フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: 村田諒太

あとから思えば…。

そういうことはよく、よくあります。

多くの場合は、はっきりと、そして忌々しく印されたいくつもの予兆に気づかずに、泥沼の事態に嵌まり込んでしまう、悔恨と怒りが混じり合う最悪の「あとから思えば…」です。

しかし、こんな時期にそんな馬鹿なことを言い出すわけにはいきません。


だから、明るい、素晴らしい「あとから思えば…」のお話です。

「あとから思えば…」。

2011年7月3日〜9日、ジャカルタで開催された「第21回インドネシア大統領カップ」は日本のアマチュアボクシングはもちろん、プロボクシングの現在地図から振り返っても、明るい未来へのパスポートが確かに発行された大会でした。

ロンドン2012を翌年に控えて「ここで負けたら話にならない」という国際大会です。

戦前は女子選手の充実ぶりが伝えられましたが、男子もアジア大会で連続銅メダルに輝いた須佐勝明を中心に「あとから思えば…」な豪華な名前がエントリーされました。


しかし、当時もすでに腐敗を極めていた日本ボクシング連盟の許されざる醜態は、この時点ではまだ白日のもとに晒されていません。

既得権益にしがみつく暗愚で理不尽な老人たちが仕切る腐敗連盟から派遣されたにもかかわらず、赤道直下のジャカルタに降り立ったのは、ボクシングファンが誇るにふさわしい史上最強の日の丸部隊でした。

総監督は父親同様にボクシング経験ゼロ!という山根昌守さんという、常識では絶対考えられない最悪最低の布陣。

そんな腐った組織でも、ボクシングが素晴らしいスポーツであることは揺るがしようもない永遠不滅と絶対不変の事実です。

そして、2004年のスマトラ島沖地震から中止が続いていた「大統領カップ」を復活開催にこぎつけたインドネシアに招かれたこの日本代表選手団もまた、この年に見舞われた未曾有の天災に閉塞した母国をあとにして亜熱帯のリングに上がったのです。

本当にいろんな意味で「ここで負けたら話にならない」。

そんな戦いに選手たちは躍動してくれました。
 

金メダルの期待が大きかった清水聡(ロンドン2012:バンタム級銅メダル)がまさかの初戦敗退、国際的な実績豊富な川内正嗣も準決勝で涙を飲んだ一方、須佐は52kgで優勝するなど金メダル3個、男女合わせたメダル総数は8個に上りました。

須佐の他、2つの金メダルは、なんとなんと国際大会初体験の二人によってもたらされました。

一人は49kg級の相模原青陵高校3年生。当時、まだ17歳!

準決勝の相手は、前年の全日本選手権で敗れた林田太郎を競り落とした中国の強豪ウー・ロングオ。
「不利」の予想通りにポイントでリードを許す苦しい展開でしたが、激しい打ち合いの末に逆転勝ちを収めます。

事実上の決勝戦を制した17歳は、そのままの勢いで国際大会デビューを優勝で飾りました。

帰国後すぐに行われた世界選手権代表選考試合でも、苦手なクロスレンジを徹底的に避けて林田を振り切り、雪辱。日本最強を証明して、代表切符を手にすることになるのです。



そして、もう一つの金メダルは75kg級。世界のミドル級です。

この金メダルは、全試合KO・RSC!と圧巻の内容で、やはり国際大会初体験の東洋大学職員の首にかけられたのです。

知的で温厚で優雅な現在のたたずまいからは想像も出来ませんが、当時は記者からの無神経な取材には苛立ちを隠さない態度で応じていました。

「日本人にミドル級は無理?いつまで同じことゆうとんねん」。
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インドネシア大統領杯。「ここで負けてちゃ話にならない」。そうです。まさにその通りでした。


そして、まさしく「あれから僕らは…」。

灼熱のジャカルタから二人の「物語」が走り出したのです。

さあ、アゼルバイジャン世界選手権!世界中の強豪が集結するバクーの決戦です!
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ボクシングマガジンとボクシングビート、二つの専門誌があるのは嬉しいことです。

毎月、どちらかを購入していますが(忘れることもあります)今月はビートを買いました。

「チャンピオンがアマチュアだった頃」という特集に惹かれたからです。

内容は「2012年6月の村田諒太と井上尚弥」というタイトルどおりで、それなりに面白かったのですが…。

その1年前、村田が初めて国際大会で優勝した2011年7月の「第21回インドネシア大統領カップ」から10月のアゼルバイジャン・バクーの世界選手権、日本ボクシング史上最も濃密な4ヶ月の物語をご紹介します。
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開幕まで140日を切りました。(画像は昨日のカウントダウンタイマーです)


紆余曲折の末にヨルダン・アンマンで開催となった東京2020のアジア・オセアニア予選。

選手たちは現在奮闘中です。

応援している選手が敗退するニュースを読むのは悲しく厳しいですが、残っている選手は金メダル目指して頑張れ!

予想どおり、女子は大健闘、このまま大きなお土産を持って帰国して下さい。
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日本ボクシングの悲願達成、そのリングが年末に用意された模様です。
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 さすがにこのタイミングで日本ボクシング史上最大のイベントの発表は出来ません。

この鬱屈した日々は必ず、近いうちに収束します。

試合までに世界史上、最も倒しがいのある赤毛の人気者は顔見せのために何度来日してくれるのでしょうか。

最初は、五輪に合わせてのこのこやって来る可能性が高いですね。

五輪が終わったら、米国のメガファイトに倣って全国主要都市のプロモーショナル・ツアーです!

カネロ、日本では知名度低いですが、世界中探してもその名を知らないボクシングファンはいない「超ピッグネーム」というだけでは正確な表現ではないほどの巨大な存在です。

今まで負けろ、負けろと呪いをかけていたカネロですが、こういう風向きになるともう万全・完璧のコンディションで年末のリングに上がって頂きたい!!

お体には本当にご注意下さい。
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とにかく健康と怪我には気をつけて、試合に負けるとか苦戦するとか評価が下がるようなことはもっての他!です!!!

戰慄の圧勝劇でさらに評価を沸騰させて東京ドームのリングに上がって下さい!

兎にも角にも。夢の舞台がセットされました。

あとは夢を現実にするだけ、勝つだけ、です。
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5月2日のシンコデマヨ週間にセットされているカネロ・アルバレスのメガファイト。あと11週間を切ったというのに、まだ対戦相手が決まりません。
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日本時間の今日、ゴールデンボーイプロモーションズ(GBP)のオスカー・デラホーヤは「ビリー・ジョー・サンダースとカラム・スミスへの対戦オファーの返答期限を週明けの月曜日(日本時間2月18日火曜日)で締め切る」と語りました。

5月2日のシンコデマヨ週間に行われるカネロ恒例のメガファイトは、 英国の二人のスーパーミドル級王者に絞られていました。

サンダースとスミスをプロモートするマッチルームのエディ・ハーンは「We’re not muppets.(私たちはGBPの操り人形じゃない)。カネロとの対戦には然るべき市場価格がある」とし、GBPの提案条件に不満を見せ、交渉は最終段階で停滞。

ハーンは「カネロと並ぶスーパースター、アンソニー・ジョシュアの対戦相手にも大幅に譲歩してきた。ジョシュアの対戦相手はキャリア最高の報酬を提示しても、誰も首を縦に振らない。そういう業界の常識をデラホーヤはわかっていない」と非難しています。

しびれを切らしたデラホーヤは「ハーンはどちらが主導権を握っているのか理解出来ていない。もし期限までに返答がないなら、私たちは4人の対戦候補との交渉に入る」と語っていますが、その4人が誰なのかは明らかにしていません。

日本の村田は現時点の米国での知名度が低く、メガファイトとなるのは日本開催に限られています。このジャパン・オプションは最も大きな興行の一つと期待されており、わざわざラスベガスに村田を呼ぶことはDAZNも消極的。

米国のボクシングニューズ24は、IBFスーパーミドル級王者ケイレブ・プラント、GGGを苦しめたセルゲイ・デレビャンチェンコ、WBAズーパーミドル暫定王者クリス・ユーバンクJr.、元WBOJr.ミドル級王者ハイメ・ムングイアが「4人」だと予想しています。

プラントは今日、無名のドイツ人ビンセント・フェイゲンブッツを10ラウンドTKOで一蹴、2度目の防衛戦に成功しています。

スピードとテクニックに秀でたSweethandsは、ドーピングの教祖ビクター・コンテを栄養指導に招いてから当日のリバウンド幅も絶妙で、カネロにとってリスクを孕みます。

デレビャンチェンコをスーパーミドルに引っ張り上げるならリスクはないものの、このウクライナ人はとにかく人気がありません。

ユーバンクJr.は、無敗のスミスとサンダースからの方向転換では明らかに格下感が充満してしまいます。

今年1月にミドル級デビューしたばかりのムングイアをスーパーミドルやキャッチウェイトの枠に嵌めるのも、風当たりが強いでしょう。

ライトヘビー級のWBA王者ディミトリー・ビボルはかねてから「カネロと戦えるならどんな契約体重でも受け入れる」と表明、今回も「ミドルでも準備OK」と2階級下げることも厭わない姿勢を見せていますが…。
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1988年、東京ドームはボクシングの試合によって実質的なこけらが落とされました。

言わずと知れたマイク・タイソンvsトニー・タッブスの世界ヘビー級タイトルマッチです。

現実には、3月21日に行われたメガファイトに先駆け、17日に巨人vs阪神のオープン戦が行われています。しかし、あれはウィークデイ(木曜日)に行われた球遊びの練習試合で意味はありません。

来る3月21日(月・祝=春分の日)に行われる世界が注目するイベントで、出来立てホヤホヤのドームに不具合がないかをチェックする予行演習という意味はありましたが。

完成したばかりの全天候型多目的スタジアムは、タイソンの拳によってお披露目されたのです。

「日本初のドーム」は当時、〝巨大〟スタジアムでもありました。後楽園球場ではレフト中断に本塁打を叩き込んでいた原辰徳の打球がフェンスを越えることができず、スポーツファンはその広さにため息をつきました。

今では想像もできないかもしれませんが、東京ドームは広くて本塁打の出にくい球場だったのです。

憎き読売の本拠地、東京ドームの悪口を書き出すと、また脇道に逸れてしまうので話を戻して…。
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今は「東京ドーム」と呼ばれることがほとんどですが、当時のメディアは愛称である「ビッグエッグ」を好んで使っていました。しかし、見事に定着しませんでした。

今、「ビッグエッグ」なんて言うと「何?それ?」って聞かれかねません。

1988年、バブルが膨張し始めたカラフルな時代でした。

そして、世界のスポーツを体感したことがない日本にとって「マイク・タイソン」は、のちに日本で行われるサッカーW杯も上回る「本物が来る」という刺激と興奮の塊のようなイベントでした。

試合の5週間も前、2月17日に来日した「世界一有名なアスリート」はホテルニューオータニのワンフロア丸々を占拠。

この日から1ヶ月余り続く、お祭りが開幕します。

タイソンはスイートルームにかりそめの居を構え、のちの世界王者オリバー・マッコールら5人の豪華スパーリングパートナーを引き連れ、翌朝にはまだ薄暗いうちに起床、迎賓館から絵画館へロードワークしました。

ホテル前で待ち構えていた多くの記者とカメラマンが、タイソンを追いかけます。

ちなみに、ホテルの滞在費は約4000万円、スパーリングパートナー5人に支払われた1ヶ月の報酬は各120万円、計600万円。食費なども含めた陣営の滞在費は2億円を超えました。

大好物のメロンが1個3000円(どこのメロンやねん?千疋屋?)と聞き、「高い!」と驚いたタイソンでしたが、誰もが「いや、あんたにとったら激安やん」と誰もが突っ込んだものでした。

とにかく、何もかも、全てが規格外。

ファイトマネーはタイソンが6億5000万円、タッブスが1億400万円と聞くと、パックメイを知る人は「安ッ!」と思うかもしれませんが、これも当時としては破格。

Lineal Championマイケル・スピンクスとの決戦では、スポーツ史上最高報酬の22億円が最低保障されていたタイソンにとって、タッブス戦はまさに肩慣らし、オープン戦でした。

日本史上、ペリーとかマッカーサーとかモハメド・アリとか多くの来賓・国賓、ピッグネームがこの国にやって来ましたが、最も贅沢に振舞って、最も注目を浴びたのはタイソンです(ペリーとマッカーサー、アリの時代は知りませんが…)。

日本テレビの大スタジオでの記者会見は米国の主要都市と同時生中継、高砂部屋に大関・小錦を訪ねてちゃんこ鍋を食べるなど、世界のスーパーアイドルとしてのスケジュールもこなし、タイソンがどこへ行ったか、何を食べたか、その一挙一動がテレビやラジオ、新聞・雑誌で毎日取り上げられました。

米国でも超がいくつもつく有名人でメディアに追い回されるのは慣れっこのタイソンでしたが、日本でのフィーバーには「クレージー」と何度も口にしてしまうほど。あまりに激しいカメラのフラッシュに、陣営は「1社につきカメラマンは1人」と報道規制を敷きます。

複数のカメラマンが許されたのは〝今は亡き〟HBO。タイソンと6試合35億円の巨額の契約を締結したばかりで、メインの解説をつとめるシュガー・レイ・レナードをはじめ何と60人の大部隊を東京に送り込んでいました。

とにかく、もう何もかも、全てが規格外でした。

「これは私たちがよく知っているボクシングの世界タイトルマッチとは全く違う」。

誰もがこれから見ることになるスペクタクルの大きさに、気づいていました。 

別世界の怪物と、私たちをつないでくれたのは一つの有名なエピソードです。


…タイソンフィーバーに沸くある日、取材にニューオータニを訪ねたファイティング原田は、ガードマンに行く手を遮られてしまいます。

日本メディアのパパラッチぶりにうんざりしていたタイソンは、スケジュールに組み込まれた予定すら拒否するようになっていました。

ましてや、アポなし訪問なんて受け入れるわけがありません。

しかし、その名前を聞いたタイソンは「私が最も尊敬しているボクサーの1人だ。本当に原田本人か?」と確認すると「部屋に通してくれ」となんと自室に招き入れたのです。

クラシックファイトから多くを学んだタイソンの教科書の一つが「原田vsエデル・ジョフレ」でした。

来日が決まってからも「原田はまだ生きているのか?」と気にかけていたタイソンにとって、ご本人が自分を訪ねて来たことには感動したでしょう。

カス・ダマトが「小さなファイターの仕事は距離を潰すこと」と教え、何度も見た白黒ビデオの中で躍動していた原田。

ベッドルームの壁に原田vsジョフレの写真がピン留めされていたのを見た偉大な原田も、さぞかし嬉しかったでしょう。

そして、タイソンの出待ちでたむろしていた大勢の報道陣は、タイソンの許可がなければエレベーターが止まらない最上階フロアのスイートルームに招かれた原田の後ろ姿に、母国のグレートがいかに尊敬された存在であるのかを思い知ったことでしょう。
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もはや雲を掴むような話ではなくなった、日本ボクシング史上最大のメガファイト。

日本人が戦った最も価値のある相手はファイティング原田のエデル・ジョフレ(1960年代PFP1位)で誰も異論はないでしょうが、カネロも現在PFP1位。世界最高のボクサーの1人と認められています。

赤毛のメキシカンが2020年代でも1位になるのは難しいかもしれませんが、ジョフレに次ぐ価値ある相手と言っても差し支えないでしょう。

そして、日本人が戦った最も大きな名前は、ガッツ石松のロベルト・デュランで、これも対抗馬は見当たりません。
ただし、デュランは世界のトップランナーではなく、シュガー・レイ・レナードとマービン・ハグラーが主役を務めた大舞台の名脇役でした

カネロは間違いなく傑出した主役で、為替換算してもレナードやハグラー、マイク・タイソンを報酬で凌駕する問答無用のスーパースターです。
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 「カネロ、まさかの大番狂わせで東京に堕つ!」。そんなニュースが世界のボクシングメディアを駆け巡るまで、あと少しです。

そんな実力と人気で世界最高のボクサーが日本の村田諒太と拳を交える可能性が高まっているのです。

気がかりな点としては、人気でしょうか。正確に言うと「日本での人気」です。

タイソンが 東京ドームに初めて登場した1988年、WBA/WBC/IBFの主要3団体のベルトをコンプリートしていた21歳は、日本でも世界でも一番有名なアスリートでした。

日本での防衛戦が決まるや、トヨタやサントリーなど大企業がタイソンをコマーシャルに起用、新聞雑誌もこぞってタイソンを特集しました。

当時、タイソンを知らない日本人はほとんどいなかったはずです。

週刊新潮がスクープした最初の日程(5月24日)が後ろ倒しになったことは幸いでした。たった3ヶ月ではカネロの日本での認知度は低いままで 試合を迎えることになっていたのですから。

それでも、32年前のタイソンと比べるとカネロの名前は頼りなさすぎです。

今も昔も日本が経済大国であることに変わりはありませんが、当時はバブルに向かって加速〝カネ余り〟なんて言葉があちこちで聞かれた時代です。

将来に不安を抱えて倹約ムードが沈殿している現在とは、何もかも違います。

しかし、そんな不安を一気に払拭してくれるのは、カネロと対戦するのが村田だという一点です。

今では大成功だったと伝えられているタイソンの東京ドーム2試合(1988年/1990年)の入場者数は、主催者発表の「5万1000人」「5万1600人」は事実ではありません。

あれだけ空席が目立っていたのにフルハウスの大盛況だったわけがありません。

そして、そもそも東京ドームにはアリーナ席を増設しても5万1000なんて入りません。

もちろん、白井義男の4万5000人も事実ではありません。
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日本で事実と大きく異なるストーリー(その多くが捏造された美談です)が流布されているタイソン像 と同様に、あの2試合もダークサイドを抱えていましたが、今は無かったことにされています。

「お祭りの粗探しをするな」ということです。

カネ余りのバブルを迎える狂気に沸いていた日本はゴッホのひまわりを買うように、マイク・タイソンを招聘したのです。

当然、いろんな瑕疵がありました。

それでも、虚飾と欺瞞が渦巻いていたとはいえ、32年前に東京ドームで世界的なメガファイトが行われた事実に変わりはありません。

32年の時を経て、東京ドームで行われるメガファイトと、村田に勝機はあるのか?をじっくり考えてゆきます。 
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カネロ・アルバレスとは何者か?

前回は日本のボクシング史上最大の「メガファイト」を振り返りましたが、今回は「ビッグネーム」。

メガファイトの舞台に上がるのはビッグネーム、ビッグネームが絡むからメガファイト…多くのスポーツでは確かにそうですが、そうとも限らないのがボクシングの魑魅魍魎たる所以です。

例えば、ローマン・ゴンザレスは軽量級史上初のPFPキングに就き、その座を2年も守りましたがメガファイトとは無縁でした。

ノニト・ドネアやリカルド・ロペスもPFP3位まで登り、ドネアはBWAAのシュガー・レイ・ロビンソン杯(年間最高選手賞)まで獲得しましたが、やはりメガファイトのリングに上がることはできませんでした。

ロペスに至っては女子ボクサーの前座など、屈辱的な扱いも受け続けました。

そしてロマゴンもドネアもロペスもリング誌の表紙を単独で飾ることはありませんでした。

軽量級の悲哀です。
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リング誌は1年前までGBPの子会社だったとはいえ、カネロマガジンの様相です。リカロペやロマゴン、ドネアの悲哀を思うと、井上の単独カバーも素直に喜びにくいものがあります。

一方、ジュニアミドルからライトヘビー級を制したカネロ・アルバレスはリング誌を何度カバーしたか…もはや数え切れません。

リング誌カバー率でいえばフロイド・メイウェザーはもちろん、全盛期のマニー・パッキャオも上回る頻度でしょう。

メガファイト同様、ビッグネームにも明白な定義はありません。

あえて定義づけるなら「人気」「報酬」「実力」 がモノサシになるでしょうか。

「報酬」は「人気」に比例するのはプロスポーツである限り当然ーーーというのは間違いです。多くのスポーツで「報酬」に直結するのは「実力」です。

例えばプロ野球の世界で斎藤佑樹の知名度はトップクラスですが、報酬は全く追いついていません。サッカーでもテニスでも、強さと報酬は同義語です。

また、松坂大輔のような衰えた選手は、どんなに人気のある伝説であっても低報酬に甘んじるしかありません。

しかし、ボクシングにはフリオ・セサール・チャベスJr.や亀田興毅のような人気者は実力不相応の報酬を手に入れてしまいます。

マニー・パッキャオの報酬は、テレンス・クロフォードやエロール・スペンスの10倍では済みません。

村田諒太もジャーモル・チャーロやデメトリアス・アンドラーデと戦うとなると不利予想、つまり実力は彼らより下と見られています。しかし、報酬は彼らの何倍も得ています。

井上尚弥の世界的な人気が高まっているのも、WBSSで優勝したからでも、ドネアに勝ったからでもありません。そんなの全く関係ありません。

WBSS優勝で人気が出るわけがありません、そもそも米国で不人気の階級を軸に展開しているトーナメントなのです。ドネアに勝って人気が出るなら、誰も苦労はしません。

井上の商品価値が急騰したのは、さいたまスーパーアリーナに有料観戦者を2万人以上も集客した光景を世界が目撃したからです。

米国や英国で中途半端な興行の前座を戦っていたら、井上は普通の軽量級です。誰も井上とは戦いたがらないでしょう。

この「人気=報酬」というボクシングの闇を凝縮した存在がカネロです。

チャベスJr.や亀田のような「実力」を伴わない「人気」「報酬」は厳しい批判の矛先に晒されてきましたが、温室で育てられたはずのカネロは、いつのまにか「実力」まで習得しているから厄介です。

厄介だと思うのは、カネロが躓くのを期待している私たちひねくれたボクシングファンですが。

もちろん、赤毛の人気者が勝ったゲンナディ・ゴロフキンは2017年バージョン。セルゲイ・コバレフも敗北と私生活のトラブル、さらに当日軽量のリミットで牙を何本も抜かれた状態でした。

カネロの実力がどこまで本物なのかは、まだいくつも疑問が残ります。

超強豪に勝ってるように見えるカネロですが、GGGもクラッシャーも劣化版でした。

どうして2015年のGGGとは戦わなかったのか?

どうしてアルトゥール・ベテルビエフではなくコバレフだったのか?

偶然やたまたまではありません。 リスクは負わなかったのです。勇気がなかったのです。

あのコバレフを追いかけまわして殴り倒した… 確かに衝撃的でしたが、今のライトヘビー級の帝王はコバレフではありません。あのコバレフは、かつてのコバレフではありません。

コバレフが「5年前ならカネロをKOできた」と悔しがらずに、「ありがとう、カネロ、本当にありがとう」と何度も何度も不自然なまでに感謝していた姿は、私たちアンチを少しだけ慰めてくれました。肉体はもちろん精神までもクラッシャーではなくなっていたことがはっきり伝わったからです。

あのリングにいたのは、誇り高きクラッシャーではなく、カネを恵んでもらって感謝しきりの物乞いだったのです。

8ヶ月前、去年5月にダニエル・ジェイコブスとぐずぐずの12ラウンドを過ごした、あれがカネロの正体でしょう。

相手が劣化と金欠に悩むコバレフでなければ、ライトヘビー級には上げなかったでしょう。

ロイ・ジョーンズJr.を思い出します。やったことは、全く同じです。強い主人のいない、弱い留守番しかいない家に入った空き巣です。そして、主人が帰ってくる前にとっとと退散。

納得できませんが、ジョーンズと同じ運命、空き巣から戻ったクラスで、大番狂わせに沈めてやりましょう。 
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日本ボクシング史上最大のメガファイトは?

「メガファイト」に定義はありませんが、ここでは「興行規模」「テレビ視聴率」「試合の持つ価値」の3点から振り返って見たいと思います。

まず、興行規模では「白井義男の後楽園球場での世界戦シリーズ」でしょうか。1950年代、巨大スタジアムに4万人前後の観客を集めた白井は、当時最高のスポーツヒーローでした。

テレビ視聴率でも白井がほぼ100%を記録していたはずですが、当時は測定されていないので除外。数字で出ているので分かりやすいとはいえ、時代まで考慮すると「視聴率60%超えのファイティグ原田の世界戦」「価値の多様化した21世紀で40%超えの亀田興毅」が傑出しています。

試合の持つ価値という点では「白井義男の日本初の世界王座奪取」「原田による世界初のフライ・バンタム2階級制覇」「具志堅用高の13連続防衛」「渡辺二郎の完全統一王者」「井上尚弥のWBSS優勝」などが挙げられますが、やはり「原田による1960年代PFP1位エデル・ジョフレ撃破」で誰も異論はないでしょう。

このように、一口にメガファイトと言っても、興行規模や視聴率、試合の持つ価値など、測定するモノサシによって見方が変わってきます。

しかし、どのモノサシを当てても規格外れのメガファイトが、今まさに胎動しています。

村田諒太vsカネロ・アルバレスです。
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週刊新潮が報じた「5月24日さいたまスーパーアリーナ」は消滅しましたが、火のないところに煙は立ちません。

新潮の報道後に「本田明彦会長が米国で交渉、最終段階にあった」と複数のメディアがあとを追ったことからも、大筋合意していたのは間違いありません。

ここ数ヶ月でもカネロ本人が「村田と東京で」という希望を何度か語り、リング誌やESPNなどでもカネロの有力な対戦候補の一人として村田の名前を挙げているのですから、もはや「煙」ではありません。

明らかに出火しています。

There were talks about Alvarez traveling to Japan to take on secondary middleweight titlist and Japanese national hero Ryota Murata. But those talks recently ended with no deal for a spring fight. They could be renewed for a later date.(ESPN)

日本でセカンド王者の村田諒太と対戦する交渉が進められていた。今春という線は消えたが、日程をずらして仕切り直しされるだろう。


今回の交渉が頓挫したのは、カネロが「5月上旬のシンコ・デ・マヨのメガファイトを外して下旬に日本でやる」ことに難色を示したと伝えられています。

つまり、タイミングだけの問題です。

懸念されたトップランクとゴールデンボーイ・プロモーションズの壁も、ありません。誰と戦うかはGBPではなく、カネロとDAZNが決めるのです。

では「5月上旬にラスベガスで村田」ならすんなり決まったのか?となるとそうは言い切れません。

カネロ陣営、特にDAZNが村田戦に前のめりなのは「東京だからメガファイトになる」という目算です。

現在のミドル〜スーパーミドルにはカネロと釣り合うビッグネームは一人も見当たりません。

ミドル級完全統一に残された二つのピース、WBO王者デメトリアス・アドラーデとWBC王者ジャーモル・チャーロは興行的な魅力が薄く、優先順位は下がります。

スーパーミドルではWBO王者ビリー・ジョー・サンダースは、村田もターゲットにしていた小物。WBA王者のカラム・スミスはサンダースよりもマシとはいえ、英米どちらでやっても中途半端な興行にしかなりえません。

DAZNがカネロとの大型契約に踏み切った、ゲンナディ・ゴロフキンとの第3戦は両者が条件交渉ですれ違ったまま、時間だけを浪費しています。

4月で38歳になるGGGとの決着戦は、賞味期限との戦いです。

現状、考えられるオプションで最も大きな興行が「東京で村田戦」なのです。カネロとの巨額契約が不良債権化する気配に怯えるDAZNにとって、村田との戦いもまた時間を気にしているはずです。

つまり、村田陣営と日本の熱烈なラブコールは、村田の敗北で一気に冷めてしまう危険にDAZNも気づいているはずです。

私たちが「早く実現させて欲しい」というよりも、DAZNはもっと切実に考えているはずです。

一刻も早くまとめなければならない、と。 
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翌年に昭和が終わる1988年。バブル景気のど真ん中、浮ついて豪華で、騒々しくて、そしてやがて虚しい、彩色豊かな時代に、日本は立ち眩みしていました。

バブルよろしく空気枕を連結したような天井が印象的なビッグエッグが完成したのが1988年です。

そういえば前年1987年に国鉄が分割民営化され、「国電」に代わり「E電」なんて名称が押し付けられたりしましたが、ビッグエッグ同様に定着しませんでした。

安田火災海上保険(現・損保ジャパン日本興亜)がゴッホのひまわりを絵画としては史上最高額となる53億円で競り落としたのも1987年でした。
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そのこけら落としに、あのマイク・タイソンが東京にやって来たというのは、今思うと何やら偶然とは考えられない感慨があります。

もちろん、バブル絶頂を迎える直前だったから電通(あのときも電通でした)と日本テレビ、帝拳がトヨタやサントリーなどのスポンサーを集めてタイソンを呼ぶことが出来たのは時代の必然でしたが。

とどのつまり、日本にとって「ゴッホのひまわり」と「タイソン」は、バブルを象徴する買い物だったのです。

あれから30年以上が経ちました。

タイムマシンに乗って「日本人の世界ミドル級チャンピオンが世界一人気のあるボクサーと戦う」と当時の私に伝えれば、「よほどの穴王者に恵まれたのか?」と聞いてくるでしょう。

「その日本人は五輪ミドル級でも金メダルを獲って、プロでは一度王座を明け渡したが返り咲いた」と聞かせたらどこまで信じたでしょうか。

しかし、そのメガファイトが東京ドームで行われることには「え?30年も経ってまだ東京ドームなの?」と少しがっかりするかもしれません。

そのときは「30年かけても一歩も前に進めない、そんなことだってあるんだよ。そんなことよりも五輪金メダリストの日本人が世界最高のボクサーに挑戦するんだ」と慰めれば「確かにそれは凄い。日本人がシュガー・レイ・レナードと戦うようなもんじゃないか!そんな未来が本当に待ち構えているのか?!」と興奮を取り戻すはずです。

前置きが長くなりました。

1988年と1990年。

「昭和が終わる前の年、バブル絶頂に向かう1988年」と「バブル崩壊の前の年、喪失の始まりの1990年」。

1988年のタイソンがトニー・タッブスを破壊し、1990年のタイソンがバスター・ダグラスに叩きのめされたのは、偶然とはいえあまりにもあからさまな暗喩でした。

1988年と1990年の東京ドーム。

日本史上最大のボクシングイベントで起きた大番狂わせを振り返ります。

まず、1988年。それは日本ウェルター級タイトルマッチで起こりました。

チャンピオンの坂本孝雄は「日本人初の世界ウェルター級王者になる」と将来を嘱望された23歳。

坂本が広島の高校ボクシング部で活躍していた名声は関西まで轟いていました。記憶というのは曖昧で(特に私)、坂本はインターハイで決勝まで進んだと思っていましたが、あらためて調べてみるとベスト8でした。

ただ、ネットのない時代、口コミで伝わってきた「坂本強し」を肥大化させるのに、まだ中学生の私の脳内は十分幼稚だったようです。

プロ2戦目で韓国人にKOされるも、5戦目で日本タイトル獲得。東京ドームの特設リング、そのロープをくぐったときの坂本は6勝6KO1敗。

挑戦者は吉野弘幸、7勝3KO3敗1分。3つ若い20歳という年齢以外に坂本に勝っているものは何一つないと思われました。

試合はまさかの展開に。吉野の左フックに坂本は何度も倒され4ラウンドKOに沈みます。

その後、日本ボクシング史に残る左フッカーとなった吉野は、当時深夜枠に追いやられていたボクシング中継のスター選手に成長します。日本ジュニアミドル級王者の上山仁とのキャッチウェイト(155ポンド=カネロウェイトです!)で行われた「日本史上最大の10回戦」など、ボクシングファンを大いに楽しませてくれました。

しかし、悲しいかなウェルター級。日本王座を14連続防衛しても世界の声はかかりません。

階級を落として、当時は米国で需要の低かった世界ジュニアウェルター級のWBAバージョンを持つファン・マルチン・コッジを後楽園ホールに呼びますが、5ラウンドTKOに散ります。

稀代の一芸屋・吉野の最高傑作は、意見が分かれるでしょうが、その衝撃度と東京ドームという舞台装置で坂本戦で決まりです。

ああ、坂本は引退後、事業家として成功していることも付け加えなければなりません。

そして、吉野vs坂本は、叩きあげvsエリートの激突、番狂わせでしたが、村田vsカネロはそうではありません。

意地悪な見方をしたら「アマエリートvsプロエリート」、もっとヒネくれたら「日墨温室育ち対決」といったところでしょうか。

いずれにしても、また、番狂わせは起こるのです。
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スポーツほど大袈裟な世界はありません。そこには「天才」や「怪物」がゴロゴロいます。

そして「史上最大の番狂わせ」もしょっちゅう起こっています。

最近の日本がらみだけでも、岡崎慎司が所属した英国プレミアリーグ・レスターが2015-16シーズンに優勝したとき「史上最大」の番狂わせと言われました。

ウィリアムヒルのオッズは5000倍、「ネッシー発見=2000倍」や「2017年以前に宇宙人が確認される=1500倍」などの掛け率を遥かに凌駕する〝超常現象〟でした。

やはり2015年、ラグビーW杯で、日本代表の南アフリカ撃破した大番狂わせも「史上最大」と喧伝されました。当時は「ラグビーは最も番狂わせが起きにくいスポーツ。サッカーA代表がW杯優勝するよりも確率は低い」とまで言われました。

「ネッシー」などのオッズはブックメーカーの匙加減一つです。レスターが優勝するよりもネッシー発見や、宇宙人と交信の方がとんでもない〝番狂わせ〟であることは間違いありません。

昨年のラグビーW杯をしっかり堪能した私たちにとって、この楕円形の球技が「最も番狂わせが起きにくい」というのはもはや信用できません。「サッカーW杯で日本優勝」の方が遥にハードルが高い至難の挑戦です。

ボクシングでも「大番狂わせ」が毎年いくつも起きていますが、私にとって最も印象的な UPSET はリアルタイムでテレビ観戦したトーキョー・ショッカーでした。

マイク・タイソンがバスター・ダグラスに打ちのめされてスローモーションのように崩れ落ちた光景は、いくつも予兆があったとはいえ、大きな衝撃でした。

しかし、あの試合ですらオッズは42倍。ネッシーや宇宙人、レスター優勝と比べると二桁も確立が高い、可愛い番狂わせでした。

村田諒太とカネロ・アルバレス。いつ決定の報を聞いても、もはや大きな驚きではない段階に入っています。

この試合はネッシーとか宇宙人のレベルじゃない、まともなオッズになります。

まあ、不利予想は立つでしょうがタイソンvsダグラスほどじゃありません。「トーキョー・マイルド・ショッカー」くらいの番狂わせでしょうか。

相思相愛の村田とカネロは問題ないにしても、長年確執を深めているトップランクとゴールデンボーイ・プロモーションがメガファイトのために握手するのか?は気になります。

トップランクとしては村田の大勝負をどこに持ってくるかは迷っているはずで、カネロ戦は願ってもない巨大なビジネスチャンスです。

米国市場で苦戦が続くDAZNも、ボクシング中継で決め手を欠くESPNも、実現したら今年のEvent Of The Year 間違いなしのメガファイトに消極的であるわけがありません。

村田vsカネロがミドル級の世界戦になると考えている人は少数派でしょう。キャッチウェイトのノンタイトル戦では華がありませんからカネロのWBAスーパーミドル級・セカンド王座に村田が挑戦する形になるのではないでしょうか。

いずれにしても、とんでもないメガファイトです。

今年のEvent Of The Year 決定とともに、もう一つ確実なことはカネロがキャリア初のアウエーのリングに上がるということです。

村田を選んでくれた感謝の気持ちはありますが(正式発表前なのに気が早い?)思いっきりブーイングを浴びせてやりましょう!

さて、カネロ・アルバレスは民間機で来日するのか、それともご自慢のプライベートジェットか。いずれにせよ帰りの機中でカネロ本人は深い悲しみと後悔に沈んでいるはずです。

チームスタッフも誰も声をかけられない状態でしょう。

「まさか、村田があれほど強かっただなんて・・・」。
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