BOXING NEWS 24が「もしローマン・ゴンザレスという名前がなければミスマッチだったといえる内容だった」と報じたように、ロマゴンにとって115ポンドは重すぎました。

シーサケット・ソールンビサイは確かに強かった、認めざるをえません。八重樫東にノックアウトされたデビュー戦はもちろん、カルロス・クアドラスに負傷判定で敗れた、あのときとは別人です。HBOの解説席で「マニー・パッキャオの再来かもしれない」と騒いでいたのは、階級の壁にぶち当たったロマゴンを圧倒したに過ぎない30歳のタイ人には、明らかな過大評価ですが。

リング誌も、He should be considered one of the best pound-for-pound boxers on the planet.(シーサケットは、PFPトップ10ボクサーとして考えるべき存在かもしれない)と評価していますが、ジュニアバンタムのロマゴンがフライ級までと同じボクサーでないことは誰の目にも明らかです。

それにしても、今回のトリプルヘッダーは非常に面白い内容でした。

ファン・エストラーダvsクアドラスは、ロマゴンを追い込んだ強豪同士が、そのロマゴンへの再戦の権利を争うエリミネーション・バウト。互いの持ち味を存分に発揮しあった36分間でした。

残念だったのは、マイケル・バッファーが採点を読み間違えたことです。糠喜びさせられたクアドラスが可哀想でした。114−113、3者ともに1点差の、ユナニマスと呼ぶにはあまりにも僅差のスコアカード、10ラウンドのダウンが勝敗を決した形となりました。

今回、パンチ統計では、的中率で偶然の一致がありました。ロマゴンvsシーサケットは共に27%、エストラーダvsクアドラスはやはり共に29%。

シーサケットはロマゴンの212発に対して291発を放っての27%ですから、的中率は同じでも着弾は80発(ロマゴン58発)で、パワーショットでも上回りました。4ラウンドKOが納得出来る統計数字です。

一方で、エストラーダは773発中221発を着弾させての29%、クアドラスは886発中260発を命中させての29%、こちらはクアドラスが手数で上回りました。結果は、この数字を反映しませんでしたが、(見た目の)クリーンヒット、ダメージパンチで上回ったエストラーダ勝利もまた、納得出来るものでした。


【トリプルヘッダー2試合は、パンチスタッツで両者が全く同じ着弾率をマークしました。井上vsニエベスのスタッツは言わずもがな、わざわざ取り上げる意味はありません。】

1週間後にゲンナディ・ゴロフキンvsカネロ・アルバレスのビッグファイトを控え、HBOも「PPVを買って」と、選手コールのたびに宣伝文句を挟むのは耳障りでしたが、仕方がないところですね、ビジネスです。

さて、井上尚弥です。

「すっきりしない勝ち方だった。勝つ気がない相手だと、試合が枯れてしまう。白熱した試合がしたかった」。

まあ、その通りです。ガードを固めて、逃げるだけの相手を綺麗に倒すのは至難の技です。

それでも、米国初見参、披露宴としては合格です。今日の3試合で、シーサケットと井上がその強さを、見せつけました。この結果を受けて「SUPERFLY2は、シーサケットvs井上で」というマニアのリクエストも多いようですが、ロマゴン陥落はSUPERFLY2に暗雲を垂れ込めさせてもいます。

メキシコの人気者、エストラーダと、軽量級に一時代を築いたロマゴンの激突が期待されていただけに、けして人気者と言えないシーサケットと、マニアの星、井上の興行にHBOがどこまで予算を割くか、未知数です。今回の視聴者数が伸び悩んでいると、さらに心配な事態になりそうです。

井上サイドも、今回並みの20万ドルレベルの報酬でも、次のオファーを受けるのか、難しい決断です。

井上の描くアメリカンドリームの着地点が、どこにあるのかにもよります。バンタムやジュニアフェザーまでしか視野に入れていないとしたら、よほどのビッグネームに恵まれない限り、100万ドルファイターもおぼつかないでしょう。

現実には、ジュニアフェザーまで見渡しても、そんなビッグネームは見当たりません。フェザーまで見上げて、レオ・サンタクルス、カール・フランプトン、アブナル・マレスと、ようやく100万ドルファイト経験者が現れます。

リング上で、アメリカンドリームを具現化したアジア人は、歴史上たった一人しかいません。

熱狂的な井上信者でも「そこまでは期待してない」と言うでしょうし、ここでその足跡と井上を重ね合わせることは、冗談が過ぎると失笑を買われるのが関の山ですが、あえてその偉大過ぎる名前と並べます。

マニー・パッキャオ。

井上よりも1歳若い23歳で米国初上陸。オスカー・デラホーヤがハビエル・カスティリェホに史上3人目の5階級制覇を賭けて挑んだメガファイトのセミファイナルで、当時ジュニアフェザー最強と目され、フェザー級の覇者マルコ・アントニオ・バレラに勝てる可能性があるとまで評価されていたレーノホロノ・レドワバを圧倒、6回KOで屠ります。

この時、MGMグランドのスポーツ&カジノでは「あまりのミスマッチ」とオッズが立たない異常事態。パッキャオが手にした報酬はわずか4万ドルでした。

そのパッキャオ、彼は何が何でもアメリカを目指していたわけではありません。

10万ドルのファイトマネーも夢ではない、アジア人ボクサーの誰もが憧れる日本で「非常に危険な選手」と認知されていたパッキャオは我が国への門戸が閉ざされていましたから、もはや生きる場所は米国しかなかったのです。

もし、日本で受け入れられて、ジョー小泉に嫌われなければ「マニー小泉」として日本のリングに上がっていたでしょう。しかし、日本には拒絶されてしまうのです。

その時は不運としか思えなかった日本に拒絶されたことが、アジアのスポーツ史上を揺るがし、世界中のボクシングファンにとんでもない幸運と、愉悦の時間をもたらすことになるとは、パッキャオ本人はもちろん、誰にも想像すら出来ませんでした。

そして、日本が拒んだフィリピン人を、ボクシングの神様は、とことん寵愛するのです。

パッキャオが鮮烈にジュニアフェザー最強をぶっ倒した後のメインイベントで、デラホーヤは退屈な試合でブーイングを浴び、実況席では「何という名前だっけ?あのアジア人の試合こそが今夜のメインディッシュだった」とコメント、軽量級のキープレーヤーとなりました。


【早朝からいくつもの建設現場で重労働をしたあとジムでボクシングの練習に励む…マニー・パッキャオのような環境は日本にはありえません。しかし、栄光への渇望でもフィリピン人に負けてはなりません。】

現在、井上は当時のパッキャオとほぼ同じ年齢ですが、米国に与えた衝撃には大きな差があります。

井上が勝っているのは、リング誌のPFPで10位(4位ロマゴン惨敗でランクアウト、繰上げ9位になる見込み)、パッキャオは圏外だったことくらいです。

そして、これが一番大切な要素ですが、パッキャオの時代にはジュニアフェザー、フェザーに、サンタクルスやマレスとは次元の違うメキシコが輩出した歴史的なグレートが3人も揃っていたのです。これほどの僥倖、運としか言いようがありません。

2003年、パッキャオ25歳。「金に目が眩んだフィリピン人が公開処刑される」と冷ややかな目で見られながら、PFP3位のバレラが持つリング誌フェザー級タイトルに挑みます。

このアラモドームの決闘で、HBOのメインを張り、100万ドルファイターの仲間入り。そして、メキシコの3強が核をなして繰り広げていたはずのフェザー級ウォーズの主役に、一気に躍り出たのです。

本気でアメリカンドリームを掴むなら、急がなくてはなりません。

パッキャオ同様、メキシコ人でもプエルトリカンでもない井上は、急がなければなりません。

サンタクルスらが井上に興味を示しても、屈辱的な報酬の分配を要求してくるでしょう。井上は初めてBサイド、本物のアウエーを経験することになります。しかし、そこで勝たなければ米国は認めてくれません。

今日の井上は素晴らしかった。そのことに、間違いありません。

しかし、今日の井上はご馳走を用意してくれた米国に招かれた、ゲストに過ぎません。

これからやらねばならないことは、招待状を受け取ることではありません。

道場破りです。