フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: Styles Make Fights

▶︎▶︎ジョフレが偉大なのは前から承知していますが一つ疑問で、ではそのジョフレは誰に勝ったのでしょうか?ジョフレが勝った相手にPFPはいたのでしょうか。

メデルやサルディバルが該当するのでしょうか? 

2020-09-20 20:18:10 返信編集 さんちょう 180.196.24.136


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この便所の落書きブログのエッセンシャル・テーマです。

「オリジナル8」の時代は偉大だった。「1団体」フォーミュラの王者は格が違う。

その通りですが、仮に今「1団体8階級」だったとしたら?

誰かが「白井義男」や「ファイティング原田」になっていたのです。

「強い相手に勝ってない」という難癖は突きつけられるわけもなく、UNDISPUTED CHAMPION が他のスポーツと同じように屹立していたはずです。

…もちろん、その誰かは、日本人でないかもしれません。日本人だけで、世界王者が10人以上いるとか、同一階級に複数いるとか…そんな倒錯的な世界は体験せずに済んだでしょう。


古き良き時代の、清廉潔白な基準が、今に生き永らえていたら、やはり、8人の正真正銘の世界チャンピオンがいたのです。

私も含めて、この駄文を読んでくれているおそらく全ての人が知らない水鏡瑞澄の時代です。

例えば、バンタム級なら。

それは、辰吉丈一郎だったかもしれません。あるいは長谷川穂積の可能性も、山中慎介の目もあります。

井上尚弥も有力候補の一人です。

しかし、今の時代では完全統一王者、議論する余地のない王者=UNDISPUTED CHAMPION になるしかありません。

長谷川穂積や山中慎介を「議論する余地のない王者」と紹介していたメディアの感覚は、もうあきれ果てるしかありません。
 
「議論する余地のない王者」が、彼らのオリジナルの発想なら全然問題ありません。しかし、それは間違いなく UNDISPUTED CHAMPION から発露していることは疑いようもありません。

「黄金のバンタム」と同じように、都合よく使い回していました。

「黄金のバンタム」は、軽量級ではありえない破壊的かつ長期政権を築いたエデル・ジョフレの称号です。

まともな感性で「黄金のバンタム」を〝訳す〟としたら「掃き溜めに鶴」です。

欧米目線で「層が薄い」「レベルも低い」「注目度も低い」どうしようもない、カス階級にもかかわらず途轍もなく凄い王者が出現した…ということです。

もちろん、A級戦犯は高森朝雄かもしれませんが、この情報時代で「井上尚弥が無名なわけがない」と盲信する人の感覚は、もはや理解不能です。

今でも、本気で「井上が無名なんてありえない」と思ってるのでしょうか?きっと、そういう人は日本のYahooニュースや専門誌以外の情報は遮断しているのでしょう。

もちろん、コアでゴリゴリのマニアは亀田兄弟や井岡一翔、井上を知ってますが…。

まーた、前置きが長くなりました。

「ジョフレが誰に勝ったのか?」。

「大坂なおみとイチローはどっちが偉大?」なんて超難問を日本で問われる話とは違って、極めて簡単です。 
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1973年。まだ、為替相場が1ドル265円だった時代。

というよりも、固定相場から変動相場性に移行したのが1973年2月だったという方が、この時代の経済感覚がよくわかるでしょう。

1ドル360円の固定相場が崩れて、一気に265円にまで円が高騰したのです。それまでの輸出貿易の莫大な利益は大きく目減りし、それは海外で戦うボクサーも同じでした。

米国圏でドルで報酬をもらえる試合はボクサーにとって大きな美味みのあった時代が、終わりつつありました。

そして、これは鈴木石松がガッツ石松になる前のお話でもあります。

BoxRec がこの試合を「ガッツ石松」としているのは、混乱を避けるためです。確かに名前を変えるボクサーは少なくありませんから。
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1973年9月8日、パナマシティのヌエボ・パナマ体育館。

22歳にしてパナマの国民的英雄となっていた石の拳が、極東から呼び寄せた挑戦者は24歳の鈴木。

パナマでは絶大な人気を獲得していたロベルト・デュランでしたが、世界的には第一次政権をエステバン・デヘススの競り落とされた荒削りな才能という評価にとどまる存在。

それでも「前年に小林弘を7回でノックアウトしているデュランは鈴木には荷が重い」というのが日本国内の予想でした。

試合は鈴木が徐々に削られ、ジリ貧の展開。7ラウンドにパナマの英雄をロープに押し込み意地のラッシュを見せますが、9ラウンドに2度、10ラウンドに3度倒されゲームオーバー。

試合後に「デュランの強打は噂通りだったか?」と聞かれた鈴木が答えた言葉が戦慄でした。

「接近戦ならパンチが当たるはずなのに全く当たらなかった。どうしようもなかった」。



この7ヶ月後に、ガッツ石松が生まれます。 

石松はデュラン戦から多くを学び、デュランはただひたすら栄光のスターダムへと駆け上がっていくのでした。  
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将棋盤もリングもどっちも四角い。

そんな屁理屈くらいしか、この二つの競技に共通点などありません。

将棋は日本限定に束縛されたボードゲーム。同じ性格を帯びる大相撲よりも人気はないとはいえ、ドメスティックな色彩には似つかわしくない真っ直ぐな尊敬を集めています。

そこには「藤井聡太はラスベガスで大きなイベントに出場する」「もう日本では見られなくなる」などという、米国や世界への闇雲な憧憬はありません。

しかし、一般紙やテレビで世界を舞台に活躍するアスリートを凌駕するほどの扱いを受け続けています。

一方で、ボクシングはやたらと「世界」を騙りながらも、軽量級においては殆ど全ての世界戦が国内で消化される〝羊頭狗肉〟。

その例外は、人気スターが箔をつけるために報酬を度外視して海外で戦ったり、人気のない無名選手がアウエーのリングに引っ張り上げられるケースです。
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将棋とボクシングは名前だけは誰もが知っていても、その世界については誰も知ろうとしない、つまりはけして人気のある競技とはいえない、そんな共通点はあるかもしれません。

二冊のナンバー誌を読み比べると、一般的にはよく知られていない、この二つの世界へのアプローチにおいて、大きな違いがあることに気づかされます。

「藤井聡太と将棋の天才。」では藤井のルーツでもある板谷一門の系譜を戦後から辿り、過去と現在の天才たちを交錯させて、その世界をわかりやすく浮き彫りにしています。企画の意図が手に取るようにわかります。

「藤井君は(受けの将棋である)振り飛車をしたことがないでしょう」「その意味では振り飛車を嫌った(戦後の中京棋界の発展に尽くした)板谷四郎九段の将棋を受け継いでいる」。

将棋を知らなくとも十分に面白く、マニアックなファンが読んでも楽しめる内容でしょう。
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一方で「KO主義。」では、一貫性のない記事が羅列され、ボクシングファンが読んでも非常に断片的な寄せ集めに感じてしまいます。

「名王者オマール・ナルバエスがなすすべもなく新鋭に沈められた一戦は、インターネットでまたたく間に海外に拡散され 、一夜明けたら井上尚弥の名は世界に知れ渡っていた」という一文は、世界のボクシングを少しでも知っているファンが読むと鼻白んでしまいます。

おそらく、多くのボクシングファンやその予備軍が期待したのは、井上の現在位置が本当はどこにあるのか、それをファイティング原田やマニー・パッキャオらを道標に分析してくれるような内容だったのではないでしょうか。 

「オリジナル8の時代に2階級制覇した原田と、現代の4階級制覇・井岡一翔はどちらが上か?」 。「井上尚弥が原田以来のモダン部門で国際殿堂入りを果たすには何が必要か?」…そんなテーマからアプローチすると、現在のボクシング界の真実が明確に見えて、より興味深い内容になったはずです。
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「藤井聡太と将棋の天才。」は発売日当日に3万部、4日に5万部の増刷を決め、累計発行部数が20万部にのぼっているそうです。

プリントバージョンの雑誌が大不況の中で驚異的な数字です。 

近年好調な売り上げを記録したのは、野球やサッカーを凌いでいずれもラグビー。2015年に日本代表が南アフリカを破ったときの臨時増刊「桜の凱歌(がいか)」が18万7000部、日本代表が躍進した2019年のラグビーW杯特集「突破」が17万部。

発売から三日しか経っていない「藤井聡太と将棋の天才。」は、まだ数字を伸ばしそうな勢いです。
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藤川球児が今季限りの引退を発表しました。

印象的だったのは「粉骨砕身」という言葉を絞り出したあと、下を向いて涙を堪えた場面ではなく、「叱咤激励が本当に多かった」と清々しい笑顔を見せたときでした。

阪神タイガースですからね。

毀誉褒貶は12球団で頭抜けています。それが、ファンだけでなくメディアまでそうなのが特殊です。

「誉」や「褒」も含めて、過剰な叱咤激励がこのチームの若手選手をプレーに集中させずに、成長を蝕んできました。

「それを覆すのが楽しくて」と語ったように、彼が「本当に多かった」と振り返ったのは叱咤激励ではなく「叱咤」でしたが、藤川は多くの選手が飲み込まれた毀誉褒貶の荒波を見事に乗り越えて見せました。

「それを覆すのが楽しくて」。藤川の火の玉ストレートの発火点は、反骨心でした。

毀誉褒貶が激しかったことでは世代の旗振り役、松坂大輔も際立っています。

「若手のチャンスを奪っている給料泥棒」。そんな非難を見返して下さいと向けられたマイクに松坂は「野球は誰かを見返すためにやるもんじゃないです」と笑いました。
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東京メトロ銀座線のクラシック車輌。※本番とは関係ありません。

彼らもドラ1の中でも特別な存在でした。

藤川は自分で引退を決めることが出来る、大投手になりました。

松坂大輔も松坂大輔でなければ、とっくに行き場を失っていたでしょう。

木佐貫洋や古木克明もこの旗のもとで活躍した選手だと思い出すと、藤川がいかに長い航海を終えるのかを実感してしまいます。

黄金色に輝いていた世代がどんどん、舞台から去っていくのを見送るのは、寂しさしかありません。
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ビールに枝豆。

この公式には全く同意出来ません。

枝豆の如き瑞々しい輩は、少なくともピルスナータイプのガブ飲みビールには合いません。

STYLEs make FIGHTs.

ボクシングやスポーツだけではありません。

との世界でも三段論法は通用しないのです。

とどのつまり、美味しいビールは、美味しいものに合う、とは限らないのです。

じゃあ、何に合うのか?

月並みですが鳥の唐揚げとは抜群の相性です。

ラファエル・マルケスvsイスラエル・バスケスやアーツロ・ガッティvsミッキー・ウォード並みに噛み合います。

高円寺はルック商店街にある、その名もズバリ「専門店こだわりのからあげとビール」。

先日の夕刻どきにふらり。客はワシ1人。こういうのは嫌いじゃありません。

「からあげ7〜8個とザーサイ+生ビール」のセットから、2杯目はハートランドビール瓶。
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1450円也。からあげは意外とボリュームあり。

ジューシーで美味しいからあげでしたが、店名に「ビール」と入れるならビールにももう少しこだわりと品揃えが欲しいところ。

そして、今日の仕事の合間は先週初めて攻めた「黒ラベルの聖地  サッポロ生ビール THE BAR」。今回はおつまみの「エゾ鹿の盛り合わせ」も注文。

「エゾ鹿の盛り合わせ」と聞いて普通に思い浮かべるような代物はハナから想像していません。何しろ銀座駅改札前の立地で580円、本格的なジビエ料理が登場するわけがありません。

とはいえ、出て来たのはこいつらでした。
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↑ これで580円。東京は恐ろしい街じゃあ。

乾き物であったか。鹿だかなんだかわからなかったけど、ビールがとびきり美味いので許す!

そういえば、北海道のジビエ料理は最高だったなあ、と鹿肉ジャーキーを噛み生ビール2杯を乾して懐かしむ、8月26日水曜日の午後4時44分〜52分の8分間でした。

この店、客の平均滞在時間で日本最短です、きっと。
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日本のジムに所属しながら世界王者になったボクサーは少なくありません。

ユーリ・アルバチャコフは日本人が足を踏み入れることが許されなかったリング誌PFPの重い扉を、まるで暖簾のように易々とくぐりました。

軽量級史上初のPFPキングに昇り詰めたローマン・ゴンザレスに至っては、もし彼が日本人なら間違いなく1億円を超える報酬を手にしていたはずです。そして、井上尚弥のPFP3位のインパクトも相当に薄まっていたのも間違いありません。

彼らには「あえて強い挑戦者ばかりを選んだ」(NHK ドキュメンタリー:私は負けて強くなった〜長谷川穂積)、「強い相手以外とは戦わない」(井上尚弥)などという、日本のエースとセットになって久しい失笑の常套句は一切不要でした。

しかし、ユーリは映画俳優の前座を務めさせられ、ロマゴンは評価が高まるにつれ日本人との対戦は減り、リングに上がるチャンスも減るという日本人だったらあり得ない扱いを受けました。

もちろん、日本に限らず、米国市場でも米国人かメキシコ人であることは重大な要素です。差別の根はどんな国の土の中にも奥深くまで張り巡らされてしまってるのです。

なんだかやるせない話ですが、彼らが日本人ならもっともっと安全な相手を当てがわれて、その刃は錆び付いていたかもしれません。
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外で見てるのと、中に入って見るのと、全く違う。

そんなことって、程度の差こそあれ、どんな社会にもあることです。

学校や会社なんかはその代表格ですね。

「KOの幼稚舎の幼稚っぷりって…」「電2のブラック体質って…」みたいに…。



◉プロレスの場合◉

強い奴が勝つ、そんな真剣勝負の世界だと憧れて飛び込んだプロレス。しかし、そこはあらかじめ勝敗が決められた〝仕組まれた〟世界だった…。

ドラマで必ず入る「登場人物や団体、ストーリーは全て架空のもの」、プロレス中継でも「試合内容や結果はあらかじめ決められたもの」という「但し書き」があれば、誤解はないのですが…。

普通に考えると、ドラマを現実と受け止めるよりも、プロレスを(ある程度は)真剣勝負と勘違いする可能性の方が高いはずで、プロレスにこそ「但し書き」が必要な気もします。

もちろん、誤解してしまう10代そこそこの若者に責任はありません。
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◉ボクシングの場合◉

ラスベガスでは軽量級でもPPVのメガファイトでメインを張って1試合で何十億円も稼げるのがボクシング…。しかし、そんな前例は〝賤しい〟軽量級ではたったの一度もなかったのです。

PPVのメガファイト。それはウェルターやミドルなど特別な階級でも、ほんの一握りの特別なボクサーだけに限定された極めて排他的なイベントです。

ロマゴンのようにたとえ2年間もPFP1位に君臨しても軽量級である限り、需要がなく無名のままということです。

ボクシングのPFP10傑は、テニスの世界ランキングと同じようなもので、大きな試合が用意される、なんてのは脳味噌が煮え立った馬鹿思考です。

過去のPFPを知らない、知ろうとすらしないで、勝手な思い込みの幻覚にはまっていく馬鹿。

もちろん、過去の事例を知らないのに間違った論理だけを飛躍させる井上信者のような知ったかぶりの馬鹿に責任がありますが、そんな馬鹿を故意にミスリードするメディアの責任もあります。馬鹿だからミスリードされるという面はありますが、明らかに馬鹿とわかってミスリードしているメディアも目に付きます。



「プロレスは〝八百長〟だから」「ボクシング軽量級は欧米で人気が無いから」…だから〝賤しい〟。
真剣勝負のUFCや、人気のあるウェルター級やミドル級は〝貴い〟。 

ラスベガスでの需要、報酬を物差しにすると、プロレスとUFC、ボクシングの軽量級と人気階級の間には、明らかに貴賎が存在します。プロレスとUFCは、そこまで絶望的な差はありませんが、ボクシングの場合は悲惨です。

「UFCでボコボコにされたロンダ・ラウジーが逃げ込んで大手張ってるのがプロレス」「PFPでトップを窺い生涯無敗のリカルド・ロペスは軽量級だったから女子の前座扱いの無名で低報酬のままだった」。

…事実です。

「スポーツには〝貴賎〟なんてない」なんて偽善者の戯言です。

ソフトボールで日本一になった男子高校生に会えば、私は「すごい」と讃えるでしょうが、心の中では「どうして硬式野球を選ばなかったの」という疑問を押しつぶします。

もちろん、10代でプロレスに憧れ、現実に失望した少年に「八百長だとわかんなかったの?UFCを目指せば良かったね」 なんて言えません。

軽量級の不遇に不満を漏らすエストラーダやヤファイに「軽量級が人気ないの最初からわかってたでしょ。文句あるならパッキャオみたいにウェルターで戦え」なんて言えません。
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「プロレスは八百長、真剣勝負だと弱い。だから面白くない。真剣勝負のUFCの方の方が面白い」。「レフェリーよりずっと小さい軽量級はペチペチパンチを打ちあってるだけで、人気階級と比べると迫力も興奮もない」。

…大間違いです。

〝八百長〟だからプロレスは面白くない、と真剣に信じている人々がいるなら、彼らは世界で一番面白い肉体のオペラを知らずに死んでゆく可哀想な人々です。

リカルド・ロペスの破壊的な精密、軽量級の醍醐味を理解できない米国のボクシングファンは、ボクシングの魅力の半分以上を味わえずに死んでゆく不憫な人々です。

日本には、軽量級のダイナミズムを楽しめないボクシングファンはいません。 日本のボクシングファンはリカロペやロマゴンがいかに素晴らしいボクサーだったかを世界で一番理解しています。

もちろん、彼らが日本人だったとしたら、十分な待遇を用意できたかと問われれば忸怩たる思いに駆られてしまいます。

長谷川や井上に載せたような評価や希望を、彼らの翼にも託せるような懐の深さを持ち得たとき、きっと日本のボクシング文化も次のステージ、軽量級の魅力を世界に発信する中心地として、前に進めるのかもしれません。 
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ボクシングは最も番狂わせが起きないスポーツの一つです。

ボクシングは〝仕組まれた〟スポーツという一面を持ちます。

仕組む側は自分に有利な条件を突きつけてきます。仕組まれた側は、世界を敵に回して戦わなければなりません。

野球やサッカーのリーグ戦はホーム&アウエーが基本です。オリンピックやテニスの四大大会はあらかじめ決められた約束の場所にアスリートが集い決着をつけます。 

しかし、カネロ・アルバレスやマニー・パッキャオは決してアウエーのリングに上がりません。カネロに至っては一度もアウエーで戦ったことがありません。

フロイド・メイウェザーはついに一度も米国を出て戦うことはありませんでした。

マニー・パッキャオはスターダムを極める前は〝仕組まれる〟側、世界中を敵に回して戦わなければならない崖っぷちのファイターで、マルコ・アントニオ・バレラ戦は咬ませ犬の扱いでした。

モハメド・アリは世界初挑戦となるソニー・リストン戦では「殺される」と決めつけられ、再戦でもオッズと予想は不利でした。しかし、アリが世界を敵に回したのは徴兵拒否とイスラム教への改宗という自身の行動の結果でした。

もちろん、彼らはそんな「世界が負けると決めつけた」大勝負に快勝し、ジョージ・フォアマン戦とオスカー・デラホーヤ戦というファンですら「絶対ムリ」と白旗挙げた試合で衝撃的な勝利を収めるのです。

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一方で、才能だけなら二人に劣らないと言われたマイク・タイソンはチームからテディ・アトラスが抜けると、暗愚なケビン・ルーニーらの画一的でその場しのぎの指導により、ボクシングスタイルは欠陥が修正されることはなく、ついに未完成のままでした。

そして、本人の精神的な脆弱さもあって番狂わせは一度も起こせず、その評価は右肩下がりでキャリアを閉じました。

タイソンにもアンジェロ・ダンディやフレディ・ローチのような名伯楽が付いていれば、イベンダー・ホリフィールドやレノックス・ルイスに無残にノックアウトされることなく、勝利を収めていたのでしょうか?

タイソンは自ら崩壊したといわれています。もちろん、その通りでしょう。ルーニーに代表される低能トレーナーやイエスマンが、彼の崩壊を加速させたのも事実です。

しかし、アリやパッキャオと違って、世界はいつもタイソンの味方でした。タイソンは世界を敵に回したことは、実はありません。少なくとも凶悪な犯罪行為や反則を繰り返して見放されるまでは。

世界中を敵に回していたはずのアリとパッキャオが、ときにはそれを楽しんでいるかのように振舞っていたのに対して、生ぬるい恵まれた環境にいたタイソンがいつも何かに怯え、苛つき、ノイローゼまで患っていたのは、何故でしょうか?

アリとパッキャオが強くてタイソンが弱い人間だから、それだけの理由でだったのでしょうか。

もともとタイソンは強い人間じゃなかった。確かにそれも事実です。しかし、本当にそれだけでしょうか?

アリを生涯〝取り巻いた〟ドリュー・ブンディーニ・ブラウンは、見かけはタイソンの取り巻き連中と全く同じ、大声をあげて周囲を睥睨する太鼓持ちに過ぎません。

そして、今でもなお、ブンディーニのようなcolleaguesやentourage(取り巻き連中)の輩はlackey(お調子者の太鼓持ち)以上の存在でないと多くの人が決めつけています。

He was more than a lackey. Bundini’s contributions to Ali’s legacy were both motivational and stylistic. The poetic side of Ali’s prefight routine was taken to new heights when Bundini joined the fray. Few people know that it was Bundini who coined Ali’s legendary catchphrase, “Float like a butterfly, sting like a bee.”

しかし、ブンディーニはタイソンの取り巻き連中と違って、こそこそと行動することはなく、堂々とカメラの前でアリと渡り合いました。

彼は、ただの太鼓持ちではありませんでした。

もともとアリには詩人の素質がありました。プロレスラーのゴージャス・ジョージとのラジオ対談でセルフプロデュースにインスパイアされますが、その言動が単なるトラッシュトークの域を超越するのは、ブンディーニが取り巻きに加わってからです。

例えば、多くの人は“Float like a butterfly, sting like a bee.”(蝶のように舞い蜂のように刺す)をアリが作った名言だと思っていますが、事実はブンディーニの作詞〝作曲〟です。

モハメド・アリはセルフプロデュースの天才ですが、ソロ作品ではあそこまで至高の完成には届かなかったでしょう。

ブンディーニとのデュエットによって、のちにラップミュージックを生み出す種となるほどの詩を謳うことができたのです。

おそらく、アリにとって数々の名作の歌は、世界と戦う前の士気を高める鬨の声でした。

いいえ、よく聞き直してみるとそれは違います…。あれは、もう勝った、勝利を収めたという凱歌に近い預言の歌だったことがよくわかります。

もしかしたら、アリは世界と戦って勝ったのではなく、戦う前にすでに勝利を噛み締めていたのです。それなら、なるほど、世界が怖くないはずです。

パッキャオの〝取り巻き〟ボボイ・フェルナンデスは、どう贔屓目に見てもブンディーニほどの魔力は持ち合わせていません。

しかし、母国フィリピンでの凱旋では常に観衆とパッキャオを鼓舞してきました。2009年、ミゲール・コット戦を控えたパッキャオは母国が甚大な台風被害を受けたことで渡米のスケジュールを延期、被災地を慰問したことがありました。

「マニーが励ましに来たぞ!台風になんか負けるな!」。そう繰り返すボボイの声が火を点けたかのように、パッキャオも叫びます。

「また米国に行かなければならないが、絶対に勝つ!だからみんなも負けないで!絶対に勝つから!」。

コット戦前に報道されたCNNの特番で見たパッキャオは何かが取り憑いているようでした。

被災して打ちひしがれている人は地響きのような歓声をあげますが、見てる方は「これ、負けたらどうなるんだ?」という心配ばかりが膨らみました。

アリとパキャオのように、大勝負を前にしたタイソンも威勢は良かったものの、それは敗北の恐怖にパニック障害を起こしているだけでした。

タイソンは、アリと同じようにイスラム教に改宗しましたが、マリク・アブドゥル・アシスというイスラム名は、まず口にしません。

「イスラム名を使うメリットが少ない。信仰は心の中で生きているから意味がある」。

タイソンの言葉で、全てが氷解したような気分になりました。

タイソンは心の中の本当の自分を晒け出してまで世界と戦う気は無かったのです。

アリとパッキャオがあたかも楽しんでいるかのように自分を晒け出して世界に挑みかかったのとは対照的でした。

もっと正確に言うと、タイソンには心の中に潜む本当の自分を引き出してくれるcolleaguesと、ついに巡り逢うことができなかったのです。

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1987年9月3日、ブンディーニはロスアンゼルスのモーテルの階段で倒れているところを発見されます。

泥酔して階段から転げ落ちたと言われていますが、真偽は明らかではありません。

ブンディーニは救急車で病院に搬送されますが、頭部と脊髄に重傷を負って全身麻痺の状態でした。

ブンディーニが亡くなる1週間前、かつての取り巻き連中のビクター・セラノとハワード・ビングハムを伴ってアリが病院を訪れました。

医師からは「容体は悪い。最悪の場合を覚悟するように」と告げられます。

アリの到着に気づいたブンディーニは薄眼を開けますが、体は動かせません。

ブンディーニの左耳に口を近づけたアリは、静かに囁きました。

「具合が悪そうだな?」。

アリはブンディーニの額に浮かんだ汗をタオルで拭き取り、微笑みました。「まさか俺がお前の汗を拭く番が来るとはな」。

ブンディーニは爆笑したかったはずですが、顔を引き攣らせるだけでした。
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「お前はきっと天国に行けるだろう。俺もそのうちそっちに行くさ」。

「もうすぐジャック・ジョンソンやロッキー・マルシアノ、偉大なファイターに会えると思うと、少し羨ましいぜ。待ってろよ、最も偉大な俺がそこに行くのを楽しみにしてろ」。アリの声は悲しみで震えていました。

When you get up there, you’re gonna see Jack Johnson, and Rocky Marciano, and all them great fighters up in heaven. And one day you are going to see me,” Ali continued, his voice shaky. 

アリは自分の手で生涯の相棒の頬を包み込みます。ブンディーニが涙を流し出すと、アリは彼の髪を優しくかきあげました。

「ドリュー、俺の声が聞こえるか?」。

ブンディーニはその目で「はっきり聞こえている」と返事します。

アリは囁き続けます。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す…戦え、若人よ、戦え」

“Float like a butterfly, sting like a bee. … Rumble young man, rumble,” Ali said, before adding the trademark ending to the slogan.

ブンディーニの耳元で2度、繰り返すと、アリは静かに病室を去りました。

ブンディーニは9月24日に息を引き取ります。

1987年9月24日。この日は、きっとモハメド・アリにとっての〝終戦記念日〟でした。

6年後、アリは米国政府とIOCの依頼されたアトランタ五輪の聖火リレー、その最終ランナーの役目を引き受けます。

反体制のシンボルであったアリが政府の宣伝活動に協力したことは一部のファンから「失望した」と非難を浴びましたが、もうアリには世界と戦う理由も手段もなかったのでしょう。

敵か、味方か。太鼓持ちか、モチベーターか。信頼できる相棒か、油断の出来ないハイエナか。

colleaguesなのか、卑しいlackeyなのか。

アリはブンディーニがいなければ、アリたりえなかったでしょう。

それにしても。

心の中に潜む本当の自分を引き出してくれて、世界を敵に回しても怖くない、そんな〝ブンディーニ〟を持つ人がどれだけいるでしょうか。
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あなたにとってブンディーニとは誰ですか?
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怪人たちがダース単位で居並ぶモハメド・アリを取り巻く群像を思い返すと、ドリュー・ブンディーニ・ブラウンを「怪人」と表現するのは、少しだけ憚られるかもしれません。

しかし、彼もまた紛うことなき20世紀の怪人でした。

Boxrecではブンディーニという人物をan assistant boxing trainer, second, and occasional actor.〜あるときはボクシングのアシスタントトレーナー、あるときは俳優…と説明しています。

言い得て妙な表現です。

一方で、リング誌は「ブンディーニはアマチュアでもプロでもボクシングに正式に関わったことは一度もない、もちろんボクシングをおしえることなど出来るわけがないのだから、トレーナーであるわけもない」と紹介しています。

俳優…確かに「シャフト」や「カラーパープル」に端役で出演しています。

1928年3月21日にフロリダ州ミッドウエイ生まれ、日本でいう中学2年生でドロップアウト。翌年、実際の13歳という年齢を偽り、海軍に入隊、その後12年間世界中の基地を巡ります。

1956年にはシュガー・レイ・ロビンソンのcolleaguesentourage 「取り巻き」の一員に加わりました。

そして、1963年にモハメド・アリのcolleagues となります。

アリの専属医師フレディ・パチェーコは「ブンディーニはアリにとって応援団長であり精神科医だ」と評価し、アンジェロ・ダンディも「アリの最大の理解者。アリのバッテリーをいつも簡単に満タンにした男」とその役割は非常に大きかったと回想しています。

アリとの関係は複雑でした。

60年代半ばにアリのチャンピオンベルトをわずか500ドルで売却し、チームから追放されますが、のちにアリは彼を呼び戻します。

大袈裟な表現ではなく、アリが多くの激闘を勝ち抜けたのはブンディーニのおかげでした。そして、アリが喫した敗北についても同じことが言えます。

アリの61戦のキャリアで44試合でコーナーに付いたブンディーニ。彼はいつもアリのそばにいたのです。

アリの2番目の妻だったカリア・カマチョは「あの二人はトム・ソーヤーとハックル・ベリーフィン。冒険好きな気の合う永遠の少年だった」と語っていました。

ボクサーが試合に向かう過程は、パズルを完成してゆくことに似ています。

トレーニングメニューや、それをこなすための肉体と精神、安らげる時間や、自信を失わないようにする方法…どれか一つのピースでも欠けてしまうとパズルは完成しません。

かつて、ジョージ・フォアマンは「私はブンディーニをトレーナーやコーナーマンとしては認めない。その職業に関しては何の能力も持ち合わせていなかったから」と断りながらも「アリの不撓不屈の源泉にブンディーニがいる。それはトレーナーよりも遥かに大切な存在だ」と見抜いていました。

ボクシング史上で最高の二人、シュガー・レイ・ロビンソンとモハメド・アリの取り巻きを〝務めた〟ブンディーニ。

彼は、もしかしたら世界で最も難しい職業をこなしていたのかもしれません。

他にも世界ウェルター級王者ジョニー〝ハニーボーイ〟ブラトンや、ヘビー級のコンテンダー、ジェフ・メリット、ジョージ・チュバロ、ジェームス〝クイック〟ティリスらがブンディーニを取り巻きとして招き入れました。

ボクシングファンからは「ロビンソンやアリを食い物にした最低野郎」と憎悪されることもあるブンディーニは、本当に最低野郎だったのかもしれません。

しかし、確実に言えることが一つだけあります。

ロビンソンやアリに限らず、難解なパズルを完成させようと悪戦苦闘するボクサーにとって、ブンディーニは探しているピースのありかを教えてくれる存在でした。

あるいは、ブンディーニその人こそが、重要なパズルのピースだったのかもしれません。
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あるときはアシスタントトレーナー、あるときは俳優、あるときは裏切り者…ブンディーニはいくつもの顔を持っていましたが、どれもこれも中途半端なものでした。

ただ一つ、詩人としてのブンディーニだけは例外でした。

有名なアリの試合前のルーティーン、トラッシュトーク。

トラッシュと呼ぶにはあまりにも上質で、トークとは明らかに異なる詩吟を詠むような印象的なリズム。

その後、ラップに昇華した、全く新しいトラッシュトークは、一人のボクサーを神たらしめた魔法の呪文でした。

いまや一大ジャンルに発展した、ラップミュージックとは何か?答えは簡単です。

トラッシュトーク。

ラップの本質は、アリとブンディーニが生み出したトラッシュトークなのです。
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https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=En7-LnYVkkM&feature=emb_logo

フレディ・ローチは彼の最初の傑作バージル・ヒルと袂を分かった原因を「価値観を共有しすぎた。trainer はcolleagues や entourage であってはいけない。 トレーナーは父親でも兄弟でも親友でもないし、それに近い関係を作ってはいけないんだ」と説明しました。

しかし、colleagues や entourage もまた父親でも兄弟でも親友でもありません。

ボクサーはリングの中ではたった一人で戦わなければなりません。その一方で、コーナーにはトレーナーやカットマン、マネージャーら他の個人スポーツでは考えられない多くのスタッフが控えています。

彼らは程度の差こそあれ、モチベーターという〝副業的な〟役割も果たしています。

そして、モチベーター専門の役割を担うのが colleagues や entourage なのかもしれませんが、それも少し違う気がします。

また、日本のボクシング界で見られる父子鷹の関係にもcolleagues や entourageの匂いがするように見えますが、それは錯覚です。

確かに彼らはボクシングやトレーナー経験がないか浅いにもかかわらず、選手、子供たちにとっては絶対の拠り所です。

辰吉粂二や亀田史郎、井上慎吾の役割はその子供たちにとって、ただのトレーナーやモチベーターではありません。

子供たちと父親は、血脈は当然として強固な封建関係で結ばれています。

そこには、フロイド・メイウェザー親子のようなドライな雇用関係は存在しません。

粂二や史郎、慎吾は子供たちにとっては、大きな恩返しで報うべき存在です。

「お父さんのやり方で世界チャンピオンになったぞ!」と。

そこには考え方の違いから、父親から離れるという思考回路はありません。彼らにとって偉大なボクサーを目指すのは二義的な目標です。

「父親のやり方」で偉大なボクサーを目指すことこそが、彼らの絶対的な流儀です。

父親たちは、チャンピオンベルトを売り払ったり、カネを無心することはなく、没落しても最後まで味方でいてくれるのです。

…そして、それは、やはり colleagues や entourage とは違います。

colleagues や entourage とは何なのか?

アリやパッキャオにあって、マイク・タイソンに欠落していたのは勇気や想像力、ボクシングの奥行き、戦う姿勢…とされてきました。

「タイソンは才能はあったけど画一的な練習方法で型にはまった戦い方しかできない間違ってプログラミングされたロボット。あの癖は治らない」とローチが匙を投げたように。

…しかし…。

もしかしたら、勇気や想像力ですら大きな問題ではなく、タイソンには本当に彼が必要とするcolleagues や entourageについに恵まれなかったが為に、一度もオッズをひっくり返せない右肩下がりのキャリアを転がり落ちたのかもしれません。 

タイソンの没落は広く信じられている技術的な欠陥が暴露されたからではなく、誰も充電してくれない空っぽの心のままリングに上がり続けていたからではないでしょうか。



パッキャオでも技術的なミス、間違った戦略を選ぶことはあります。強打のルーカス・マティセにアッパーで攻め込ませたボボイ・フェルナンデスの戦略は本当なら愚策でした。

全ては結果論です。劣化バージョンのマティセだから快勝できたのです。

しかし…、本当にそうだったのでしょうか?

血よりも濃い関係で結ばれたボボイが初めてつとめるチーフトレーナーとして指示してくれた「アッパーで攻めろ」。

その言葉に、パッキャオの情熱が感応したのだとしたら?「ボボイのやり方で勝たなければ意味がない」とパックマンの魂に火が点いたのだとしたら…。

タイソンに群がっていたのは、カネ目当てのハイエナどもだけで、彼が破産した瞬間に綺麗に離れて行きました。

孤独や恐怖の底なし沼に引きずり込まれそうな夜、最高の励まし方で空っぽの心に自信のエネルギーをフル充電してくれるようなcolleagues や entourage を、きっとタイソンは一人も持つことが出来なかったのでしょう。

ブンディーニもカネ目当てのハイエナだったのかもしれません。

しかし、タイソンにまとわりついていたような、ただのハイエナではありませんでした。



colleagues と entourageのお話、ブンディーニの怪奇譚は、まだまだ、続きます。
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ボクシングの世界では colleagues や entourageという言葉をときどき耳にします。

同僚や仲間という意味ですが「取り巻き連中」と訳される場合は多くは悪い意味で使われます。

世界チャンピオンになって大金を稼いだボクサーが、取り巻き連中に騙されて無一文になってしまう。

よく聞く話です。

成功の蜜に群がる親族や太鼓持ち、知人や幼馴染、成功したボクサーを取り巻くあらゆる関係者が「取り巻き連中」になります。

多くはボクシング経験もないど素人で、成功したボクサーが没落すると離れて行く、ハイエナたちです。

一方で、第三者からは卑しいハイエナにしか見えないcolleagues や entourageが、実は偉大なボクサーにとってかけがえのない存在であるレアケースも間違いなく存在します。

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マニー・パッキャオとモハメド・アリ。

2人の共通点は、世界が刮目する大番狂わせを何度も起こしたことだけではありません。

リングを離れても社会的・政治的に大きな影響力を持つ現役ボクサー、という共通項です。

パッキャオがやろうとしていることは、一見穏和に見えますが、特権階級が既得権益を独占するフィリピンで革命を起こそうとしているようなものです。 

アリが60年代の米国、パッキャオが21世紀のフィリピンという舞台の違いが、両者の世界的・歴史的インパクトに大きな差を生み出していますが、やってることは同じです。

世界が間違っているなら、俺が世界を変えてやる。

一介のボクサーの分際で、彼らはどうしてそんな、ある意味傲慢でもある、唯我独尊的な自信を持てたのでしょうか?

ボクシングで成功を重ねるごとにマニー・パッキャオは「助けたいと思う人々が広がっていった」と語ります。

最初は母親、弟や妹たちが、最後は貧困に苦悶し続ける国を救いたいとーー。それは本当のことかもしれませんが、colleagues の代表格ボボイ・フェルナンデスは、パッキャオは夜祭の賭けボクシングのリングに上がる12歳のずっと以前に「大統領になる」と語っていたと言います。

それの言葉を聞いたとき、食べるものさえ事欠き貧乏から虐められ、将来に絶望していたボボイが初めて笑いました。

学校に行けずに路上でドーナッツを売るボボイを、苛めっ子らが袋叩きにしてドーナッツまで奪おうとしたときにパッキャオが助けに来ました。

苛めっ子を撃退したパッキャオにボボイは「もう助けてくれなくてもいいよ。俺の将来なんてろくなもんじゃない。良いことなんて一つもない人生を送って、どうせその辺で野垂れ死ぬんだ」と、殴られて痣だらけの顔で吐き出します。

「そんなこと言うな、俺が絶対変えてやるから。お前は兄弟みたいなものだ、絶対に野垂れ死なんてさせるか」。

パッキャオの励ましにもボボイは「マニーは喧嘩が強いけどそれだけじゃないか。喧嘩が強くたってギャングの用心棒になるのがせいぜいだ。マニーだってろくな死に方しないよ」と悲観した言葉しか口にしません。

「大丈夫だ。この国を根本から変えてやる。食べるものがなくて死んだり、病院に行けなくて死んだり、そんなことはもう終わりにしてやる」。

「マニー、何を言ってるんだ?学校にも行けないで毎日路上で物売りしてる俺たちに何が出来るっていうんだ?」。

「出来るさ。俺は大統領になる」。

そのとき、ボボイは生まれて初めて腹の底から笑ったと言います。

ボボイははっきりその日を覚えていますが、パッキャオは今でも世界中のメディアから聞かれる質問に「大統領になろうとなんて、生涯一度も思ったこともない」と繰り返し答えています。

米国で成功するとすぐにボボイを呼び寄せたパッキャオ。

「大統領になる」と語ったあの日のことを、覚えていないわけがないでしょう。

ボボイはフィリピンや世界のボクシングファンにはけして好意的に受け入れられていません。

「なんの取り柄もないのにパッキャオの幼馴染というだけで贅沢三昧の生活を送っている」「ボクシングの知見ゼロのくせにトレーナー風を吹かせて、パッキャオの足を引っ張っている」「パッキャオが没落するようなことがあったら真っ先に離れる奴」…。

それらの非難はあながち間違いではありません。

ただし、パッキャオにとって「弟」という幼馴染は特別な存在です。

ボクシングの知見がない、と言われながらもルーカス・マティセ戦で戦前から「アッパーが有効だ」とアドバイスしていたのは卓見でした。もちろん強打のマティセにアッパーは危険ですが、快勝のリングで「ボボイのおかげ」と喜びを爆発させたパッキャオの表情からは「ボボイのやり方で勝つ」ことへの強烈な動機付けが読み取れました。

パッキャオが没落したら真っ先に離れるーーそれはそのときにならなければ誰にもわかりません。

いずれにしても、パッキャオにとって最も過酷だった極貧時代を過ごしたボボイは救うべき象徴でしょう。パックマンの心の支え、といっても差し支えないかもしれません。

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そして、すでに語り尽くされた感もある「取り巻き」の典型、ドリュー・ブンディー二・ブラウン。

ボボイ以上に批判非難を受けたブンディーニですが、33年前の9月24日に亡くなっています。

トッド・スナイダーが「ホラ吹き野郎は信じるな」を今月上梓、その真実に迫っています。

ザ・グレーテストが最も心を寄せた怪人の物語にリレーします。
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