例年になく忙しいのは、疫病と電子会議の攻撃のせいでござる。

この季節は大昔から忙しい故に、師走というのだらうけど、忘年会など息抜きも最も多い月だったのが、伝染病でほぼ壊滅なり。

さうして、大概の仕事は電子会議で賄えることが広く知れ渡り、同じ場所で顔を突き合わせて仕事するという大前提が崩壊したのでござる。

戦後の焼け野原からこの国は奇跡的な発展を遂げ、信じられないほど豊かになったのでござる。

拙者が上京して住んだのは廃屋まがいの集合住宅、風呂なし、便所共同、玄関も共同、その玄関にある赤電話が外部との唯一の接触手段でござった。

それが今では、高価な携帯電話を誰もが持っているでござる。

映画館で一期一会と目を凝らした銀幕は、今では電車の中でもどこでも楽しめる候。

中国や羅馬などの古代王朝は駅伝制度を敷いて遠方の情報を当時としては革新的な速さで収集したでござるが、今や市井の小市民でも世界中の情報を瞬時に手に入れることが出来るなり。

何という豊かさ、何という贅沢じゃ。

それなのに、廃屋の四畳半の時代の方が、あるいはそのずっと以前の時代の方が、みんな明るい顔をして笑っていたと思うのは、過去を美化してるだけでござろうか?
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東京地下鉄の車内広告を見て、そんなことを思い侍らせたなり。

一人酒でへべれけに酔いながら、個人情報の尊厳も、優越的立場に便乗した嫌がらせも無かった時代を郷愁するのでござる。

学生時代の飲み会では、さまざまな阿呆な遊びに酔っていたでござる。

こんなふうに徒然と書き連ねたのは、洋風居酒屋で片仮名言葉禁止、口にしたなら一気飲みという阿呆なお遊びを思い出したからでござる。

「麦酒を大きな杯で」「赤葡萄酒」「野生の七面鳥と追い水」「馬鈴薯の油揚げ」「西洋風お好み焼き腸詰乗せ」…。

ゼスチャーやメニュー指差しは禁止、店員に聞き返されるのは2度まで、あるいは注文と違うものが出てきても罰飲みが課されるのでござる。

ここまで書いて、浅草「キッド」「Netflix」と書かれた写真を載っけてたと気づいた阿呆でござる。さらに「ゼスチャー」「メニュー」。


帰宅して、自ら罰飲みでござる。そういえば「野生の七面鳥」があったはずでござる。