年齢を重ねると、いろんなことが起きます。

私が近所の子供に勉強を教えるとか、受験の相談を受けるなんて、彼らと同じ頃の私には想像もできないことです。



高校時代は学校嫌いの引きこもり。大学時代は将来のことなど考えずに、遊んでばかり。

受験や就職は差し迫ってからようやく腰を上げるような、世間を舐めた若者でした。

普通なら大学なんて行けない、行く大学がない、どこにも就職できないなんて結果を突きつけられてもおかしくなかったのに、そうならなかったのは、高校時代は信じられないくらいに先生や友人に恵まれたから、大学時代はやはり信じられないくらいに時代に恵まれたから、でした。


受験や就職、当事者はもちろん家族にとっても重大な人生の一大事に思えますが、そんなことありません。

「環境と時代に恵まれた運だけのお前が言うな」という話かもしれません。実際、自分の場合は「人生の一大事」なんて意識は全くありませんでした。

ただ、自分の選択に後悔はないものの、他の選択もあったなとはよく思います。

しかし、そのときは「他の選択」は見えませんでした。

私のような無茶苦茶な生き方をしていても、そうでした。

どこの大学にでも入学できる、どこの企業でも就職できる。だとしたら、どこの大学、どの企業を選ぶか?

私のような世間から外れた人間でも、その時の選択は恐ろしいほど世間と同じでした。
スクリーンショット 2021-04-10 15.08.13
昨日の日本経済新聞の広告からですが、なんだか30年前から代わり映えしないなあ、というのが実感です。

文系で前年1位だったJTBグループが同35位に、4位の日本航空が45位に、5位のオリエンタルランドが20位に急落するなど〝パンデミックの反乱〟は見られますが、全体の基調は変わりません。

全体の基調、それは「寄らば大樹の陰」ということですが、大樹が常に大樹であるとは限らないことは、パンデミックの反乱を見るまでもありません。

「寄らば大樹の陰」は正確には「寄らば(今現在大樹に見える)大樹の陰」ということです。

そもそも、人気大学ランキングと一緒で人気企業ランキングも「どこの大学にでも入学できる、どこの企業でも就職できる」という前提での回答を集計したものではありません。

「自分が行けるかもしれない大学、就職できるかもしれない企業」のランキングです。

本当なら人気大学ランキングは東京大学文科一類や理科三類が1位になるはずですが、そうではないランキングも多く見られます。

それどころか青山学院大学や明治大学が1位という、不可解なランキングも少なくありません。そういえば、私の時代は早稲田大学が1位だった気がします。

「どこでもいいから選べるとしたら」ではなく「口にしても許される大学」という〝許容フィルター〟を通したランキングなのでしょう。

受験や就職の大学、企業の人気ランキングほど、対象者の本意から大きく逸脱したものはまずありません。PFPよりも意味のないランキングです。

「どこでも連れて行ってやる」と親に言われた子供が「火星」や「月」ではなく「近くのスーパー銭湯に行きたい」と答えるようなものでしょうか。


私の出身高校で大学ランキングを作れば、関西学院大学や関西大学なんかが1位になるかもしれません。それは、灘高などのランキングとは全くの別物です。

企業ランキングも東大生に聞くか青学生に聞くかで、全く変わってくるでしょう。

20才そこそこの若者の選択です。自分たちは大人だと思ってても、こういうバカランキングなど周囲の雑音に左右されてしまいやすいものです。

いろんな情報が溢れる真っ只中にいると、全く不思議なことに「他の選択」が見えにくくなります。

多くの情報があれば、常識的には選択肢が増えるはずなのに、情報は多数決的に一つの選択に誘導する、思考能力を麻痺させる劇薬のようなものです。


高校三年生の夏、大学に進学しようかなと思ったとき、最初に思い浮かんだのは筑波大学や日本体育大学、順天堂大学でした。選手として挑戦したい気持ちもありましたが、体育や運動をもっと深く学びたいと考えたからです。

しかし、現実にはその思いはほとんど誰にも話しませんでした。信頼出来る先生や先輩には話しましたが、冗談としかとられませんでした。

そして、自分の中でもそれを自然と受け入れる自分がいました。



若い人には、周囲の声や、溢れる情報に溺れずに、やりたいこと、自分に向いていることを考えて人生を選択して欲しいと思います。



それを考えると、今の自分だって偉そうなこと言えないなあと、本当に思ってきます。

もうそろそろ、やりたいことやっていいんじゃないか、と。