英国ボクシングニューズ誌12月24日号から。

年末から超繁忙な日々を送り、この週末はリモート仕事を片付けて、自宅に溜まってた雑誌などを読みまくってました。スポイラ、リング誌、英国ボクシングニューズ(BN)誌はやっぱり面白いです。

BN誌のその年の最終号は、ページ数が倍の80ページになるのが恒例です。

経営難から年9回発行、月刊から転落していたリング誌は2年前から月刊体制に戻り、一時期64ページまで痩せ細ったボリュームも80ページまで戻ってきました。

それでもBN誌の年末最終号に追いついただけ。

いまや、ボリュームではリング誌を引き離しているBN誌。

いえいえ、ボリュームだけではなく、内容も?というわけで…

ALL THE DEVILS The Life and Death of Trevor Berbick
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ジャマイカ生まれのトレバー・バービックは1976年プロデビュー、2000年で引退。24年の息の長いキャリアを送ったヘビー級王者でした。

1986年3月22日にピンクロン・トーマスに僅差の判定勝ちを収めてWBCのピースを獲得しましたが、ちょうど8ヶ月後の11月22日にマイク・タイソンの拳に粉砕されて1年にも足らない短い治世に終止符が打たれます。

それから14年も戦い続けたバービックでしたが、世界王座を奪回することはついにありませんでした。

生涯戦績プロ49勝33KO11敗1分。アマチュアでは8勝3敗。

エディ・ファッチ、アンジェロ・ダンディという伝説的なトレーナーの薫陶を受けたものの、3団体時代で刹那の王者だったバービックは記憶に残るボクサーではありえませんでした。

「あれ誰だっけ?カナダをベースに戦ってたヘビー級のジャマイカ人いなかったっけ?」。ヘビー級王者でも忘れ去られる、そんな時代になった初期の有象無象の1人てあるはずでした。

しかし、その軽少なレガシーは非常に奇妙な形でボクシングの歴史に永遠に名前を残すことになります。

モハメド・アリと戦った最後の男として。そして、マイク・タイソンが初戴冠した相手として。

偉大なアリの戦績リストの最後に名前を刻み、タイソンの強打に〝宇宙遊泳〟したKO負けのシーンはYouTubeで驚くべき再生回数を記録しています。 

アリとタイソンが語られるとき、バービックの名前も自動的に蘇る仕掛けです。

そうでなければ、彼は米国ヘビー級史上最悪の沈滞期に混沌のリングへ迷い込んだ凡庸なヘビー級王者の1人に過ぎませんでした。

この時期のヘビー級はレベルが低く、多くの王者ですらマリファナとコカイン、コルト45、真夜中の酒池肉林、嘘と裏切りで語られることが多いものの、バービックが自堕落なコンディションで試合に臨むことはほとんどありませんでした。

練習が終わるとまっすぐ帰宅、ボロボロになった聖書を精読するバービックの闇は、ドラッグでも女でも酒でも過食でもありませんでした。

ジョージ・フォアマンが奇跡的な復帰を果たすまで、日曜日になると教会にこもって祈りを捧げるバービックだけが〝戦う宣教師〟の異名の持ち主で、それは彼こそを指す言葉でした。

ジャマイカのポートアントニオで生まれたバービックの生年は1952年と1954年、2つの説があります。よくあるお話です。

そして、70年代初めにはグアンタナモ湾で移民労働者として働いていました。 

グアンタナモは今でこそ悪名高き収容所ですが、当時は軍事基地があるだけでした。

悪魔に魅入られたトレバー・バービックの数奇な人生、その物語の始まりです。