読売の阿部慎之助監督の〝昭和〟流スパルタ練習法はチーム内はもちろん、関係者やファンにも前向きに受け止められていないようです。
政治や経済、芸能の世界でも不祥事を起こした人が「〝昭和〟思考のまま」と非難されるのを度々、耳にします。
郷愁や懐古の意味で〝昭和〟が使われることもありますが、多くの場合〝昭和〟はネガティブな言葉として使われることが多いようです。

当たり前の話ですが昭和の時代に〝昭和〟なんて言葉は存在しませんでした。 平成、令和と新しい元号から振り返ることによぅて〝昭和〟という時代のポンコツぶりが浮き彫りにされるのです。 昭和の時代にも、村田兆治を「昭和生まれの明治男」と呼んだように〝明治〟を頑固一徹や男らしさを表す言葉として使われることがありました。 しかし、不祥事を起こした政治家や芸能人を「明治の気分が抜け切っていない」と切り捨てることはなく、不器用だけど質実剛健、むしろポジティブな意味で使われていたように思われます。 そもそも、昭和ほど様々な出来事にあふれた元号など存在しないというのに、どうして画一的な意味で〝昭和〟が使われているのでしょうか?

当たり前の話ですが昭和の時代に〝昭和〟なんて言葉は存在しませんでした。 平成、令和と新しい元号から振り返ることによぅて〝昭和〟という時代のポンコツぶりが浮き彫りにされるのです。 昭和の時代にも、村田兆治を「昭和生まれの明治男」と呼んだように〝明治〟を頑固一徹や男らしさを表す言葉として使われることがありました。 しかし、不祥事を起こした政治家や芸能人を「明治の気分が抜け切っていない」と切り捨てることはなく、不器用だけど質実剛健、むしろポジティブな意味で使われていたように思われます。 そもそも、昭和ほど様々な出来事にあふれた元号など存在しないというのに、どうして画一的な意味で〝昭和〟が使われているのでしょうか?


