フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 国際ボクシング名誉の殿堂

軽量級、フェザー級を語るとき、絶対に欠かせない名前がいくつかあります。

エウゼビオ・ペドロサも間違いなくその一人です。

日本でもロイヤル小林やスパイダー根本を相手に、その技巧とスタミナを披露、日本人の挑戦を阻み、世界のフェザー級がどれほどの高みにあるのかを、極東のファンに思い知らせてくれました。

「パナマのサソリ」と畏怖された、そのグレートが3月1日に膵臓癌のため亡くなりました。

62歳の生涯でした。
 
Many fighters earn the “road warrior” tag in their careers, but few wore it as prominently as did Eusebio Pedroza.  ボクシングの世界では「ロードウォリアー」(敵地で戦う勇者)という言葉がよく使われるが、エウセビオ・ペドラサよりもそれが当てはまるボクサーはまずいない。〜リング誌

BoxRecでは1956年3月2日生まれの62歳。ウィキペディアでは1953年3月2日生まれの65歳とボクサーによくある〝生年不明〟ですが、ESPNをはじめ米国の大手メディアが報じている62歳が正解でしょうか。

いずれにしても、明日が誕生日という日に天国に旅立ちました。

通常、年齢をサバ読むのは若く見せるためですが、ボクサーの場合はその逆も多く見られます。
プロ資格の年齢に達していないための方便で、マニー・パッキャオの例が有名です。

青少年の健康と安全がより重視されるようになった現代では、最近でも問題になったムエタイ選手の事故死など絶対にあってはいけない悲劇です。

もっと厳しく取り締まらなければなりません。

それにしても、ペドロサです。

日本では身長177㎝と紹介されることもありましたが、多くのデータでは5フィート9インチ(173㎝)、リーチは174㎝です。

日本のボクシングファンにとっては、本当に気高く厚い壁でした。

殿堂入りのグレートは1973年プロデビュー。それから1992年までの20年間にも及ぶ長い時間を、この過酷な職業に従事したのです。

フェザー級王者としての伝説的な治世は1978年から1985年の8年間に渡り、なんと19連続防衛を成し遂げ、そのうち13度も敵地で戦ったのです。

この栄光に彩られたキャリアですが、前半は必ずしも順風満帆とはいきませんでした。

母国パナマ国内でのみ戦っていたペドロサが、世界初挑戦のチャンスを掴んだのは1976年4月3日。

14勝9KO1敗の好成績を引っ提げて、22歳の若者は初の海外遠征、その舞台メキシコに勇躍乗り込みました。

しかし、相手はWBAバンタム級王座に君臨しているアルフォンソ・サモラ。こちらは20歳の若さで「全階級を通じて最強打者」と言われた稀代のビッグパンチャーです。

経験が乏しく、優しい性根のパナマ人が過酷な減量で衰弱した肉体で戦うには、最も相性の悪い相手でした。

24戦全勝全KO、自信満々のメキシカンが羽織った魔法のガウンを脱がす術など、当時のペドロサは持ち合わせていません。

わずか2ラウンドで世界の夢を木っ端微塵に打ち砕かれてしまいます。

続く復帰戦でも、強打のベネズエラ人、オスカー・アーナルの地元カラカスのリングでKO負け。

長身のフェザーは「グラスジョーの内弁慶」と嘲笑されました。

その後、引退までに3つの敗北を追加してしまいますが、KO・TKO負けは一度もありませんでした。なんという図抜けた学習能力の高さなんでしょう。

引退後は母国での人気と知名度から政界にも進出、ボクサーには珍しい堅実な生き様が印象的なグレートでした。

パナマのサソリが躍動した1978年から1985年は、モハメド・アリが晩年から引退とボクシング界は〝日没〟を迎えていました。

しかし、一方でファンの価値観は多様化、ヘビー級が沈んでも、ヒスパニックのボクシング文化は日の出を迎えていました。

ヒスパニック、つまりは中軽量級の時代です。

ロイヤルとスパイダー、ルーベン・オリバレス、ロッキー・ロックリッジにホルヘ・ルハン、ファン・ラポルテ・・・富裕国や人気者のボクサーが待ち構える敵地でも好んで戦い、世界にその技巧を誇示した〝スコーピオン〟。

その姿からは、かつてのひ弱さはカケラも見つけることは出来ません。

エウセビオ・ペドラサのキャリアは、魅惑的な山岳小説であり、多くの人々を引き込む成長物語でした。

20連続防衛を止められたバリー・マクギガンとの試合では、フェザー級史上最高(当時)報酬の100万ドルを受け取ります。

現在、軽量級きっての高額所得者レオ・サンタクルスも100万ドルプレイヤーですが、ペドラサの100万ドルは、今から30年以上前の話です。

その後、フェザー級ではイエメン王国の庇護と寵愛に後押しされたナジーム・ハメドや、ボクシング大国メキシコのPFPファイター、マルコ・アントニオ・バレラやエリック・モラレスが1試合100万ドルの壁を大きく上回る報酬を手に入れますが、彼らはAサイドのボクサーです。

軽量級のパナマ人であるペドロサは、ある意味で同胞のロベルト・デュランよりも大きな荷物を背負って戦っていたのかもしれません。

中量級のデュランは米国という多国籍国家に歓迎されましたが、軽量級のペドロサは日本や韓国、英国など、開放度という点で米国とは比較にならない国で戦わなければなりませんでした。


62歳。若すぎます。


「ロイヤルのパンチが当たれば倒せる」と応援していた日本のファンを、絶望の谷に突き落とした、ペドロサのしなやかな強さは忘れられません。

It was a pleasure to share the ring with him. ~Barry McGuigan

偉大なペドロサと戦えたことは人生最高の喜びの一つだ。 バリー・マクギガン。

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リング誌、ESPNよりも格式高いFighter of The Year が 、Boxing Writers Association of America選出のFighter of The Yearです。

全米ボクシング記者会ですね。

Fighter of The Yearは「シュガー・レイ・ロビンソン賞」、ボクサーにとって最高の名誉です。昨年はワシル・ロマチェンコが初受賞。

アジアからはマニー・パッキャオが史上最多タイの三度(他にはモハメド・アリ、ジョー・フレイジャー、シュガー・レイ・レナード、イベンダー・ホリフィールド、フロイド・メイウェザー)に輝き、ノニト・ドネアも2012年に受賞しています。
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ボクサーにとって最高の名誉シュガー・レイ・ロビンソン賞をアリらとともに史上最多3度も獲得したパッキャオ。

「米国市場で活躍したボクサーに偏重している」というやっかみもありますが、21世紀になってからでもリッキー・ハットン(2005年)、カール・フランプトン(2016年)が受賞しています。そうはいっても「“英”米に偏重」していますが。

BWAAは、このFighter of The Yearの上(?)に、Fighter of The Decadeという年間ならぬ
「10年最高選手」といものも表彰しています。直近2000~2009年ではマニー・パッキャオが
文句なしで選ばれました。

しかし、2000~2003年に全盛期だったロイ・ジョーンズのことはみんな忘れてしまっていました。

こんな感じで、ラウンドの採点同様に、後半(十年期の末期)に印象的な活躍をしたボクサーが有利になるという違和感を覚えるケースもままあります。

そして、このBWAAは International Boxing Hall of Fame(ボクシング殿堂)の選出も行っています。

Fighter of The Yearがその年の熱狂で選ばれることがあるのに対して、殿堂は引退5年後から資格発生、
いわゆる“頭を冷やす時間”が十分あるのです。

年に最大三人が“入神”する殿堂よりも、年に一人しか受賞できない
Fighter of The Yearの方が価値も
あるし、難易度も高いと思われがちですが「現実には頭を冷やして考えると、あいつは大した
ことなかったから殿堂はナシ」なんてボクサーもいます。

今年、一発殿堂(資格発生即殿堂入り)が期待されたリッキー・ハットンがそうです。今年選ばれ
たのはビタリ・クリチコ、エリック・モラレス、ウィンキー・ライトの三人、英国のヒットマンは
選から漏れてしまいました。

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殿堂の選考には明確な基準は無く、ダニエル・サラゴサやアーツロ・ガッティのような普通の神経を持ったボクシングファンなら首を傾げる一発殿堂もありました。

サラゴサがありなら渡辺二郎もありだろう、ガッティありなら畑山隆則もありだろう、と思ってしまいます。

まあ、しかし「世界評価」を得たいのなら、奴らのモノサシに適う活躍を見せるしかありません。

奴らは、見掛け倒しの数字を最も嫌います。レオ・ガメスやウィラポン・ナコンルンアンプロモーションは殿堂選考委員の嫌われ者です。奴らが重視するのは「誰に勝ったか、その勝利がフロックではなかったか」です。

奴らの評価基準と、どうしたら日本人ボクサーがファイティング原田以来の、近代部門での殿堂入りが果たせるのか、もう少し考えてゆきます。
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かつて日本人には敷居が高かったリング誌やESPNのランキングでしたが、内山高志や山中慎介、井上尚弥が続々とランクイン。しかし、日本人ボクサーの米国市場での注目度は依然として低く、両メディアで大きく特集されることはありません。井上には、パックマンのように米国の石頭をカチ割るような大活躍を激しく熱く期待します!=ESPNマガジン〜世界を支配した20人のアスリート」より。ボクシング界からは、マネーが8位、マニーが19位に入りました。


世界で活躍する日本人アスリートが増え、「世界評価」に関して多くの記事を新聞やネットで読むことが出来るようになりました。

プロボクシングでも、米国メディアの評価に多くのファンが注目しています。

「リング誌のPFPランキングで井上が6位に上がった」「ボブ・アラムが村田諒太は体格差を活かしてゲンナディ・ゴロフキンに勝てると見ている」…。

日本のボクサーが「ラスベガスで試合がしたい」「ビッグネームと戦いたい」と熱望するとき、それは「世界評価を得たい」からです。

では、世界評価とは具体的には何なのでしょうか?

かつてBoxing Scene.com は長谷川穂積と西岡利晃をPFP10傑に数え、井上尚弥を2014年のFighter of The Yearに選出しましたが、それをもって「長谷川や西岡もPFPファイター」「井上は世界最高選手」と喜んだファンはいないでしょう。

権威あるリング誌や、世界最大のスポーツメディアESPNよりも、Boxing Scene.com の格が落ちると考えられているのかもしれません。

では、最も権威あるFighter of The Yearは、リング誌とESPNが双璧なのでしょうか。

最近の両メディアのFighter of The Yearですが、意外なことに食い違っている年が多いのです。

2012年はリング誌がノニト・ドネアで、ESPNはファン・マヌエル・マルケス。続く2013年もアドニス・スティーブンソンにフロイド・メイウェザー、2014年はセルゲイ・コバレフにテレンス・クロフォード、2015年はタイソン・ヒューリーとカネロ・アルバレスと4年連続で一致しません。

2016年はカール・フランプトンで〝合意〟するも、昨年はワシル・ロマチェンコとクロフォードと食い違いました。

確かに、非常に難しい選択です。例えば昨年のロマチェンコvsクロフォードなんて、同じ専門家でも聞く日が違えば違う答えが返って来そうです。

では最も名誉あるFighter of The Yearは、かつてのマニー・パッキャオのようにリング誌でもESPNでも満場一致で選ばれることなのでしょうか?

…違いますね。
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