東京オリンピックの開会式で作曲を担当するミュージシャンの小山田圭吾さんが、20年以上前の雑誌のインタビューで、10代のころ、障害のある生徒などにいじめを行っていたと語っていたことについて、知的障害者の家族で作る団体が声明を出すなど波紋が広がっています。=NHKニュース=

この問題は、ニュースで「いじめ」と3文字のひらがなで表現されるレベルの話ではないということです。

例えば、彼がもっと早い段階で、少なくともオリパラに関わる前に、自ら懺悔して「こんな機会が訪れるのは運命だと思います。自分がやってしまったこと、今さら遅いかもしれないけど謝りたい。もし、被害者の方が許してくれるなら、この仕事を引き受けたいと思います」と告白していたなら、また違ったのかもしれません。

彼が犯したのは〝3文字のひらがな〟で表現されるような軽いことではありませんが、賛否両論が渦巻いたでしょう。

「いじめ」。3文字のひらがなで表現するのが、この問題の本質や実態から逃げています。

1960年代生まれの私は「受験戦争」「いじめ」「校内暴力」など、今も続く、いろんな問題が噴出した時代を過ごしました。

幸いというか、なんというか、中学時代は野球に没頭して、高校時代は「引きこもり」で、いろんな問題に悩むことは、見えないふりをしていたとはいえ、ほとんどありませんでした。

ただ、受験戦争もいじめも、私が引きこもってた自宅や図書室の外では陰湿に着実に繰り広げられていました。

障害のある子をいじめるバカはいました。今、思うと、それを止めなかった自分も腹立たしくなります。

昼休みとか休み時間だったと思いますが、その子が何度か図書室に来ることがありました。

彼が私に、私なんかに、親近感を覚えてくれてたのはなんとなく気づいていました。

今でも覚えてるのは彼が「県下一斉テストが怖い」と言ったことでした。普段のテストでも成績が悪いことで、答案用紙を取り上げられていじめられていた彼にとっては、当然です。

無神経な私は「大丈夫、お前は一番のバカじゃない。一番は俺だ」と励ましました。

私は、一斉テストで「県で一番最低点」を取るべく試験を受けて、その夢は叶わなかったものの、学校ではダントツ最下位。職員室に呼び出されてこっぴどく怒られましたが、教室ではちょっとしたヒーローでした。

ただ、そのときから、彼はほとんど図書館に来なくなりました。

私がやったことが、彼を傷つけることになるのは、ちょっと想像力があればわかることでした。

卒業前に、担任の先生から「お前はとんでもない生徒だったし、一部の先生からも退学させろとか言われてたけど、それはずっと反対した」と言われて、しれっと聞き流してると「それはお前が旧帝や(何校も合格実績になる)私大にどこでも受かると思ってたからじゃない。そういう先生もいたかもしれないけど」と真顔になって、図書室の貸し出しカードを見せられました。

彼のカードでした。
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高校の図書室にあったのも文庫本でしたが、専用のハードカバーでした。これは後日買った、普通の文庫本。ヘミングウェイのボクシング小説は、くらくらするほど秀逸です。

アーネスト・ヘミングウェイからウィリアム・ゴールディング、それにスポーツイラストレイテッド誌やリング誌まで…私がよく読んでいたものをなぞっていたのです。

「あいつの話し相手になってたんだな。お前のこと見直した、優しい男だ。先生はお前の味方し続けたこと、誇りに思う」と言って泣き出した先生に、私は「見直したってどういうことです?今まで見そこなってたんかい!」としっかり突っ込みながらも、それは違うと罪の意識も膨らみました。

もう、あのときには戻れませんが、彼にもう一度会いたくなりました。

会おうと思います。




今でも、ときどき遊ぶ近所のガキンチョにも、障害のある女の子がいます。

私のところに来る子たちは、彼女をいじめたりしてる風は全くなく、もちろん、陰湿ないじめというのは大人には完全にマスキングする卑怯な面もあるのですが、そうじゃないと思うのは、他の子が彼女を畏怖してる感じで私に紹介したからです。

「コーテー(皇帝=ガキどもにはいろんな名前で呼ばせてます)、他では言うなよ、誰も信じないから。あゆみはカラスと話せる」と言ってきたのです。

それから、あゆみも「勉強会」に一緒に参加するようになりました。

後日、あゆみのお父さんお母さんが訪ねてきてくれて、丁寧にお礼してくれたのですが、それは違うというか、「カラスと話せる女の子」と知り合えてこっちの方が大興奮のありがたい出会いなのですが、子供たちと「誰にも言うな」と約束した手前、そんなことは口に出せません。



高校時代に、もっと何かできたのに。それが出来たのはきっと俺だけだったのに、そんな苦い後悔と、東京赴任で偶然会った「カラスと話せる女の子」。

カラスの女の子は、他の子と一緒に勉強してると、明らかに違います。普通に見たら「全然できない」ということかもしれませんが、それは全くの一面。

そういえば、カラスの話はしましたっけ?

その話と彼女の英語、どこかで また。