ウィルフレド・ベニテス。


1979年年11月30日にシュガー・レイ・レナードにWBC世界ウェルター級王座を追われたものの、1981年5月23日にはWBCジュニアミドル級王者モーリス・ホープを12回KOで切って落として三階級制覇に成功。

このタイトルは、無敗の強豪カルロス・サントス、当時すでに伝説だったロベルト・デュランをいずれも3−0判定で下して2度防衛。

しかし、1982年12月3日ルイジアナ州ニューオーリンズ・スーパードーム。トーマス・ハーンズを迎えた3度目の防衛戦は2−0判定で敗れ、王座を手放すものの、このときまだ24歳。

精密な〝レーダー〟は、まだまだ世界トップの風景を捕捉していると誰もが考えていました。
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しかし、このときすでに CTE(慢性外傷性脳症)の初期症状が見られていました。CTE、別名dementia pugilistica 、その名の通りパンチドランカーです。

ハーンズ戦からは勝ったり負けたりを繰り返し〝Bible of Boxing〟(ボクシングの聖書・教科書) と絶賛された多彩なディフェンスは凡庸な対戦相手にもたびたび崩されるシーンが多くなります。


1986年も暮れようとしている12月、28歳のベニテスは有り得ない境遇に陥っていました。

食べ物を買うカネを求めて、アルゼンチン・サルタの裏通りを行く宛てもなく物乞いして回っていたのです。

…その少し前、11月28日に地元のカルロス・エレラとの10回戦のリングに上がったベニテスは7回TKOで敗退。

あろうことか地元の興行主は、敗戦のダメージを負ったベニテスに報酬を支払わなかったばかりか、パスポートまで取り上げてしまったのです。

帰国する術を奪われたベニテスは、プエルトリコの特使が救出に来るまでの数年間を異国の裏通りで物乞いをしながら過ごすしかありませんでした。

この忌々しいアルゼンチンの事件で、周囲の勧めもありベニテスは引退しますが、1990年3月8日にリングに戻ってしまうのです。

このときでもまだ31歳、しかしCTEの症状は深刻に着実に進行していました。

その頃には栄光の日々と明晰な意識とともに、リングの上で稼いだ800万ドルものカネもまた霧散してしまっていました。

亡父とマネージャーがベニテスのカネを貪っていたのですが、ベニテス自身の浪費癖からも本当にカネが必要な時に彼の口座には1セントの残高もありませんでした。

困窮する国民的英雄にプエルトリコ政府は公的資金をつぎ込んで生活を援助、WBCも月に200ドルを年金として支給、伝説のボクサーの支援に名乗りを挙げました。

献身的に看病を続けてきた母親クララは2008年に亡くなり、姉が面倒を看ることになりますが、ベニテスの二人の兄弟(元ボクサー)もまたCTEを患い、3人は狭い部屋で闘病を続けることになります。

家計は逼迫、食べ物を買うために家のトタン屋根をクズ鉄屋に売らなければならないほど困窮したこともありました。

意識は朦朧、自力で立つこともできないまで病状が進行したベニテスは、車椅子の上で終日ほとんど動くことがありません。

会話をすることも難しいのですが、家族は「体調が良い時には驚くような動きを見せる」と明かします。

にわかに信じられないことですが、そんなときは車椅子に座ったままボビングやウィービングを繰り返すというのです。

ボビングとウィービング!あまたの強豪のパンチを空転させた、ベニテスが駆使した代表的な防御技術です。

さらに、車椅子から立ち上がりたい様子を察した家族が介添えてベニテスを立たせると、ファイティングポーズを取ることまであるというのです。
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この話を新聞で読んだ多くのプエルトリカンは病と闘う国民的英雄に滂沱の涙を流します。

しかし、ボビングとウィービング、ファイティングポーズのくだりについては「CTEの症状が進んで痙攣していただけだろう」と、信じることは出来ませんでした。

しかし。

2012年11月、4つ年下の〝後輩〟ヘクター・カマチョの葬儀に出席したベニテスは参列者を驚愕させます。

家族から「ヘクターが死んでしまった。わかる?」と聞かれたベニテスはしっかり頷くと、自分で車椅子を棺の前まで進めると、すっくと立ち上がったのです。

そして、カマチョが眠る棺の前でファイティングポーズを取って見せたのです。

Benitez shocked everyone in attendance when he stood up from his wheelchair and struck a firm fighter's pose in front of the casket of the fellow Boricua Hall of Famer.

ベニテスの中には、まだ鮮やかにボクシングの記憶が残っていたのです。



…カマチョの葬儀からも断続的に伝えられていたベニテスの近況は、いま、途絶えてしまいました。





天才。

その言葉は、スポーツの世界ではいつでもどこでも耳にすることが出来る聞き飽きた呪文です。

時限爆弾のように、ある試合から誰もそう呼ばなくなることが当たり前になる…。

そんなどこにでもいる〝天才〟に何度幻滅しても、私たちはまた新しい〝天才〟を見つけてしまうのです。

特にボクシングの世界はあっちもこっちも天才だらけです。

しかし、それだからこそ正真正銘、本物の天才の輪郭が際立つのでしょう。


もし…そんなこと絶対にあってはいけませんが、本物の天賦の人が悲しい最期を迎えなければならないとしたら、この世界はやはり腐りきっています。