シモーン・バイルスは「アメリカが東京2020に送り出した最大のスター選手」(ニューヨーク・タイムズ)ですが、この24歳の女性は、日本でほとんど無名といって差し支えないでしょう。

2013〜19年の世界選手権5大会で前人未到の金メダル19個を獲得、16年のリオデジャネイロ2016でも4つの金メダルに輝きます。

「史上最高の体操選手」(スーザン・ライス大統領補佐官)という表現は大袈裟ではありません。
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Simone Biles after pulling out of the women’s gymnastics team final on Tuesday.Credit...Doug Mills/The New York Times
 
そんな黄金のアスリートが、団体総合決勝で最初の跳馬を終えてまさかの棄権。

そして、その原因が肉体の負傷ではなく「自分を信じて体操を楽しめない。大きな重圧と期待に向き合えなくなってしまった」という心の問題だったことは衝撃的でした。

バイルスは「これまで不幸な事件や腎臓結石だけでなく、うつにも悩み苦しんでいたが、勝てば勝つほど巨大になる期待と重圧は耐え難いレベルに達していた。リオ五輪の後2年間競技から離れたことは正しい選択だった」(ESPN)と報道され、日本へ送り出されました。

しかし、バイルスが心と体を癒している間も、東京2020に向けて、彼女にのしかかる期待は軽くなるどころかどんどん増幅、蓄積されていました。

今年4月に「東京で五輪4種目2連覇を狙う」と宣言したのは、彼女の本意だったのでしょうか?

コロナ下で、家族や友人たちから遠く離れて戦うことになった海外の選手たちは、ただでさえ今までに経験したことがない孤独と不安の中で人生最大の大勝負に挑んでいます。

ロイター通信は大番狂わせに散った聖火リレー最終ランナーの大坂なおみにもふれ、スーパースターが抱える、あまりにも大きな重圧ついて「もっと踏み込んで考える時期だ」と問題提起。

人間の複雑な心の中の問題を、すべて同列に考えることは出来ませんが、一時競技を離れた競泳の萩野公介も「泳ぎたいのに、体が動かなかった」とその苦しみを告白しています。

もしかしたら…。

「泳がなければいけないのに、心も体も言うことを聞いてくれなかった」のではなかったのでしょうか。

心よりも肉体の方が「正直」なのかもしれません。

重圧の中には、純粋な期待とは真逆の、反吐が出るような悪意も少なくありません。

瀬戸大也に対して、プライベートな家庭内の問題と競技の結果を絡めてバカなことを言い出す、匿名の暇なバカがいますが、ああいうバカは何を考えているのでしょうか。

バカは自分がやってることが「匿名」という立場に乗っかった陰湿で愚かで、なによりも卑怯な行為であることに気づいているのでしょうか。


ボクシングの世界でも、やはりうつと戦っていたライアン・ガルシアが休養期間を経てリング復帰しますが、彼も、もっと休んでも良かったと思います。

競技を離れても、彼らが背負った巨大な期待という荷物は軽くなってくれません。

そして、彼らが「逃げ出してしまった」と後ろめたく感じているかもしれない競技の世界では、自分がいないまま新しい物語が粛々と進行してゆきます。

そんな彼らに「焦るな」という方が、無理です。

それでも、ゆっくり休めば良いのです。そのまま引退したって構わない。

また、やりたくなれば、戻れば良いだけです。
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本当の光を感じることが出来るのは、深い闇を見た彼らだけでしょう。

それは、競技に復帰して再び栄光を掴んで感じることが出来るなんて浅い話ではありません。

24歳のバイルスが世界選手権で戻ってくるのか、パリ2024で復活するのか、それは米国や体操ファンにとって注目と関心の的です。

でも、そんなこと、どうでもいいのです。一番大切なのは彼女の幸せで、それを犠牲にしてまで希求する価値など、金メダルごときにはありません。



バイルスの棄権を「悲劇」と報じるなんて、そんなの大間違いです。 

「自分を信じて体操を楽しめない 」のに、競技を続けること、それこそが、悲劇です。

彼女は、それに対して「NO 」と勇気の態度を示したのです。それは、悲劇なんかじゃありません。

シモーン・バイルスは、自分のために、前に向かって一歩踏み出したのです。