フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 赤煉瓦

昔々、何度も記録会などでお世話になった日本体育大学健志台キャンパス。
大学キャンパスとはいえ、健志台には赤煉瓦は期待できません。

昨日の午後遅い時間に出発。

今の自宅から10㎞もない距離にあるのは分かってました。いつか、チラッと見に行こうと思ってましたが、ズルズルと、今日まで行けてませんでした。

まー、以前お邪魔したのは30年も前。

田園都市線青葉台駅からバスに乗ったはずで、土地も記憶の蘇りなどもなく、完全に初めて訪れる場所…。

3〜4回はここのトラックで走ってるはずですが、記憶というのは曖昧で、サーフェイスがアンツーカーだったかタータン(全天候)だったかもあやふやな始末。

せっかく辿り着いたものの、悲しいかな、閉門時刻が過ぎていたようで構内には入れず。
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復路は違うルートで自宅を目指します。

日体大のすぐ近くに野球場二面を発見。

トラックはお目にかかれませんでしたが、パックネットにブルペン、ベンチまであるなかなか良さげな野球場です。
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風流なブルペンです。

野球やりたくなってきます。

なんていつも書きつつ、しばらくしてません。

やっぱりスポーツは教えるもんじゃなくて、やるもんです。
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久しぶりに東京駅で地方のお客様をお迎え。

新幹線は結構混んでいたと聞き、来月に予定されている〝GO to 〟東京解禁では、かなりの人出が戻りそうです。
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といっても、今日はガラガラの東京駅前。以前と比べて人の数もそうですが、外国の方の姿が全く見られないのが特徴的です。 

さて、東京駅の赤煉瓦。1914年(大正3年)竣工の当時は、1909年創刊の英国ボクシングニューズ暦では〝紀元後〟ですが、リング誌(創刊1922年)暦ではまだ紀元前です。
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1945年の東京大空襲で甚大な被害を受け、当時のレンガは展示用に一部残されるのみ現在の美しい外観は、化粧レンガです。

それでも往時を偲ばせてくれるたたずまい、戦後に急ごしらえした昭和バージョンとは別格の荘厳さです。
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今日は屋根部分の飾りについて。

屋根は基本的に木の下地に0.4㎜厚の銅板をはぜ組みして葺いています(Copper roofing)。

残念ながら、地上から屋根はほとんど確認できず、Copper roofingを拝むことは叶いません。

地上から見える屋根、パラペットには、徳利のような装飾が並んでいるのがわかります。
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これは銅板に熱を加え、まなしながら打ち出し成型する「へら絞り」という現代の技術を応用して1914年の東京駅と同じパラペットの装飾を復原しているそうです。

銅製装飾によく見られる緑青塗装のような人工的なエイジングは行わず、銅板素地の仕上げとし、経年による自然な風合いの変化を図っているようです。

大正時代の建築物を現代に復原するのは、当然ながら相当なご苦労があったようです。

そして、創建時は木製であった窓枠もアルミサッシに。東京駅駅に内包された東京ステーションホテル客室の窓ガラスなどは遮音や断熱のため、二重にしているそうです。

この風格、高円寺の駅ホテルとはえらい違いじゃ。
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アルミの窓枠ということですが、見た目は柔らかい感じが出ていて木製と言われても「そうか」と納得しちゃいます。
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東京中央郵便局の跡地に建てられたJPタワーに屋上庭園があります。

先日、近くのホテルで会合があったあと、フラッと立ち寄りました。

あいにくの雨とはいえ、東京のど真ん中だというのに屋上庭園には誰もいません。 
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昭和4年(1929年)10月1日に撮られたという「東京中央郵便局工事 全景」。後ろに見えるは、現在の東京駅が模した「明治の東京駅」。

赤煉瓦を躯体にも使った、重厚な建築。赤煉瓦のレジェンド辰野金吾の最高傑作のひとつです。きっと、今の東京駅よりもずっと荘厳だったことでしょう。
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 「屋上庭園」といっても6階部分のバルコニーですが、東京駅が目線の高さで拝めます。化粧レンガ(タイル)が施されたバッタもんですが、当時の面影は十分に伝えてくれています。

その足で、JPタワー内にある学術文化総合ミュージアムに。
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 ここも誰もいません。

動物やクジラの骨格標本などに混じって、年代未詳の35ミリ映写機も展示されていました。
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ビクター製。まだ現役で映写できそうな雰囲気を醸しています。

こういう丸いフィルム格納盤付きの映写機なんて、もう生産されてないんでしょうが、趣があって素晴らしい。
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JPタワーからガード下を潜って、そのまま有楽町へ。

まだ、時間は早いとはいえ、どのお店の客入りも寂しく、活気もありません。

「未来の働き方」の輪郭はおぼろげながらも見えてきましたが、「未来のお酒の飲み方」はどうなっちゃうんでしょうか。

「家飲み」「オンライン飲み会」は正直、全く肌に合いませんというか、オンライン飲み会ははっきり大嫌いです。
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あーした、天気にしておくれ。
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先日の新聞夕刊に「観たい」と思ってた映画「グッド・ワイフ」の広告を見つけました。

2018年製作のメキシコ映画で、キャッチコピーは「1982年、メキシコ経済危機 セレブ妻たちの生き残りをかけたマウンティングバトルの幕が上がる」。
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上映は7シアターのみで、その中の一つが横浜の「シネマ ジャック&ベティ」。前にいつ行ったかは思い出せないくらいにご無沙汰ですが、有名なミニシアターです。

雨上がりの日曜日、ジャック&ベティで映画を観た後、黄金町の飲み屋で一杯ひっかけようという素晴らしい考えに身悶えしたのも束の間、よくよく調べるとジャック&ベティでは「順次公開」。

シアターのHPで探したら出てきましたが「公開時期未定」。さすがジャック&ベティ、緩いなあ。

現在、上映しているのはEBISU GARDEN CINEMA のみ。

ジャック&ベティなら行きはジョギングでいける気軽さですが、電車で渋谷まで出て恵比寿まではちょっと気が引けたので、ジャック&ベティの公開を待つことにしました。

これは、公開した頃はすっかり失念して、思い出したときにはもう終わってたという「観たい映画アルアル」になる気配が…。

昔は、といっても20年以上も前ですが、ミニシアターが大好きで単館上映や古い名画を観てました。最近はつとに遠ざかってしまったのは、家庭を持ったからでしょう。

多くの場合2本立て、3本立ては当たり前、オールナイトで「ロードムービー特集」とかとにかく半日は入り浸る感じになります。

「ジャック&ベティ」「池袋 文藝坐」「神保町シアター」「早稲田 松竹」「ACTミニシアター」「銀座シネパトス」…他にも多くのシアターで楽しませていただきました。

東京、首都圏の良いとこってあんまりありませんがミニシアターの数が圧倒的に多い、というのはとにかくひたすら素晴らしい!

この手のミニシアターはシネコンに押されて、多くの名館が息絶え、残ったものも絶滅危惧種です。

「池袋 文藝坐」のクラシックな佇まい、「ACT」の座席ではなく座敷形式の寛ぎ感、「銀座シネパトス」の晴海通り、三原橋(もう川など流れてませんが)直下の地下シアター、小綺麗で未来的なシネコンにはないカビ臭さや郷愁や因習な空気がそこには充満していました。
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再開発が進む銀座界隈で昭和の香りを漂わせていた銀座シネパトスは、5〜6年前に「耐震性」を理由に取り壊されてしまいました。

映画を観終わったあと、二階の「牛タンといわし 傳八 」で飲むというのが当時の私の幸せの方程式の一つでした。
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現在、三原橋では銀座シネパトスの記憶をかき消すような〝美化〟計画が進行中。ただでさえつまらん街が、さらにまたつまらん街に堕ちてゆくのであります。

東京2020に向けて大幅リニューアルの地下鉄構内は工事が一時中断、中途半端な姿を晒していますが銀座の歴史を辿る写真を展示してくれてたりもしています。

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1927年(昭和2年)の三原橋。当たり前ですがここには本当に橋が架かっていて、三十間堀川(さんじっけんほりかわ)という川が流れていたのです。

風情がある石造り3連アーチの橋です。しかも外壁はおそらく赤煉瓦で化粧されてるじゃありませんか!

こっちは3年後の1930年の三原橋ですが、これを見て「昔の銀座だ」とわかる人はいないでしょう。
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ちんちん電車も走っていた模様です。もちろんシネパトスなどありません。
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なんだか、映画は見なくともジャック&ベティくんだりまで走って行きたくなりました。

14時頃からまた雨が降る予報なので、びしょ濡れ覚悟の格好で出かけなければ!
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もはやランナーでもジョガーでもなく、ウォーカーとしてテクテクと横浜市街地まで歩いて、日産スタジアムへ。

それにしても、今更ながら横浜市街地は赤煉瓦の宝庫です。

今日のお目当ては、旧横浜居留地48番館。

紅茶やダイナマイトなどの取引を行っていたJ・Pモリソンの事務所兼住居で、1883年(明治16年)に建てられた煉瓦造り2階建。しかし、純粋煉瓦造りの運命、1923年(大正12年)=リング誌創刊の翌年=の関東大震災で2階部分が損壊。

修復・補修を繰り返しながら1978年(昭和53年)までヘルム兄弟が所有、その後、2001年(平成13年)に県指定重要文化財に指定され、保存工事が実施されました。 
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ガラス越しに内部を見ることしか出来ず、少し拍子抜け。

しかーし!隣接する神奈川芸術劇場の裏手に、赤煉瓦ファンならクラクラしてしまうような吹き曝しの展示を発見!しました。
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これらの遺構は現代の地盤から約1m下、関東大震災の瓦礫層で発見されたそうです。

外国人居留地はJR根岸線の関内駅から海側の一帯にあたり、国内最大の面積を誇ったそうで、中国商館やドイツテーラー、米国聖書会社などの重厚な煉瓦造りの建物が並んでたというのです!

このあたり、ちょっと掘ればまだまだ発掘できそうです…ぜひ、掘らせて欲しい…。 

赤煉瓦でお腹いっぱいになりながら、ゆっくりゆっくり走って新横浜方面へ。

途中で潜った地下鉄・馬車道駅の構内にストリートピアノを発見。
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どこもかしこも悲しいのう。

本当ならこの3連休、Jリーグなどスポーツイベントで賑わっているはずの横浜国際競技場、日産スタジアムへ。 
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小机フィールドから日産スタジアムを仰ぎます。

サブトラックとはいえ、8レーン完備の全天候型、小机フィールドは立派ですね。

学生時代はこのスタジアムなど影も形もなく、関東インカレは国立競技場で行われていました。

国立のサブトラ=アップゾーンは競技場の建物の周回にあって、それはそれで確かに便利でしたが 、やっぱりこっちの方が雰囲気あります。
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チケットセンターもシャッターを下ろして、だあれもいない…悲しいのう。

歩いたり走ったりで15kmを超えて、ちょっと疲れて参りました…自力で帰宅は諦めて、忌々しいマリノス・ストリートを通って最寄りのJR横浜線小机駅へ。
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お腹も空いたので、町中華でもあればビールと餃子など!と思いましたが見当たらず…とほほと駅ホームへ。

しかーし!町中華はなくとも、こんなところにもあった、まさかの赤煉瓦!
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線路下に見える用水路は、確かに赤煉瓦!

家に帰って、早速調べねばッ!!! 
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辰野金吾の最高傑作、中央停車場、すなわち東京駅。

2014年(大正3年)の創建から、戦災復興工事(1945〜1947年)と保存・復原工事(2007〜2012年)の2度の大規模な工事を経て現在の姿になっています。

1872年(明治5年)、日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間で開通、東京と各地方を結ぶ鉄道建設が進みます。

しかし、東京の市街中心部は江戸時代から人口密集地で鉄道ネットワークを広げることが出来ませんでした。最初の鉄道が「東京」ではなく「新橋」〜横浜になった背景の一つがそこにあります。

明治10年代に入ると東京の都市計画と連動して鉄道を整備しようと「市区改正計画」が策定。

道路交通の妨げにならないように高架線を建設、ネットワークの中心にターミナルを統合した中央停車場の建設計画が盛り込まれました。

その後、日清・日露戦争の激動の時代も影響し、30年にわたる長い歳月を要しましたが1910年(明治43年)12月に中央停車場がついに完成「東京駅」と名付けられたのです。

当初、建設にはフランツ・バルツァーが設計するはずでしたが、ドイツ人技師が提案した「レンガ造りでありながら、瓦屋根に唐破風をあしらった和洋折衷のデザイン」が西洋化を推進する日本政府が志向する純西洋風の建物に沿わなかったため破談。

辰野金吾に大仕事の依頼が舞い込むことになったのでした。
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バルツァーの「東京駅案」。確かに「これじゃない」という違和感が、21世紀の今でもわき起こります。
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やっぱり、こっちです、バルツァーに作らせないで正解でした。

「辰野の東京駅」は3階建て全長約300メートルを優に超える、レンガと鉄筋造りによる駅舎で、関東大震災にも耐えた頑丈な構造でした。

しかし1945年の東京大空襲で大きな被害を被り、戦後すぐに修復工事が行われたものの物資不足のため「辰野の東京駅」を再現することは断念され、その姿を取り戻すのは平成まで待たねばなりませんでした。
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上が「昭和の東京駅」です。下の復原した「明治の東京駅」の方が絶対いいです!

前置きが長くなりました。 

赤煉瓦です。

あの関東大震災でもビクともしなかった「辰野の東京駅」は、当然ながら躯体の煉瓦積みだけで作られた建造物ではありません。 鉄筋を巧みに使用した堅牢なインナーマッスルと、美しくなめらかなレンガの肌を併せ持っていました。
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こういうことです↑ しっかりと鉄骨が構造煉瓦を支えているのがわかります。
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「辰野の東京駅」は下駄歯積みの構造煉瓦に対応して、15㎜(五分)と45㎜(一寸五分)の二種類の化粧煉瓦を一段ごとに交互に積むことで剝落防止まで図っていました。
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こういうことです。↑

現在の復原・東京駅は構造煉瓦など使用しているわけはなく、化粧煉瓦を貼り付けているだけですが、往時の美しさは十分再現されています。

この化粧煉瓦はLIXILが再現製造したものです。えらい!
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そして、あと126日(この写真は昨日撮ったもの)。
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久しぶりに横浜でお仕事。

昨日から打って変わって晴天。

それにしてもいろんなイベントが中止・延期を余儀なくされ、平日とはいえ横浜の街は半死状態。

横浜駅西口ホテルでの仕事を終えて、ちゃちゃっと着替えてジョギングしながらみなとみらいへ。

明るいうちから仕事を切り上げて、ジョギングなんてすごく贅沢な時間ですが、やっぱり何というか、人ごみをとことん嫌う私でも、普段は賑わう街中をすいすい走れるのは少し気持ちが悪い感じです。
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馬車道を渡って赤レンガ倉庫へ。馬車道沿いのソメイヨシノが「春は必ず来るんだぜ!」と立派な蕾をつけていました。

赤レンガ倉庫のすぐわき、右突堤中央事務所の遺構が今日の目的地。税関事務所のことなんですが、「右突堤」って格好いいです。ネーミングのセンス抜群です。

右突堤中央事務所って…右に突堤があったんでしょうが、「右突堤」ってクール過ぎます。
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大正3年(1914年)に建設されたレンガ造りスレート葺き・3階建てのゴシック建築だったそうです。第1次世界大戦が勃発した年です。

1階には硝子張り天井のホールがあったといいますから、硝子天井を通して柔らかい太陽光が差し込んでいたのでしょう。ガス暖房や電気照明も完備されていたそうですから当時としては最新鋭の設備を備えたインテリジェントビルでした。

赤レンガ倉庫も日本初の業務用エレベータに消火栓、避雷針を備えていましたから、この辺りに日本の最先端を取り入れた建物が並んでいたことになります。

キューバのオリエンタル・レイス・トラックでジャック・ジョンソンがジェス・ウィラード26ラウンド1分26秒でKO負けした「真昼の決闘」が1915年、その1年前に右突堤中央事務所が建設されたということです。

もちろん、リング誌創刊(1922年)は先の話、〝紀元前〟の出来事になります。

赤煉瓦建築のほとんど脆くも瓦解した大正12年(1923年)の関東大震災では「床や屋根が消失」したと記録にありますが、煉瓦は崩落しなかったのでしょうか。
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在りし日の右突堤中央事務所。

右突堤中央事務所は修復されることなく、埋め戻されてしまい跡地は荷捌き用地として利用されていました。
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この風化した赤煉瓦の艶かしいことと言ったら、もう、堪りません。もはやエロスです。

「赤れんがパーク」整備の工事中に遺構が発見され、現在では花壇として利用されており、夜間はライトアップもされているようです。

日が暮れる前に、関内駅へ向かいます。自宅まで約10km、走って帰りたいところですがちょっと疲れてしまいました。横浜スタジアムをぐるっと巻いた回廊に上がって走って、降りて関内駅へ。
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プロ野球の開幕まで延期になってしまいましたが、球春も必ず訪れます。

横浜スタジアムは1978年竣工、中学時代は全国大会がここで開催されていたこともあり、私にとっては古くて小さな球場ではなく、今でも甘酸っぱい憧れのスタジアムです。

今年も何試合か観に行きますよ!タイガースの応援ですが!
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関内駅前、横浜市役所のカウントダウンタイマーは「あと135日」。

みんな、盛り上がる準備は出来てるかーーーーッ!!! 
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東京マラソンで大迫傑が〝リベンジ〟を果たした、昨日3月1日。

休日というのに銀座界隈でお仕事。
お昼休みに、ちょっと早足で勝鬨橋を渡り、相生橋を越え、やって来ました東京海洋大学。

東京の大学に通ってそれなりに交友範囲は広かったと思いますが、東京海洋大学(当時は東京水産大学?)には友人知人の繋がりがありませんでした

しかし、ここに素晴らしい赤煉瓦があることを突き止めてしまったのです。

日曜日でこんなご時世、キャンパスに入れないのではないかという不安。

さらに、キャンパスは解放されていても国立大学の広さは学生時代に筑波大学でレースに出たときや、札幌勤務時代の北海道大学のバカ広さよって思い知らされています。

お昼休みの1時間では、赤煉瓦まで辿り着けないのではないか?

しかし、そんなもろもろの不安は杞憂でした。
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相生橋から見えるは重要文化財「明治丸」。さすが海洋大学、19世紀、英国に発注した灯台巡視船を堂々とキャンパスにどーーん!なんてなかなかできません。

橋を渡ればすぐキャンパス、正門をくぐるとすぐに目当ての赤煉瓦があるはずです。

この1号館ではありません。
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どこの大学も「1号館」からは矜恃が発散されています。スクラッチレンガでしたが、それでも風格ありまくり、国立大学の正しい「1号館」でした。

守衛さんに「中は見れますか?」と聞きましたが、休日なので施錠しているとのこと、入れませんでした。残念。

それにしても、勤務先からこんなに近いところにそんな貴重なものが遺されていたとは、感謝感激です。
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さて、お目当ての赤煉瓦というのが、東京商船大学旧天体観測所。

第一観測台と第二観測台が仲良く並んでいます。もう、見るからに文化財です。いやー、丁寧な造りです。

どちらも煉瓦は、真面目にイギリス積み。

小さいけれど陳腐じゃない!質素だけれど威厳があるんです!
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第一観測台↑には、経緯儀室と赤道儀室があったそうです。八角形の1階部分に円形の2階を乗っけた、なんとも可愛い設計です。

1階は煉瓦、2階は漆喰塗りというのも絶妙のアクセントです。

それにしても、このお洒落なドーム屋根を見てください!

このドームの帽子をかぶるために、2階を円形にしたのです。ロマゴンが放つ、伏線を孕んだ周到なコンビネーションを見せられたような気分です。

ここが職場ならいいのに! 
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1903年に建造された天体観測所と1922年創刊のリング誌。あまり相性は良くないようでした。

 第二観測台は1階建。子午儀室が置かれたようです。八角形のクラシックなフォルム。こちらは屋根もそのまま八角錐ですが、それはそれで真面目でいい感じです。

実直だけれど、木造りのドアの意匠や通風孔には遊び心も散りばめられている、ファン・フランシスコ・エストラーダの香りが漂っています。

明治期の煉瓦造りは、やはり別格です。 
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晴天の午後、横浜まで走ってきました。 

今日は「Down Goes Tyson!」、東京ショッカーからちょうど30年。英国ボクシングニューズ誌まで世紀の番狂わせを特集しています。

偉大な野村克也も天国に召されたそんな日、雲ひとつない青空の下。

自宅から約10㎞、横浜はいつものように賑わっていました。いろんな感慨に耽りながら走ったせいで、久しぶりの運動ながら、気持ち良く走れました。

横浜の街を縫うようにして今日の目的地へ、山手の坂を駆け上がります。
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横浜は「発祥の地」の百貨店。「鉄道」「電話」「ガス灯」「写真」「アイスクリーム」…。

そして今日も「近代のパン発祥の地」の碑を見つけました。

しかーし、目的はパンではない!少し近いが、パンからの発展型の飲みものである!

そうです、ビール発祥の地も横浜です。1870年(明治3年)にウィリアム・コープランドがビールに適した湧水を見つけ「スプリングバレーブルワリー」という醸造所を作ったのが日本最初のビールと言われています。

この湧水は埋め立てられてしまい、今は横浜市立北方小学校になってしまっているのですが…当時の湧水を汲みだした井戸が今も遺っているのです。

しかも、赤煉瓦の井戸です。
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ビールに使う水を汲みだした赤煉瓦の井戸…もはや私のための遺跡です。この遺跡を前にしながら、コンビニで買った「プレモル 香るエール」500㎖をゆっくり、ちびりちびりと飲み干すのです。

これ以上の贅沢はなかなかありません。

カセットコンロを持ち込んで、やはり横浜発祥のすき焼きを食べながら飲むのが最高でしたが、それやったら通報されちゃいそうなので…。

ちなみに、「スプリングバレーブルワリー」、このブランドでキリンビールから〝クラフトビール〟として通販されています。

ここは麒麟麦酒の発祥の地でもあるので「一番搾り」や「グランキリン」を買うべきでしたが、気分は今日の空と同じ青色の「プレモル 香るエール」でした。

すまぬ、キリンビールッ!

住宅街の小学校構内にある遺構の井戸、人目が心配でしたが、ビールを飲み干すまで誰も近くを通りませんでした。

気持ち良くなって、ゆっくりと元町公園を縫って歩くと「港の見える丘公園」に…。

東京の大学に進学してから30年近く、途中で札幌でもくだを巻いていましたが、この公園に来たのは初めてです。

学生時代はいろんなところで遊んだのに、そう言い切れるのは「港の見える丘公園」に来たことがあったら絶対に忘れるはずがないからです。

小学生の頃にむさぼり読んだ少年チャンピオン(この少年誌がマンガを圧倒的にリードしていた時代があったのです)。

特に好きだったのは「ブラックジャック」。手塚治虫との最初の出会いが、この作品でした。

ブラックジャックが研修医時代、相思相愛だった後輩の如月恵との悲しいデートの場所が「港の見える丘公園」。

当時の私はマンガの中の架空の公園だとばかり思っていました。

高校時代だったか、それが現実にあると知ったときは驚きました。私にとって、この公園はピノコやキリコと同じ存在だったのです。
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ブラックジャックと如月先生の〝聖地〟になぜかこんなのが…「ココリコの坂」ってなんやねん!つまらん漫才でもする気か!
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公園から見えた大さん橋埠頭へ行こうと思い立ち、ビールがぬるくならないように駆け上がった坂道をゆっくり歩いて降りていきます。

すると…。アッチョンブリケなことに、また、赤煉瓦が!

今度は「フランス領事館」の遺構です。

素晴らしい!装飾ではなく、まさしく軀体として使われた赤煉瓦です!

しかし、ここで大きな疑問が…フランス領事館にもかかわらず煉瓦の積み方がイギリス式なのです。これはどういうことなんでしょうか?

なぜ、フランス領事館がフランス積みでないのか!?
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ニワカ煉瓦ファンの私はオロオロと戸惑いながら大さん橋埠頭へ。

ぐるーーっと赤煉瓦倉庫から遠回りに回り込みます。

休日だけに赤煉瓦倉庫はものすごい人だかり。小さなスケートリンクにも人がぎっしり、あれじゃ滑れないでしょうに…。

何の取り柄もない私ですが、人ゴミを避けるのだけは得意です、気持ちのいいコースを選んで、アトランティックシティも真っ青の長くて幅広いボードウォークをゆっくりとジョッグ。
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アトランティックシティなんて行ったことありませんが…。それにしても素晴らしい好天でした。

横浜の大さん橋埠頭に続くボードウォークは「くじらの背中」 の名の通りの形に隆起していて見事な景観です。もしかしたら世界一美しい埠頭かもしれません。

そんな魅惑的な埠頭が休日にも関わらず、人気も少なく得した気分です。
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澄み切った青空から埠頭に吹く風、どこまでも贅沢な時間です。

このしっかりしたボードのサーフェイスは、もしレースとして走るとしたらどうなんでしょうか?

このボードウォークはいつからあるんだろうか?

とりとめのないことを考えながら走るのは快感です。

ユーミンの「埠頭を渡る風」もここが舞台なんだよなあ、なんて思いながら調べてみると、あの曲は晴海埠頭が舞台でした…よくある勘違いです。

それでも、気持ちのいい空と空気と風、音痴なユーミンの歌を聴きながら、さらにとんでもない音痴な私が口ずさみながら人気のないボードウォークを静かにゆっくり走ります。

♬埠頭を渡る風を見たのは いつか二人がただの友達だった日ね〜♬

穏やかで、静かな横浜港。

しかし…。

ベイブリッジのたもと大黒埠頭に、ダイヤモンドプリンセス号が停泊していることに気づきました。

そうでした…そんなことかけらも思い至らず、好天に誘われて走って来てしまいました。
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画面中心、ベイブリッジのたもとに泊まっているのがダイヤモンドプリンセス号。小さくてわかりにくいですが。

こんなふうに船を見ながらスマホで書いてる無神経な自分にも、なにか自己嫌悪を覚えてしまいます。


みんながんばれ、がんばってください。
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大正12年(1923年)の関東大震災でその脆弱性をあらためて思い知らされた赤煉瓦。

そんな赤煉瓦と、昭和の終わりに竣工した東京ドームは全く結びつきませんでした。

しかし、それは時代が隔てているだけで、東京ドームが建っているこの場所は大正も明治も江戸も、それこそ日本列島が今の形になったときから存在しているのですから、赤煉瓦はもちろんナウマン象の化石が発掘されても何の不思議もありません。

先日、水道橋でお仕事があった昼休みに東京ドームをぶらり。

以前、やはり仕事で訪れたイベント会場(プリズムホール) の裏道にそれがありました。
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旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠(1871年=明治4年竣工)の基礎部分に使われたレンガの一部です。

関東大震災で大きな被害を受けてしまったことから、福岡の小倉兵器製造所へ集約移転が図られ、1935年=昭和10年に移転が完了。東京砲兵工廠は66年間のお勤めを終えました。

跡地に建てられたのが後楽園スタヂアムでしたが、基礎レンガのあまりの強固さにグランド部分は地下に埋まったままで新球場が完成します。

ふたたび、この基礎レンガが陽の目を見たのは東京ドームホテルが建設された2000年=平成12年。地下5メートルから掘り出された基礎の一部がこのレンガ塊です。
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150年前に兵器工場の基礎として使われた赤煉瓦は、劣化しながらも強烈に頑固なオーラを発散させていました。

後楽園駅近くの礫川公園には工廠の一部が遺されているそうなので、時間を作って行ってみたいですね。

そして、昼飯は白山通りから神保町方面へ。

結構な肉食の店が目立ちます。
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「朝採りレバーあり」の内臓肉専門店「卸)神保町食肉センター」が蠱惑的でしたが、並ぶのは嫌なので別の肉屋へ。
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「石焼き牛レバー」(メニューに「数年前まで生食で提供していた」とあるように生食でもOKということのようです)にミックスホルモン、生ビール。もはや昼飯ではありませんが、これでいいのだ。

肉は正直イマイチでしたが、生ビールは泡がきめ細やかで、スモーキーバブルまでしっかり現れている名品。サーバーがいいのか注ぎ手の技なのかはわかりませんが3杯とも素晴らしい泡でした。
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画像では揺すって泡が下振れしてるだけに見えますが、飲み干すまで消えずに泡の下でむくむく蠢動する見事なスモーキーバブルでした。

あそこまでしっかりした泡と、長く漂うスモーキーバブルはなかなかお目にかかれません。ハイボールもいただいて店を出てすぐ目に飛び込んだ「しじみ軒」というラーメン屋に。
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しじみ塩そばの着丼を、サッポロラガー赤星で待ち構えます。

普通に美味しいしじみラーメンでしたが、もうわかった!という感じで再訪はないかもです。

赤煉瓦見て酒飲んでシメのラーメンまで、約50分でコンパクトにまとめた充実のお昼休みでした。
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