ファン・ゴッホです。
ファン・マヌエル・マルケスでもファン・フランシスコ・エストラーダでもありません。
37歳で自ら命を絶ったゴッホの絵は「赤い葡萄畑」の一枚しか売れませんでした(「一枚も売れなかった」「晩年は評価が高まり何枚かが売れた」など諸説あり)。
いずれにしても生前のゴッホは正当な評価を得ることができませんでした。
しかし、誰もが知っているように死後、その評価は急騰します。
もし、絵画の歴代PFPがあればゴッホがそのNo.1候補であることは疑うべくもありません。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也)は素晴らしい作品ですが、ノンフィクションでもドキュメンタリーでもありません。
しかし、木村政彦が強かったことは事実であり真実です。
MMAが登場するまで「最強の格闘技は何か?」は想像でしか語ることができませんでした。
「当たり前にボクシング」「足技もあるキックが最強」「力士が一番強い」「いやプロレスラーが一番強い」…。
しかし「柔道以前の柔術」がMMAに最も近いメソッドを持っていることなどの御託・理屈を並べなくとも、柔道が相当に強い格闘技であることは自明でした。
常識的に考えると、前田日明さんや高田延彦さんのような真剣勝負を一度も経験しなかったプロレスラーが強いわけなどないのですが、MMA前夜はそんな夢を見ることもできました。
高田さんは自著で「真剣勝負しかしてこなかったヒクソンのオーラに、一度もそれを経験していない自分では実力以前の問題だった」と告白し、前田さんはついにガチの勝負には一度も上がる勇気を示すことなく「カレリンから初めてエスケープを奪った男と書いてください」という恥晒しの迷言を残して虚飾のリングから退場しました。
全盛期の木村と全盛期(力士時代?)の力道山が戦えば、MMA的には不適格な大相撲ですらトップで通用しなかった力道山では勝ち目は無かったでしょう。
衰えた肉体と精神で、あの仕組まれた試合に挑み、惨敗した木村は「負け犬」として扱われ続けてきました。そして「プロレスが強い」という幻想の論拠にもなってきました。
ファン・マヌエル・マルケスでもファン・フランシスコ・エストラーダでもありません。
37歳で自ら命を絶ったゴッホの絵は「赤い葡萄畑」の一枚しか売れませんでした(「一枚も売れなかった」「晩年は評価が高まり何枚かが売れた」など諸説あり)。
いずれにしても生前のゴッホは正当な評価を得ることができませんでした。
しかし、誰もが知っているように死後、その評価は急騰します。
もし、絵画の歴代PFPがあればゴッホがそのNo.1候補であることは疑うべくもありません。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也)は素晴らしい作品ですが、ノンフィクションでもドキュメンタリーでもありません。
しかし、木村政彦が強かったことは事実であり真実です。
MMAが登場するまで「最強の格闘技は何か?」は想像でしか語ることができませんでした。
「当たり前にボクシング」「足技もあるキックが最強」「力士が一番強い」「いやプロレスラーが一番強い」…。
しかし「柔道以前の柔術」がMMAに最も近いメソッドを持っていることなどの御託・理屈を並べなくとも、柔道が相当に強い格闘技であることは自明でした。
常識的に考えると、前田日明さんや高田延彦さんのような真剣勝負を一度も経験しなかったプロレスラーが強いわけなどないのですが、MMA前夜はそんな夢を見ることもできました。
高田さんは自著で「真剣勝負しかしてこなかったヒクソンのオーラに、一度もそれを経験していない自分では実力以前の問題だった」と告白し、前田さんはついにガチの勝負には一度も上がる勇気を示すことなく「カレリンから初めてエスケープを奪った男と書いてください」という恥晒しの迷言を残して虚飾のリングから退場しました。
全盛期の木村と全盛期(力士時代?)の力道山が戦えば、MMA的には不適格な大相撲ですらトップで通用しなかった力道山では勝ち目は無かったでしょう。
衰えた肉体と精神で、あの仕組まれた試合に挑み、惨敗した木村は「負け犬」として扱われ続けてきました。そして「プロレスが強い」という幻想の論拠にもなってきました。
ゴッホや木村政彦を見るまでもなく、その時代で本質を見抜くのは至難の技です。
「あの頃は頭の悪い時代だったから」「今なら正確に評価できる」なんて笑い飛ばせるでしょうか?
マイク・タイソンやロイ・ジョーンズが史上最高の俎上に挙げられても、彼らが全盛期の時代では「弱い相手に圧勝してるだけ」という正当な意見は封殺されがちでした。
今、私たちや那須川天心さんらが高く評価しているフロイド・メイウェザーや、リング誌までもが再評価を進めているマニー・パッキャオは20年後、30年後も今と同じ評価を得ているのでしょうか。
それとも「パックメイは最も強い相手(つまりお互いの全盛期)と戦わなかった」愚かなボクサーとして記憶されているのでしょうか。
もしかしたら、タイソンやジョーンズを評価した過去を私たちが笑ったように、何十年か後には私たちもまた未来から嘲笑れているのかもしれません。
コメント
コメント一覧 (6)
フシ穴の眼
がしました
全盛期に柔道の日本選手権で十年以上も連覇した事よりも、全盛期を過ぎてからやったプロレスで一回負けた事ばかりを言われるのはどう考えても異常です。しかし、それだけ大衆が正しい目で判断するという事は難しいのだと思います。「勝負の厳しさ」のような美名が、負けた木村政彦を問答無用で弱者に認定してしまう原因となるのかも知れません。
以前にフシアナさんが、後で取り返せる敗北と取り返せない敗北がある、という記事を書かれていたと思うのですが、力道山戦の一回の敗北は木村にとって生涯取り返せないものだったのだと思います。
逆に、エリオ・グレーシーが木村に喫した敗北は、取り返せるものだった。グレーシー一族は「マラカナンの屈辱」を「誇り」にまで昇華したのだ、という話がありましたね。
フシ穴の眼
がしました