プロレスラーになりたかった。

プロレスラーになれないとわかってからは、プロ野球選手になりたかった。

プロ野球選手になれないとわかってからは…。ただひたすら悲しかった。

ひねくれて授業に出ずに、あちこちで喧嘩したり、カビ臭いシートの古びた小さな映画館にこもったり、たまに学校行っても図書室にこもりきったり。

「授業」という点では、今で言えば明らかに引きこもり、登校拒否だった。

でも、野球と陸上競技は大好きだった。練習と試合は当たり前に出て、普通に大暴れできた。

そんな無茶苦茶な私を、親や学校や先輩、後輩、そして同輩たちが認めてくれて、受け入れてくれたことがどれだけありがたいことかを本当に気づいたのは、社会人になってからという阿呆さぶりだった。

プロレスラーにもプロ野球選手になるには、ハシにもボーにもかからなかったが、勉強はもっと酷かった。

周囲の勧めで模擬試験を受けたら劣悪なスコアしかでなかった。「大学は行かない」と言う負け犬に「こんな1回の結果でそんなこと言うな、まだワンストライクだ」と、野球部の同期や後輩やOBやらならわかるが、陸上部のやつらにまで「ワンストライク」と励まされた。

次の模擬試験は飛躍的に進化したが、そもそもが底辺なのでたいしたことがない。記述メインの模試で「英語の和訳」と「数学」「現代国語」「世界史」が満点だったといわれても総合点はどうしようもなかった。

共通一次ってテストが昔はあって、それも目標に届かなかったばかりか800点にも満たなかった。

それでも短期間でここまで取れて、自分では十分だと思った。

それなのに、これなら二次試験で大逆転できると発破をかけられた。

何故か二次試験では全てがうまくいって、それはまさしくパンチャーズ・チャンスってやつで。全くくだらない受験にも一発大逆転ってあるのだ。
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「ティーチャーズ」というブレンデッド、それの結構レアなエイジングをロックで流し込んでいると、くだらない話をしたくなる。

ダメアスリートの私でも、大学では重宝された。野球も陸上も、そのまんまでは通用しなかったけど2年生に上がる前に正選手になれた。 

神宮球場や国立競技場で公式戦を戦えるのは、鳥肌が立つような喜びだった。それが、たとえ二部校であったとしても。 

関東二部でも全国大会には出場できる。当時でも関東二部でもトップは「全国トップ」という構造。

何を書こうとしてたのか、酔って冷めたタラの芽の天ぷらを噛んでると思い出した。

トロフィーが欲しかった、メダルが欲しかった。という話。 

賞状って乱発されるが、トロフィーやメダルはなかなかもらえない。

インカレで3位までに入ればメダル、1位ならカップももらえる…。しかし、8位入賞も遠かった。

関東インカレはそれぞれの種目の優勝者がレジェンドの名のつくトロフィーがもらえた。 大会本部のテントの下で、キラキラ輝くそれが、もうまぶしくって、仕方がなかった。

世界中のどんな宝石よりもあれが一番貴重な宝石に見えた。 

言い方は悪いが、レベルの低い対抗戦や、法学部や医学部・理工学部など体育会で陽の目を見ない学部を集めた〝WBSS〟みたいな大会もあってそういう大会で優勝しても何かが違うというか、やっぱりメダルやトロフィーがない。賞状だけ。

二次元の賞状じゃなく、三次元のメダルやトロフィーが欲しい。

社会人になって市民大会に出て、ローカル大会でも大会本部テントに鎮座してるトロフィーってまぶしい。

上の画像で、わかりにくいかもしれないが、左上のトロフィーは胴部が大理石ですごく格好良くて、絶対獲る!と走った。

でも、もらった瞬間から、もう石ころと鉄くずにしか思えない。。。

なんていうのか、それが「現役」かどうかのリトマス紙かも。

新しいキャビネを買っていろいろしまってたものを掘り起こすと、そんなメダルやトロフィーが出てきて…鉄くずだと思ったのが、今も鉄くずでも、やっぱり愛おしい鉄くずどもです。

改めて見直したのがこいつ。
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面白いタイプのトロフィーで、メダルが宙をぶらぶらしています。

ああ、もう一回、こいうのを獲りに行きたくなりました。