番狂わせ。

絶対有利と思われたファイターがアンダードッグの拳に跪き、ひれ伏す。

そこには予想を超えて確信にまで固まっていた私たちの信仰が破壊された混乱と戸惑い、それを補おうと泥縄の後出し情報と分析が氾濫する渦中で感じるのは、背徳の恍惚です。




このシリーズでは番狂わせのパターンを類型化、ご紹介するはずでしたが、今回は予定変更。

Bayonne Bleeder(バイヨンヌの流血鬼)にハッピーバースデイを捧げます。大番狂わせの話をするのに、彼ほどふさわしい人物はいないかもしれません。

チャック・ウェプナーは1939年2月26日生まれ。日本時間では今日が82歳の誕生日です。
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1964年プロデビュー、1978年にグローブを吊るしたウェプナーの試合をリアルタイムで観た人はほとんどいないはずです。

当時の熱狂的なボクシングファンでも、キャリア52戦のどの試合も日本で中継されることはなかったのですから、当たり前です。

東海岸をベースに戦った白人ヘビー級とはいえ、ニュージャージー州のタイトルを獲ったりとられたりのローカルファイター。

バイヨンヌの流血鬼という異名も、すぐにカットして血だるまになるからでした。

ニュージャージー州のバイヨンヌ警察のジムで練習しながら、酒のセールスマンとしても働く兼業ボクサー。まだ、ボクシングにメジャーの熾火が残っていた時期とはいえ、州王者がやっとこさでは、ボクシング一本で食っていけるわけもありません。

それなのに、彼の名前を知らないボクシングファンは少数派でしょう。ボクシングファンでなくても「ロッキー・バルボアのモデル」として多くの人に知られています。

今朝のリング誌電子版で「HAPPY BIRTHDAY TO CHUCK WEPNER」のヘッドラインよりも先に、老けたウェプナーがファイティングポーズを取るモノクロ写真が目に入って不謹慎な思いが胸をよぎりましたが、そんなわけがありません。

あのタフガイを天国に連れて行くのは、天使や神様が何人がかりでも大仕事でしょう。しかも、まだ82歳です。


それにしても、ウェプナーの名前をいつ知ったか正確には思い出せません。

「ロッキー(1976年)」の公開時期を考えると、どう考えても小学生。

「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」(1976年6月26日)の地球的イベントで、同じ日にニューヨーク・シェイスタジアムで行われたアンドレ・ザ・ジャイアント戦を見たのは、ずっとあとのことだったか…。

「猪木vsアリ」の拍子抜けとは違い、ウェプナーをロープの外に投げ飛ばしたアンドレには興奮しました。



今も、リアル・ロッキーはニュージャージーで妻リンダと幸せに暮らしています。

そして今も、酒類流通業大手のAllied Beverage Groupでセールスマンとして働き、リンダも同じ仕事に就いています。

突然、ありえないような脚光と名声のシャワーを浴びても、全くぶれずに堅実な人生を歩み続ける。

これこそが、普通の人間には最も出来ないことです。本当の強さとは何かを、ウェプナーの生き様が静かに教えてくれています。

82歳の元ニュージャージー州王者は、数年前から癌を患っていますが「体重は35〜40ポンド減った。カムバックするならクルーザー級になるな」と全く悲壮感はありません。生まれながらのファイター、ガッツの塊のような男です。

それでも、今の米国ボクシングを語るときは少し感傷的になります。

「アメリカからヘビー級チャンピオンがいなくなるなんて、信じられないな。もうあの頃には戻れないんだろうな。アリ、フレージャー、ジョアマン、ジェリー・クォーリー…偉大な選手が戦う黄金時代を共有できて本当に幸せだった。でも、彼らもあと2、3人しか残っていないのか」。



それにしても。実在のロッキーはモハメド・アリとの大勝負に予想外の抵抗を見せたとはいえ、15ラウンドTKOで敗れたのです。

番狂わせは起こしていません。

それでも、ウェプナーを〝届かなかった男〟とは誰も考えないでしょう。

番狂わせを起こすことができなかったにもかかわらず、彼はリングの中でも、リングを降りても「The Undefeated〜敗れざる者」の代表であり続けているのです。

未来永劫、語り継がれるであろうニュージャージー州王者なんて、それこそ映画の世界です。



やはり、チャック・ウェプナーは大番狂わせを起こしたのです。

ハッピーバースデイ、偉大なチャック・ウェプナー。