こんな便所の落書きでも、今日は黙祷です。

Tohoku-Region-Northern-Japan-ISS-Space

今から、ちょうど10年前の2011年。

翌年にロンドン五輪を控えた7月3日〜9日の1週間に渡って行われた「第21回インドネシア大統領カップ」。



2011年の今日。日本は未曾有の悲劇に見舞われていました。


悲しみに沈む母国から飛び立った飛行機が目指すは、赤道直下、灼熱のジャカルタ。

タラップから亜熱帯の地に降りた日本代表は史上最強の日の丸部隊でした。


アジア大会など国際大会でメダルをコレクションしていた須佐勝明。やはり北京五輪をはじめ国際経験豊富な清水聡。

2人の自衛隊コンビが金メダルを日本に持って帰ると期待されていました。


確かに、その通りに、二つの金メダルが日本人の首にかけられました。

しかし、最も美しいメダルが輝いたのは、須佐の胸でも清水の胸でもありませんでした。

一つは、当時高校3年生、まだ17歳の少年が49㎏級で勝ち獲りました。

もう一つは日本人には全く聞きなれない75㎏級で、25歳の大学職員が決勝までの全ての試合をKO・RSCで強奪してみせました。

なんと、この2人は、これが初めての国際試合でした。



そして、世界選手権。同年9月16日〜10月1日。

最強の日の丸部隊はユーラシア大陸の西端、アゼルバイジャン、バクーに勇躍乗り込みます。



ここで、高校生の駿才は3回戦で涙を飲みます。

翌年のアジア選手権で優勝なら「ロンドン2012で金メダルを獲ってプロ入り」という夢がつながりましたが、決勝で敗退、悔しすぎるあと一歩の銀メダルに終わってしまいます。

しかし、少年にとってロンドンの夢が断たれた悔しさと腹立たしさが、どれほどの良薬になったのか…今の彼を見れば誰もが納得するでしょう。




そして…。もう一人は「日本人には絶対無理』と言われた階級で、あろうことか世界の決勝まで進みます。

勝っていたように見えた試合は、まさかの判定負け。複雑な表情で銀メダルを首にかけられました。

10階級しかない中での75㎏級で、2年に1回しかない世界選手権で、2位です。世界の2位です。 これを「日本ボクシング史上最大の偉業」と表現して、まともに反論できる人がいるでしょうか。

それなのに、この青年はイエフゲン・フイトロフの胸で揺れる金メダルを「絶対に納得できない」という目で見ていたのです。

五輪前年の世界選手権で突然現れた25歳のサムライ。

五輪のホスト・英国と、プロでミドル級が人気の米国のメディアは「日本人が金メダルへの最大の障害になるだろう」と警報を発令しました。





あれから、10年が経ちました。


ジャカルタで金メダルを獲った高校生は、来月28歳の誕生日を迎えます。

彼は、プロで3つの階級を圧倒的な形で征服し、米英の多くのメディアが「全階級を通して最強の一人」に数える評価を固めています。




バクーで銀メダルを獲った大学職員は、英米の必死の警報虚しくロンドンで金メダルを獲得。

大手広告代理店や東京キー局が、日本人にとってのミドル級がどんな意味を持つのかを知らないわけがありません。

日本中のボクシングファンの夢を背負って、世界最強の青年は当初否定していたプロ転向を果たします。

そして、プロでも超弩級のメガファイトの整理券が発行される位置まで登り詰めました。






今、悲しいことに、10年前と同じように、やはりまた日本はどうにもならない深刻で重大な危機と向き合っています。
 


私たちは弱くて脆い。


だから、巨大な敵でも恐れずに立ち向かうファイターの姿が見たくなるのです。
 

出番です!井上尚弥!
 

出番です!村田諒太!