★神とコクトーに愛された少年★


1920〜30年代にかけてフランス・パリを舞台に活躍、詩人ジャン・コクトーとの同性愛やココ・シャネルからのスポンサードでも有名な〝Kid Theophilo(神に愛されし子)〟パナマ・アル・ブラウン。彼こそがラテンアメリカ最初の世界王者で、その階級はバンタムでした。


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【リング誌「月例ボクシングリスト〜中米最高のボクサー〜」でもパナマ・アル・ブラウンの名前は当然リストアップされています。】

BoxRecによると身長175センチ、リーチ184センチですが、もっと長身に見えますね。これでバンタム級は反則です。

当時の動画を見ても、褐色の美男子の身のこなしは驚くほど滑らかで、現代に生まれていても傑出したボクサーになっていたことは間違いありません。

長身の美男子でスタイリッシュなボクサー。肌の色こそ違え、アレクシス・アルゲリョが「パナマ・アル・ブラウンの再来」と言われたのも納得です。

その晩年はコカインに溺れ、一文無しになった挙句に結核を患い、48年間の生涯を閉じます。

129勝(59KO)19敗13分。プロ161戦にも及ぶキャリアでKO負けは一度もありませんでした。





♠️ガロ・デ・オーロ(黄金のバンタム)〜アリよりも強いと言われた男♠️


時は進んで1960年代。この時代のボクシング界は、モハメド・アリを中心に動いていました。「ボクシング界」を「世界のスポーツシーン」と言い換えても差し支えないかもしれません。

そのアリを抑えて、リング誌が60年代PFPで最強と太鼓判を押したのがエデル・ジョフレです。

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【間断ないプレッシャーをかけ続け、ジョー・メデルを攻め落とし、地元サンパウロのリングで喝采を浴びるジョフレ。】


バンタム級王座を8連続防衛(全KO)。防衛回数は山中慎介にも長谷川穂積にも劣りますが、当時は1団体8〜10階級の時代。

今ならジュニアバンタム、バンタム、ジュニアフェザー、3階級の統一王者8人をことごとく蹴散らしたようなものです。

パナマ・アル・ブラウンが、その動画の中で、現代でも通用すると思われるしなやかな運動神経を披露しているのに対して、ジョフレのスタイルは鈍重な攻防分離のボクシングです。

それでもジョー・メデルをはじめ、より洗練されたように見えるボクサーをことごとくリングに沈め続けたのです。

一見不器用に映るジョフレのボクシングスタイルですが、問答無用のプレッシャーをベースに、固い防御と左右の強打という世界最高のカードをシャッフルしながら、あまたの強豪を追い詰め破壊し尽くしたたのです。村田諒太のボクシングによく似ていますね。

バンタム級は、ジョフレ以降もメキシコを中心に怪物的なボクサーを何人も輩出していますが、それでも多くのメディアや専門家は今なお、この偉大なブラジリアンを歴代最強と評価しているのです。

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【リング誌が60年代最高選手に選んだのは、モハメド・アリではなくエデル・ジョフレでした。我らがファイティング原田は5位にランキングされています。10年単位のPFPで5位というのは、途轍もなく高い評価です。】

ファイティング原田に連敗して一度は引退したものの、3年3ヶ月というブランクを経てカムバック、フェザー級の世界王座を獲得して二階級制覇、その栄光のキャリアで黒星は原田に付けられた2つだけでした。

ブランクの間は、叔母が経営する女子プロレスを中心にブラジル全土を興行するサーカス団 に合流、無差別級のボクシングや、プロレスラー相手の異種格闘技戦のリングに上がり、そこでも無敗をキープしました。

ジョフレの伝記も、機会があれば紹介したいですね。