フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 横浜フリューゲルス

ガンバ大阪の遠藤保仁が偉業達成しました。

大阪ダービーにスタメン出場、J1最多出場記録を632試合に更新!

従来の記録は楢崎正剛。

遠藤も楢崎も横浜フリューゲルスから偉大なプロキャリアをスタートさせました。 
IMG_4050
IMG_4051

こういう記録には「鉄人」という表現がステレオタイプにつきまといますが、遠藤に「鉄人」はどうもしっくりこないんです。

もちろん鉄人なんですが、ピッチの上の印象は「鉄」とは真逆の「柔」や「軟」のイメージがあります。 

もう40歳。

まだ40歳。

遠藤が引退したら、きっと泣いちゃうだろうな。 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

好天に誘われて二日続けてジョギング。

今日の目的地は約10km先の「寺家(じけ)ふるさとの森」。昔ながらの雑木林、田園風景が広がる大きな公園です。
IMG_3467 (1)
紅白の梅が美しい、そのすぐ横の池にはカミツキガメが潜んでいるようです…。
IMG_3463
IMG_3462
沼地の飛び石を飛ぶように蹴って、ちょっとしたトレイルランを楽しみました。

転ばなくて良かった…。

ヘロヘロになりながら帰宅。昨日、開幕戦を引き分けで〝飾った〟横浜FCの試合の録画を観て、ガンバ大阪の遠藤保仁が元名古屋グランパスエイトの楢崎正剛の持つJ1最多出場記録631試合に並んだ試合も続けて録画観戦。
IMG_3473 (1)
楢崎も遠藤も横浜フリューゲルスのユニフォームに袖を通して、プロサッカー選手人生をスタートしたのです。

なんだか誇らしいわぁ〜。

遠藤の溌剌としたプレーを見ていると、久しぶりにJリーグの応援に行ってみたくなりました。 日産スタジアムも三ツ沢も十分な〝走行〟圏ですし!
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

いよいよ東京オリンピックイヤーが幕を開けました。

リング誌などの定番企画を真似して「今年見たいもの」「見たくないもの」を並べてみました。

☆☆☆今年見たいものベスト10(順不同)☆☆☆

◉東京オリンピック 金メダルラッシュ◉

ボクシングやテコンドー、選手には関係ないところでありえない不祥事が重なった競技は特に応援したいです。
IMG_3243 (1)
ボクシングの出場権は、アジア・オセアニア予選(2月)か、世界最終予選(5月)で出場枠を勝ち取った選手に与えられますが、今回の開催国は日本です。

開催国枠があるんです!

出場権獲得に失敗した階級では「開催国枠(男子4、女子2)をオリンピック予選の結果が良かった階級から順に当てはめる」ことになります。

ヘビーとスーパーヘビーの五輪予選にエントリーしている選手がいませんから、男子は8−2=6階級のうち4階級では開催国枠で出場できることになります。

とはいえ!

田中亮明(フライ級/48~52kg級)、堤駿斗(フェザー級/52~57kg級)、成松大介(ライト級/57~63kg級)、岡澤セオン(ウェルター級/63~69kg級)、森脇唯人(ミドル級/69~75kg級)、梅村錬(ライトヘビー級/75~81kg級)の予選に挑む6人は全員が開催国枠を使わずに五輪出場を決めて欲しいですね!

亮明、堤をはじめみんな綺麗な色のメダルが期待できますが、やっぱり特に応援に力が入るのは成松です。とびきりの笑顔で金メダルを噛んで下さい!
 

◉大谷翔平が故障せずにシーズンを全うする◉

日本人がフィジカルで外国人を圧倒する。それもさんざんフィジカルの違いを見せつけられてきた野球で。

「大谷への初球はとにかく慎重に」「スイングさせたらダメ」…MLBの解説を聞いて、こんな日本人がついに現れたかと何度も感動しました。

この2年間で大谷がMLBでもパワープレイヤーであることが十分すぎるほど証明されました。

もう、誰も大谷の実力に疑いも心配もしていません。

しかし。

「2年続けてリーグ戦を離脱している大谷の敵は彼の肘であり膝であり、彼の肉体だ」(スポーツイラストレイテッド誌)。

シーズンを全うしたとき、どんな数字が私たちの前に現れているのか。

日本中で、驚く準備が出来上がっています。MLBを1年間、力でねじ伏せる日本人の姿を見せて下さい。


◉カズがJ1で最年長ゴール◉

私は、横浜フリューゲルスの熱狂的サポーターでした。

もはや当時の熱度でサッカーを見ることは出来ませんが、フリューゲルスに所属していた選手でいまだ現役の遠藤保仁には特別な思いがあります。

今月で40歳になる遠藤がいつまでユニフォームを着ていてくれるのか、わかりませんが、彼がピッチを去る時もまたフリューゲルスが終わるときだと感じています。

遠藤と同じくらいに思い入れがある、というか長い時間をかけて応援したくなったのがカズでした。

フリューゲルスにとっては天敵みたいなストライカーで、何度も決定的なゴールを割られてしまいました。

それだけではなく、Jリーグ発足当時は「世界的なアスリートでアイドル」みたいな絶対的な存在で、浮ついた空気をまとった彼はどうしても好きになれませんでした。

しかし、長い時間の中で、彼ほどサッカーを愛している人はもしかしたら世界史上でもいないんじゃないかと思うに至ると「浮ついたアイドル」像は砕け散りました。

2月には53歳になるカズと40歳のヤットさんがピッチで対決…今からハンカチを用意しておかなければなりません。


◉村田諒太vsカネロ 東京ドームでメガファイト◉

私が世界のボクシングを見るきっかけになったのは、80年代の中量級ウォーズに耽溺したからでした。

シュガー・レイ・レナード、マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュランが繰り広げたラウンドロビン(総当たり)にはボクシングの魅力が全て詰まっていました。

ピピノ・クエバス、ウィルフレド・ベニテス、ジョン・ムガビ、ドナルド・カリー、マイク・マッカラム…彼らの強さを際立たせたグレート、そこまで辿り着けなかった無念のバイプレイヤーまでもが輝いていました。

レナードらが輝いて見えたのは「日本人には絶対に触れることのできない領域」という確信めいた敗北感も影響していたでしょう。

1995年に竹原慎二が太鼓腹で来日したホルヘ・カストロが持つWBAのピースをピックアップしましたが、そのとき「ミドル級ウォーズに参戦」と浮き足立ったファンは1人もいませんでした。

アジアでも一杯一杯だった竹原の奇跡は「初防衛戦までの儚く悲しい夢」だと誰もがわかっていました。

その後も、オスカー・デラホーヤにフェリックス・トリニダード、フロイド・メイウェザーJr.、マニー・パッキャオ…80年代から続く中量級の絢爛豪華な系譜は日本人とは全く関係がないところで紡がれてきました。

手を伸ばしても届かない空は、見上げるしか無かったのです。
IMG_3874
ボクシング人気は下降線を辿る一方でしたが、2012年ロンドン五輪で金メダルをもぎとった村田は「奇跡の竹原」とは明らかに違う「終着駅まで連れて行ってくれるかもしれない夢」でした。

「日本人は見てはいけない夢」が現実になるかもしれないのです。見上げるしか無かった空に、手が届くかもしれないのです。

もちろん、夢は拳を交えることだけではありません。カネロを倒すことです。それが叶うかもしれません。叶います!


◉井上尚弥 日本人初の4団体統一のUndisputed Championへ◉

白井義男やファイティング原田はもちろん、1970年代初めまでは世界王者はすべからく「議論する余地のない王者=Undisputed Champion」でした。

しかし、1975年(輪島功一:ジュニアミドル級)以降、Undisputed Championは生まれていません。※正確には1984年(渡辺二郎:ジュニアバンタム級)も瞬間的にはUndisputed Championでした。

13連続防衛の具志堅用高も、4階級制覇の井岡一翔も、WBSS優勝の井上尚弥も「議論する余地のある」王者、つまり a championでしかないのです。

団体が増えれば増えるほど Undisputed Champion が難産になるのは当然です。

白井や原田らは「統一戦」など戦う必要はありませんでした。

彼らが生きていたのは、世界でたった一人の世界チャンピオン、Undisputed Championを倒せば、自分がUndisputed Championの玉座に就くことが出来る当たり前のことが当たり前の時代でした。

現在、2人の a Champion を撃破してWBAとIBFのストラップを持つ井上がコレクションを完成するためには、さらに2人のa Championを倒さなければなりません。

どちらが厳しい道なのかは、誰が考えても明白です。


◉パッキャオvsクロフォード 実現へ◉

カネと栄光以外には興味を示さないフィリピン人も先月、41歳になってしまいました。

もはや「成し遂げることは何も残されていない」(リング誌)伝説とはいえ、キース・サーマンを破った勝利はレガシー(後世の評価)に上乗せされる偉業でした。

まだ、レガシーにつながる勝利はいくらでもあります。

テレンス・クロフォードとエロール・スペンスJr.。この2人を倒せばレガシーがさらに上乗せされます。

そして、全階級で最もレベルが高い147ポンドを見渡しても、この2人以外でパックマン(不利予想でリングに上がる)として戦える相手はいません。


◉井岡一翔vs田中恒成 激突◉

恒成が今朝の会見で「フライ級統一かジュニアバンタム転向」と今年の方向について語りました。

現在のフライ級も強豪王者が多く統一路線も魅力的ですが、ジュニアバンタムの恒成も早く見たいですね。まだ24歳の若者を急かすなんてどうかしてますが、それだけの素材です。

究極は井岡との激突を見たいです。恒成がどれかのピースを獲ってから対戦するのが理想でしょう。

溢れる勇気と、高いボクシングIQを併せ持つ2人が統一戦。たまりません。

〝第3国〟の東京か横浜でやってくれたら見に行きやすいですし、ぜひ実現して欲しいカードです。


◉重岡銀次郎がワンヘンの連勝を止める◉

世界王者としての無敗記録。「ロッキー・マルシアノの49−0」に端を発したおかしな記録です。

普通、記録というのは途絶えたり更新されても「前」「元」という但し書き付きで残るものですが、「マルシアノ・レコード」については潰えたらオジャンというわけのわからないルールです。

カルロス・サラテは1978年にウィルフレド・ゴメスとの「両者合わせた戦績が73勝72KO1分」という超弩級の強打者対決に敗れるまで、51戦全勝50KOとマルシアノの記録を更新していましたが「層の薄い階級とヘビー級は一緒に出来ない」(リング誌)と「51」は〝無視〟されました。

フリオ・セサール・チャベスも1993年にパーネル・ウィテカにドローで連勝を止められるまで、87戦全勝72KOをマーク。マルシアノの49を38も上回る大記録を打ち立てていましたが、「87」は記録とは認められていません。

もちろん、フロイド・メイウェザーの50−0も「デビュー戦の雑魚相手に作った記録なんて認められない」という声が大半ですが、いずれにしてもくだらない記録です。

というか途絶えたらオジャンなんて、おかしな記録です。

現在のマルシアノ・レコードはメイを抜いたワンヘン・ミナヨーティンの「54−0」。この記録に目をつけたゴールデン・ボーイ・プロモーションズが昨年7月に34歳のタイ人と契約。

選手引き抜きで経営危機にまで陥れられた憎きアル・ヘイモン+メイウェザー連合への嫌がらせとも言われた契約でしたが、重岡には派手にワンヘンを破壊して欲しい、できればタイか米国で見せつけて欲しいですね。


◉ヘビー級が完全統一◉

現在のボクシング界でUndisputed Championは1人もいませんが、今年にも誕生の可能性が最もあるクラスとなると、すでに3つのピース(IBF/WBA/WBO)をアンソニー・ジョシュアが持っているヘビー級です。

最短で1試合、ジョシュアvsWBC王者の勝者がUndisputed Championです。

そのWBC王者デオンティ・ワイルダーは2月22日にLineal Championのタイソン・フューリーとの〝統一戦〟のリングに上がります。

この勝者がジョシュアと戦えば、その勝者がUndisputed ChampionでLineal Champion、全てのピースが完成します。

クブラト・プーレフとの指名試合をジョシュアに命じるIBFがまた剥奪しそうな気配で、そこが心配ですが…どんどん意固地になってゆくIBFは何を目指してるのでしょうか?


◉カネロ・アルバレスの惨敗◉

「趣味が悪い」と言われるかもしれませんが、見たいです。

台本通りに勝ち続ける、Aサイドのスーパースター。

公平な条件で旬の強豪と戦うことのない欺瞞のスーパースター。

カネロ、東京ドームに来なさい。




★★★今年見たくないもの★★★


✖️見るに耐えない茶番劇✖️

昨年も国内外で、ボクシングの名を騙った茶番劇が見るに耐えない茶番劇が行われました。

国内では亀田興毅が那須川天心とのボクシングマッチの前日に、日本ボクシングコミッションと日本プロボクシング協会が「特定のイベントを指すものではない」としながらも「ボクシングの名を騙るな」という意味の事実上の抗議表明。

亀田の無神経とJBCの狭量…どっちもどっちな気もしますが、やはり亀田一家というのは「何を反省しなければいけないか」がわかってないんです。

井上尚弥がNHKのドキュメンタリーで「プロ入りした頃の日本ボクシング界が大嫌いだった」「井上家では簡単に世界王者なんてことは口にできない」が誰のどういう行為を指しているのか思い至らないのでしょうか?

リアルの逆の位置にいた自分たちのことを真剣に反省できないとしたら、彼らは死ぬまで「しくじり先生」のままです。

傍若無人だから嫌われたんじゃありません。リアルで傍若無人なら間違いなく人気が出ます。フェイクだから嫌悪されたんです。そこから目をそらしたり見えないふりをして「ボクシングを盛り上げたい」と騙るのは犯罪的な振る舞いです。

欧米のYouTuber対決も、うんざりです。


✖️ぬるい相手との世界タイトルマッチ✖️

4つもある承認団体が世界王者を承認したくてたまらない状況が続いています。

彼らは、軽量級にもかかわらず高額の承認量を徴収できる日本のボクサーには雑魚挑戦者や穴王者を喜んで差し出してきます。

私たちは井上尚弥がフルタイムの銀行員や引越し屋さんと戦うのは、二度と見たくありません。

昨日の田中恒成の中国選手も酷いレベルでした。戦前から明らかなミスマッチの世界戦は控えるべきです。

相手が指名挑戦者、競争入札に負けて中国に行くなら大歓迎です。報酬も日本でやるより大きいでしょうから。


✖️パッキャオvsメイウェザー2 ✖️

2015年に待ちに待ったこの試合を見て、米国で散々酷評された記事をいくつも読んで「米国のボクシングを追いかけるのはやめよう」と決めました。

この試合を「ボクシングが再びメジャースポーツになる階段の第一段」と期待をかけていたCNNなど多くのメディアは「勝者はメイとパッキャオの二人だけ。ファンは惨敗、ボクシングは死んだ」と共通の言葉で醜悪な史上最大のメガファイトを酷評しました。

大量のリング誌も自宅に送るか古書店に売るかと思いましたが、読み返すと素晴らしい記事がたくさんあって…。

2017年にブログを開設したきっかけも、パックメイを踏み越えてリング誌などの素晴らしい世界を自分の中で楽しもうと思い立ったからです。

「2」は要らないです。きっとPPVは売れるんでしょうけど。


✖️トップランク vs GBP vs PBC…✖️

戦いはリングの中だけ。お前らは戦うな。



✖️リング禍✖️ 

言うまでもありません。 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

IMG_3149 (1)
あれだけ盛り上がっていた有楽町のファンゾーンが、閑散としていました。

確かに、南アフリカに完敗してブレイブ・ブロッサムズの偉大な挑戦は終わりました。

しかーし!あれだけの感動を与えてくれた桜の戦士たちが跳ね返された、分厚く高い壁の向こう側を見ないなんて、そんなもったいない話はありません!
final-6
もちろん、私が力の限り声援を送るのは南アフリカです!

残り試合は3位決定戦(東京スタジアム)以外は全て横浜国際で行われます。

横浜フリューゲルスの応援に何度も通ったスタジアムも、もう何年もご無沙汰です。

自宅からも遠くないので、チケットが手に入るなら「南アフリカvsウェールズ」観に行くつもりです。

あの勇敢な桜を散らした世界4強、怪物たちの正体を、この目で見届けたいと思います。 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

今の日本ではセカンドチャンスを掴むことは、ほとんど絶望的に見えます。

薬物や暴力事件や、果ては家庭内事情のはずの不倫でも。

ときには誰が被害者なのかわからないにも関わらず、謝罪会見で頭をさげる人々。

もちろん、復帰を許すべきでない人もいます。

「家庭が大切。男も育児休暇をとって妻を助けるべき」と国会議員として先例となると熱弁しながら、奥さんが切迫早産で入院中に不倫していた宮崎謙介元衆議院議員などは、仕事として主張していることと真逆の行為に手を染めたのですから、辞職は当然です。

宮崎は〝公約破り〟に等しいことをやったのです。小さな小さな公約すら守ることが出来なかったのですから政治家失格です。

「野球と子供が大切」と泣いて訴えても、入れ墨を彫り薬物に手を出した清原和博にしても少なくとも入れ墨を消すまでは球界復帰は許すべきではありません。

彼は「日本は入れ墨に神経質すぎる。外国人は良くて日本人はダメって理解できない」と頭の悪いことを吐き出していましたが、清原が全身に入れた墨は、多くの外国人のタトゥーとはまったく違う、反社会組織が入れる類の、野球選手が彫ったり、子供に見せてはいけない種類のものでした。

そんなものを体に彫る人間がどの口で「野球と子供が大切」と言っているのでしょうか?頭が悪いにもほどがあります。

「受け入れがたい屈辱を忘れないために入れ墨を入れた」というのも、呆れてしまう言い訳です。それって暴力団が入れ墨を彫る理由じゃないですか。アスリートなら受け入れがたい屈辱は、グラウンドで返す以外にないはずです。

どこまで負け犬なのか。

彼らは深く後悔してるかもしれませんが、後悔先に立たずです。宮崎と清原を同列に語るのは違うかもしれませんが、口先と真反対のことを平気で繰り返したという点で同類です。

もちろん、不祥事を起こしながらセカンドチャンスをものにした「復活の人」も少なくありません。

しかし、それでも致命的に思える不祥事がプラスに働くことなど、めったやたらにあることではありません。
IMG_1460 5.54.09
そんな希少な例が前園真聖のケースです。

私は横浜フリューゲルスの熱狂的なサポーターでしたが、当時の前園のことはどうしても好きになれませんでした。

その才能は誰もが認めるところでしたが、いい加減な練習態度に傲慢な振る舞い、オタシリオ監督から「前園は後半になると運動量が目に見えて落ちる」と途中交代させられると、監督に対して「信じられない。何様のつもりだ」と暴言を吐きました。

フリューゲルスを強豪チームに仕立て上げてくれたオタシリオの判断は、全くもって正解です。

前園はチームを出て、当時は人気クラブだったヴェルディ川崎へ移籍するも精彩を欠き、ブラジルや韓国Kリーグでプレーするも思うような活躍はできないまま引退。

日本代表のキャプテンマークをつけて挑んだアトランタ五輪、マイアミの奇跡が前園のピークでした。

くすぶった才能は、第二の人生でもテレビ東京の解説者などでスタート。一時は広告代店が全国区でSランクを付けたCMキャラクターの価値は、ゼロにまで下落していました。

俺はこんなもんじゃない。いつも過小評価されて損してる…そんな鬱憤がどんどん積み重なっていたのかもしれません。

そして、あの事件を起こしてしまいます。

2013年10月13日、泥酔した前園はタクシー運転手に殴る蹴るの暴行をはたらき逮捕されてしまうのです。

「やってはいけないことをやってしまった」と謝罪会見で涙を流す前園に同情する人は、少数派でした。

これで前園は表舞台から姿を消すだろう、誰もがそう思いましたが、事態は意外な展開を見せます。

前園が謝罪に訪れたタクシー運転手の方が「大きな騒ぎになってしまって申し訳ないね。大丈夫ですか?」とねぎらったというのです。

警察に通報したのは暴行の現場を目撃した通行人で、運転手の方は「大事にするつもりは一切ありません。被害届なんて考えもしてません。これからも頑張ってください」と エールの手紙をメディアにも送ったのです。

あのとき、運転手の方が怒りの記者会見を開いていたら、今の前園はないでしょう。

自身の傲慢を猛省する、その心根の奥にあった純真を松本人志が見抜かなければ、メジャーな舞台に上がることはなかったでしょう。 

こんなことは絶対に言ってはいけませんし、思ってもいけませんが…あの日、前園が泥酔してあのタクシー運転手の方を殴らなければ…今も前園はくすぶったままで地方局の小さな番組の片隅を濁らす存在のままだったかもしれません。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

楢崎引退…強かった「前所属・横浜フリューゲルス」への思い 


楢崎正剛が引退を発表しました。

先月「名古屋を退団、移籍」と報道されましたが、引退の道を選んだようです。

もう、ゴールを守る姿を見ることができないと思うと寂しい限りです。

フリューゲルスが消滅してからは、名古屋に移籍、クラブの黄金時代を築きました。

2010年にはJリーグ初のキーパーでMVP。

全盛期のあなたは、多くのビッグクラブから移籍の勧誘を受けましたが、どんな好条件の話もこと断り続けたと言われています。

移籍したら前所属から「横浜フリューゲルス」という名前が消える。

そうはさせない、というのがその理由だと知ったとき、嬉しくて申し訳なくて泣いてしまいました。

テレビ画面のテロップや、新聞雑誌の活字に、あなたの前所属「横浜フリューゲルス」を見つけた時、いつも心の中にポッと灯がともったような気持ちになりました。
IMG_2006
ファンクラブ会報誌「F !」に連載されていた「ならざきせいごうの完封宣言!」。「楢」の字が「樽」と勘違いされて「たるざき」と呼ばれることがあるとか、クラブの広報が出身地を間違ったことで本当は「奈良」なのに「徳島」と思われてることや、若い楢崎が徒然なる思いを毎号原稿用紙に直筆で綴ってくれていました。

J1通算出場試合数は歴代1位の631。燦然と輝く大記録です。

そして2位は、遠藤保仁の602です。

なんと誇らしいことでしょう。



私のとって横浜フリューゲルスは今でも、生々しい記憶です。

過ぎ去ったモノクロームの思い出なんかじゃありません。

まだ産まれたばかりの娘を連れて家族で応援に行った三ツ沢、日産。
 
 
あの思い出は、モノクロームなんかじゃありません。

横浜フリューゲルスとの6年間の思い出は生涯、極彩色です。

今でも、ゴール裏であなたに精一杯の声援を送っていたことを思い出します。

「まもーーーれッ!!!、せいごぉーーー!!! 」

「まもーーーれッ!!!、せいごぉーーー!!! 」

「まもーーーれッ!!!、せいごぉーーー!!! 」 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ずっと、ずっと昔、25年も前の話です。

25年前、もう四半世紀も経ちました。

1993年。日本スポーツ史を変えた、エポックの年です。

Jリーグ開幕。

私はまだ20代、同じ大学のサッカー部に所属していた友人に案内されてJリーグの観戦に三ツ沢競技場に繰り出しました。

三ツ沢は1981年、神奈川インターハイが開催された場所でもあります。

当時、中学生の私は出場すべくもありませんでしたが、インターハイに出場する高校の先輩を新大阪駅まで見送りに行ったことははっきり覚えています。

その三ツ沢は、大学時代に何度か陸上競技の記録会で陸上競技場では走っていますが、専用サッカー場に入ったのは初めてでした。

横浜マリノスvs横浜フリューゲルスの〝横浜ダービー〟。

前評判が高く、チームロゴもおしゃれなマリノスの応援をしようと考えていましたが、マリノス側のスタンドはまさか(当然?)のソールドアウト。

私は「ちゃんと前売り券くらい買ってから人を誘え!」と友人に悪態をつきながら、フリューゲルスのグッズを買って席に着きました。

マリノスはヴェルディ川崎と人気実力を分け合うビッグクラブ。

一方のフリューゲルスは「その実力がないのにJリーグ開幕10チームに無理やりはめ込んだお荷物クラブ」と揶揄されていました。

しかし、試合は負けたものの内容は大健闘、専用グランドの近い距離で見るサッカーは迫力十分でした。

フリューゲルスがフリーキックのチャンスをつぶすたびに、友人は「(怪我で出場できない)エドゥーがいたら面白かったのに」とつぶやいていました。

「エドゥー?そいつならゴール前のFWにフリーキックをきっちり合わせられたのか?」。

私が聞くと友人は「いや、エドゥーなら直接狙う」と即答しました。

名将・加茂周が掲げた「ゾーンプレス」からは、未来の甘い香りが漂っていました。

魅力的な選手も沢山いました。

超長距離からフリーキックを決めるエドゥーに、コミカルだけどすぐ激昂するモネール。そしてゴールを守るのは、レゲエを愛するドレッドヘアの森敦彦。

開幕前に「お荷物」と馬鹿にされたチームでも、のちに日本代表を率いる加茂監督とこの3人のプレイヤーは、Jリーグを代表する顔でした。

私は、あの日偶然、そのスタンドに座ることになったフリューゲルスにたちまち夢中になりました。

そして記念すべきJリーグ元年の天皇杯で、フリューゲルスは番狂わせを連発、決勝でもJリーグ王者の鹿島アントラーズを下して優勝するのです。

しかし1995年、森は浦和レッズ戦で判定を不服として審判に肩をぶつける愚行を犯してしまいます。ペナルティは、なんと出場停止3ヶ月。

非常に重い罰でしたが、仕方がありません。森はそういう罪を犯してしまったのです。

その時、森の代役として急遽ゴールを守ったのが楢崎正剛でした。

キーパーというポジションの性格から、もし23歳の森があんな愚行を犯さなければ、楢崎の出番は永遠に訪れなかったかもしれません。

楢崎がゴールを守った3年間は、フリューゲルスのプライムタイムでした。

翌1996年は開幕8連勝、楢崎に守られたゴールのネットは6試合も揺らされることがありませんでした。

人気者の前園真聖の運動量が落ちると一切の忖度なく後退させる冷静なオタシリオ監督の指揮下、ジーニョ、サンパイオ当時のブラジル代表のレギュラーに、山口素弘、三浦淳宏が躍動、優勝争いを繰り広げました。

ああ、そういえば1998年フランスW杯の開幕戦、大会初ゴールを決めたのがサンパイオでした。

世界中のテレビ画面に、サンパイオの所属クラブ「Yokohama Flügels」が刻まれたことを思うと、誇らしくてたまりませんでした。

しかし、まさか、その年に、これ以上無い悲劇が待ち構えているとは。

横浜フリューゲルスは消滅。
IMG_1482 0.03.08
横浜フリューゲルス オフィシャルマガジン「F!」も1998年12月号、通算21号で終わりました。最後の号の表紙はビックリマークが一つ…。そして、本来なら発行されるはずの3月号までの代金が郵便書留で返金されました。ものすごく悲しかったです。

私はサッカーへの情熱、といってもそれはフリューゲルスへの愛情でしたから、急速に冷めてしまいました。

今も各年代の代表チームは応援します。

しかし、もう特定のクラブに肩入れする気にはなれません。

あの年、楢崎は山口とともに、名古屋のビッグクラブ、グランパスエイトに移籍します。

あれから20年。

名古屋のユニフォームを着続けた楢崎の移籍が濃厚、というニュースが飛び込んできました。

これまで、楢崎が名古屋にとどまった理由の一つには「もし移籍したら〝元横浜フリューゲルス〟という但書きが消えてしまう」と考えていた、といわれています。

横浜フリューゲルスをこよなく愛したサポーターの一人として、楢崎がフリューゲルスに果たす義理など最初から全く感じておりません。

それどころか、こちらこそグランパスや代表で大活躍した楢崎のような才能を、十分応援できたかどうか、本当に申し訳なかったと思います。

フリューゲルスが消滅した責任はサポーターにもあります。同じことが浦和や清水に起きても、クラブは消えなかったでしょう。

1998年、負けた時点でチームは終わり、という状況で戦い抜いた天皇杯。

あなたたちは「優勝する」と宣言して、見事にそれを実行してくれました。 
IMG_1484
最後の21号が届けられた、約1ヶ月後、チームは消滅したはずなのに「F!特別号」が届けられました。

「やったぞ、見たか、という感じです。(クラブ消滅をやむなしとした)全日空と川淵さんには」と、静かに語った楢崎の声を忘れません。

「横浜フリューゲルス」の名前を、20年間も守ってくれて本当にありがとうございました。 

これからは日本サッカー史上最高の偉大なゴールキーパーの、自分のために、自分のサッカーを全うして下さい。

あなたがフリューゲルスの守護神であったことは、一生忘れません。 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ