Hope Lights Our Way  希望の道を、つなごう。

ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンは、かつて世界で最も有名なスポーツマン、いやいやそれどころか世界で最も有名な人物でした。

サッカーや野球が今ほど高額の報酬を手にしていなかった時代、世界ヘビー級チャンピオンは他のスポーツ選手を寄せ付けない破格のファイトマネーを享受していました。

現代では、1970年代までの世界ヘビー級チャンピオンに匹敵するアスリートはいなくなってしまいました。

それでも、タイガー・ウッズやリオネル・メッシらは破格の報酬を手にしているという一点では、かつての世界ヘビー級チャンピオンと同じ玉座に座っています。

彼らの敵はリングの中にもホールにもピッチにもいません。その外側に潜んでいます。

彼らを「敵」と呼ぶにはあまりにも複雑で、難しい関係を抱えていることが当たり前にあります。

彼らは肉親であったり、ある時期は本当の親友であったりするからです。

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そして。

大谷翔平は契約金の莫大さ、そして引退後の選手への年金制度が手厚いMLBという観点からも、ウッズやメッシを凌ぐ黄金郷の王様です。

さらに、日本ではほぼ神の扱い。

彼の近くにいる人間が黄金に目が眩んだり、大谷に注がれる日本での賞賛と尊敬に勘違いを覚えてしまったとしてもなんの不思議もありません。

むしろ、それは自然の成り行きだとすら感じてしまいます。

もちろんそれをもって、弁護、擁護するつもりは毛頭ありません。

このブログではスポーツの現場で起きたこと、アスリートの素晴らしいパフォーマンスだけにしかふれません。

ご結婚されたとか、誰が相手なのかとか、その手のお話に焦点を当てることは一切ありません。

それでも、素晴らしいパフォーマンスで感動を与えてくれたアスリートが暗黒面に落ちてしまった場合は、スポーツ界に還元されるべき彼の経験や知見が喪失してしまうのですから、悼み悲しみを書き連ねます。

その男性の妻について間違った情報が流されたとき、大谷は「信じないで」と即座に反応しました。

大谷にとっては異例のことで、驚きました。

「大切な身内を困らせるような捏造記事は見過ごせません」という強烈な意思表示に思えました。

どう考えても間違いないことは、その男性が大谷にとって大切な身内だということです。それは、今この時でも変わらないかもしれません。

そして、間違いであって欲しいと願うのはせっかくの開幕戦の余韻がまだ冷めない未明に走ったニュースです。

大谷の敵はフィールドの中だけにいて欲しい、それが難しい、もしかしたら不可能なステージにまで辿り着いてしまったのだとしたら、一人のファンとしては、外の敵も全部乗り越えてゆけと応援し続けるだけです。
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早朝から残念なニュースです。

人を信じるということって。なんでしょうか。
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ものすごい暴風雨で電車が立ち往生…。というわけでざざっとボクシングニューズ誌の記事から短観。


Boxing breaking new territory

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ボクシングのプロモーターたちは、いつの時代も新しい市場を探してきた。

最も有名なサンプルはRumble in the Jungle、1974年にザイール(現・コンゴ)の首都キンシャサで行われた世界ヘビー級タイトルマッチだ。

国際社会からの孤立を懸念した独裁政権がカネの力で有名なスポーツイベントを招致することで、世界からの承認を得ようとするーーーフィリピンのマルコス政権に現在のサウジアラビアまで連なる安易にしてこれ以上ない効率的な処方箋だ。

残虐非道のモブツ大統領が凶悪犯罪者だったドン・キングに持ちかけて、世界で最も有名な男を自国に招いたメガイベントは一夜限りのお祭りだったが、その大成功はボクシング未開の地にも大きな可能性の芽があることを教えてくれた。

貧困だが資源は豊富で国の指導者たちが富を独占している、そんな国は何もアフリカだけに限った話ではない。

その国力と人口を考えると、中国が地球上で最も魅力的なマーケットであることは火を見るよりも明らかだ。

キングのライバル(というには二人の関係はあまりにも陰湿でスポーツマンシップが欠落しているが)、ボブ・アラムは五輪2大会連続金メダリストのゾウ・シミンと2012年ロンドン五輪後に契約。

2013年、米国で需要のない軽量級ボクサーでは考えられないHBOデビューの舞台がシミンに用意される。

アラムの狙いは米国でスターとして活躍するシミンを在米の中華系だけでなく、人口14億人の本国でも英雄に仕立て上げ、巨額の集金マシーンとすることだった。

しかし、国民的英雄となったゾウはトップランクからの独立に動き、アラムの皮算用は狂い始める。

そして、温室鉄道を敷設してもらったにも関わらず、シミンは噛ませ犬の日本人に悪夢の大番狂せを起こされてしまうのだ。

アラムがマニー・パッキャオの再来を狙ったノニト・ドネアはなんとフェザー級で挫折、ワシル・ロマチェンコもライト級どまり、米国でスーパースターに登り詰めることはできなかった。

そもそも、パッキャオの成功は汎用性や再現性といったビジネスの必須用語とはかけ離れた、突然の奇跡だったのだ。

アラムが一大拠点に育て上げようとしたマカオでの興行は完全に失速してしまったが、中国本土では小さな興行が各地で行われ続けている。

14億人の国で刹那でも国民的英雄になったシミンによって、中国のボクシング熱は間違いなく点火された。


巨大な人口と強力な国力、そこに注目して中国だけに手をつけるわけがない。アラムの視界はインドもしっかりととらえている。

インド人として初めてボクシングのメダリスト(北京2008:ミドル級銅メダル)となったビジェンダー・シンはフランク・ウォーレンのプロモートで2015年にプロ転向。これを機にコミッションとしてインド・ボクシング評議会が立ち上がり、インドでのプロの試合、興行が劇的に増えてゆく。

アラムは2018年にシンを傘下に招き入れ、2019年には米国デビュー。しかし、コロナ禍がアラムの〝インド計画〟を直撃。

そして、シンはブランク明けの2021年にインドでの調整試合でアーティシュ・ロプサンにまさかの5ラウンドTKO負けを喫してしまう。

2022年に復帰線で勝利したシンだが、それ以来リングから遠ざかっている。

しかし、シミンの場合と同じように最初の種から芽は息吹かなかったが、シンの影響で競技人口は増え(インドで競技人口が増えるということは我々の感覚とは一桁か二桁違う)、二人が五輪メダリストになり、人気スポーツへの階段を上がり始めている。

中国進出に際して、アラムが日本のボクサーとの激突が大きな話題になると読んだように、インドの場合もパキスタンというライバル国が存在する。南アジアのメキシコvsプエルトリコだ。

中国の人口を超えたインドと、2億5000万人を抱えるパキスタンはクリケットの世界ではブラジルvsアルゼンチン、その激突は激しい火花を散らす。

2017年にパキスタン・ボクシング評議会が発足したものの、まだ「お金を払ってボクシングを見る習慣がない」(評議会のラシード・バロック会長)という段階。

それでも、2017年までは外国でプロライセンスを取得しなければならなかったことを考えると、格段の進歩で「近い将来、世界チャンピオンが生まれると信じている」(バロック会長)。

確実に成長している中国やインドのボクシング市場。不運にも最初の種から大輪は咲かなかったが、咲いていれば何が起きていただろうか?

南アジアではネパールでもコミッションが設立され、国境を越えたプロボクシングの興行が活発になるかもしれない。

シミンやシンが超えられなかった一線をクリアする才能が現れたとき、ボクシングの世界は新章に突入することになる。





▶︎▶︎▶︎かつてのザイールやフィリピン、サウジアラビア…人道的に問題がある国、五輪を招致できない国がカネが全てなやり方でスポーツのメガイベントを招致する…本当は許してはいけないことですが、カネを見せつけられると誰もが鈍感になってしまいます。

それがプロスポーツの業だといえば、それまでなのですが。


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This is The Way . これが俺の生きる道。誰に何を言われようとも、これが俺の生きる道。

このシリーズの主役の一人、筒香嘉智。

SFジャイアンツとマイナー契約、メジャーのキャンプに招待選手として参加していた筒香でしたが、マイナー降格が宣告されました。




「過去5年間で最高の体調」と臨んだオープン戦の成績は、5試合8打数1安打。8打数の結果で判断される厳しさは、マイナー契約の選手では当然。2年ぶりのメジャー復帰を果たすには、訴求度の低い数字で降格は仕方がありません。

渡米して5年目。メジャーでは3シーズンで182試合に出場、十分なチャンスを与えられた中で残した成績は18本塁打75打点、打率1割9分7厘。パワーピッチャーに押し込まれ、手元で変化するボールには対応できない…メジャーで通用しない欠陥が素人目にもあらわになリました。

SFジャイアンツは長打力がウィークポイントで、筒香への期待度は高かったものの、横浜で見せたパワーは鳴りを潜めたまま。一塁の守備は平均点以下で、そもそもスラッガーが守る一塁で合格点を叩き出す成績は筒香には不可能に思えます。

藤浪晋太郎の球威のような、圧倒的なストロングポイントも全く見当たりません。

複数の日本球団から毎年、好条件での誘いを受けながらメジャー挑戦を諦めない筒香も32歳になりました。

「MLBの壁は高く、相性も悪かった」と踏ん切りをつけるには遅すぎるくらいに、諦める要素は揃いも揃いました。

今回のマイナー降格で、今季のメジャー昇格も非常に難しい状況になりました。



それにしても、なんという往生際の悪さでしょうか?

この男は、もう少し器用に立ち回ることが出来ないのでしょうか?



カネや他人からの賞賛を選ぶなら日本球界復帰の誘いに応じるしかありませんが、それを頑なに固辞するということは、そこにプライオリティはないということです。



全くもって、嫉妬するほど羨ましい男です。

私から見ると、もう十分に幸せすぎる野球人生ですが、筒香本人はまだ悪戦苦闘に悶え苦しみ七転八倒したいのでしょう。

気が済むまで七転八倒してください。




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「巨大スタジアムでメインを張った日本人」というと、白井義男です。

世界戦7試合の全て!を後楽園球場で戦った白井は、当時の世界で最も集客力のあるファイターでした。

ノンタイトル戦でも2試合、計9試合も後楽園球場のリングに上がった白井は大阪球場でも1試合、10試合を巨大スタジアムで戦ったのです。

こんなボクサーは不世出でしょう。

娯楽の少ない時代、世界で戦う日本人を応援できるのはボクシングだけだった時代。そして何よりも、1団体8階級の時代。地球上に世界王者が8人しかいなかった時代です。

世界タイトルマッチは、五輪やサッカーW杯のような国際的メガイベントで、それを受け入れる器は巨大スタジアムしか考えらない、そんな時代だったのでしょう。

当然のことながら、世界チャンピオンの価値は今とは比べようもなく大きく、重いものでした。


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日本ボクシング界は、1950年代の白井を超える熱狂をいまだに超えられていません。

60年〜70年代まで日本ボクシングは人気と社会的ステイタスが高止まり、ファイティング原田や大場政夫、輪島功一、具志堅用高ら国民的英雄を輩出しながら黄金時代を謳歌しましたが、80年代から団体と階級の増殖の中で世界タイトルの価値は暴落。

90年代から野茂英雄や中田英寿が世界で活躍するとはどういうことなのかを見せつけると、ボクシングの「世界」とは何なのか?という疑念が大きく渦巻き、人気もステイタスもさらに凋落してしまいます。


そんな90年代に咲き誇った一輪の花が辰吉丈一郎です。

イチローも熱狂的な辰吉ファンで、何度もリングサイドに駆けつけていました。

そして、辰吉は、1955年5月30日に白井義男が後楽園球場で戦ってから44年も遠ざかっていたスタジアム興行を復活させるのです。

1999年8月29日、大阪ドーム。

「日本人がメインでドームのリングに上がるのは史上初」「2万7000人の観客動員は屋内のボクシング興行では史上最高」…いずれも白井の方が上という事実に対する詭弁に過ぎませんが、辰吉人気はとにかく凄まじいものがありました。

そこには「腐敗団体と水増し階級で堕落したボクシングのタイトルマッチ、ましてや軽量級の価値は低い」なんていう冷めた目も焦がしてしまうほどの熱気が溢れていました。

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今の大谷翔平のような全国区・老若男女の支持を集める全方位の国民的英雄ではなかったものの、大谷のように書店では〝辰吉本〟が積まれていたのです。

大谷のような最高峰の舞台で圧倒的なパフォーマンスを見せるのではなく、絶望的な敗北から立ち上がる生き様こそ辰吉丈一郎が人を惹きつける磁力でした。





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そして、井上尚弥の東京ドーム。

白井ほど時代に恵まれず、辰吉ほど熱狂されることもない井上。

しかし、モンスターは二人が招かれなかった殿堂入りが確実視されています。

21世紀で初めてボクシング興行が行われる東京ドーム。そこで井上は何を見せてくれるのでしょうか?


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