フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 恥さらしの人生でした。

私の高校時代、80年代中盤まではビールの世界はキリンの一強時代でした。

1987年に発売されたアサヒの「スーパードライ」が保守的なビール業界の風景を一変させました。

それまで、各社とも基幹ブランドに集中するだけだった戦略を一気に転換、新商品ラッシュの時代に突入します。

マイク・タイソンがCMキャラクターをつとめたサントリーの「モルトドライ」などもその一つでした。

市場寡占から公正取引委員会が目を光らせていた、難攻不落に見えたキリンの牙城は脆くも崩壊。

正確に言うと「キリンラガー」の失墜でした。

スーパードライの「生」「辛口」の新潮流に飲み込まれた「キリンラガー」は終売を余儀なくされます。

後継は「生」を前面に出した「新」ラガーでした。

キリンのHPをざっと見ると、この辺りの「敗北」の歴史は完全に黒塗りされている模様で「ラガーの終売」という大事件は見当たりません。

長らく続いた王朝は完全に没落しましたが、かつて7割近いシェアを誇ったラガーファンの失望は想像に難くありません。

「ラガーは終売すべきではない」というのは、業界でも一致した意見でしたが、キリンは経営遠略を完全に見誤りました。

キリンが迷走しても、ラガー復活が待たれました。

「いつクラシックラガーを出すのか?」。もうすでに業界内でも、その製品名までが勝手に決め付けられ、2001年に「クラシックラガー」として〝新発売〟されたのでした。
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成功体験にしがみつくのは「失敗の本質」ですが、巨大な打撃を蒙ったパニックから成功体験を根こそぎ捨てて退散するのも「失敗の本質」です。

中高生の頃、時間を見つけては入り浸った小さな名画座。

高校に入ると授業をサボって銀幕の世界に耽溺することもあった私でしたが、平日にもかかわらず怪しい大人もガタのきた古いシートに日がな座って映画を見ていました。

当時は、自分のことを棚に上げて「あの大人達は何の仕事をしているのだろう。きっとろくな人間じゃないな」と、どこかで軽蔑してた気もします。

彼らは、私に「学校はどうした?」と聞くことなど一度もなく、コーラやポップコーンをおごってくれたというのに。

「仁義なき戦い」を一挙上映していた時期があり、あるおっさんがキリンラガーの瓶を持ち込んでポップコーンをつまみに飲んでいました。

映画の中にもそのビールがよく登場するので、それにひっかけて洒落込んだのでしょう。その気持ちは私にもよくわかります。

映画が終わると、近くに座っていた私に「ゴッドファーザーの方がおもろいか?」と聞いてきました。

「そりゃ比べものにならない」。私はそんなふうに答えた記憶があります。

おっさんは「お子ちゃまやのう」と笑うと、たすきがけしたクーラーボックスから新しいキリンラガーの栓を開けて、私がコーラを飲んで空になった紙コップにとくとくと注いでくれました。

ビールを飲んだのは初めてではありませんでしたが、好んで飲むことはなく、ぐしゃっと潰れたような苦味に、私は顔をしかめてしまったのかもしれません。

おっさんはまた「お子ちゃまやのう」と大笑いました。

あの頃、場末の名画座でほんの一言二言しか言葉を交わしませんでしたが、印象に残っている大人達が何人かいました。

30年以上も前の話ですが、また彼らと会ったら相当に楽しいなと思うこともありますが、もはや彼らを探す手がかりも、その映画館もありません。

今ならメール交換をしたりするのかもしれませんが、そもそもそんな場末の映画館も少なくなりました。

高校時代、けして面白いと思えなかった、低俗とさえ感じた「仁義なき戦い」が素晴らしい映画だと気付いたのは10年ほど前のこと、あれから四半世紀も経っていました。

あのとき、おっさんはどうして私に「仁義なき戦い」の面白さ、特別さを説かなかったのか、ぜひ聞いてみたいと思うのですが…。

よくよく考えると、あのおっさんは今の私よりも年下だったかもしれません。


お中元にいただいたクラシックラガーをいただきながら、徒然なるままにそんなことを思い出してしまいました。
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【ナゾナゾ】箱は腐っていても、箱の中には宝石がぎっしり。それはなぁんだ?




プロボクシングの世界は、他のプロスポーツと比べても問題だらけです。

おそらく、世界中のプロスポーツの中で飛び抜けて深刻な問題をいくつも抱えているでしょう。

それでも、とにかく大好きなのは左右のナックルパートしか使わないのに、恐ろしいほど深遠で、ときには声を上げてしまうような面白い試合が観られるからです。

観戦スポーツの面白さの根源は「勇気」だと、個人的に確信しています。

だから、トラック中長距離で不要に駆け引きに走る選手や、怖がってストライクを取れない投手、代打で出てスイングしない打者は、大嫌いです。

一緒に練習して、そんな子がいたらはっきり伝えます。「絶対ダメ」と。他のこと、例えばフォームについてはまず何も言いませんが、勇気に欠けるのは絶対ダメ。

もちろん「置きにいって打たれるなら、しっかり投げてボールになる方が良い」という考え方もありますが…この話をしだすと、また大きく話が逸れるので、また別の機会で。

簡単にいうと、私が見てる中学生レベルなら「置きにいったカーブが抜けてフォアボール」という言語道断があります。それは、もう論外なんです。

ボクシングでいえば、欧米で最も侮蔑されているトップ選手のオマール・ナルバエスや、鼻血が出たら棄権するウーゴ・ルイスとかは、もう一刻も早く引退して欲しい。

もちろん、そんなこと言っても…。ボクシングの場合は野球とは全く違って…。

家族や友人ならナルバエスが、絶対に良いです。ナルバエスが弟なら「何を言われても気にするな。お前の健康なんて歯牙にもかけない馬鹿が騒いでいるだけ。これからも無事にリングを降りることだけを考えてくれ」と言い聞かせます。

ボクシングには、そういう矛盾があります。

八重樫東が家族なら「八重樫の試合は面白い」なんて言ってられません、ボクシングなんてもう…見れません。俺が八重樫を好きなのは、結局はリングで戦っている八重樫が好きなだけなんです。

もし、将来、そんなことはないと信じていますが、八重樫やパッキャオが後遺症に悩んだとしたら?

きっと私はこう思うでしょう。

「ああ、現役時代は小さい体で激闘だらけだったからなあ。心配だなあ。良くなって欲しいなあ」。

…最低です。


前置きが長くなりました。


日本ボクシング連盟(Japan Amateur Boxing Federation=JABF、このブログでお馴染みのJBCではありません。「どっちの腐敗度が酷いか?」なんて話は今日に限っては無し!!!)が今日、インターハイ中止の悲劇を受けて「高校生シャドーボクシングチャレンジ2020」を開催すると発表しました。

素晴らしい!

大人は、みんな昔は高校生だったんだぜ!何ができるか、必死に考えたんだぜ!という素晴らしい企画です。

「高校生が頑張ってきた姿をできるだけ多くの人に見ていただきたい」として、オンライン上で高校生のシャドーボクシング動画を募集。

井上尚弥や村田諒太らが審査員となって優秀賞を選ぶそうです。プロを呼んだのが二重の意味で素晴らしい!

もっともっとプロアマの距離を密着させて、最終的にはJリーグのような完全ピラミッド組織になってくれたら、素晴らしいです!選手側はいくらでも密着、クロスレンジで付き合う構えですから、問題がどこにあるのかは明らかです。
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今日までに決まっている審査員は井岡一翔、井上拓真、井上尚弥、岩佐亮佑、内山高志、京口紘人、清水聡、寺地拳四朗、村田諒太、八重樫東。

豪華です!豪華すぎます。こんな審査員、全員、神です。ほぼ無償で引き受けてくれたんでしょう。


30年以上も前、こんな私でも高校生でした。

野球も陸上競技も甲子園や全国大会に行けず(そもそもそんな実力がありませんでした)、ボクシングに至っては高校に部活が無く、選手登録もできませんでした。同じジムの同級生らの応援で、リング下から見上げる光景がたまらなく眩しかったのを思い出します。

早々と地区予選で敗退してからの私は、コンビニの前で悪友と駄弁って、タバコ吸って酒飲んで、無為な時間を過ごしていました。 

今から思うと、あの時間もかけがえのない青春時代の一部だったのですが、当時はそんなこと受け入れ難く、駐車場に止めた車のラジオから県予選の中継が聞こえてきたら、速攻で不機嫌になってしまい、本当にいろんな人に迷惑をかけてしまいました。

でも、私は「挑戦」出来ました。そして「敗北」という現実も突き付けられました。

競技者だから「敗北」は受け入れることが出来ます。正確にいえば、受け入れたくなくても、受け入れるしかありません、確かに負けたんだから。

しかし。もし「挑戦」も出来なくて、受け入れる覚悟のある「敗北」すら突き付けられないとしたら?

ちょっと、その悲劇は、想像ができません。

ずっと研ぎ澄ませた情熱をぶつける「挑戦」を奪われた気持ちは、想像できません。

「こんなタイミングで運が悪かった」「何かを失ったわけじゃなくて、全く新しい何かを得るチャンス」 「インターハイも甲子園も人生の一瞬、1%ですらないかもしれない。残りの人生をどう生きるか」…。

インターハイも甲子園も手が届かなかった私が、はるかに優秀な後輩たちの心境なんて慮れるわけがありません。

もし、私が彼らの立場なら「シャドーボクシング?俺、そんなの目がけてやってないから」と冷めてしまってた気がします。

でも、それはフシ穴で暗愚な私だから…。

私なんかよりも、遥かにずっと賢明な彼ら。

そして何よりも、この夏を目指して莫大な情熱をぶつけようとしていた彼ら。

そんな、純粋なエネルギーに溢れて、真摯で繊細な野望を育んできた彼らなら、きっと大人が一生懸命考えたこの舞台を、素直に受け止めて楽しんでくれるでしょう。

私から高校生に何か言えるとしたら「みなさんと同じか、おそらくそれ以上の情熱で、世界王者が投稿動画と向き合ってくれる」ということです。

あのメンツと、ある意味ガチで勝負できるわけですから、羨ましい。

100%間違いなくめっちゃ厳しい目で審査されるから、くれぐれも中途半端な気持ちで臨むなよ! 

やっぱり夏は、夏なんだよ。





【答え】プロボクシング。 
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ゲバ棒とヘルメットと手拭いマスクとハカイダーはさておき、改造社書店であります。

三省堂書店や紀伊国屋書店に、丸善なんて書店も耳障りや文字面がかっこいいです。

しかし、文字面と耳障りのかっこよさでいうと改造社書店が抜きん出ています。

改造社です。

これが「改造車」だと途端に民度と品位が急降下しますが、改造社であります!

成田や羽田の空港、パレスホテルなどにテナントしている普通の書店なのでボクシングファンの皆様もご存知の方が多いでしょう。

それにしても名前が只者ではありません。ー

何しろ「改造社」です。

ちょっとでも隙を見せたら拉致されて、サイボーグ009のように改造されてしまいそうです。
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そしてこのロゴです。絶対に只者ではありません。

1919年(大正8年)創業といいますから、リング誌創刊の1922年を紀元0年とする拳闘暦では堂々の紀元前です。

総合雑誌「改造」を創刊した出版社で、バートランド・ラッセル、アルベルト・アインシュタインという「ノーベル賞」を受賞するレジェンドを日本に招聘したことからも、とんでもない権威あるメディアだったことが推察できます。

当時中学生だった湯川秀樹は、このとき開催されたアインシュタインの講演を聞いて物理学の道を選びました。
 
岩波書店などと競合した「マルクス・エンゲルス全集」を最後まで刊行できたのも改造社だけ。岩波書店をも圧倒していたのです。

…なんていっても、岩波も「世界」を10年くらい前まで定期購読してましたが、やはり時代をつかめていない内容に幻滅して今ではきになるテーマが取り上げられているときだけ買ってます。

1944年(昭和19年)に軍部によって解散させられたというのも、伝説的です。軍部にとって目障りな存在だったのです。
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第二次世界大戦後に改造社は再建、「改造」も復刊しましたが、出版社としては衰退の一途を辿り、現在は書店としての機能しか残っていないのです。

そんなレジェンドな改造社の本拠地は、今も銀座の外れにあります。

先日、会社の社員関係の保険関係の手続きで、近くまで来たので改造社書店を見に行きました。

そういえば、最初に来たのは大学一年生の秋でした。

銀座に来たのもそのときが初めて。つまり私の銀座初体験は改造社でした。
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最近はずっと「故障中」の自動ドアも、もはやチャームポイントです。
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改造社書店の独特のフォントで記された看板ネオンは、今もあの当時のまま(たぶん)。無意味な電飾すらも〝改造〟的です。
 
私が大学進学で上京したのは80年代も深まった時期で、学生運動などとっくの昔にどマイナー化、学生たちはバブル前夜の高揚と、好景気を満喫していました。

もちろん私もその1人でしたが、中学時代に読んだ「青春の門」と名画座で観た「イチゴ白書」、さらにはラジオ「ヤングタウン」(だったと思うのですが)でMCをしていたぱんばひろふみが歌った「イチゴ白書をもう一度」などに感化された影響から学生運動にちょっとだけ憧れを持っていました。

新入生歓迎週間に、最初に超えをかけられたのが、ゲバ棒を手にヘルメットをかぶり、手拭いマスクで顔半分を隠した集団でした。

「戦艦ポチョムキンを見ないか?」。

絵に描いたような話ですが、本当です。 

こいつが「オルグ」ってやつか!と軽く感動しながら、古い校舎の狭い屋根裏部屋に連れ込まれ16㎜の映写機で映し出された「戦艦ポチョムキン」を見たのでした。

「学生運動って知ってるか?」と聞かれて「青春の門」で初めて知ったと答えると、手拭いマスクの男連中には笑われましたが、狭い部室の片隅に座っていたリーダーらしき女性が「最初はそれでいいの」と少し色っぽく答えてくれました。

手拭いマスクの一人が「戦艦ポチョムキンはモンタージュ技法を駆使したことでも画期的」なんて口にしたところから、話は映画にそれました。

ニューシネマや当時すでに突入していたSFXからCGへのハリウッドの潮流、そんな話をまともに出来ないのは映研じゃないので仕方ないにしても、知ったかぶりしかできずに口ごもる手拭いマスクたちには幻滅と苛立ちを感じてしまいました。

映画の話じゃ敵わないと思ったのか、出身高校の話になり、私は無名の馬鹿高校出身ですが、彼らは出自が違うとでも言いたげに「湘南」「麻布」「慶應」「栄光学園」と自慢げに語り始めました。

報徳学園や東海大姫路などの一流名門校ならビビりますが、湘南とか麻布など私は聞いたこともありません。

私が知ってる進学校なら灘、神戸くらいです。全く縁はなかったですが。

険悪な雰囲気になる前に屋根裏部室を出た私でしたが、一人だけ手拭いマスクをせず素顔を見せていた女リーダーは気になりました。名前はレイラさんにしましょうか、レイラ・アリから取って。

彼女は自分が美人だとわかって手拭いマスクをしてなかったのかな、だとしたら嫌な女だな、とか思いながら古い校舎の石造りの階段をトントン降りて行きました。

私が頭の中で知っている学生運動は、もう死滅したんだと感じました。

「最後に確認しよう。われわれはあしたのジョーである」と、よど号をハイジャックした赤軍派は、80年代が深まった私の時代には、もうずっとずっと遠くへ、見えないところまで飛び立っていたのでした。 

それにしても新入生歓迎週間は、いろんなサークルがブースを出して新一年生を勧誘していました。

テニスやラクロスの華やかな雰囲気のサークルは特に熱心でしたが、なぜか私は全く声をかけられず、〝活動家〟の面々には目をかけられたのでした。

完全に目つき、顔つき、着衣の容姿に、発散する空気が「私たちの楽しいサークルでは不要」と〝目視〟却下されていたようです。

すでに体育会の説明会で陸上競技部とボクシング部と準硬式野球部に仮入部を申し込んでいた私にとって〝活動部〟は興味本位でちょっと覗いてみたのでした。

今と同じで物事をよく考えずに行動する私は、体育会と学生運動という全く相反するグループに興味を抱いていたのです。我ながら大馬鹿です。

そして、関東インカレのメンバーから漏れた私は、1年生の9月に新人戦のような大会で1500mに出場。 そこにレイラさんが〝アポなし〟で応援に来てくれました。

中高の体育の授業でしか走ったことのない私でしたが、そこでは全勝無敗。しかし、初の公式戦は一次予選であっけなく敗退。

新入生歓迎会では「彼女はいない」と言ってた私に、同じ大学の結構目立つ4年生のレイラさんが応援に来たから、しばらくは「大嘘つき」「狼少年」と極悪人にされてしまいました。

そのレイラさんに「どこか行きたいところがあるか?」と聞かれて「改造社」と答えて、二人で行ったのが銀座の改造社書店でした。

「レジにハカイダーが座ってそうな雰囲気ですよね」という私のくだらない冗談が冷たくスルーされたのを覚えています。
結局、付き合ってたとは言えない微妙な関係は終わり、レイラさんは国家公務員に就職。「えー?学生運動家が就職するだけでも裏切り行為なのに、まさかの国家公務員!」と、もう何かに発展することがない関係になっても二人で大笑いしながら就職祝いをしたのを思い出します。

でも、もう20年近く交流はなくなってしまいました。別に深い付き合いではなかったのですが、なんとなく理由はありませんが互いの結婚式には呼びませんでしたし、女性だてらに偉くなったようで、もう積極的に会うことはありません。

でも、生きてたら何が起こるかわかりません。

いつか再開したらハカイダーが何者なのかをきちんと説明したいと思います。
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日曜日の昼下がり。

窓から見る住宅街は誰もいないのに、車の往来はそれなりにあります。

河川敷をジョギングしようと思いましたが、多摩川などのランニングコースはいつも走ってるジョガーだけでなく、散歩の家族連れなどで結構な〝渋滞〟とのこと。

SNSで「お散歩コース」と紹介されちゃうと、もうアウトです。

人気のいないコース、場所を見つける本能だけは長けているので、支流入って田園地帯へ向かいます。

誰もいません。
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田んぼには菜の花やレンゲが咲き誇って、来月には始まる田植えの季節を待っています。

そういえば、いつの頃からか昼ごはんをどこで食べるか、夜どこに飲みに行くかをネットに決めてもらう若者が増えました。

若者だけじゃないですね。年配の方でもそうです。

そんな奴隷な人々を「馬ッ鹿じゃねぇの?」と、大上段から侮蔑してきた私でしたが…。

大学時代に当時は今以上に輝いていたディズニーランドに対してキラキラした目で「みんなで行こう!」というクラスメイトがいて、やはり「馬ッ鹿じゃねえの?!」と思ったことをそのまま口にしてしまって泣かせてしまい、それから4年間、悪魔のように見られた続けた時代もありました。

「こんな酒も飲めない詐欺ランド、10年もしたら消滅するわ!」と唾棄した私はまだ未成年…。当時はみんな普通に酒を飲んでいたのだよ、体育会ならなおさら…しかし、この点に関しては今の方が正しい!未成年に酒を飲ませてはいけません、絶対。

そして、ディズニーランドは21世紀の今も人気で、10代の頃からフシ穴な私でした。

そんなこんなを思いつつ…ランニングのいいところはいろんなことを頭の中でぐるぐるさせながら走ることができることです。

畝を縫うように走ると今度は芝桜のベルト地帯を発見。ここでようやく200m位先に自分以外の人の姿、1組のカップルを視認。

おー、見事な芝桜です。
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人間界は大変な危機と直面してるけど、自然はいつもと変わらず、粛々と季節は巡るのです。

今夜はNHKのサンデースポーツ「創刊40周年スポーツ総合誌Number スポーツ界に与えたもの」を忘れずに見なくては!

録画するほどの内容ではないでしょうが「Sports Graphic Number」は思い入れのある雑誌です。

高校時代にSports Illustrated を学校図書室で貪り読んでいた私が初めて購入した「Number」は 「118号
江夏豊 たった一人の引退式」でした。

1985年5月20日発売のこの号は創刊から間もないとずっと思い込んでいたのですが 、実際は5年も経っていたのでした。

今も手元にある最も古いバックナンバーは123号の「神よ、今こそ『リング』に祝福を!  」です。

このブログでも何度か紹介している「 God bless the 〝Ring〟」シリーズの第1弾でした。

内容は、ほとんどスポイラの翻訳記事と、スポイラに影響されたトーンの記事で、新鮮味はゼロでしたが…。
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当時「世界のボクシング」は、間違いなくWOWOWやネットが浸透した今よりも良い意味で〝メジャー〟でした。

創刊から40年「世界のボクシング」から「プロ野球」「F1」「総合格闘技」と時代にシンクロしながら、今では「サッカー」に大きく軸足を乗せて、ボクシングは完全にニッチになってしまいました。

やっと井上尚弥を単独カバーした号も、売れ行きは今ひとつ。 「サッカー」や「フィギュアスケート」が人気なのはよくわかりますし、仕方がないところです。

今夜の番組で〝ボクシングの時代〟があったことを触れることはないでしょうが 、専門誌とは違い「世界に焦点を当ててダイジェストにまとめた」 God bless the 〝Ring〟シリーズは、スポイラ色が抜けていくにつれて魅力を増していった気がします。
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4月10日金曜日。

天気晴朗なれども風強し。

海が程近い川沿いですから珍しくはありませんが、それにしても強風でした。

昼休み。

誰からも相手にされない私にしては珍しく、1人ではなくものすごく若い女性と一緒。勝鬨橋方面へ。
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晴海通りを真っ直ぐ、築地市場のあたりは人影がちらほらも、勝鬨橋まで来ると人通りはほとんどありません。

個人的にとか、歓送迎会などで会社ぐるみとか、はたまたその両方だとかでお世話になってた、いつくかのお店にご挨拶。

悲しいことに、今日で締めちゃう店もありました。

私は人嫌いで自己中でどうしようもない無能人間ですが、周囲には奇跡的に恵まれてて、こういう運の良さって何なんだろうと真剣に思います。 

そして、いっぱい助けてくれた人たちに何の恩返しも出来ない…。それの繰り返しの人生でした。
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そのものすごく若い女性、うちの会社でバイトしてた大学生のAさんなんですが、彼女が店の顔なじみと「私も今日までなんですー」と明るく笑うのも辛くて…。

去年の夏から就職が決まってからバイトしてくれてた4年生。今回の件で卒業旅行を取り止めたばかりか、バイト仕事がなくなって今日でおしまい。

本当なら私のお手伝い、通訳みたいな仕事をお願いしてたのですが、出張なんてもう論外な状況ですし…。

そもそも、彼女は内定していた就職も一時取り消しされたばかり…。

隅田川テラスと名付けられた美しく整備された河川敷に降りると、上流の浅草方面も下流の東京湾も、何組かの親子が散歩してるだけ。
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花壇に近づくと、あ!と思うくらいの花の甘い香りが鼻に広がりました。

ブス女子大生が「匂いがわかるから大丈夫ですねー」と憎まれ口を叩いても、本当にもう何も返せなくて「いろんな人に悲しい思いばっかりさせちゃってるなあ」と下を向くと「人間、生きてたらどんなことでも時間が経ったら全部笑える!」と、英語で言われました。

それは、つい数週間前に米国から インターン的にうちの会社で働いてた日本かぶれの女子大生Bさんが、チャーター機で送り返されるときに羽田のロビーで私が励ました言葉でした。

ほとんど報道されませんでしたが、米国はものすごい数のチャーター機を手配して日本で働いてたり、留学してたりしてた自国民を羽田から半強制帰国させていました。

わずか1ヶ月前のそのときは、羽田から夜間、次々に離陸するチャーター機の絵面は見方によっては「ノアの箱船」でしたが…。

全ての便がニューヨーク行きで、そこで14日間隔離されるわけですが、彼女の場合はその間に米国、とりわけニューヨークの状況が本当に一気に悪化してしまいました。

彼女が「帰りたくない」と泣くのを説得したのは私でしたが、とんでもない間違いを犯してしまったという気も…。

いろんな悪いことが、ものすごいスピードで侵攻してきて、自分は何もできないばかりか、守らなければいけない人を守れないばかりか…。

「俺は平和なときにおちゃらけてるだけで、こんな大事な時には何もできない情けない奴だなあ」と 肩を落とす私の眼の前にAさんが差し出したスマホには「ドン、クライン、泣かないでぇ」とおどけたBさんが…。

「そこはどこで今何時だ?家族にちゃんと会えたのか?」と聞くのが精一杯。

こんな事態でもBさんは「必ずまた行くから給料上げろ、そして思い出横丁と八五に連れて行け」と可愛く笑ってくれて。羽田のロビーでは号泣してたくせに。

ひとしきりBさんと話して、Aさんに「お前、いつの間にそんなに大人になったんだよ」とスマホを返すと「次は想い出横丁と八五、行きますよ」と睨まれました。

思い出横丁って新宿の汚い飲み屋で、そこまで美味しくなく、そこまで安くもなく、トイレは共同で離れている、何より狭くて、それなのになぜか混んでいる、という戦後バラックから引き続きの〝長屋飲み屋〟みたいなとこで、なぜか外国人に人気があるんです。

人混みNGの私にとって、さらに狭い、トイレは店から離れた共同(そんなのありえません)なんてありえません。そもそも、職場は銀座の外れで、新宿まで電車乗って思い出横丁なんてありえないんですが…。

八五というのは、銀座の外れの外れにあるラーメン屋。一番の名物は超行列、という私が最も嫌悪し唾棄するラーメン屋です。

もちろん、お店に罪はありません。超行列ができるんだからさぞかし美味しいラーメンなんでしょう。素晴らしいお店です、きっと。

「Bが来たら思い出横丁も行くし、八五も並びましょうね」と笑うAさんに「そのときは会社つぶれて俺は路頭に迷ってるからおごってくれな」とやっと返せました。

「愚鈍なおっさん vs 頭の回転の早い若い女の子」は完全なミスマッチです。男子なら、あっちが泣いてこっちが励ますんですが…。
 

いままでもそうでしたが、この1ヶ月は自分の無力さを思い知らされる毎日です。それでも、この重たい逆境を乗り越えたら…こんな私でも、あんなに大嫌いだった人混みや行列が愛おしくなりそうです。 
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移動中は雑誌を見たり、いろんなブログを書いたりしているのですが、ここ数日はリング誌とボクシングニューズ誌はもちろん、スポイラやナンバー誌の1000号記念号を読んでました。

当たり前なことながら、直近の試合をテーマにした記事はなく…このことが、ここまで悲しいことだとは想像できませんでした。

過去の名勝負や、偉大なアスリートの言葉を読んでいると「なんだ?これは現実か?」とふと我に帰ってしまいます。

それでも、ああ良い記事だなあとおもうのは沢山あったり、ナンバー誌では「私とナンバー」というテーマでこれまでナンバーで連載してきた方々の回顧エッセイが面白かったです。

中でも、椎名誠がふれていた「大勝軒」の大盛りラーメン。

有名な池袋大勝軒をルーツとするお店の他にも、大勝軒はいろいろあるのですが、共通しているのはボリュームがすごい、ということ。

特に、池袋大勝軒の暖簾分け店では恐ろしいほどの大盛りが、よくある〝大盛りチャレンジ〟的なおふざけなどではなく、普通にメニューとしてラインナップされているのです。

普通の感覚で「ラーメン、大盛り」なんてオーダーすると、着丼した瞬間に「いや、いくらなんでもこんなん、わからへんって。頼んだときに一言あってええレベルでしょ、これ?」と敗北の苦笑いを浮かべる羽目になります。

「どうせ大したことないだろ」とタカをくくっていると恥をかくだけです。マニー・パッキャオに「初回で倒してやる」と啖呵を切って、初回に倒されたキース・サーマンみたいなもんです。

そんな大勝軒の大盛りの話が書かれていたのですが、椎名誠の近所のその店は「ドンブリも大きいのですが全部ツユの中に収まらず中央部分がチョモランマのようにぐいーんと盛り上がっていて、付録のようにスープだけ入ったドンブリが付いてきました」というのです。

チョモランマ部分の麺はツユにつけるとドンブリから溢れてしまうので、付録ドンブリのツユにつけて食べ進めていくという、ラーメンなのに初期段階はつけめんスタイルで〝山〟を崩していかねばならないという、もはや食事というよりも工事みたいなプロセスを踏んで攻めていくしかないという、恐るべきラーメンのようです。

さすがに、私はそのレベルの大勝軒を知りません。

横浜駅西口の大勝軒が中盛りでも、洗面器みたいなドンブリで出てきてとんでもない量だったのは覚えていますが…。

思えば、あのとき私は「大勝軒だから大盛りはやめとこう」と中盛りにしました。

これは、超強豪アーロン・プライアーを避けて、穴王者ソウル・マンビーやリロイ・ヘイリーを選択したようなものです。

現実では負け犬人生の私ですが、ラーメンでも穴王者狙いのままというのでは、あまりにも忸怩!です。

せめて、ラーメンではプライアーに勝ちたい!

プライアー話を書いてると、そんな思いが募ってきました。
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年を取るということは、何かを捨てるということでもあります。

幼稚な話ですが、高校時代は60〜70年代の学生運動に妙な憧れを抱いていました。昔は学生運動の闘士だった(自称)という担任の先生の影響もありましたが。

私が通ってたのは勉強もスポーツも三流以下のどうしようもない田舎の公立高校でしたが、なぜか図書室だけはでかくて、TIME誌などはもちろんスポーツイラストレイテッド誌などのスポーツ総合誌まで取り揃えてくれていました。

無駄な税金ですが、個人的には最高でした。

私以外誰も読まないのに、毎週海外からドサッと届けられる梱包を見ると、楽しくて楽しくてクラクラしてしまいました。

茶色い包装紙に巻かれた「アメリカ」を開いて手に取る、快感。

日本の雑誌と全く違う質感、触感。そしてなにより独特の匂い。

もちろん、バカ高校の中でも屈指のバカな私ですから、英語など全くわからないのですが、日本語版のタイムやボクシングマガジンと並べて読みふけってると、バカでもわかったような気になるものです。

そういえば、県の高校全体で学力を測る大規模なテストが行われたとき、私はむくむくと湧き上がる幼稚な考えに抗えませんでした。

何万人も受ける共通テストです。正式名は忘れてしまいました。なんだっけ?調べたらわかるんでしょうが。

幼稚な考えーーとは1番になることでした。

もちろん、バカな私が表の1番になれるわけがありません。

裏の1番。

つまり何万人の中で最低を獲ることです。5万人なら5万番、4万9999番では意味はありません!

3択〜5択の、全てマークシートですから、適当にマークしてると30%くらいは正解してしまう危険があります。

まず、①明らかに正解だと思う問題はわざと間違う、②正解がわからない問題(ほとんどがそうでした)はマークしない。

結果は5教科7科目(だった気がしますが間違ってるかもしれません)、合計で何点満点だったかも忘れましたが、狙い通りに0点!

しかし…確か0点が30人近くもいたのです。まー、狙い通りではありませんが、同点でも最下位は達成です。

「おいおい!適当にマークしても正解するやろが!何で0点がいるねん、俺以外に!」と戸惑いながらも、返された点数表を隠すクラスメートに「見ろ!見やがれ!2万人中で一番(下)!」と見せびらかしました。

クラスメイトが「わー、俺もそうしたら良かった」とわーわー大騒ぎするのが心地よくて(どこまで幼稚やねん)、小さなヒーローになった気分でした(どこまで幼稚やねん)。

小さなヒーローはすぐ職員室に呼び出され吊るし上げられました。

「わざと0点取るなんてどういうつもりだ?」「学校を舐めてるのか?だったら学校来るな、やめろ!」

実際にはもっと酷い罵詈雑言を浴びせられ、最後に「何か言いたいことあるか?」と聞かれました。

私は「他にも0点がいたのはどういうことですか?」と答えました。

先生方は「やっぱりこいつはわけがわからない」という顔をして「他はマークシートのやり方を理解してなくて塗りつぶさずに◯をつけたりしてコンピューターが読み取れなかった」と説明してくれました。

私は心の中で「そっか、確かにそれは考えてなかった。何万人もいたら裏1番は不可能だった」と後悔しましたが、教室では大騒ぎしてくれてるから目的は達成したと、顔だけ申し訳なさそうに職員室を出ました。

それからしばらくして、学生運動の闘士だった(自称)担任の先生から、右翼の友人を紹介されたんです。

10代の私からしたら、左翼の先生が何で?という話で、当時はシャイで人見知りの激しかった私は「全く興味ないです」と断りましたが、無理やりに、田舎の炉端焼きやで猪(シシ)鍋を囲むことに。

右翼の人は先生と同年輩で、私と同い年の右翼のヒヨコを連れてきました。

今なら絶対アウトですが、当時高校生の私も教師同席、右翼同席で酒を飲み、イノシシを喰らい、資本論から三島由紀夫から、いろんな話をして、私は資本論なんて最初の2ページくらいで挫折してたにもかかわらずペラペラしゃべって、田舎の高校生としては刺激的な夜でした。

「親族を除いて誰か尊敬する人はいるか?絶対的にすごいと思える人はいるか?」。

そんなことを聞かれたとき、私はよどみなく「モハメド・アリ」だと答えると、二人は「そりゃそうだ」と爆笑してくれました。

私はリアルタイムでアリを知らないのですが、資本論の流れで知ったかぶりです。

ああ、そういうことなんです。

今、同じようなシチュエーションで、私が「マニー・パッキャオ」と言ったら、普通に「誰それ?」としかなりません。

先生と右翼と私が盛り上がる中で、私と同年輩の右翼のヒヨコは無口で黙ったままでした。

それでも、それから毎年、ヒヨコは年賀状を送ってくれてるのです。彼の几帳面な正確をすりつけたような綺麗な芋版で。

ときどき、5年に1回くらい、オリンピックよりも長い周期で、彼とは会って、私はお酒、彼はお茶を飲むんです。

先日がその周期でした。どちらからともなく電話して、メールじゃないんです、電話なんです。今回は私で舞台も靖国神社で。
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今日は好天夕焼け空が美しかった!そして、ここにもあった麗しき酒樽たち!

いろんな人生があります。

彼は自分が信じた「美しい国」の再建を目指してます。私から見たら「そもそも『美しい国』なんて存在したのか?」とも思います。

彼は「じゃあ、そもそも、なかったとしよう。でも私たちが考える『美しい国』は美しくないと思うかい?」。

めっちゃくちゃ硬い話なんですが、二人とも笑いながら言葉を交わしてるので、普通に昔話、世間話をしてるようにしか見えないかもしれません。
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靖国神社からすぐの町中華「洋々亭」で餃子をつまみながらバカ2人が日本の未来を憂うのです。まずは己の未来を心配せー!ちゅう話ですな。

醤油も酢もラー油もどれもこれも容器もテーブルも油でギトギト。この餃子は500円、ラーメン450円。すぐ近くにきっとギトギトじゃない「日高屋」もありましたが、バカと右翼には眼中にない!


前に書いた「地面師」の話もそうですが、高校時代、大学時代の私の周りには変な奴がひしめいていました。私もまた変な奴だったということですが…。

地面師になった委員長の彼女。初めて会ったときから右翼だった彼。

私は彼女や彼に「お前は真面目だな、真っ正直に生きたんだな」と半ば呆れて言いますが、彼らは私が一番、真っ正直で変わらない、と笑ってくれます。

もはや普通の世界にいない彼女は「アティーブメントテストで1番だと自慢してたの一生忘れない、本当のバカっているんだと思った」と可愛く笑い、世間からは白い目で見られる右翼の彼も「例のテストで面白いことしたバカを紹介したいって言われて会ったのがお前だった」と、街宣車でがなりたてる声とは違う小さな声で笑ってくれます。


でも、いつのまにか、そんな変な奴らは私から遠ざかっていきました。

いつのまにか、連絡を取るのは私からだけになってます。

私に気を使ってくれてアッチ(この表現いいですね、ぴったりです)から連絡しないでいてくれるのか。

それとも、面白い友達の枠から、私は外れてしまったのか。

……いつのまにか、私が彼らのような変な奴じゃなくなってるのだとしたら、それはかなり寂しい気もしてしまいます。
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小さい頃の夢はプロ野球選手になること。漫画家になること。

。。。。。誰でもいろんな夢を見るんでしょうが、才能が無いくせに諦めが悪くて、どちらも叶いませんでしたが…。

4月4日に池袋での仕事ついでに立教大学の赤煉瓦を見た足でトキワ荘の残骸を辿りました。
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あの頃は春でしたが…8ヶ月ぶりの再開です。


立教大学キャンパスから早足で椎名町駅へ。すぐに「トキワ荘ゆかりの地 散策マップ」を発見。

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「トキワ荘は豊島区椎名町5丁目(現・南長崎3丁目)にあったアパート。1953年(昭和28)年、その2階に手塚治虫が入居したことから「伝説」が始まりました。家賃は3000円、押入れ付き4畳半の部屋でした」。=南長崎花咲公園に建つ「記念碑 トキワ荘のヒーローたち」から=
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豊島区も「マンガの聖地 としま」としてモニュメントの建立など色々な事業を手がけているようです。

トキワ荘の足跡を探しながら、南長崎駅まで。なんと駅前交番はトキワ荘!徹底しています。
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1950年代から60年代、あの頃の面影は今の街並みに残っていませんが、モニュメントや交番は違和感なくそこにありました。

長らく書庫の奥で眠っていた「章説 トキワ荘の青春」(石ノ森章太郎)を読み返しました。

自宅には「少年たちのためのマンガ家入門」も物置の奥底にあるはずです。

初めて歩いた椎名町から南長崎の道。

阪神の片田舎に住んでいた少年にとって、新宿や渋谷よりも先に知った東京の町の名前です。初めて歩いた町とは思えない、親近感を楽しむことができました。

そうです、あれこれ想像を数え切れないほど巡らせた町です。違和感などあるはずがありません。

ここを手塚治虫や藤子不二雄、石森章太郎らが歩いたのかーー。

ボクシングでいえばカナストータ、野球ならクーパースタウン、マンガなら椎名町〜南長崎の街全体が神が住む殿堂です。
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歳を重ねると本を読んだり、映画を見たりすることが億劫になります。
私の性格が怠惰なだけですが。

特に新しいものには、食べず嫌い的に敬遠してしまうがちです。

ああ、でもそれは年とったからではないのかもしれません。もともと保守的で、既成概念から離れたフリして離れられない、しみったれた性質なんです。

そんな私が自分から手に取るわけのない軟弱な少女ファンタジーなカバーの「十二国記」シリーズを読むことになったのも、もちろん自分の意思ではなく人から薦められたからです。

今日、10月12日。その「十二国記」から18年ぶりに新作が出ました。 
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店員が売りたい、読んで欲しいという本なんでしょう、こんなチラシまで作った有楽町の三省堂では今日12日の朝8時から店頭発売するそうです。あいにくの台風…それもまた十二国記らしい話なのですが…。
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もう20年も前の話です。

結婚して子供が生まれて、自分の成長ではなく子供の成長を見守る第二の青春時代のような、そんな時期でした。

先輩からベビーカーやら子供服のお古をもらったり、学生時代の友人の結婚式に毎月のように出席してご祝儀と飲み会で安月給の生活が破綻寸前だったり…。

とにかく、慌ただしくて楽しい時代でした。

そんなとき、厄介な交渉をしなければならない仕事が舞い込んで来ました。

上司からは「非常にグレーな相手だから自分では最終判断するな」と助言された私は「非常にグレーって、それはグレーやのうて真っ黒でしょ?」と減らず口を叩きました。

いつもなら冗談に乗ってくる上司が真顔で「訂正する。真っ黒だ」と呟いたので、資料を受け取った私もそれ以上は聞きませんでした。

当時勤めていたのはカップヌードルから中東の巨大プラントまで、何でも扱う会社でしたが、土地取引はほとんど関わっていませんでした。

件の交渉相手は都心に大きな土地をいくつも持つ地主の代理人、といえば普通な感じですが、要は地面師でした。

誰も素顔を知らない、まあ地面師なんてそういうもので、結局は暴力団のフロント企業の代表だったりする「真っ黒」な輩です。

系列会社も絡む大事な取引先がこの地面師との不動産売買でトラブルになり、相手がどのレベルの反社なのか、要求が何なのかを最初に探りに行く仕事でした。

その相手が一筋縄ではいかない相手で系列会社の顧問弁護士まで手玉に取られたと聞いてましたから、ペーペーの私なんかが出向いてどうなるわけではありません。

要は時間稼ぎと、直接は誰も会えていない相手側のトップがどんな人物なのか、万一会えたら儲けものみたいな感じで私が選ばれたようです。

まだ、20代だった私は「お前みたいな下っ端に用はない」と言われたら、どう対応しようかいろいろ考えながら、普通の人は住まない赤坂紀尾井町にある大きなマンションに向かいました。

会社の人間から「昔、巨人のクロマティが住んでた」とホントか嘘かわからないことを聞いていましたが、マンションというよりもインテリジェントビルのような作りの建物でした。

会社と名前を告げるとオートロックが解除され、温厚そうな男性の声で「どうぞそのままエレベーターでお上がりください」と案内されましたが、もしかしたら後付けで勝手に思い込んでるだけかもしれませんが、シューーーッと上昇するエレベーターの中で抑えきれない嫌な予感が体の奥底から湧き上がってきました。

それは「相手の要求とはいえ、一人で来るべきじゃなかった」という類の嫌な予感ではありません。もし私から40分以内に連絡がなければ、駅で待機してくれてる他の社員が駆けつける算段でした。

しかし、私を拉致したり乱暴を働く相手ではないのは、わかっていました。

嫌な予感は会ってはならない相手がそこにいる、その予感でした。

その相手がそこにいるなんて絶対に想像すら出来ないはずなので、やはり後付けの予感だったのでしょう。

私を出迎えたのはインターホンで案内してくれた温厚な声の年配男性で、私を応接室に座らせると内線電話で「お若い男性がお一人で見えられました」と責任者、つまり〝一筋縄ではいかないお方〟に伝えました。

このままだとここで門前払いだなと、何とか食いつこうと思いましたが言葉が思い浮かびません。

すると、意外そうな表情で受話器を戻した男性が「どうぞ、こちらです」と奥へ促されました。

系列会社の顧問弁護士らでも直接の交渉出来なかった大物にこんなにあっけなく会えるのか、と私もあまりに意外な展開に「奥の部屋で待ってるのはお目当てのトップの人物ではないかもしれない」とも思いました。

私は、そこで「十二国記」を初めて目にするのです。



ーーーーー当時はバブル崩壊直前の時代。つまり、バブル絶頂期です。

なんだか信じられないようなこと、多くは品性下劣で思い出したくないようなことですが、よくよく考えると「楽してお金が儲かる」みたいな流れの世の中で、「二つの拳でしかカネは稼げない」ボクサーのあまりの潔さと純粋に私がボクシングにますます魅せられていったのは当然かもしれません。

それまで間歇的に購入していたリング誌を定期購読するようになったのも、この頃でした。浮き足立った世の中で、変わらぬ確かなものは毎月届くリング誌だけ…。

さて、ここからどうやってオブラートに包んでいくか、、、、。 





「十二国記」もまたスポーツです。

ファンタジー小説というよりも、山岳小説、登場人物はスポーツ選手のように純粋に人生の答えを探して行きます。

ファンタジー小説はすべからくスポーツではありませんが「十二国記」に限っては間違いなくスポーツ小説です。

あそこに描かれているのは、スポーツで最も大切なもの、その世界に他なりません。

つまり規律、Discipline の物語です。

ディシプリン。それが崩れたとき、国は傾き滅びる。それがもたらされたとき、破れた国は再び立ち上がる。




「十二国記」だけについて書くべきだったかもしれません。



よく考えながら、続きます。 
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2月だか3月に新幹線の車中に置いてある「トランヴェール」というJR東日本のフリーペーパーについて書きました。

意外と東日本の新幹線って乗る機会がないんです、私の場合。新幹線は9割方東海道です。

今日、東日本の新幹線に乗る機会がありトランヴェールと久しぶりの再会。

沢木光太郎の巻頭エッセイ「旅のつばくろ」は42回まで連載を伸ばしていました。
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前回は思いもよらぬ「沢木耕太郎」に中学時代の記憶がわーっと蘇りましたが、今回は座席のラックにトランヴェールを見つけて「ああ、そういえば沢木耕太郎の連載はまだ続いてるのかな」と手に取ったものの、そんな感傷に浸ることはありませんでした。

それにしても、ボクシングがニッチスポーツに陥ってから長い時間が経ってしまいましたが、ボクシングからはいつも文学的な風が吹いていました。

沢木耕太郎はもちろん、先日亡くなった安部譲二と彼にボクグジムを紹介された三島由紀夫、石原慎太郎、寺山修司、香川照之、百田尚樹らが能動的にボクシングを語ってきました。

総合格闘技やキックボクシングは歴史的・地球的背景を持たず、スポーツとも認知されていないためか、何かを語る有名人や文化人のほとんどは受動的な番組お抱えタレントです。

そんな、なんだか知的なフェロモンがボクシングから発散されているのも、勉強が出来ない劣等感をひた隠すバカ中学生がこのスポーツに憧れた一因です。

なんて言いつつも前の回で書いたように、沢木耕太郎も知りませんでしたが、なぜかアーネスト・ヘミングウェイは読み込んでいたんです。

野球部の監督の影響でしたが、チームメイトが続々脱落する中、私はのめり込みました。

「武器よさらば」「老人と海」「誰がために鐘は鳴る」などの王道よりも「我らの時代」なんかの短編集に登場するボクサーの話に想像力を強烈に刺激されました。

もう何十年も読み返していないヘミングウェイを無性に手に取りたくなりました。

それにしても、ハードカバーや文庫本のヘミングウェイは実家に保管しているのか、記憶は定かではありません。

出張から帰って読むには改めて購入して買うしかないようです。仕事終わりは明日の夜なので、日曜日にマラソングランドチャンピオンシップを観てから〝書を求めて街に出よう〟と思います。
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