フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 採点について考える

大きな議論を呼んだとは言えない昨年11月7日の「井上尚弥vsノニト・ドネア」でしたが、1ポイントしか差を付けなかった1人のジャッジのスコアリングは、十分に議論を呼ぶものでした。
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最初にオフィシャルの採点を振り返ります。

3者ともIBF王者・井上を支持しましたが、ルイージ・ボスカレリが116−111、オクタビオ・ロドリゲスが117-109 とスコア。

いわゆる〝ラウンド表示〟だと8−4か7−5、116−112 or 117-111という明白な勝利です。しかもドネアにダウンがあったので、現実の採点はボスカレリが116−111。

第5ラウンドも井上の10−8としたロドリゲスは117−109とさらに大差がつきました。
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ボクシングマガジンから〜Luigi Boscarelliを「スカレッリ」としているのはご愛嬌。注目は大外のホイルです。

そして問題のロバート・ホイルは114-113。あの試合を、もし11ラウンドのダウンがなければドローと見たのです。

次に、CompuBox です。人間が視認で前の手(ジャブ)と後ろの手(パワーパンチ)で測定しているCompuBox が現実の試合内容と懸け離れた数字になってしまうことがあるのは当然です。

ただ「その通り!」というスタッツも少なくありません。 

今回は「やっぱりスタッツは無意味」と「現実の試合を反映している」というCompuBoxの二面性が出ました。
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CompuBox をジャッジにすると、まずラウンド別」で井上がとったのは1、2、3、4、5、6、7(このラウンドは着弾で一発だけ上回るも手数は30−50で負けていました)、10、11、12の合計10ラウンド。ドネアが着弾数で上回ったのは8、9の2つのラウンドだけ。

CompuBox では10−2、118−110。ダウンがあるので118−109と一方的なスコアになります。

もちろん、日本のボクシングファンでもこのスコアがリングで起きた現実を反映していないことは認めるでしょう。

次に「トータル」ではなく「パワーパンチ」に絞って各ラウンドの着弾を比較すると、全くの逆目が出ます。

井上が取ったのは1、4、5、6、10、11、12の合計7ラウンド。ドネアは2、3、7、8、9の合計5ラウンドを取りました。7−5の115−113、ダウンがあるので115−112。

「CompuBox」と「パワーパンチ」という怪しい二つのフィルターを通すとスコアはかなり接近しました。

さらに「パワーパンチ」での第1ラウンドは井上が14発中8発着弾、ドネアは19発中7発着弾とほとんど互角。このオープニングラウンドを手数で評価するとドネアになり、6−6の114−114でダウンを反映して114−113。

なんとホイルのスコアに一致しました。

ただし「CompuBox は数字遊び」「あくまで参考資料」という大前提から離れてはいけません。

あの試合、確かに井上が窮地に追い込まれる場面もありました。しかし、12ラウンドを振り返って「ダウンが勝敗を分けた」と見るホイルは、やはり「別の試合を見ていた」(リング誌)と言わざるをえません。

そして、CompuBox の 12ラウンド総計(Final Punch Stat Report)。

「トータル」で井上が227着弾/628発射(36.1%)、ドネアが141/605(23.3%)。「ジャブ」で井上が111/336(33%)、ドネア42/329(12.8%)。「パワーパンチ」で井上116/292(39.7%)、ドネアが99/276(35.9%)。

トータルスタッツでは、試合に非常に近い現実が浮かび上がりました。

井上は手数ではやや優勢でしたが、着弾数で明白に上回りました。つまりパンチの精度でドネアを引き離したことをトータルスタッツは雄弁に物語っています。

「一面的な戦い方しかできない不器用な一発狙いのドネア」は、埼玉の大会場でも、何の進歩もありませんでした。

36歳のドネアが経験不足で無骨な若者のように戦い、26歳の井上がドネアのパワープレーに巻き込まれる土俵際で冷静に踏みとどまったーーそれがあの試合でした。

大方の予想を大きく裏切る展開になったあの試合は、老練な井上が、相変わらず円熟出来ないドネアをなんとか振り切った軽量級史に残る〝年齢以外でも対照的な世代対決〟でした。




******* …こんなん書いてないで、早く試合が見たいです。。。
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1992年12月11日。東京都体育館。WBA世界ジュニアバンタム級タイトルマッチ12回戦。

「タノムサクに勝てて…」。
 
2度目の防衛戦で明白な勝利を収めた鬼塚勝也が感極まって口にしたのは、撃退したばかりのアルマンド〝モンストゥルオ〟カストロの名前ではなく、8ヶ月も前に戦ったタイ人の名前でした。

この思い違いは、苛烈な激闘の直後で頭の中が真っ白になっていたために思わず口をついてしまったからでしょう。

そうです。

無意識の中からでも深層心理から、その姿が浮かび上がってしまうはどまで…22歳のストイックな若者の心の底の深い深い場所にタノムサク・シスボーベーが悪霊のように取り憑いていたのです。

もし、あのときスパンキーな九州男児がタフなタイ人に勝たなければ…ボクシングファンは引き続きの純白で真っ直ぐな声援を彼に対して送っていたはずです。何の惜しみもなく。

しかし、鬼塚は勝ってしまったのです。 

あの試合で自身も受け入れていたであろう「敗北」という結果に終わっていたなら、鬼塚もまた、心の深層に悪霊が棲みつく部屋など作る必要もなく、その後のキャリアを純粋に目の前にいる敵を倒すことだけに集中出来たでしょう。

最強の挑戦者と謳われたアルマンド・カストロとの防衛戦は、単なる試合を越えた、鬼塚にとって、ボクサーではなく、人間としての尊厳を賭けた戦いでした。

すなわち、心の奥底に取り憑いて離れない悪霊を抹殺する悪魔祓いの儀式でした。
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鬼塚勝也を語るとき、この悪霊が取り憑いた試合(1992年4月10日:東京都体育館/WBA世界ジュニアバンタム級王者決定戦12回戦)の以前は、彼が実力と人気を兼ね備えた時代を彩るホープだったことも思い出さなければなりません。

辰吉丈一郎とピューマ渡久地、そして鬼塚勝也。プロ入り前から「日本ボクシングの未来」と嘱望され、強敵の日本王者を期待通りに撃破して階段を登った〝平成三羽ガラス〟。

しかし、3人に向けられた真っ直ぐに明るいスポットライトはある日、突然、暗転してしまいます。

辰吉は頑丈なだけの凡庸極まるメキシカンに惨敗し、誰もが信じていた才能の限界を露呈。渡久地は、当時すでに世界王者よりも強かったであろうロシア人からまさかの敵前逃亡。

しかし、鬼塚のケースは辰吉の「実力」でも渡久地の「素行」でもない、自己責任とは全く違う原因によって舞台照明が暗転してしまうのです。

1992年の4月10日と12月11日。タノムサク戦とカストロ戦、その間はたったの6ヶ月、243日でした。

多くのファンは「もっと、もっと長かったはず」と感じているのではないでしょうか。その時間の意外なほどの短さには、驚くしかありません。

逆に言うと、4月10日に鬼塚が背負ったのは、そんな短い時間で簡単に〝贖罪〟できるような種類の十字架には見えなかったのです。



1991年12月にカオサイ・ギャラクシーはWBAジュニアバンタム級王座を19連続防衛して引退。空位となった王座を巡って、鬼塚とタノムサクが拳を交えました。

このとき、23歳の鬼塚は18戦全勝16KO。5歳年上のタノムサクは37勝21KO2敗。

タノムサクの2敗は、スプリットデジションで東洋太平洋フライ級王座を奪われた敵地・加古川での松村謙一戦と、1階級上のWBAバンタム級王者ルイシト・エスピノサに挑戦した世界戦。

4月10日の東京体育館に12ラウンド終了のゴングが鳴ると、タノムサクは勝利を確信して両手を挙げ、鬼塚はがっくりと肩を落とし下を向きました。その通りの内容でした。

判定が読み上げられる前に大観衆は席を立ち、家路に急ぎました。「鬼塚も頑張ったけど負けた」「タノムサクは強かった」。

しかし、リングアナウンサーが「勝者、赤コーナー」と告げると、場内は騒然。席を立った観客も足を止めます。

三者一致の判定勝ちでしたが、ジャッジペーパーのスコアは115−114が2人、116−114が1人。計ったようなレイザーシン・デジション(カミソリ1枚の差)でした。

歓喜から一転、失望の大きさに泣き出しそうな顔のタノムサクに観客は拍手を送ります。「わかってる、勝ったのはお前だ」。

NHKの朝ドラ撮影のため大阪から駆け付けた香川照之も、一緒に観戦した牧瀬里穂から「ボクシングって八百長あり?」と聞かれて悔しい思いをしたと語っています。



奇妙な判定によってボクシングへの不信感が増幅されることは、残念ながら珍しい事件ではありません。

その奇妙は判定は多くのケースで、Aサイドに有利に作用します。

そして、理不尽な判定よりもさらに理不尽なことが事件に引き続いて巻き起こるのが常です。

ファンが自信満々の正義の剣を振り回し始めるのです。

その矛先が向けられるべきは、利権で動く承認団体に代表されるボクシング界のシステムのはずですが、なぜかファンの目にはそれが見えないのです。

それどころか、事件を引き起こした〝実行犯〟のジャッジですら、奴らには見えていないのです。

そんな正義を騙る狂人たちは、あろうことか、勝ち名乗りを受けたボクサーにその牙を向けるのです。 

カネロ・アルバレス や亀田興毅は〝21世紀の鬼塚〟です。

鬼塚の深層心理に取り憑いた悪霊の正体は「理不尽な判定の恩恵を受けてしまった罪悪感」ではありません。彼には贖罪の必要など1ミクロンもありません。

それでも鬼塚がリングの上で〝贖罪〟しようとした悪霊の正体は、これ見よがしに欺瞞の剣を振り回す、私たちボクシングファンでした。



タノムサク戦から243日。1992年12月11日。有明コロシアム。

キャリア初のアンダードッグのオッズを受け、ランキング1位の Monstruo(怪物)に鬼塚は真っ向勝負を挑みます。

このとき、鬼塚が戦っていた真実の相手はカオサイからダウンを奪った強打のメキシカンではありません。

もしカストロと戦っていたのなら、最終回に相手陣営も「ダウンじゃダメだ、眠らせる(完全KO)するしかない」と認めた大量リードを大切に守る戦術を取るはずです。

しかし。
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12ラウンド開始ゴングと同時に、スプリンターのようにコーナーを飛び出したのは鬼塚でした。 

「正直に生き、正直に戦う」。

119−108/119-108/118−111。第1ラウンドにカスロトの右フックで防戦一方となったシーン以外は、チャンピオンの熱い闘志がカストロを押し込みました。

鬼塚は深層に巣食っていた悪霊も、見事に焼き祓ったはずです。




しかし、悪霊の正体はファンの性根にこびりついた「欺瞞の正義」です。きっと、また別の事件を目撃したとき、私たちは正義を騙って、狂気の牙を選手に向けるのでしょう。



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現在、鬼塚はアーティストとして「FIGHTING ART」という元ボクサーの血が流れているような世界観を創り上げています。

どの作品も鬼塚らしい、です。

正直に生き、正直に戦っています。

けして微笑ましいタッチの絵ではない気がしますが、なんだか、なぜだかわかりませんが、見ていると微笑んでしまう柔らかさがあります。
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◉ミッシングリンク【Missing Link】…本来あるべき連続性の欠落した部分。系列を完成するのに欠けているもの、失われた環。生物学では、進化の過程で当然存在したはずの種の化石がまだ発見できていない場合などに使われる。
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日本人の世界王者が制覇した階級は、ストロー級からミドル級までの13階級に渡る12階級になります。

13階級に渡る12階級。そうです「連続性の欠落した階級」「系列を完成するのに欠けているも階級」が存在するのです。 

最初のストロー級から10番目のジュニアウェルター級まで綺麗に順番に連続しているのに、その次は12番目のジュニアミドル級にジャンプしてしまうのです。 

最初のストロー級から藤猛や浜田剛史、平仲明信が極めたジュニアウェルター級と、輪島功一ら4人(石田順裕はWBA暫定)がチャンピオンベルトを腰に巻いたジュニアミドル、その間にあるはずのウェルター級がすっかり抜け落ちているのです。

これがジュニアバンタムやバンタム、ジュニアフェザーなら「たまたま獲れていないだけ」で説明がつくでしょう。

あるいはスーパーミドル級やライトヘビー級なら「日本ランキングも存在せず、日本人には重すぎる」という言い訳も成り立つでしょう。

しかし、より重い154ポンドと160ポンドを制圧しているのに「147ポンドのウェルター級は重すぎる」という理屈は通用しません。

欧米、特に米国でスター選手が集中するウェルター級は、超人気階級であるがゆえに、日本人に与えられるチャンスが極端に少ない、というのは確かに事実です。

実際に、日本の147パウンダーで世界の舞台に立ったのは辻本章次、龍反町、尾崎富士雄(1988年/1989年)、佐々木基樹とたった4人だけです。

辻本はピピノ・クエバス、龍反町はカルロス・パロミノと超一流王者に粉砕されました。

しかし、二人が挑戦した70年代もウェルター級のレベルは高かったとはいえ、当時はまだ「ボクシング=ヘビー級」の時代。

ウェルター級は米国で「No.1の超人気階級」とは言い切れない「人気階級の一つ」でした。

そんな、one of them だったウェルター級でしたが…。

モハメド・アリの引退、モントリオール1976で金メダル(ライトウェルター級)を獲得したシュガー・レイ・レナードがプロのリングを席捲した80年代に、147ポンドはヘビー級を凌ぐ超人気階級に躍り出ます。

つまり、私たちが襟を正して仰ぎ見るウェルター級に挑戦したのは尾崎と佐々木(2009年)の2人ということになります。




前置きが長くなりました。

もし、あのとき尾崎富士雄が勝っていれば…。

1988年2月5日、ニュージャージー州アトランティックシティ・コンベンションセンター。

今も昔もそして未来もきっと必ず暗愚であり続けるドナルド・トランプが、ボクシング界でも軽蔑の視線を浴びていた時代です。

それでも〝馬鹿は死ななきゃなおらない〟トランプは一瞬の刹那とはいえ、ラスベガスから東海岸へ強引にリングのスポットライトを転換することに成功していました。

そうです。当時はアトランティックシティが同じ東海岸のニューヨークはもちろん、ラスベガスよりも鮮烈な輝きを放っていたのです。

その華やかなリングのメインイベントに、日本人が上がり、議論を呼ぶ判定で勝利を盗まれてしまったのです。

尾崎は、セミファイナルにマーク・ブリーランド!前座にロベルト・デュラン!!を従えるビッグイベントのリングにメインイベンターとしてコールを受けます!

「Massive Upset!(大番狂わせだ!)」。HBOで解説と非公式のスコアながら、多くの人が共感する採点でファンも多いハロルド・レダーマンが、試合終了のゴングと同時に「尾崎の勝利」と叫びました。

レダーマンの採点は7−5(115−113)で尾崎。
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尾崎の勇敢なアタックにブリーランドは何度もピンチに陥りました。
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まさかの勝利に感極まるブリーランドにギャンブルシティの大観衆は容赦ないブーイングを浴びせました。

しかし、読み上げられたオフィシャルは118−110/117−114(4つのラウンドを10−10とスコア)/117−112)のユナニマスで王者マーロン・スターリングを支持。

レダーマンの「信じられない!」という怒りの声をかき消す大ブーイングがスターリングに浴びせられます。

ありえない判定。 

しかし、それも、またボクシングです。

それにしても…。 

もし、アトランティック・シティの観客と世界中のボクシングファンが目撃した通りの、そんな納得できる判定が下されていたら?

日本人はストローからミドルまで、13階級の世界王座を連続性を維持してコンプリートしていたことになります。 

本来あるべき階級が欠落することなく、13階級の系列は13の王者たちが就く玉座によって、何の忘れ物もなく、美しく完成していたはずでした。
 

あの日のおかしなジャッジがなければ…。

多くの中距離走者の挑戦を退け、人類の限界と信じられていた「1マイル4分」をロジャー・バニスターが突破した途端に、多くの選手が雪崩打って壁を突破した〝バニスター現象〟まではいかなくとも、尾崎に触発されて、その後2人か3人の世界ウェルター級王者が続いていたかもしれません。

32年前の1988年2月5日。ボードウォークに吹く潮風は、尾崎と日本のボクシングファンにとって、あまりにも不条理で冷たいものでした。
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本当なら今頃、明日のIBF/WBA世界バンタム級タイトルマッチ井上尚弥vsジョンリール・カシメロをわくわくしながら待っていたはずです。

前日計量も終わり「井上、完璧に仕上げたなあ!」「カシメロ、2回目で計量パスなんてちゃんとしてくれ」「リングサイドにドネアとナバレッテが呼ばれてるのか!」とか…。
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虚しい。虚しすぎます。

スポーツにタラレバなんてありませんが、今回はタラレバ以前の問題で「スポーツどころじゃない」という重大事とみんなで戦わなければなりません。

静かすぎる4月25日日曜日の夜。

本来だったらプロ野球のナイター中継などを楽しんでいるはずなのに。

タラレバの話に次元を下げながらも、明らかにおかしな判定が下されたことでボクシングの歴史が変わってしまった事件を振り返り、再審を執行します。

第1回はもちろん、あの忌々しい「南半球の悪夢」です。

【判例】1969年7月28日、WBC世界フェザー級タイトルマッチ15回戦。王者ジョニー・ファメションvsファイティング原田

会場はオーストラリア、シドニーのシドニースタジアム。

王者ファメションはフランス系オーストラリア人で、ボクシング一家に育った俊才。父アンドレはフランスのライト級王者で叔父レイは欧州とフランスのフェザー級タイトルをコレクション、やはり叔父のエミールはフランスのフライ級王者。

他にもバンタム級のアルフレド、フライ級のルシアンら、これでもかという血筋です。

1960年代後半から70年代初頭にかけて世界のボクシング界は、他の階級同様に承認団体の分裂に揺れました。

さらにフェザー級では、一人のアイドル(と呼ぶにはあまりにも実力があり過ぎましたが、超強豪王者と呼ぶだけではその人気の絶大さを伝えきれません)の気まぐれで翻弄されていました。

ビセンテ・サルディバルです。

1964年9月26日、「あしたのジョー」にも登場した〝殺人パンチャー〟シュガー・ラモスを地元メキシコシチーのエルトレオ闘牛場に王者を引っ張り込んだサルディバルは番狂わせの12ラウンドKOでUndisputed Championになります。

「完全アウエーで2万4000人の大観衆に調子を崩されたのか?」と聞かれたキューバのスラッガーは「サルディバルを人気先行のアイドルと言ったのは誰だ?彼は誰にも負けないだろう」と完敗を認めます。

1967年10月14日、強敵ハワード・ウィンストンを12ラウンドで振り切り8度目の防衛に成功したサルディバルは「もうリングの上で証明することはない。カネも十分に稼いだ」と引退宣言。

このときのリングは闘牛場ではなくアステカスタジアム。サルディバルの勝利に歓喜・熱狂した10万人を超える大観衆は、まさかの引退宣言に今度は大号泣。

もしギネスブックに申請していたら「一か所で一斉に本気で泣いた人数をカウントする永遠不滅の世界記録」でした。

そして、フェザー級タイトルはWBAとWBCがそれぞれ決定戦を実施して分裂。あれから53年の歳月が流れましたがUndisputed Championは今も生まれていません。

その世界王者決定戦のWBC版で関光徳を9ラウンドTKOで斬り落としたハワード・ウィンストンを、5ラウンドでストップしたのがホセ・レグラ。

レグラは〝Pocket Cassius Clay〟の異名を持つキューバ生まれのスペイン人です。このレグラを判定で下したのがファメション。

※77歳になるレグラは今月上旬に新型コロナと診断され入院中、現在は快方に向かっているとのことです。

この試合が60試合目となる原田が勝てば、1938年のヘンリー・アームストロング以来31年ぶりの史上3人目の3階級制覇達成です。

トニー・カンゾネリ(フェザー/ライト/ジュニアウェルター)とバーニー・ロス(ライト/ジュニアウェルター/ウェルター)をトリプルクラウンに数える場合もありますが、彼らが活躍した1930年代はジュニア階級は認めない傾向が強く、原田vsファメション戦では、ボブ・フィッツモンズ(ミドル/ライトヘビー/ヘビー)とアームストロングの2人だけが正真正銘の3階級制覇でした。

そして、原田が挑むのも純粋8階級での3つ目のタイトル。文句無しの3階級制覇です。

リング誌など欧米メディアは「フライ/バンタム/フェザーの3階級制覇は史上初」(それいうと前例が2人しかいない偉業なのでほとんど史上初になっちゃいますが)と持ち上げる一方で「フェザー級はWBCだからUndisputed Championの3階級制覇ではない」とケチをつけることも忘れていません。

いずれにしても、原田は日本やアジアの枠を超えた歴史的な大偉業に挑んだのです。
実況アナが「約40年ぶりの3階級制覇」と語っていますが、正確には「約30年ぶり」です。

ボクシングの素晴らしいところは、リングの中は半世紀以上前の当時も今と何も変わらないことです。

バンタム級は118ポンド、フェザー級は126ポンド、リングの中は2人のボクサーとレフェリーだけ。

大型化が進むヘビー級(無差別級)では「デンプシーなんてクルーザー級以下」という偏見に隙を与えてしまいますが、その他の〝有差別階級〟では永遠に不変です。

ただ、リング外は今とは違いました。承認団体はまだ二つに分裂したばかり。階級も10階級。世界王者は世界に20人いるかいないかの時代です。

そして…判定のシステムも今とは全く違いました。5点法が一般的だったのはまだしも、3人のジャッジのうち1人はレフェリーという、今では考えられない変則でした。

原田の世界戦でもエデル・ジョフレ第1戦ではレフェリーのバーニー・ロスもスコアリングするなど、レフェリーが採点に加わっていました。

レフェリーが採点に加わるばかりか、英国では「最も近い目撃者」であるレフェリー1人だけが採点するのが伝統で、英連邦の一つオーストラリアのコミッションが統括するファメションとの初戦でもそのスタイルが取られてしまいました。

しかし、問題はそこではありません。

3度のダウンを奪ったあの試合、どこをどう見ればファメションの勝利になるのか?

レフェリーのウィリー・ペップは、ダウンを奪ったラウンドでも5−4(本来なら5−3)とスコア、試合終了では両者の手を挙げる(引き分けのジェスチュア)など迷走。

ファメションの防衛が告げられたシドニースタジアムの大観衆は「こんな試合、オーストラリアの恥だ!」足を踏みならして猛抗議、騒然となりますが、原田は潔く判定を受け入れファメションとハグすると観客は立ち上がりスタンディングオベーションを贈りました。

もし、あの日、原田が内容どおりのスコアで圧勝の判定を受けていたら?

原田の名誉はさらに引き上げられていました。

そして、その最大の〝被害者〟はマニー・パッキャオです。

2003年11月15日、パッキャオがアントニオ・マルコ・バレラを下したアジア初の3階級制覇は「アジア2人目」で、3階級全てがアルファベット王者のa champion です。

3階級中2階級で The Undisputed Championの原田と比較されることはなかったでしょう。

典型的な穴王者デビッド・ディアスを斬った4階級制覇などでは原田超えなど認められるわけがなく、パッキャオがアジア史上最高ボクサーになるのは2009年5月2日のリッキー・ハットン戦で5階級制覇を果たすまで、5年は引き伸ばされたはずです。
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12月22日、ニューヨークはバークレイズセンター。

その判定が大きな議論を巻き起こしたのは、WBC世界ジュニアミドル級タイトルマッチ:王者ジャーメル・チャーロvsトニーハリソンの一戦でした。(WOWOWでは1月28日放送予定)

ハリソンは3−0のユナニマスデジション、大番狂わせを起こしてタイトル奪取に成功。

スコアは115−113が二人と、116−112が一人。三人のジャッジは、ほぼ同じ採点基準でスコアしたと考えられます。
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このジャッジを、ESPNの看板記者ダン・ラファエルは「ジャーメルが明らかに勝った試合」「判定がアナウンスされた瞬間、我々だけでなく、当のハリソンが驚いていた」と批判しています。
Tony Harrison (28-2, 21 KOs) got an absolute gift decision just in time for Christmas against Jermell Charlo (31-1, 15 KOs) to claim a junior middleweight world title he absolutely did not deserve.  
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トニー・ハリソンはクリスマスでもあるまいに、とんでもないタナボタの判定勝利のプレゼントを受け取った。しかし、その判定は明らかに間違ったものだった。 ダン・ラファエル

しかし、同じESPNの解説者テディ・アトラスは「Tony Harrison's victory over Jermell Charlo well deserved(ハリソンの勝利は十分納得できるものだ)」と反論しています。

以下、アトラスの弁です。

「私はことあるごとに糾弾してきた。奇妙な判定はジャッジが無能か、ジャッジが買収されているから起きる。そんな理解を越えた判定がボクサーを傷つけ、多くのファンを失う原因になっている」 。

アトラスは、そう前置きした後に「今回の判定に関しては三人のジャッジは無能でもないし、腐敗してもいないと断言できる」と啖呵を切っています。

「どちらが強く、攻撃的か、強烈なパンチを放ったか、そんなことは判定には一切関係ない。どちらが正確なパンチを打ったか、それだけが 判定されなければならない」。

「人間は、どちらのパンチが強いかについ目が行ってしまう。 ボディビルのコンテストならそれでいい。しかも人間の判断は、大観衆の応援や、解説者の言葉にも大きく影響される」。

「多くの人は私の意見に賛成できないだろう。しかし、もう一度ビデオを見直してご覧なさい、必ず音声を消して。そして私の質問の答えを考えてください」。 

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「ジャブのタイミングが優れているのはどちらでしょうか?頭を振って相手の攻撃を無効にしているのはどちらでしょうか?」。 

「そしてジャーメルは高い身体能力と強いパンチを持っていましたが、引き出しは少なく、画一的な戦い方しか出来ませんでしたね?」。

One night showed what the sport dubbed "the sweet science" is all about.

 この判定は、どうしてボクシングが〝優れた科学〟と呼ばれているのかを、これ以上ないほどはっきりと教えてくれたのだ。


「さて、最後の質問です。科学的に戦ったのは、どちらのボクサーでしょうか?」。


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さすがのアトラスも、村田諒太vsアッサン・エンダム第1戦は117−111で村田勝利と見ていましたから、無意味にパワーボクサーを毛嫌いしているわけではないのは理解しますが、それにしてもどうなんでしょうか?

スポーツは「科学的に戦った方が勝ち」、これは納得です。

しかし「ジャブを多用するのが科学的で、強打を振り回すのが非科学的」というロジックは間違っていると思います。

まあ、いろんな見方があっていいし、アトラスのいいところは好き嫌いではなく、その判断基準がブレないことです。

カネロvsGGGは「第2戦はGGGの勝ち」、そして「最も科学的に戦うボクサーはフロイド・メイウェザー」。

「ボクシングは Sweet Science であってそれ以外では一切ない」という一神教の敬虔な信者は、賛同できなくとも潔くて嫌いじゃありませんが…でもねぇ。
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今年も「controversial decision(物議を醸す判定)」がいくつも噴出してしまいました。

直近3か月だけでもゲンナディ・ゴロフキンvsカネロ・アルバレス2、タイソン・ヒューリーvsデオンティ・ワイルダー、そして先日のジャーメル・チャーロvsトニー・ハリソンと、世界的に注目を集めた3試合でも大きな議論を呼んでしまいました。

議論を醸す判定が起きる最大の原因を突き詰めると、ジャッジの質の低さと、教育体制の欠落です。

一方、承認団体以上に採点基準が乱立していることも、この問題をに深い不治の病にしています。

採点基準は世界共通ではありません。


①採点基準は、当然のことながら統括団体によって違います。


プロボクシングに世界的な統括団体は存在しません。各国、米国なら各州のコミッションが統括しているのです。

当然、JBC(日本)と NSAC(ネバダ州体育協会)の採点は違います。

ボクシングのコミッションを持つ国の数だけ、米国の州の数だけ採点基準が存在しているのです。

つまり、ホームタウンデジションは抜きにしても「日本なら勝利でもラスベガスでは負け」ということが当たり前にあるのです。


②採点基準は、個々のジャッジによっても誤差が出ます。

主審やジャッジは、日本の場合は承認団体から恣意的に派遣されていますが、米国では各州がライセンスを与えています。これはボクサーのライセンスも同じです。

つまり、ラスベガスではNSACがライセンスを与えた10人の主審と、22人のジャッジが独占している〝ギルド〟によってレフェリングとスコアリングがなされるのです。

ルイス・ネリはJBCでは永久追放ですが、他国のコミッションが管轄する試合に出場することは全く問題ないのです。

米国が州単位で独立して管轄していることは、様々な問題を孕んでいます。これが国同士なら、公平を期すために第三国のレフェリーやジャッジを起用するなど様々な施策が打たれます。

しかし、村田諒太vsロブ・ブラントはレフェリーもジャッジも全員がNSACお抱えの米国人です。逆がありえないことを考えると、スポーツとして異常な状態と言えます。

さらに、米国のコミッションは「〜州体育協会」です。「ボクシング専門の統括団体」JBCとは違うのです。

トニー・ウィークスは、スボクシングで主審もジャッジもつとめていますが、MMAやキックボクシングの試合でも同じ仕事をしているのです。

「格闘技の審判ならなんでもござれ」な状態なのです。



①ついては国と州の数だけ採点基準がある、とはいえ基本的には共通しています。

その解釈が国や州によって違うのです。

アジアではアグレッシブとダメージを重視し、ラスベガスではジャブが異様に高く評価される傾向があるとはいえルールブック上は大きな差異はありません。

よく誤解されているのが「10ポイントマストシステム」です。このブログでもリング誌の特集を紹介したと思いますが「各ラウンドで必ず優劣をつけなければならない」なんてルールはどこにもありません。

どちらか(あるいは両者に)10点を与えなければなりませんが(10ポイントマスト)、イーブン10−10は問題ないのです。

WOWOWエキサイトマッチでも毎回紹介されているように「各ラウンドは(一つの試合とみなして)独立した単位で判定する」のです。つまりドローはありです。

もちろん、特に序盤で10−10をつけるのは相当な勇気が必要です。例えば1ラウンドで10−10を付けてしまうと、もっと接近したラウンドが続くと10−10だらけになってしまいます。

しかし、これは採点競技の宿命で体操でもフィギュアスケートでも最初の選手に大胆なスコアをつけるのは非常に難しいものです。

だからといって「10−10を怖がるジャッジは無能」(リング誌)です。

「議論を呼ぶ判定」が起きる原因には、スター選手への忖度もあるのかもしれませんが、そんな馬鹿げたことは論外です。

ここでは性善説で話を進めます。

多くの「議論を呼ぶ判定」は、無能なジャッジが無理やり10−9に振り分け続けることで矛盾が噴出してしまった結果です。

本当なら、現実の試合でドローが生まれるのと同じ程度の確率で「10−10」と判定されるラウンドがあるはずですが、そうなっていません。

無能なジャッジが罹患する〝10−10恐怖症〟という厄介なウィルスの源流を辿ると、その支流の一つはシュガー・レイ・レナードに行き着きます。

ボクシング界に深く転移した癌「キャッチウェイト」「いたずらな複数階級制覇」「スターの傲慢」…そんな欺瞞のペイブメントを舗装したレナードは、まさしく諸悪の根源です。

「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した最後のボクサーという名誉に浴したレナードでしたが、彼の後のボクシング界はまさに死後硬直を起こして現在に至っています。
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レナードvsドニー・ラロンデ。シュガー・レイが犯した数々の悪事の代表作の一つです。〜リング誌2019年1月号から




実はJBCもNSACも、採点基準は以下の4つを重視するとルールブック上は共通して謳っているのです。

【クリーンヒット】ナックルパートで正確かつ有効にヒットしたパンチ。有効度は与えたダメージで判定する。

【アグレシッブ】攻勢であること。ただしクリーンヒットを狙わない単なる突進は攻勢とは認めない。

【ディフェンス】相手の攻撃を無効とし、攻撃に切り替わる防御。攻撃に結びつかない防御のための防御(ロープに詰まって固めたガードの上を打たれっぱなしなど)は評価しない。

【リングジェネラルシップ】試合の主導権を掌握すること。巧みな攻撃と防御によって、相手と空間をコントロール下に置くこと。
 



多くの「議論を呼ぶ判定」が生まれる背景には、NSACをはじめ米国での【ディフェンス】の独特な解釈が横たわっています。

ルールブック通りに解釈すると、村田諒太のようなガードを固めてプレッシャーをかけるスタイルはまさに「攻撃につながる防御」のはずです。

しかし、②の背景からラスベガスをはじめ米国では、けして攻撃に結びつかないジャブを異様に高く評価する〝ギルドの採点法〟が歴然として存在します。

WOWOWでも解説をつとめる浜田剛史は、今や名トレーナーのロニー・シールズを迎えてのWBCジュニアウェルター級王座の初防衛戦を僅差で成功しましたが、あの試合のリングがラスべガスなら大差判定負けでした。

当時の「シールズは所詮アマの名花だった」というボクシングマガジンの見方は、日本の採点基準からは身贔屓と決めつけることは出来ません。

この、日本では理解しにくいジャブを評価する正体こそ「ボクシングは Sweet Science 」という考え方です。

日本では「ボクシングは結局は喧嘩。勝つという思いが強い方が勝つ」「ジャブしか打たないで下がりっぱなし、それで『勝ったのは自分』なんて言うシールズは図々しい」と攻勢と根性が奨励されがちですが、それはSweet Scienceから最も乖離した考え方でスタイルなのです。

身もふたもないことを言っちゃうと、浜田や村田のボクシングは科学的じゃないと見られているわけです。


このSweet Science論の急先鋒が、ESPNの解説者もつとめる名トレーナー、テディ・アトラスです。

米国でも〝誤審〟と見る向きが多いジャーメルvsハリソンについてアトラスが昨日、語り尽くしていますが、その発言内容からこの問題の本質が非常にわかりやすく伝わってきます。

そして、ラスベガス裁定は時間とともにどんどんSweet Science寄りに変節していることも、メデイアやファンを戸惑わせる大きな理由になっています。

そして、Sweet Scienceに傾く潮流は、本来真逆のアジア、日本も飲みつつあります。

浜田剛史は「日本だから勝てた」のではなく、正確には「30年前の日本だから勝てた」のです。


…レナードの話で脱線しかかりましたが、続きまーす。 
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ゲンナディ・ゴロフキンvsカネロ・アルバレスの再戦は初戦ほどではありませんでしたが、議論を呼ぶ判定になってしまいました。

その根底にはジャブとダメージングブローのどちらを取るかの問題だけでなく「絶対王政を敷いてきたゴロフキンが押し込まれている、ボディを嫌がって距離を取ろうとしている」という衝撃が、カネロ寄りのバイアスとなったのかもしれません。

マイク・タイソンやローマン・ゴンザレスのようなバックペダルを踏まないスタイルのボクサーが後退すると、素人目に悪印象を与えてしまうのは当然ですが、裁くのはプロのはずです。

そんな偏見を排除しても、ボクシングに限らずどんなスポーツであれ、判定競技において万人が納得する日は永遠に訪れることはないでしょう。

当然、近代ボクシング120年の歴史を振り返っても「議論を呼ぶ判定」は数え切れません。
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マニー・パッキャオvsティモシー・ブラッドリーの初戦も、承認団体WBOが誤審を事実上認める「議論を呼ぶ判定」でした。〜カメラマンに扮してブラッドリーとおどけるパッキャオ。

しかし、現行のボクシングの判定は野球のストライク・ボールや、サッカーのファールとは全く異次元の矛盾を孕む危険性があります。

例えば、実力伯仲、全く互角のA とBが12ラウンド戦って善意の三人が判定したとします。

その採点が120-108、114-114、108-120と許容範囲を超えた三者三様のスコアになることが、可能性としてあるのです。

他のスポーツで、ここまで正反対の判定が起こることは考えられません。

その元凶は「各ラウンドは独立した単位で採点される」というルールと、「どんなに拮抗した内容でも10-9に振り分けなければならない」という強迫観念、この二つに集約されます。。

「議論を呼ぶ判定」はどうして生まれるのか。

その防止策、予防策はないのか。

この問題に、日本のボクシング界、ファンは意外なほど無関心です。 

米国ではパッキャオvsブラッドリーを、終始攻勢に見えたフィリピン人の敗北と採点したC・J・ロスは、多くのメディアから名指しで批判を受け続けました。

そしてフロイド・メイウェザーvsカネロ・アルバレスをドローとした2013年以来、リングサイドでスコアリングすることはなく、ジャッジ生命を事実上絶たれました。

昨年のGGGとカネロの初戦を、118−110とありえない採点をしたアダレイド・バード。

彼女はその後もジャッジを続けていますが、大きな試合は任されていません。

しかし、年末に来日して井上尚弥vsヨアン・ボアイヨ、木村翔vs五十嵐俊幸の世界タイトルマッチを採点しました。

幸いにも、モンスターとチャイニーズ・ドリーマーは判定不要のKO勝ちを収めましたが、〝幻覚を見るジャッジ〟と卑下されるようなバードを派遣されても、何も言わないのが日本です。

もしかしたら、米国から舐められているのかもしれませんね、この国のボクシング界は。

大前提としてロスやバードのような資質の低いジャッジは資格停止にするような免許更新システムと、MLBのような厳格な教育研修制度を確立出来たと仮定して、この問題について考えてみたいと思います。
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ありえない判定です。

118−110でカネロ???
GGGは2ラウンドしか取れなかったということになります。アダレイド・バードは、目医者に急行すべきです。重症です。

114−114でドロー???
誰が見ても互角の内容じゃないでしょう。ドン・テレラは、明らかに別の試合の採点をしていましたね。

115−113???どう見たら、この試合が2点差の接戦ですか?それでも、デイブ・モレッティが付けた、このスコアが最も現実に近い数字というのに驚きます。

それにしても、どのラウンドをどう拾えば、こんなスコアを付けられるのでしょうか。ボクシング界は、腐りきっています。

思い切り、カネロ寄りに採点しても116−112でGGGです(ESPNはこのスコアでした)。

BOXING NEWS 24は、117−111でGGGの完勝、これが実際のリングで起きたことを正確に表した数字です。



GGG「ドラマチックなショウを見せたかったけど、カネロはそれを望んでいなかった。もちろん、再戦したい。私は、いつだって打撃戦を望んでいる、メキシカンファイトがしたいんだ」。

カネロ一色の観客席から、明らかな不当判定にも不満を露わにしなかったカザフスタン人に、賞賛の拍手が送られます。

カネロ「少なくとも7〜8ラウンドは取っていたはずだ。私は、十分に勝利に値する戦いをしたはずなのに。こんな判定は信じられない。再戦条項を行使する。再戦でも、どうなっても私が勝つに決まってる」。

試合終了まで一貫してカネロに大声援を送っていた大観衆が一転、怒りの大ブーイングを浴びせます。

カネロ勝利を予想していたテディ・アトラスも「この判定は、ボクシングに対する冒涜。買収でもされたか?」と非難、「117−111でGGGの勝利だ。ここから1点の誤差はあっても、カネロの118−110なんて採点はありえない」と、カザフスタン人が判定を盗まれたと憤っています。

ポール・マリナッジも「非常に政治的な判定だった。カネロはcash cow(金のなる木)で、GGGはそうじゃない。不公平な話だが、カネロが負けないことで得する人が沢山いるということが、この判定につながった」と、明らかに邪悪な意図が働いた結果と糾弾しました。

「判定までいけばカネロの勝ち」。

カネロのこれまでの対戦相手同様、GGG陣営もジャッジを牽制してきましたが、何の効果もありませんでした。

エリスランディ・ララ戦はもちろん、フロイド・メイウェザー戦でも、呆れ果てるスコアが付けられましたが、今回はさらに酷い、本当に酷い、です。

不当判定が、カネロに流れる、それもあからさまに。

何とも後味の悪い結果です。

もちろん、カネロ自身には何の責任もありません。

「勝ってた」という厚かましいコメントは余計でしたが、ブーイングの嵐は、可哀想です。

怒りの矛先は、バードとテレラにこそ向けるべきです。そして、何よりも、彼らが忖度したであろう、ボクシング界の闇に対して。

こんなジャッジが許されるなら、カネロvsメイウェザー戦もカネロの圧勝です。

試合自体は、見ごたえのある技術戦でした。両者を分けたのは、GGGの鉄のアゴです(現実の試合はGGGが支配していました)。

すでに言い尽くされているように、GGGの防御は緩いです。「試合を面白くするために打たせる」というのは虚勢です。しかし、あの打たれ強さは亀海喜寛以上です。

そして、これで両者が再戦する可能性が大きくなってしまいました。ミドル級統一戦線は、まさかの膠着です。



気を取り直して…さあ、今度は10月22日。村田諒太の出番です!

アッサン・エンダムに勝てば、次戦で今日の勝者との激突もありえる、と期待していましたが、今日は勝者がいませんでした(真実はGGGの完勝でしたが)。

GGGの4つのアルファベットタイトル(WBAスーパー/WBC/IBF/IBO)、カネロのリング誌、王座はいずれも動きませんでした。

まさかの引き分けで、最短距離でのミドル級統一は難しくなりましたが、とりあえずは目の前のWBAレギュラー王座を、確実に、圧倒的に奪取しましょう。

不撓不屈のカメルーンのライオンを狩って、世界最高の舞台へ上がるチケットを手に入れましょう。

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「どこに眼ェつけとんねん!」と並んで、誤審を生み出してしまうもう一つの元凶に進みます。

★「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」★

まず、ボクシングのジャッジは、信じられないほどレベルが低い人でものうのうと仕事に就き続けているのが問題です。

MLBやNFLの審判はその能力の検査や、判定基準の確認などのために厳格な試験やトレーニングを毎年受けていますが、ボクシングのジャッジにはこういう内部監査が一切ありません。

運転免許の更新のようなことすらしていないのですから、視力や視野が大きく落ちても、認知症が進行しても、ボクシングの世界ではジャッジの席に座れるのです。こんな馬鹿げた話がありますか?

そもそも、アルファベットの承認団体こそが内部監査などありえない、旧態依然に既得権益に固執する唾棄すべき団体です。全ての団体で幹部の選出は密室で行われ、WBAとWBCに至っては会長職は〝完全世襲制〟です。

今回の村田vsエンダムの一件で、WBAのヒルベルト・メンドサ会長が謝罪声明を出し、ジャッジ二人を資格停止処分しましたが、そんなに責任感じてるならまず己が会長の座を退け、ってことです。不祥事を起こした団体の責任者のくせに、他人事なんです。日本ではなぜか(帝拳のおかげでしょうか?)、好意的に見られるWBCも本当に劣悪で卑怯な団体です。

承認団体がいくつもあって、王者が乱立するのは、もう今更どうしようもありませんし、WBCやWBAにどこかの国みたいな世襲制はやめてもっと運営を透明化しろ、と言っても無駄ですが、採点方法についてはその徹底と、何よりジャッジの教育が必要です。

そして、よく悪く言われる10ポイントマストシステムが、多くのファンに誤解されています。そして、無能なジャッジがこのシステムに縛られて、おかしなジャッジを犯してしまうのです。

【COMMON-SENCE SCORING(常識的な判定を!)ジャッジは10−9に縛られてはいけない〜元ジャッジで、HBOのコメンテーターを務めるハロルド・レダーマンは「どうしても判定不能だと思えば、そのラウンドは10−10に付けなければならない」と進言しています。】

どんなスポーツでも引き分けがあります(延長戦を行うMLBのような例もあるが、それでも引き分けの概念はあります)。ボクシングでも引き分けがあるのに、どうして各ラウンドだけ白黒ハッキリつけなくてはならないルールだとファンが誤解し、一部の無能なジャッジがサイコロを転がすように10−9と無理やり振り分けるのは「10−10を付けると、判定能力が無いとみなされてしまう」という脅迫観念からです。

繰り返しになりますが、判定基準の優先順位は①EFFECTIVE AGGRESSION(攻勢/有効打)、②RING GENERATIONSHIP(主導権/相手を動かしているのはどっちだ)、③ AGGRESSION(勇気を持って前進しているのか/恐れて下がっているのか)、です。4番目の要素にdefenseがあげられることもありますが、怒涛の猛攻撃を受けても完璧な防御で一発のクリーンヒットも許さなかったとしても、パンチを出さなければポイントには結びつきません。

この採点基準でも判断できない時も、当然あります。その時は10−10を付けるべきなのです。10−10は判定を放棄した結果でもなく、そのジャッジの無能さを表すスコアでもありません。

10ポイントマストシステムが、あたかも10−9システムと誤解され、一部(多数?)のジャッジは「10−10を付けたら無能だと思われるから、心の中のサイコロを転がす」なんて異常な状況がまかり通っているのです。

こんな誤解や、ジャッジが脅迫観念に縛られるきっかけになったのは、またもやシュガー・レナード絡みです。キャッチウエイトにランキングの操作(WBCがレナードに忖度した結果ですが、主犯はレナードですね)、悪弊のほとんどがこの人を起源としています。ある意味、凄い人です。

1980年のレナードvsロベルト・デュラン第1戦。いつ見ても、ぞくぞくする名勝負です。今のビッグファイトは「負けたくない」という気持ちが先走りして塩分過多のつまらない展開になってしまいがちですが、この時の二人は「勝ちたい」、その一心で15ラウンドもの間、拳を振るい続けたのです。

野球やサッカー、テニスのプロは、目を見張る高等技術を売れば、それでお仕事完了です。しかし、プロボクサーは高等技術だけを並べても、誰もチケットを買ってくれません。ファンがプロボクサーから買いたいのは、高等技術よりも勇気、なんです。

ヒスパニックでも米国人でもないマニー・パッキャオがどうして、スターダムの頂点に駆け上がることができたのか?神の配剤としか思えない、ライバルたちに恵まれたから、それだけではありません。リングの上で、これ以上ない上質な勇気を見せたからです。

ギレルモ・リゴンドーが全く売れないのは、キューバ人だからじゃありません。彼は高等技術の百貨店です。しかし、彼の売り場の何処を探しても、ファンが一番求めている勇気が見つからないからです。

話が逸れてしまいました。
レナードvsデュランは、ニューヨーク・タイムズが144−142でレナードにつけるなどレナード支持も一部ではありましたが、3−0でパナマの英雄が勝利したとする公式判定で多くの人は納得したはずです。


【レナードvsデュラン、歴史に残る名勝負です。そして、この試合の判定の影響で、のちのジャッジが「10−10」と付けることを憚ってしまう一因になったとも言われています。今回ばかりはレナード本人の責任ではないのですが、ボクシング界の悪弊を辿ると、だいたいがこの御仁に行き着きます。】

この試合でジャッジの一人、アンジェロ・ポレッティは148−147でデュランを支持しました。

148−147。そうです、当時15ラウンド制ですから、10−9に振り分けたラウンドはわずか5つ。残りの10のラウンド全てを10−10、イーブンと判定したのです。ちなみに、144−142と採点したニューヨーク・タイムスも1つのラウンドを「10−10」と判定しています。

この試合の判定は、比較的すんなり世界が受け入れたにもかかわらず、イーブンを10度もつけたポレッティに「判定を投げ出した」「ジャッジの意味がない」という批判も浴びせられました。

私は、あの試合を最も的確に再現したのはポレッティのスコアカードだと思います。それでも、この一件が「振り分けないと何言われるかわからない」と、のちのジャッジに思わせたことは容易に想像できますね。

また、ネバダ州で長年ジャッジを務めているデュアン・フォードは「10−8」のつけ方にも疑問を呈しています。「最近のジャッジはダウンがなければ10−8を付けない場合が多い」。ダウンがなくても、終始相手を圧倒していたら10−8を付けるべきなんですね。

さらに、フォードは「2分55秒まで明らかにラウンドを支配していたボクサーが、終了間際にスリップしたのを主審が『ダウン』と判定した時、暗愚なジャッジは10−8を付けてしまう。この場合は10−9か10−10にすべきで、ラウンドの大半を占める2分55秒を切り捨てるようなことは絶対にしてはいけない」と、能力のないジャッジが多いことを嘆いています。

ジャッジは、主審から独立して判定すべきなのです。主審に従わなければいけないのは、ローブローなどで減点が宣告された時だけです。スリップを主審が「ダウン」と誤審したとみたら、その「ダウン」は無視して構わないのです。

最後に、素晴らしいジャッジの例を。

2013年のWBOウェルター級タイトルマッチ、ティモシー・ブラッドリー対ルスラン・プロボドニコフの第1ラウンドです。

【ブラッドリーも、よくよく判定で揉める選手です。肉体美と反比例してパンチが弱く、しかも勇気もないから後ろがかりの重心で軽打の回転力だけで戦うのですから仕方ありませんが。】

第1ラウンド、ブラッドリーは明らかにロシア人のパンチを受けてダウンしたのに、主審は、その瞬間を見逃したのでしょう、シレッと「スリップ」と判定しました。しかし、その瞬間をしっかり見ていた3人のジャッジは、公式にはダウンがなかったこのラウンドを10−8で勇敢なロシア人に与えたのです。

ちなみに、この主審、今年69歳になるパット・ラッセルは、1月の三浦隆司vsミゲール・ローマン戦でもジャッジの一人としてリングサイドに座っているんです。ものすごく心配でしたが、さすがに火を噴くようなボンバーレフトはラッセル爺さんでも視認できました。

何れにしても、ボクシング界は魑魅魍魎、ロクでもない世界なのです。

とにかく、ジャッジ、もちろん主審も、少なくとも年に1回は定期検診して、不適格なら職を解くべきです。

早く実施しないと、村田vsエンダムが、またどこかで繰り返されるだけです。

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★「どこに眼ェつけとんねん!」★の続きです。

ここからは、世界中のあらゆるジャッジ、一人の例外もなく、全員に当てはまることです。

ジャッジ席に近いリングサイドに座ったことがある人なら誰もが感じたことがあるでしょうが、あの場所は試合を正確に判定するには非常にふさわしくない場所です。障害物が多すぎるのです。リングを照らすライトも目に入りやすいのです。

有名なレフェリー、ジョー・コルテスが、「昨年、国際殿堂入りすることが出来た。このスポーツのおかげで今の私が作られた。これからは恩返しをしたい」と、リング誌2012年11月号で興味深い提言をしています。

「Elevate the judges」。ジャッジを高く上げろ。つまり、テニスのチェアアンパイアのように、高椅子に座ってジャッジするというアイデアです。


【「A NEW PERSPECTIVE」〜WBOが再検証まで行い「パッキャオが勝っていた」(公式判定は覆りません)と声明まで出した「世紀の誤審」をはじめ、不可解な判定が後を絶たない現状に、コルテスが私案を提言しました。〜リング誌2012年11月号より】

自身もジャッジの経験があるコルテスは「ジャッジ席の目の前にはロープや、レフェリー、そして相手のボクサー、視界を遮る障害物がいくつもある。ライトもとにかく目に入ってパンチの交換が見えないこともしょっちゅうだった」と言います。

そこで、コルテスは自宅の庭にリングを設営、どの場所がベストか検証を重ねて「高椅子」を思いつきました。

彼は自宅に8人のアマチュアのジャッジを招き、従来のポジションと、高椅子で、同じ仮想試合4ラウンドを判定する実験を行いました。

同じ試合で、見えなかったパンチの数をカウントさせます。ラウンド順に、従来のポジションでは17、7、16、13のパンチが視認できませんでした。

一方、高椅子の視界から見えなかったパンチは1、2、1、1と、劇的に減りました。

どちらのポジションがジャッジするのにふさわしいか、もはや議論すべきレベルですらありません。高椅子に座ったジャッジも「昼と夜ほど違う」「見ていないものを判定する今の状態が続くのは、やはり悪徳だ」と、全員が高椅子の優位性が圧倒的であることを証言しました。

テニスの主審が高椅子を降りてジャッジを下すと、どれほど誤審が増えるか見当もつきません。ライフガードが砂浜に座って監視しているような海には、誰も遊泳に行かないでしょう。

ここまでが、コルテスの私案です。

しかし、この高椅子案には、特にプロボクシングの世界では看過できない問題があります。


【従来のジャッジ席と、高椅子の俯瞰では、同じシーンでもここまで見え方が違うのです。】

プロボクシングは観客が神様です。リングサイド席の高額チケットを買った観客の視界が、大きく高い椅子と、その上に座るジャッジの体で遮られるとしたら?

高椅子を透明なアクリルで作製しても、純粋に透明になるわけもなく、そもそもジャッジまで透明にすることは出来ません。そんな、障害物が3本もリングサイドにそびえるのです。

テレビカメラのレンズにとっても高椅子は、大きな障害物です。決定的なシーンが高椅子やジャッジの姿に隠されてしまうとしたら?

この案だと、正しいジャッジを最優先して、視線に障害物ができてしまう観客には我慢してもらうことになります。今のシステムなら壮絶なKOシーンは、いろんな角度から見て楽しめますが、コルテス案を導入してしまうと相当なカメラアングルが死んでしまいます。

パッキャオ対ハットンのノックアウトシーンが、高椅子に遮られてカメラに収まっていなかったとしたら?

公正なジャッジ、プロボクシングの大前提、この二つを両立させるにはビデオ判定でジャッジすることが最も現実的です。しかし、このシステムではいろんな角度やスローで確認しながらになるため、判定を下すのに時間がかかってしまい、1ラウンドの判定が揃った時には試合は4ラウンドまで進んでいるなんてことが当たり前になってしまいます。

…人工知能の発展を待つしかないのかもしれません。

そして、「どこに眼ェつけとんねん!」と並んで、誤審を生み出してしまうもう一つの元凶が、「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」です。具体的に言うと、どんなに優秀なジャッジでも現行のシステムでは〝誤審〟してしまう可能性があるのです。

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