賭けられているものが大きければ大きいほど、決定的な形で試合が決まって欲しい、そう願うのはファンだけではありません。
井上尚弥vsノニト・ドネアのシーソーゲーム。井上の右まぶたのカットは出血量以上に深く、あと薄皮一枚で筋肉まで達していたといいます。
結果的にはドクターチェックは一度も入りませんでしたが、「もし」の世界では井上はストップ負けしていたかもしれません。
主審やリングドクターのジャッジはコントロール出来ませんが「もし」が起きていれば、非常に後味の悪い試合になってしまったのは間違いありません。
11ラウンドの〝ロングカウント〟も含めて、物語を完結できたという意味でもあの試合は、いろんな「もし」をくぐり抜けた作品でした。
しかし、第三者ではなく、試合が始まると3分置きに1分間の会話が出来る、試合までには1分どころかとんでもない長い時間を共有しているセコンドの判断が試合を決定してしまったとしたら?
具体的には「タオルの投入」です。
今夜のお話は英国ボクシングニューズ誌から、ジョン・スカリーの記事を拙訳です。
スカリーは〝アイスマン〟の異名で90年代にスーパーミドル級からライトヘビー級で活躍、ヘンリー・マスケのWBOライトヘビー級王座に挑戦したこともありました。
引退後はトレーナーとしてチャド・ドーソンを指導、現在はウェルター級のハビエル・フローレスや、ライトヘビー級の2団体統一王者アルトゥール・ベテルビエフのトレーニングパートナーもつとめています。
日本のボクシングファンにとって記憶に新しいのは2017年8月15日の「島津アリーナの黄色いタオル」でしょう。
トレーナーの大和心のthrowing in the towel は当事者の山中が怒りと戸惑いに号泣し、本田明彦会は「いつもならタオルを投入するかを聞いてくるのに、それをしなかった。意識も飛んでないし、あそこをしのいで後半にKOする、というのが狙いだった。最悪の判断」と憤慨。
浜田剛史代表も「俺の指示不足。山中は効いてなかった」と苦々しく語りました。
〝身内〟が「ミスジャッジ」と断定したタオル投入でしたが、ボクシングファンはわかっていました。
本田や浜田の言葉が山中への気配りではなく、真剣に大和に向けた非難であったのなら、奴らは正真正銘の馬鹿です、大バカ者です。
そんなことはない、と思いたいですが。
スカリーが「トレーナーにとって最もやりたくない作業はタオルを投げること」と断言しています。
そして、選手時代に「私が失神するまでは絶対にタオルは投げないでくれ」とセコンドに言い聞かせていたスカリーは「厳しく長い時間を一緒に過ごし、信頼し合ってきた選手がまだ拳を振る力を残しているのを一番近くで見ているのに、タオルなんて投げることなんて出来ない」と選手心理に理解を示しています。
「(昨年のグラズゴーの)エマヌエル・ロドリゲスのような選手(と呼べるなら)ならすぐにタオルを投げてあげるが、彼はボクサーではないし、この先私が彼を教えることもないだろう」「ボクサーはリングで死ぬ気で戦っている。死ぬ前に止められるなんてありえない」と考えていました。
しかし、トレーナーとしての日々が長くなると考え方が変わってきます。
As a former fighter I understand completely why fighters do not ever want a towel thrown in because I was also that guy not so long ago. But as I’ve stepped back from my fighting days and transitioned into my trainer days, I see it all for what it really is.
「ボクシングの歴史で、信じられないような大逆転劇は数え切れないほど起きてきた。ありえないことだけど、最後に大逆転するとわかっていたとしたら?私は自分の選手が限界を超えて傷つけられるのを看過し続けるのかと問われれば、それは絶対にしない」。
「選手には次の試合がある。そして引退後の人生もある」。
「トレーナー目線の話をしても、選手は絶対に納得しないが、大切な試合の前にはじっくり話すことが必要だ。もちろん、選手は試合前にタオルを投げる哲学の話なんて聞く耳を持たないが、そこを聞かせるのがトレーナーの仕事だ」。
「勝利への可能性が40%残されていても、もしお前がロープ際で打たれてスタンディングカウントを取られたら、私はタオルを取り出す。そのとき、お前が私に『大丈夫だ!』とウィンクしなければ、そして信頼出来るレフェリーが私に目配せをしたら、次のアクションでお前が反撃しなければ…私はタオルを投げる」。
「これは非常に難しい問題だ。こんな話をして『わかりました、あなたがダメだと思ったらタオルを投げても受け入れます』なんて言う選手は話にならない。タオルを投げられた直後に『ありがとう、助かったよ』なんて言われたとしたら、そんな奴は俺がぶん殴る!」。
選手とトレーナーは人馬一体です。人馬は勝利を目指して走ります。すんなり勝利を収めることが出来るなら、それに越したことはありません。そういう勝利は簡単で、多くの場合は苦労を伴いません。
しかし、トレーナーにとって最も大切なのは敗北です。
「タオルの投入をすんなり受け入れるボクサーなんて、存在しない」が「トレーナーの最も大切な仕事は選手を守ること、つまりタオルを投げること」。
You may not want me to stop your fight and you may want me to allow you to get hurt and that’s fine, but to put a death or serious injury on my conscience and for me to have to face your wife and kids and parents afterwards is not part of that deal.
ボクシングの試合はそれが4ラウンドであれ、12ラウンドであれ、異常な時間です。その間、リングで戦う2人は、比喩ではなく戦争状態です。
腕が千切れようが、足がもげようが、目が潰れようが、勝利の可能性がある限り、選手は戦い続けます。
リングに上がるときには妻や娘の名前のタトゥーにキスする彼らは、絶体絶命のときには人生で一番大切な人たちのことを忘れて「死んでもいい」と戦ってしまっているのです。
「実は、選手がタトゥーにキスするのはお別れの合図なんだ。選手自身はそのことに気づいていないけどね。私がそうだったから、後から思い返せば、よくわかる。家族のために頑張る、そんな生易しいスポーツじゃないんだ」。
「私自身もギリギリの戦いに勝ち抜けたことが何試合かあった。セコンドから『今、何ラウンドだ?』『6から1まで逆に数えろ』と聞かれても、わからなかったから答えなかったことがあった。いい加減な答えをしたら、試合を止められるかもしれないから。それが選手の思考回路だ、そこを理解しないとトレーナーなんてつとまらない」。
「ボクサー人生なんて人生の最初のほんの一部だ、そのあとの人生の方がずっと長くて重要だなんて言って、選手が聞き分けるわけがない」。
「タオルを投げて『よくやった』とは味方は誰も言わない。彼らは私に『まだ出来たのに、どうして一番先に降参するんだ!?』と詰め寄るだけだ」。
「私は答える。タオルを投げて私には1セントも入らない。『早すぎる』とか『遅すぎた』とか何も知らない人から非難されるだけだ。タオルを投げたいトレーナーなんて地球上に1人もいない。ただ、タオルを投げなければいけないときを知っているのもトレーナーだけだ」。
正論です。
本田や浜田にタオル投入のタイミングを確認しなければいけない、そんなシステムがあったことがびっくりです。
トレーナーの判断が全てです。それが正解です。
井上尚弥vsノニト・ドネアのシーソーゲーム。井上の右まぶたのカットは出血量以上に深く、あと薄皮一枚で筋肉まで達していたといいます。
結果的にはドクターチェックは一度も入りませんでしたが、「もし」の世界では井上はストップ負けしていたかもしれません。
主審やリングドクターのジャッジはコントロール出来ませんが「もし」が起きていれば、非常に後味の悪い試合になってしまったのは間違いありません。
11ラウンドの〝ロングカウント〟も含めて、物語を完結できたという意味でもあの試合は、いろんな「もし」をくぐり抜けた作品でした。
しかし、第三者ではなく、試合が始まると3分置きに1分間の会話が出来る、試合までには1分どころかとんでもない長い時間を共有しているセコンドの判断が試合を決定してしまったとしたら?
具体的には「タオルの投入」です。
今夜のお話は英国ボクシングニューズ誌から、ジョン・スカリーの記事を拙訳です。
スカリーは〝アイスマン〟の異名で90年代にスーパーミドル級からライトヘビー級で活躍、ヘンリー・マスケのWBOライトヘビー級王座に挑戦したこともありました。
引退後はトレーナーとしてチャド・ドーソンを指導、現在はウェルター級のハビエル・フローレスや、ライトヘビー級の2団体統一王者アルトゥール・ベテルビエフのトレーニングパートナーもつとめています。
How throwing in the towel can be the most difficult decision of a trainer’s career
トレーナーにとって最も難しい決断は、どのようにタオル投げるか、である。日本のボクシングファンにとって記憶に新しいのは2017年8月15日の「島津アリーナの黄色いタオル」でしょう。
トレーナーの大和心のthrowing in the towel は当事者の山中が怒りと戸惑いに号泣し、本田明彦会は「いつもならタオルを投入するかを聞いてくるのに、それをしなかった。意識も飛んでないし、あそこをしのいで後半にKOする、というのが狙いだった。最悪の判断」と憤慨。
浜田剛史代表も「俺の指示不足。山中は効いてなかった」と苦々しく語りました。
〝身内〟が「ミスジャッジ」と断定したタオル投入でしたが、ボクシングファンはわかっていました。
本田や浜田の言葉が山中への気配りではなく、真剣に大和に向けた非難であったのなら、奴らは正真正銘の馬鹿です、大バカ者です。
そんなことはない、と思いたいですが。
スカリーが「トレーナーにとって最もやりたくない作業はタオルを投げること」と断言しています。
そして、選手時代に「私が失神するまでは絶対にタオルは投げないでくれ」とセコンドに言い聞かせていたスカリーは「厳しく長い時間を一緒に過ごし、信頼し合ってきた選手がまだ拳を振る力を残しているのを一番近くで見ているのに、タオルなんて投げることなんて出来ない」と選手心理に理解を示しています。
「(昨年のグラズゴーの)エマヌエル・ロドリゲスのような選手(と呼べるなら)ならすぐにタオルを投げてあげるが、彼はボクサーではないし、この先私が彼を教えることもないだろう」「ボクサーはリングで死ぬ気で戦っている。死ぬ前に止められるなんてありえない」と考えていました。
しかし、トレーナーとしての日々が長くなると考え方が変わってきます。
As a former fighter I understand completely why fighters do not ever want a towel thrown in because I was also that guy not so long ago. But as I’ve stepped back from my fighting days and transitioned into my trainer days, I see it all for what it really is.
「ボクシングの歴史で、信じられないような大逆転劇は数え切れないほど起きてきた。ありえないことだけど、最後に大逆転するとわかっていたとしたら?私は自分の選手が限界を超えて傷つけられるのを看過し続けるのかと問われれば、それは絶対にしない」。
「選手には次の試合がある。そして引退後の人生もある」。
「トレーナー目線の話をしても、選手は絶対に納得しないが、大切な試合の前にはじっくり話すことが必要だ。もちろん、選手は試合前にタオルを投げる哲学の話なんて聞く耳を持たないが、そこを聞かせるのがトレーナーの仕事だ」。
「勝利への可能性が40%残されていても、もしお前がロープ際で打たれてスタンディングカウントを取られたら、私はタオルを取り出す。そのとき、お前が私に『大丈夫だ!』とウィンクしなければ、そして信頼出来るレフェリーが私に目配せをしたら、次のアクションでお前が反撃しなければ…私はタオルを投げる」。
「これは非常に難しい問題だ。こんな話をして『わかりました、あなたがダメだと思ったらタオルを投げても受け入れます』なんて言う選手は話にならない。タオルを投げられた直後に『ありがとう、助かったよ』なんて言われたとしたら、そんな奴は俺がぶん殴る!」。
選手とトレーナーは人馬一体です。人馬は勝利を目指して走ります。すんなり勝利を収めることが出来るなら、それに越したことはありません。そういう勝利は簡単で、多くの場合は苦労を伴いません。
しかし、トレーナーにとって最も大切なのは敗北です。
「タオルの投入をすんなり受け入れるボクサーなんて、存在しない」が「トレーナーの最も大切な仕事は選手を守ること、つまりタオルを投げること」。
You may not want me to stop your fight and you may want me to allow you to get hurt and that’s fine, but to put a death or serious injury on my conscience and for me to have to face your wife and kids and parents afterwards is not part of that deal.
ボクシングの試合はそれが4ラウンドであれ、12ラウンドであれ、異常な時間です。その間、リングで戦う2人は、比喩ではなく戦争状態です。
腕が千切れようが、足がもげようが、目が潰れようが、勝利の可能性がある限り、選手は戦い続けます。
リングに上がるときには妻や娘の名前のタトゥーにキスする彼らは、絶体絶命のときには人生で一番大切な人たちのことを忘れて「死んでもいい」と戦ってしまっているのです。
「実は、選手がタトゥーにキスするのはお別れの合図なんだ。選手自身はそのことに気づいていないけどね。私がそうだったから、後から思い返せば、よくわかる。家族のために頑張る、そんな生易しいスポーツじゃないんだ」。
「私自身もギリギリの戦いに勝ち抜けたことが何試合かあった。セコンドから『今、何ラウンドだ?』『6から1まで逆に数えろ』と聞かれても、わからなかったから答えなかったことがあった。いい加減な答えをしたら、試合を止められるかもしれないから。それが選手の思考回路だ、そこを理解しないとトレーナーなんてつとまらない」。
「ボクサー人生なんて人生の最初のほんの一部だ、そのあとの人生の方がずっと長くて重要だなんて言って、選手が聞き分けるわけがない」。
「タオルを投げて『よくやった』とは味方は誰も言わない。彼らは私に『まだ出来たのに、どうして一番先に降参するんだ!?』と詰め寄るだけだ」。
「私は答える。タオルを投げて私には1セントも入らない。『早すぎる』とか『遅すぎた』とか何も知らない人から非難されるだけだ。タオルを投げたいトレーナーなんて地球上に1人もいない。ただ、タオルを投げなければいけないときを知っているのもトレーナーだけだ」。
正論です。
本田や浜田にタオル投入のタイミングを確認しなければいけない、そんなシステムがあったことがびっくりです。
トレーナーの判断が全てです。それが正解です。

コメント
コメント一覧 (2)
まぁヘタレなんで仕方ないですが。
ストップは早い位でいいと思います。
フシ穴の眼
が
しました
ボクシングは採点競技です。タオルやTKOは途中採点の延長に過ぎません。極端な話、逆転不可能な点差をつけられるのに近いです。
タオル投入やTKOに文句があるのなら、主審やチームそして観客にそれが不要だと納得させる説得力がその瞬間に必要なのです。時が経つにつれ結果への批判だけが広がりますが、批判の根拠になるスロー映像や陣営のプランなど、試合の最中にわかる訳もありません。
重要なのは試合が決した瞬間にどちらがどれだけ目に見える説得力を持っていたかだけです。
フシ穴の眼
が
しました