フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

      Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。

カテゴリ: スポーツよもやま話

シカゴ・カブスのエース、ダルビッシュ有がサイ・ヤング賞に猛チャージをかけています。
勝利数は1位タイの7、防御率は1位に0.15差に肉薄する1.86、奪三振も1位に4つ差の79。

現時点でも〝最右翼〟と言っても差し支えないポジションですが、三部門全てでトップなら文句無しの受賞です。

野茂英雄から松坂大輔、田中将大まで優秀な先発投手を絶え間なく輸出して来た日本ですが、MLB投手最高の名誉、サイ・ヤング賞を視野にとらえることは出来ませんでした。

MLBで日本人が残した最も偉大な爪痕は、イチローがやってのけた2度の首位打者であることには誰も異論はないでしょう。

投手がイチローに並ぶには、最多勝か防御率のタイトルを2度獲得することが一つの目安でしたが、サイ・ヤング賞となると〝一発逆転〟という見方も出来るかもしれません。

では、日本人が過去に獲得した栄光・名誉で、イチローを上回るアスリートは存在したでしょうか?
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宮本武蔵とイチローを重ねて語った秀逸過ぎる記事「たとえこの冬に終わりがなくとも」。ESPNマガジン誌から。

まず、サッカーではバロンドールを獲ればイチロー越えが有力ですが、まだあのトロフィーの争奪戦に参加した日本人もいません。

ボクシングでは10階級時代に軽量級史上初の二階級制覇を果たし、60年代PFPキングのエデル・ジョフレを2度にわたって撃破したファイティング原田が候補です。

しかし、その爪痕を最も評価しているのが欧米のボクシング歴史家というのが引っかかります。

原田を知る世界のボクシングファンは、ほとんどいない気がします。それどころか、日本でも「最も偉大なボクサー」のアンケートをとると具志堅用高や井上尚弥らにも票が流れる気がします。

アマチュアスポーツ、五輪スポーツまで視野に入れると北島康介や吉田沙保里らも候補かもしれませんが、世界を抉った爪痕というには、あまりにもドメスティックな盛り上がりが優っている気もします。

なにはともあれ、ダルビッシュには是非ともサイ・ヤング賞を掴み取っていただき、この類の酒場の与太話に火を付けて欲しいものです。

SNS大好きなダルビッシュです。サイ・ヤング獲ったらいつもに増して饒舌になるでしょう…ちょっとめんどくさい気もしますが、サイ・ヤング獲ったら何書き込んでも許します!
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日本のスポーツ界を揺るがした五輪という〝黒船〟と、プロボクシングの世界が無縁でいられるわけがありませんでした。

五輪に向けて、東京の町が着々と姿を変え、多くの観光客とメディアが訪れる光景は「五輪とは何か」「本物の国際スポーツとは何か」を日本人に思い知らせました。
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当時を知る由もない私でも、ずっとのちになって学校図書館などで海外の新聞や雑誌のバックナンバーなどから振り返り、「それ」が生々しく、そして大々的に伝えられていたことはよくわかりました。

そして、プロレスは「力道山のカラクリ」がバレてしまうと、土俵際に追い込まれます。

多くの人が熱狂した「ワールドリーグ戦」が八百長で世界的には全く報道されていない奇妙な〝ワールド〟であることが白日のもとに晒され、新聞投稿欄では「国籍・年齢不詳の謎プロレスラーはパスポートを持たずに来日したのか?」と笑いのネタにされる始末でした。

次の10年は「外国人レスラーを空手チョップで成敗する」だけでは、プロレスは生き残れない…。

そんな冷静な予想からは「ではボクシングの世界選手権は海外でも大きく報道されているのか?」という矛先も派生します。

しかし、五輪は4年に1度きり、米国で最も権威のあるスポーツイラストレイテッド誌がファイティング原田を特集、Frantic Windmill=狂った風車という異名を与え、五輪金メダリストの桜井孝雄が世界タイトルに届かなかったことなどからも、プロボクシングはその命脈を繋ぎます。

その後、アマ実績で優る海外選手から日本人が勝利を収めると、ボクシング専門誌などは「所詮はアマの名花」という常套句を用いるようになりました。

それでも、70年代になると民放各社のボクシング定期番組はゴールデンタイムから撤退、世界王者に対しても厳しい取捨選択が始まります。

輪島功一や具志堅用高と、工藤政志や中島成雄の間には王位の長短だけではなく、戴冠した瞬間からそのキャラクターの魅力などからメディアの取り上げ方、つまりはファンの受け止め方に大きな格差が生まれていました。

「ボクシングの世界王者は誰もが知ってるスポーツヒーロー」という時代は70年代で完全に幕を閉じたのです。
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1960年代までの一団体時代の世界王者は、もし当時国民栄誉賞が存在していたなら文句無しで受賞していたはずです。

70年代の世界チャンピオンのベルトは、プロ野球のどんなタイトルよりも価値が高かったのも間違いありません。

しかし、80年代になると世界王者とボクシングのステイタスが加速度的に液状化していることは、もはや誰の目にも明らかになります。

東京1964による「本物の世界体験」はあらゆるスポーツを揺るがしました。

そして、輪島功一が王貞治の世界記録に対して「あんなの本当の世界記録なわけがない」と付けた難癖は、一点真実を突いていたとはいえ、世界ジュニアミドル級王者の口から発せられたことで天に唾吐く行為に他なりませんでした。

本当の「世界」って何だろうか?

もちろん、ボクシングなら世界ヘビー級チャンピオンになること。野球やらメジャーリーグで大きなタイトルを獲ること。

そんなこと、実は当時のスポーツファンは分かっていたはずです。

なにしろ、特に野球においては、星飛雄馬が投げる魔球は「大リーグボール」、番場蛮の前に立ち塞がるラスボスは大リーグのスーパースターでした。

それはまさしく漫画の世界だったのです。

現実の世界では大リーグに上がれない外国人に打撃タイトルを取られ、元大リーガーというだけで超人のように報道された時代です。

当時のスポーツファンは、みんな知ってたのです。

向こうのポンコツ外人が日本で大暴れするんだから、日本人なんて通用するわけがない。

良い意味で身の程を知っていたのです。

裏返すと、悪い意味で諦めていたのです。

そして、やはり悪い意味で忘れていたのです。

サンフランシスコの快〝投〟乱麻・村上雅則を、60年代PFP1位エデル・ジョフレを競り落としたファイティング原田を。



次回、第3艘では、漫画の世界が、ついに現実になります。
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まだ成熟し切っていない若い国の価値観が平面的で均質であるのは、当然です。

国が成熟するにつれ、価値観が立体的に多様化するのも当たり前です。

この国でもボクシングがメジャースポーツだった時代が、1960年代に確かにありました。

毎日のように、民放各局がボクシングの試合を中継していた本当の黄金時代です。

新人王戦でもゴールデンタイムにオンエアされていたのですから、世界タイトルマッチとなると大きな注目と尊敬が集められていたことは容易に想像出来ます。

あれから半世紀以上が経ち、世界タイトルマッチが中継されなくなっても全く驚きではない時代になりました。

かつては日本人が世界の舞台に上がることが出来る唯一無二のスポーツだったボクシングですが、今では国旗掲揚、国歌斉唱の神聖な儀式も放送で省かれることが珍しくありません。

いつのまにかボクシングの世界タイトルマッチは、厳かな国際試合から、アルファベットをいたずらに組み合わせた怪しげな団体が軽はずみに承認する、一般のスポーツファンには何がどうなっているのか分かりにくいニッチスポーツに堕落してしまいました。
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WBCのベルトは約40万円前後とされますが、ファイトマネーに比例した承認料を考慮するともっと割高な〝時価〟で、富裕国の王者や人気のある王者が保持して欲しいというのが、WBCに限らずあらゆる団体の本音です。

半世紀を超えるWBCの歴史で最も高額とされるのはこのシンコデマヨ・ベルト…完全に腐ってます。

戦後、日本ボクシング界は四隻の巨大な〝黒船〟によって変質を余儀なくされてきました。

一隻目の〝黒船〟は「団体分裂・階級の増殖」です。

一つの団体は主要と呼ばれるものだけでも4つが乱立、8つの階級は17にまで繁殖しました。

ボクシング凋落の原因は、社会の成熟からスポーツ観戦の主役がブルーカラーの男性から、女性も含めた家族で応援できる競技に変遷しているから…というだけでは本質を捉えていません。

最も大きな理由は「団体分裂・階級増殖」によって、世界王者のステイタスが瓦解したことです。

そして、これは日本ボクシング界に限らない、世界的な潮流です。


しかし、残りの三隻の〝黒船〟は、日本の内奥から迫り来ました。

①力道山のワールド・リーグ戦を〝殺し〟て、日本人初の本当の世界体験となった「東京1964」。

②Jリーグ誕生と野茂英雄によるメジャースポーツの「世界開放」。

③そして深刻な勘違いを生み続ける幻覚剤「マニー・パッキャオ」。

この三隻の〝黒船〟に日本のボクシングがどう変節したのかをクロニカルに辿ってゆきます。

おお、ちょうど次駅で新横浜駅です。

続きはまた。
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「アルゲリョやレナードに少しでも近づきたい!」。

「外国のジムに僕のポスターが貼ってある、そんなチャンピオンになりたい」。

そんなヘッドラインで、WBC世界ジュニアバンタム級チャンピオンになったばかりの渡辺二郎へのインタビュー記事が掲載されているのは「ワールドボクシング誌」昭和57年7月号。
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「世界チャンピオンになれたのは会長のおかげ」「フィリピンやタイには世界チャンピオンになれる実力者がいっぱいいる。ただ、彼らにはマネージャーの力がないから、チャンスが与えられない」。

「僕は1年に2回もチャンスをもらえた。これはもう…ラッキーというより会長のおかげですわ」。

「アルゲリョとかレナードなんか、僕らが知ってるでしょ。あんなふうになりたい。単に日本だけの世界チャンピオンでなくて、国際的にも有名なチャンピオンになりたいですわ」。

「去年、韓国で練習したジムに具志堅さんのポスターが貼ってあったんです。ああ、いいなあと思いました。外国のジムで僕のポスターが貼ってある、そんなボクサーになりたいです」。

今更ですが、真実を見抜く感性のなんと鋭いことでしょうか。

そして、当時はファンも2団体時代のぬるま湯につかっていたというのに「世界王者って一人しかおったらあかんでしょう?二人おったら王者ちゃうでしょ」と真っ当な正論を主張して、その舞台に上がるのです。

悪い意味でも〝聖域化〟してしまっていたファイティング原田に対して「減量が苦しいとか自慢するのはおかしいでしょ」と直言した渡辺。

それでも、暴力団に所属してる身で、ボクシング会場に現れることの是非は、やはり「非」です。 

しかし、40年近くも前に「承認団体分裂の矛盾」を指摘し「チャンピオンは一人でないとおかしい」と語り、アルゲリョやレナードを意識して「国際的にも有名なチャンピオンになりたい」と、渡辺は希求したのです。

グスタフ・バリャスとの初防衛戦を控えた〝新米〟の世界チャンピオンが、こんな傲慢なことを滔々と語っているのです。

驚きです。

彼の現在位置、それを肯定することなど出来るわけがありません。

しかし、昭和57年=1982年の渡辺二郎は、2020年のボクシングファンが 思い返しても感激にむせぶしかない、どこまでも澄み切った高潔を持っていました。

どこかで紹介したかもしれませんが、彼はトレーナーとしても優れた才能を持っていました。そして、団体分裂と王者量産の時代にどう立ち向かうべきかも、知り尽くしていました。

NHKが衛星放送を立ち上げた当時、渡辺の理路整然とした解説が大好きでした。

的を射た解説の後に「なんぼ理屈を並べても、ボクシングは理屈じゃないんですけどね、結局は」と薄ら笑う渡辺の深さといったら、もうたまりませんでした。

もう二度と、彼がボクシングを解剖する言葉は、聞けないのでしょうか…。
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将棋盤もリングもどっちも四角い。

そんな屁理屈くらいしか、この二つの競技に共通点などありません。

将棋は日本限定に束縛されたボードゲーム。同じ性格を帯びる大相撲よりも人気はないとはいえ、ドメスティックな色彩には似つかわしくない真っ直ぐな尊敬を集めています。

そこには「藤井聡太はラスベガスで大きなイベントに出場する」「もう日本では見られなくなる」などという、米国や世界への闇雲な憧憬はありません。

しかし、一般紙やテレビで世界を舞台に活躍するアスリートを凌駕するほどの扱いを受け続けています。

一方で、ボクシングはやたらと「世界」を騙りながらも、軽量級においては殆ど全ての世界戦が国内で消化される〝羊頭狗肉〟。

その例外は、人気スターが箔をつけるために報酬を度外視して海外で戦ったり、人気のない無名選手がアウエーのリングに引っ張り上げられるケースです。
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将棋とボクシングは名前だけは誰もが知っていても、その世界については誰も知ろうとしない、つまりはけして人気のある競技とはいえない、そんな共通点はあるかもしれません。

二冊のナンバー誌を読み比べると、一般的にはよく知られていない、この二つの世界へのアプローチにおいて、大きな違いがあることに気づかされます。

「藤井聡太と将棋の天才。」では藤井のルーツでもある板谷一門の系譜を戦後から辿り、過去と現在の天才たちを交錯させて、その世界をわかりやすく浮き彫りにしています。企画の意図が手に取るようにわかります。

「藤井君は(受けの将棋である)振り飛車をしたことがないでしょう」「その意味では振り飛車を嫌った(戦後の中京棋界の発展に尽くした)板谷四郎九段の将棋を受け継いでいる」。

将棋を知らなくとも十分に面白く、マニアックなファンが読んでも楽しめる内容でしょう。
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一方で「KO主義。」では、一貫性のない記事が羅列され、ボクシングファンが読んでも非常に断片的な寄せ集めに感じてしまいます。

「名王者オマール・ナルバエスがなすすべもなく新鋭に沈められた一戦は、インターネットでまたたく間に海外に拡散され 、一夜明けたら井上尚弥の名は世界に知れ渡っていた」という一文は、世界のボクシングを少しでも知っているファンが読むと鼻白んでしまいます。

おそらく、多くのボクシングファンやその予備軍が期待したのは、井上の現在位置が本当はどこにあるのか、それをファイティング原田やマニー・パッキャオらを道標に分析してくれるような内容だったのではないでしょうか。 

「オリジナル8の時代に2階級制覇した原田と、現代の4階級制覇・井岡一翔はどちらが上か?」 。「井上尚弥が原田以来のモダン部門で国際殿堂入りを果たすには何が必要か?」…そんなテーマからアプローチすると、現在のボクシング界の真実が明確に見えて、より興味深い内容になったはずです。
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「藤井聡太と将棋の天才。」は発売日当日に3万部、4日に5万部の増刷を決め、累計発行部数が20万部にのぼっているそうです。

プリントバージョンの雑誌が大不況の中で驚異的な数字です。 

近年好調な売り上げを記録したのは、野球やサッカーを凌いでいずれもラグビー。2015年に日本代表が南アフリカを破ったときの臨時増刊「桜の凱歌(がいか)」が18万7000部、日本代表が躍進した2019年のラグビーW杯特集「突破」が17万部。

発売から三日しか経っていない「藤井聡太と将棋の天才。」は、まだ数字を伸ばしそうな勢いです。
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「1980年代頃までプライバシーもなんもなかった」。

読者投稿で本名から住所、ときには電話番号までが記載されることが当たり前だった時代です。

そんなことを以前書いた気がしますが 、今夜は大橋秀行です。

ボクシングマガジン1986年3月号の「今月のボクサー」から。

昭和40年3月8日生まれの20歳(当時)、出身校、家族構成、日課、趣味など、プライベートに偏った内容です。

そして、実家や現在の住所が最後の番地まで載せられています…。

「小学生の頃、ずっと頭が良く数学が4か5ばかりでした」という大橋に、記者が「本当かね」と失礼に突っ込むくだりも。

▶︎小学生なら数学でなく算数じゃないのか…?


「中学の頃からグレて成績は下降一方」だったそうで「高校では143人中142番 。ビリの高野君は今も大親友で大工の仕事を休んで試合の応援に駆けつけてくれる」そうです。

趣味は「夕やけニャンニャンを見ることで、世界王者になったら、新田恵利に会えると信じてます」。


尊敬する人には、ライバルの喜友名朝博の名前も挙げています。「ぼくが喜友名のことをあれこれ言えば、必ず返してくる憎らしいやつ。この間、後楽園ホールで見かけて顔をそらしましたが、あいつはすぐに近寄ってきてコンニチワって挨拶してきました」。

▶︎このとき、大橋は4戦全勝3KOで、日本ジュニアフライ級3位。喜友名は15勝7KO1敗の日本王者。この二人の試合は、互いの個性がぶつかり合う良い試合でした。


勤務先は千代田区の新聞社で10時から14時まで。

「150年に一度の天才」と売り出されていることについては「悪い気はしませんが営業用ですね」と冷静。

しかし「自分は努力型ですが、好きな言葉は天才です」と見事に切り返しています。
 

▶︎ボクシングだけじゃなく、言葉のセンスも抜群です。
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スター選手の〝孵化〟前のインタビュー記事は、微笑ましいものです。特に、長い時間が経って読み返してみると、なおさらです。

純白の野望は、狡猾で熟練の王者に引き裂かれますが、破られたピースをかき集めた大橋は!そこから本当の自分を作りあげてゆきました。


…昔の雑誌を取り出してページをめくると、元ボクサーが逮捕されたという記事もよく見かけます。

この類の記事は、微笑ましいわけがありません。

今では専門誌だけでなくネットニュースなどでもこの種のニュースが簡単に目に飛び込んできて「え!?」という戸惑いに悲しくなります。

彼らが道を誤った原因が、ボクサーという職業とは関係はないとはわかっていますが、それでも居た堪れない気持ちになります。



思い入れのあるボクサーの「純白の野望」と、「汚れた忸怩」のシリーズです。 
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このブログを始めた大きなきっかけは、2015年に行われた「メイウェザーvsパッキャオ」でボクシングに嫌気がさして、自宅で大きな場所を取るようになっていたリング誌などの雑誌を断捨離しようとしたことでした。

そこで、リング誌をずらずら読み返していると、結構どころかものすごく面白くて、自分がこのスポーツを大好きになった理由がよくわかりました。

それまではSNSなど友人知人らの映画サークルに軽く書くくらいで、今も好んで使うことはありませんが、2017年にボクシングが好きな理由を整理しようと手軽にオープンできるスポナビ+に「フシ穴の眼」を書きました。

すると、その年のうちにスポナビ+はサービス終了。ライブドアへ引っ越しました。

「フシ穴の眼 スポーツ疾風怒濤編」とタイトルにオヒレを付けましたが、3年間のスタンスは変わっていません。

非常に内向的な動機で始め、それも変わっていません。日常生活においても「亀田は偽物。井上尚弥は本物でラスベガスでとんでもない大試合をする」というような話をする人もいますが、そこでどうこう語ったりはしません。

面倒臭いのが一番で、多くの人から無条件に尊敬されているボクサーの悪口とも取られかねない意見などを突き刺すメリットは双方にありません。

これが仕事上の話なら別ですが、完全に趣味の領域です。

匿名でこういう場所から少数意見を発するのは卑怯者かもしれませんが、正確な事実と本質的な真実を多くのボクシングファンに伝えることが出来る場所としては悪くはないと感じています。

多くといっても読書数の少ない不人気ブログですが、居酒屋のスポーツ談議でややこしい話をするよりは効率的です。

そして、自分しか書けない、自分しか開かない紙の日記とは違い、せっかくのソーシャルなのでコメント欄も全面的に開放しています。

あらゆる意見を認めるわけではありませんが、あらゆる意見をコメントすることに制約は一切設けていません。

基本的に全てのコメントは削除せず、残しています。私への罵詈雑言も全く問題ありません。

ただし、明らかな放送禁止用語的なコメント、読者同士の醜い罵り合いは、滅多にありませんが削除します。

あとは、そうですね、今みたいに通勤途中に書くことも多いのですが、何も書かない、プログを見ない日もあります。

過去記事のコメントについては特にそうですから、返事しなくても気にしないで下さい。コメントを見てないことがほとんどです。

見たコメントは「いいね」してますが、返事しないことも多いと思います、ご容赦を。

またまた、前置きが長くなりました。
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スポーツで絶対の原理原則であるはずの公明正大は、世界的な統括団体が存在しないボクシングにおいては完全に崩壊しています。

八百長問題で揺れる大相撲が有力新人への優遇処置などなく横綱には勝ち方や品格まで求められる一方で、事実上の国技・野球のプロではドラフト1位選手や、ビッグネームへの贔屓・忖度がまかり通っています。

ここ数年では、メディアやファンからも松坂大輔と斎藤佑樹への優遇処置に疑義の声が挙がっています。

プロは人気商売、松坂はもちろん、斎藤が普通のドラ1でないのは明らかです。

では、彼らへの優遇処置は、フィールド外での見返りを考慮するとビジネスとして当然の選択なのか?

それとも、フィールドでは大きな見返りが期待出来ない彼らに貴重な出場機会を与えることは、許容範囲を超えた公明正大への冒涜なのか?

斎藤の先輩、鳥谷敬の例からも振り返ってゆきます。
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1980年代中盤、私は高校から大学に進学した時代。




************このブログは移動中に書くことが多いのですが、夜中のタクシーで帰宅中、酔った勢いで思いついたことを書き殴って、自宅でまとめることもあります。

時間が経っても、どういう粗筋なのかは把握してるものですが、「これ」は何が書きたかったのか、どういう着想だったのか、どこに着地させようとしてるのか、全く思い出せません。

そこまで泥酔してないし、そもそも昨日か一昨日の話です。


「これ」↓

タイトルは「平岡公威(ひらおか・きみたけ)と長谷川公彦(はせがわき・みひこ)。」で、三島由紀夫と島田紳助の本名です。

書き出しは「 1980年代中盤、私は高校から大学に進学した時代。」。

何を書こうとしてたのか、全くわかりません。

タクシーの運転手さんとの会話から思いついたりしたのなら、何かしら覚えてるものですが…。


ついにボケが始まったのかとも戦慄しますが、こういうことが増えていくのがボケなのかなあ。

でも、せっかく書きかけたのだから、出発進行してみます。 
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帰宅電車の中で読んでいて、涙が出そうになりました。

「NUMBER1009 こんな夜に野茂英雄が読みたい」。

思い入れのない人には、大して面白い記事はありませんが、私にとっては違います。

野茂英雄がキャンドルスティックパークに立った日。

まさに「日本野球の興廃この一戦にあり」という試合でした。その大勝負に野茂はたった一人で挑んで勝利したのです。
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対談記事のある山中伸弥も、iPS細胞のことは何も分からなくても、もっと言っちゃうとどれ程凄い人なのかもよく理解できていなくても、この人が誠実であることは、ある講演会ではっきり伝わりました。

会場がフルハウスだったのは、ノーベル賞を取った直後だったからだけではありません。

不治の病の家族や大切な人の生命や健康がiPS細胞によって救われる方が詰め掛けていたのです。

そんな、希望にすがる人たちを前に、博士は静かにこう言い放ったのです。

「iPS細胞は万能ではありません。そして、この技術が一般に広まるまでには、いくつもの段階を経なければなりません。それは早くても15年、現実的にはもっと先の未来になります」。

私は「藁にもすがりたい、そんな人が集まっているのに、もう少し景気のいい話から始めろよ」と思いました。

会場から小さなおばあさんが「先生、大怪我で半身不随になった息子は今年で還暦です。体調も良くなくて15年以上先はわかりません。でも15年先には息子みたいな辛い思いや、私みたいに悲しい思いをする人が救われる日が来るかもしれないんですね」と、はっきりした言葉で質問されました。

博士は「約束はできません。でも絶対その日が来るように頑張っています」と答えました。

会場には、すぐ近い未来に家族や大切な人が救われるのかもしれないと、大きな期待を募らせていた人もいたでしょう。しかし、会場からは心のこもった拍手が起きました。

山中博士の前に、捏造が発覚した〝STAP細胞〟事件では、白衣ではなく割烹着を着た研究者が「夢の若返りも実現できま〜す」と軽く発現したのを聞いた私は「そんなわけないけど、それくらい言ってもいいな」と、こんなに若い人に大きな仕事や権限を与えた理研という組織は素晴らしいとすら思っていました。

知らないというのは、怖いものです。ましてや何も知らない無知蒙昧にとって、ネイチャー誌という名前だけ知ってる権威からもたらされた情報は「本物」としか思えませんでした。

違和感があったのは割烹着くらいです。きちんとした白衣はアスリートで例えるならユニフォームやスパイクであるはずです。

その頃、親しい仲間で集まった飲み会でも、その話題になりました。

純粋文系・ハンパな体育会系の私は「割烹着の彼女は五輪100m決勝にサンダル履いて優勝したようなもん…でもそんなことってあるか?少なくともスポーツの世界じゃありえない。すごいことだ」みたいなことを話すと、理系出身の友人たちは「機能的にも割烹着はありえない」と不思議がっていたのを覚えています。

「軽い人は偽物」とは限らないと思いますが、山中教授のような誠実の塊みたいなひとは本物です。

私が山中教授の立場なら、辛く長い日々を送っているであろう、あの聴衆を失望させるかもしれないことなんて、絶対に口に出来ません。

野茂もそうです、私が彼なら日本中を敵に回してメジャーリーグに挑戦するなんて、絶対無理です。当時を知らない人もいるかもしれませんが、一般紙からニュース番組まで野茂は〝犯罪者〟扱いでした。

それが「エーーー???」と驚くほど、見事に手の平を返すのです。世の中はそういうもの、とは簡単に納得できないほどの手の平返しでした。

あのときもメジャーのことなんて何も知らない知ったかぶりの解説者連中が「絶対に通用しない」「必ず泣いて帰って来るが、日本は受け入れてはいけない」と異口同音に連呼していました。 

メジャー通ぶってた広岡達朗らの発言や記事は、本当に酷くて見当違いで最低でしたが、あんなことをほざいて書いておいて、いまだに謝罪も反省もしてません。 

まー、海老沢泰久の「監督」はスポーツ小説では屈指の名作で、大好きですが、広岡はなあ。。。 
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お盆はとっくに過ぎたというのに、まだ考えております…。


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しかも、暫しの移動中に。移動時間に思いついて書いたり、映画やスポーツの録画を見たりはよくしていますが。

読書や映画鑑賞があらかじめ想定された移動時間内で読み切ったり、見終えるとは限らないように「書く」も書き切ることはあったりなかったりでした。

しかし、最近はなぜか忙しくゆっくり書く時間が取れないことが多くなりました。

よくよく考えると、移動中にすぐに使う資料やスケジュールなどを作成するのは普通のことで、それらは当然訪問先に到着した時点で完成していなければなりません。

と、考えるとこういうブログのお話なんかは結構簡単に移動時間内で書ききれると思い、最近は中途半端なまま下書き保存しないようにしています。

仕事の分析資料なんかを書くよりも、気分転換になって快適です。

この話も【ラスベガスの《ス》】で終わりではなく《ス》がリフレインする羽目になっているのは、そんなこととは関係なく、単に計画性が全くない、思いつきで書いているからですが。

しばし、耳障りなリフレインにお付き合いください。
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所詮はショーに過ぎないプロレス。アスリートというよりも役者や演者であるプロレスラーが、真剣勝負の総合格闘技で頂点を目指す。

それは、サーカスの踊り子がオリンピック体操競技で金メダルを狙うようなものです。

もし、そんなことが実現したら、そもそも存在すらしなかった「神話」が蘇ることになります。
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日本人のバンタム級でも、パッキャオがラスベガスでやってのけたようなメガファイトが実現する…。

これも「神話」の類です。

もし、それが存在しないのであれば、日本の軽量級は引き篭り状態から一歩も動けないまま、極めてドメスティックに世界チャンピオンを名乗り続けるしかない…。

"protecting the secrets of the business"

それは、富裕であるがゆえに王者を選んで来日させ、ベルトを奪うのが常套となった日本ボクシング界にとって否定してはいけない幻覚なのかもしれません。

裕福な挑戦者と貧乏な王者。

一見矛盾に思えますが、日本ボクシングの世界ではこれがデフォルトです。

そんな奇妙なボクシング界が「ラスベガスでは軽量級でもビッグマネーが稼げる」と幻覚を見ているのですから、これもまた「神話」に違いありません。


プロレスが長らく守ってきた、すでに広く一般知られていても、自分たちの口からは絶対に発してはいけない、秘密。

プロレスという仕事、この生業の存続に関わる重大事だからこそ、守らなければならない秘密。

"protecting the secrets of the business"

しかし、プロレスではそれは、もう過去の話です。

日本でも米国でもプロレスファンのメインストリームはみんな秘密を知って、このスポーツでも演劇でもない摩訶不思議なパフォーマンスを純粋に楽しむようになっています。

「今、我々の物語を楽しんでくれているファンは、そこにシナリオがあるのかどうかに関心を持つ人はいない。そこにあるのは物語が面白いかどうか、ワクワクできるかどうか」(新日本プロレス ハロルド・ジョージ・メイ社長)。

プロレスはついにファンと共に「神話」を乗り越えたのです。

神話を現実にしようとした桜庭和志やアレキサンダー大塚、安田忠夫…多くの偉大なプロレスラーたちは私たちに蜃気楼を見せてくれました。

しかし、現実の太陽が容赦なく照りつけるようになると、蜃気楼は儚く霧散します。

それでも〝八百長〟の世界から真剣勝負の舞台を目指したプロレスラーや、ソフトボールからプロ野球での活躍を夢見た大嶋琢磨のような挑戦が、無謀だと笑われる前に、誰の目にも気高く美しく荘厳にすら見えたのは、彼らが本物を目がけて砕け散ったからです。

同じ荘厳は、軽量級という〝卑しい〟出自にもかかわらず〝高貴な〟ウェルター級に挑戦したパッキャオにも見てとれるでしょう。

プロレスラーや大嶋匠と、パッキャオの間には1ミクロンの差もありません、そんなものがあろうはずがない。

あるのは蹉跌したか、成功したかという些末な結果だけです。

一方で、西岡利晃がMGMで犯してしまったことは、けして美しく気高い挑戦とは言えない欺瞞でした。

西岡に先駆けた長谷川穂積は「MGMメイン」は免れたものの「世界中から注目されている」と日本テレビが煽り立て、挙句はジミー・レノンJr.に「米国でも大きな関心が集められている試合だから、なんとしてもリングアナをつとめたかった。だから報酬なしで引き受けました」と言わせる始末。

あんな愚挙は繰り返してはなりません。

当の選手も可哀想です。

西岡がやったことは、サーカス小屋の小さなテントの中に五輪マークをあつらえて空中ブランコの技を披露したようなものでした。

次回は世界を震撼させる〝サーカスの踊り子〟は、パッキャオが最初で最後になってしまうのか、それとも?、を検証してみます。



さあ、電車が大嫌いな渋谷駅に止まりました。
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