マニー・パッキャオとフロイド・メイウェザー、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケス。

モハメド・アリとジョー・フレイジャー、ジョージ・フォアマン、ケン・ノートン。

ボクシングの物語が魅惑のクライマックスを迎える絶対必要条件は、ライバルの存在です。

パッキャオとメイウェザーがなにゆえ、あそこまで大きなイベントに膨れ上がったのか?もちろん、理由は一つではありません。しかし、二人のライバル関係があまりにも色鮮やかだったことが最大の理由です。

〝今は亡き〟リング誌の「BEST FIGHTER POLL」(年間PFP投票)で2005年から2014年までの10年間にも渡り、PFPトップを分け合ってきた二人が激突したのです。

これほどまでに凄まじいライバル関係は、ボクシング180年のヒストリーブックのどのページを探しても見つかりません。 
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プライドと勇気の火花を散らしたFOUR KINGSに比べて、こいつら↑ときたら…。

しかし、パッキャオとメイウェザーは〝たった二人〟きりでした。

さらに、その激突は一度きり。

そして、何よりも二人は全盛期を過ぎてリングの上では証明するものは無くなっていました。

2015年の二人にとって、リングは新たなレガシーを築く神聖な場所ではなく、金儲けのための市場に過ぎませんでした。




しかし。

7年間という密度の濃い時間で、PFPキングを奪い合った四人、つまりプライムタイムの四人がラウンドロビン(総当たり)でプライドを賭けて戦った…そんな夢のような時間があったことを、憶えているでしょうか?


1980年:ロベルト・デュラン。

1981年:トーマス・ハーンズ、。

1982年:シュガー・レイ・レナード。

1983年〜86年:マーベラス・マービン・ハグラー。
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もし、あの当時を知らない人がいたとしたら…?

1980年から86年までの、この簡素なPFP年表をもう一度見て下さい。

最初の3年間をデュランとハーンズ、レナードが獲り、残りの4年間をハグラーがスイープした「7年戦争」です。


先駆けた3人のPFPキングが、そのあと4年連続PFPキングのハグラーに次々と挑んでいったのです。

このスペクタクルが、どれほど強烈な磁力で世界中のボクシングファンを惹きつけたことか。


当時を知らない人でも、私のこんな下手くそで短い文章でも、あの7年間がボクシングファンにとって狂喜乱舞の時間であったことは簡単に想像できるでしょう。

パッキャオとメイウェザーが2人じゃなく4人もいて、何よりも全盛期に総当たりで激突していったのです。

あんなのを見てしまって「世界のボクシングの熱狂的ファンになってはいけない」「(学校図書館が定期購入していた)リング誌も(当時はボクシング情報満載だった)スポイラ誌も貪り読んではいけない」なんて言われたなら「死ね」と宣告されたのと同じです。


そんな、絢爛豪華な時代が、確かにあったのです。 

そして、そんな世界のど真ん中に屹立していたのが、マーベラス・マービン・ハグラーだったのです。