豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、都の南で接触相撲という怪しげな催事がはびこっていた。
相手の体に何回接触するかを競う接触相撲は、誰の目にも退屈で、強さとは全く無関係に思えた。
ところが、接触相撲で無敗を誇った風呂井戸関は巧みな言動で人々を煽り立て、接触相撲こそが最強という錯覚を引き起こす妖術使いだった。
朝廷や大相撲の識者は「言語道断の戯事。接触相撲など、童の遊び鬼ごっこと同じ」と非難したが、風呂井戸のまやかしに踊らされた八百八町の人々は酔狂するばかり。
浴びせられる非難轟々を、風呂井戸は笑い飛ばした。
「偉大になるために戦ってるんじゃない。銭のためだけに戦っているんだ」。
「フロイド・メイウェザーが有力な対戦相手から逃げ続けた」という見解は、森羅万象がそうであるように一面では正しくもあり、別の一面では間違いです。
また、マネーはカネ儲けだけを追求する銭ゲバだというのも大間違いです。
ボクシングにおいて勝利の絶対スタイルは存在するのか?
「数学上の未解決問題」に匹敵する難問です。
クイーンズベリー・ルールが開闢してから130年以上の歴史を積み重ねて来た近代ボクシングですが、その答はまだ紐解かれていません。
「ポアンカレ予想」のように、いつかその解明者が現れるのでしょうか?
現在のところ、この130年間で2人のボクサーがこの難問に挑みました。
1人はシュガー・レイ・ロビンソン。もう1人がフロイド・メイウェザーです。
メイウェザーが「カース・オブ・ゼロ=ゼロ(無敗の呪い)」に取り憑かれているというリング誌の見立ても、大間違いです。
マニー・パッキャオのティモシー・ブラッドリー第1戦や、ジェフ・ホーン戦が許容されるなら、メイウェザーのホセ・ルイス・カスティージョ第1戦とマルコス・マイダナ戦も判定負けで何ら問題はありません。
しかし、重要なことはメイウェザーがダイレクトリマッチで明白に〝雪辱〟していることです。初戦と同じ内容なら、判定は相手に転がりかねない状況できっちり再戦で勝利しているのです。
フロイドを逃亡者と揶揄したり、カネの亡者と軽蔑することは、彼の表層しか見ていないだけで、その本質を見落としています。
もちろん「コットとの無敗対決」「パッキャオとの究極の盾矛対決」が、もっと早い段階で実現できなかったA級戦犯はメイウェザーです。
ここまで書いて、メイウェザーの話は「0=ゼロの寓話」で触れるべきではなかったと、思い至ってしまいました…。
一旦、撤退して出直してきます。
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