況です。いや、それ以下です。

かつてのラグビーがそうであったように、レベルの低いステージが注目されるスポーツは発展しません。

箱根駅伝が世界へのジャンピングボードの役割を果たしているかどうかは疑問ですが、以前と比較すると「日本代表」には多くの人材を送り込むようになりました。

ラグビーの「対抗戦」は関東でも一つのピースに過ぎませんでしたが、「箱根」は関東だけならUndisputed 、大学という特性からも日本全国から才能が集まるタレントタンクになりました。

私が大学の門をくぐった80年代末、当時の箱根駅伝は「出場校は15校、今よりも狭き門でした」(大八木弘明・駒澤大学監督)。

この名伯楽の言葉は「15」という数字だけを根拠にした、全くの大嘘です。 

本戦出場の難易度は「20」までエキスパンションされている現代の方が、大袈裟ではなく100倍狭き門です。 

私が現役ランナーの頃は、箱根駅伝を見ていても「こいつ、俺より遅いくせに」という選手を何人も数えることができました。

私は酒は飲むわ、練習はしないわ、月間走行距離が300㎞に達したこともない腑抜けランナーでしたが、予選会は100位前後で「俺が10人いたら軽く本戦出場」でした。

これは、いつもの自慢ではなく、それほどレベルが低かったのです。

当時は5000mを15分で走る、大学生としては決して速くない選手が10人いれば予選突破は100%可能でした。今年の青山学院は「26人が13分台で走る」(原晋・監督)そうですから、もはや別の惑星です。

青学では13分台で走っても関東インカレ5000mに出場できないランナーが、23人もいることになります。

ありえません。

そして、間違いなく世界最強の長距離大学である青山学院が、関東インカレでは2部校という錯乱の事態が箱根駅伝の暗部の一つです。

甘酸っぱい記憶の箱根駅伝をここまでメジャーにしてくれたのは〝青学的な箱根超偏重主義〟のおかげです。

しかし、それでも、東海や早稲田、順天堂、明治。中央、日体大、法政、専修、国士舘の陸上競技1部校を応援したくなるのは、私が陸上競技部の人間だという意識が、今でもやっぱり、はっきりあるからかもしれません。