それにしても、銀座界隈が8時で真っ暗です。

アップルはまだ営業しているようですが、飲食店は8時閉店、お酒は7時ラストオーダー。
image
少し前、リンゴマークを真っ赤に染めていたアップルストア。「怖い」と不評だったのか、すぐに白に戻しました。

確かに、毒々しかったです。

リンゴが赤いなんて、普通のことなのに…今の私たちは、赤が絶望のシグナルにしか見えない、異常な色覚にされてしまったのかもしれません。
image
今夜のメトロ車窓ショットは1964。日本が一番元気だった時代です。

…なんですが、これから書くお話は1987年のこと。

この年、落合博満が日本プロ野球史上初の〝公式〟1億円プレイヤーになりました。

「1億円」は1980年に中野浩一が日本人プロスポーツ選手として初めて突破。

それ以前もONや野村克也らが現役時代にすでに1億円を手にしていたのは周知の事実でしたが、いずれにしても「1億円」は日本のスポーツシーンにとって今なお大台であり続けています。

この1987年、太平洋を挟んだ米国ではシュガー・レイ・レナードが実質5年のブランクから、マービン・ハグラーと戦うために電撃復帰。

このメガファイトでハグラーは1200万ドル(当時のレートで約18億円)、レナードは1100万ドル(16億5000万円)が最低保障される、という報道に度肝を抜かれました。

しかも、これは、最低保障の数字でした。

最終的には、大盛況のクローズドサーキットの歩合が加算され、両者の通帳には2倍以上の金額、約40億円ずつが振り込まれることになるのです。

落合の1億円がニュースになる日本から9000㎞彼方のラスベガスで、一晩で40億円を稼ぐボクサーが拳を振るっていたことは衝撃的でした。

当時、米国ボクシングはすでに斜陽。それでも、トップ中のトップが他の人気スポーツ選手を押し退けて長者番付の先頭に立つことは珍しいことではありませんでした。
FullSizeRender
「No.1ボクサーが長者番付でも1位」。

ボクシングの凋落傾向が加速した現代では、その頻度は減ったものの、カネロ・アルバレスやマニー・パッキャオはもちろん、タイソン・フューリーとアンソニー・ジョシュアのForbes Fighterも対戦相手によっては一気に番付1位に立つ可能性があります。

今年は「ジャック・デンプシーvsジョルジュ・カルパンチェ」が史上初の100万ドル興行を記録してから、ちょうど100年。

法外なゲート収入から放映権料、衛星放送、クローズドサーキット、PPV…銭ゲバを極めてきたこのスポーツの歴史を振り返ってゆきます。

きっと、どこかで書いたお話の続きなので、時間があるときに〝溶接加工〟致します…。