国際ボクシング名誉の殿堂、その記者投票が目前に迫ったこの時期に企画された「20-20 VISION – THE GREATEST FIGHTER FROM…」。

ボクシングが盛んな世界20カ国を選抜、その国から代表選手を一人だけ選ぶという無理難題な企画です。

第二弾はArgentinaに続いて、まさかのまたもやの「A」。


Australia

ジェフ・フェネック:1964年5月28日、ニューサウスウエールズ州セントピータース生まれ。現在55歳。 

現役は1984〜1996年に渡る12年。2008年に12年の沈黙を破ってリング復帰するも、すぐに再引退。

通算戦績は29勝21KO3敗1分。

主な獲得タイトル=IBFバンタム級(1985−87)、WBCジュニアフェザー級(1987−88)、WBCフェザー級(1988−1989)。

誰に勝ったのか…ダニエル・サラゴサ、カルロス・サラテ、マルコス・ビジャサナ、サーマート・パヤカルン、マリオ・マルチネス。

 
ェネックは軽量級の歴史に残る暴風雨でした。ボクシングを始めたのは17歳と遅かったものの、その頑健な肉体には生まれついてのファイターの血が流れていました。

1984年ロス五輪にも出場した強打のオージーはプロわずか7戦目で新垣諭をKOして世界バンタム級のIBFバージョンを獲得。

その後もサーマート・パヤカルンからWBCジュニアフェザー、ビクトル・カジェハスからWBCフェザー級のタイトルをやはりKOで強奪。

なんとプロ20戦で3階級制覇を果たしました。今やワシル・ロマチェンコと田中恒成や「最短3階級制覇記録」を12まで縮めていますが、フェネックの衝撃度は後世の二人の比ではありませんでした。

そして、1991年。フェネックは26戦目にして初めて母国を出て戦うことになりました。それでも、当時のフェネックを「引きこもり」「内弁慶」と揶揄するメディアもファンも世界中に一人もいませんでした。

フェネックはひ弱さとは無縁の、逞しいにも程がある屈強なチャンピオンでした。

舞台はラスベガス、ミラージュホテル&カジノ。砂漠から吹く風を頬に感じることができる屋外特設リングは、シーザース・パレスをはじめ当時は珍しくありませんでした。

なんだ、ミラージュかとお思いのファンもいるかもしれませんが80年代末から90年代前半にかけてはシュガー・レイ・レナードvsロベルト・デュランが挙行され、フェリックス・トリニダード、パーネル・ウィテカーらが世界戦を戦った大舞台です。

そして、この日もフェネックがWBCジュニアライト級王者アズマー・ネルソンに挑むという軽量級最高の試合が組まれたのです。

この試合は単独メインではなくダブルヘッダー扱いでした。このマッチアップと互角の試合とは?

それが、ノンタイトルとはいえマイク・タイソンvsドノバン・ラドック第二戦だと聞けば納得でしょう。

戦前の予想・オッズは若くて勢いのある27歳のフェネックが、史上最短26試合目での4階級制覇に成功すると見ていました。

試合はその通りに進みます。フェネックのハイテンポの攻撃が32歳のプレフェッサーを徐々に削って行く展開。

そして、試合はまさかのドロー(フェネックから見て114−114/115−113/114−116の三者三様)。

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リング誌は「米国初上陸の軽量級のスターに対してベガスは不条理な判定を下した」と批判。しかし、判定が覆るわけもありません。

「これ以上どうしたら良かったというんだ?」。幼子を抱きかかえて涙を流すフェネック。おかしな判定の唯一の救いはネルソンでした。

「フェネックは最高のファイターだ。判定について私から何も言えないが、彼の気持ちはよくわかる。偉大なファイターよ、落ち込まないでくれ。必ず、すぐに再戦に応じる」。ガーナのプロフェッサーもまた生粋のファイター魂を持っていました。

そのネルソンにまで容赦なくブーイングを浴びせる大観衆はどんな神経をしているのか?ここはスタンディングオベーションで拍手するところだ!

なんだか、当時の憤りが蘇ってきました。

27歳のフェネックにはまだまだ素晴らしい未来が用意されているはずです…はずでした。まさか、この試合を境に、フェネックが劣化の坂道を転がり落ちるなんて、誰が想像できたでしょう。

半年後の再戦ではネルソンが約束通りにフェネックのホーム、メルボルンのラグビー場に特設されたリングに上がります。3万8000人の大観衆が詰めかけた豪州史上最大の一戦。

試合は初回と2回に一度ずつダウンを奪ったネルソンが8ラウンドに地元の英雄を仕留めます。フェネックはプロ初黒星。

その後、96年までの4年間で4試合をこなし(2勝2敗)、一度は引退したフェネックでしたが2008年にネルソンと3度目の対戦でMDの勝利をもぎ取ります。

しかし、この試合はジュニアミドル級のノンタイトル、フェネックは44歳、ネルソンは49歳になっていました。友情のエキシビションが、この試合の実態でした。



“I never boxed until 17 and a half, I was in the Olympics at 19, and I was world champion when I was 20,” Fenech said. “I never watched a boxing match life in my life. The only boxer I had ever heard of was Muhammad Ali.”

ネルソンが自信を語った印象深い言葉。「17歳を過ぎて初めてボクシングを始めた。19歳で五輪に出場した。20歳で世界王者になった。ボクシングの試合を見たことは一度もなかった。名前を知ってるボクサーもモハメド・アリだけだったんだ」。



フェフ・フェネック、大好きなボクサーです。しかし、何がきっかけでボクシングなんて始めたんでしょうか?