日本では、その階級で穴王者と見られる名ばかり世界王者や、マニアでもよく知らない挑戦者を連れてきて安易な世界タイトルマッチが繰り返されています。
階級最強と見られる王者や、ボクシングファンが認める強豪選手は、せっかく育てたジムの秘蔵っ子と戦わすには危険すぎます。ボクシングの場合、惨敗したら「いい経験をした」では済みません。心身ともにキャリアに重大な影響を与える可能性もあります。
仕方がありません。そういう部分は大いにあります。自分が大手ジムの経営者で「有望なホープを階級最強王者に挑戦させるか?」と聞かれて、「ファンのためにそうする!」と言い切れる人は、もしいるとしたら大嘘つきです。
そして何より、有名選手はおいそれと日本には来てくれません。
長谷川穂積と統一戦を戦ったフェルナンド・モンティエルは当時、誰もが認める階級最弱王者でしたが(過小評価されていた部分は大きく、逆に過大評価の長谷川は大きなツケを払わされてしまいます)、それでも交渉は難航、そんなモンティエルの条件ですら、どんどん釣り上げられていきました。
軽量級でも日本人がビッグネームと戦うのはレアケースなのに、中量級となるともう夢の世界です。
8月26日に亀海喜寛が拳を交えるミゲール・コットなんて、フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ、昔ならシュガー・レイ・レナードやトーマス・ハーンズと同じ世界の住人です。日本人が戦うなんて妄想するのもおこがましい存在でした。
昨年の暮れあたりからコットの対戦相手として名前が浮上していましたが、いやぁ、まさかまさかの展開です。
今夜はミゲール・コットについてです。
私自身は、いつも無表情でトラッシュトークも控えめで、リング外ではファンサービスのかけらも見せない無愛想なコットは今ひとつ好きになれなかったのですが、ファンの方も多いと思います。
ファンになる気持ちもよーくわかる、今時珍しい、本当にプロボクサーらしいプロボクサーなんです…あれ?好きなのかもしれません、私も。
1980年10月29日生まれですから、36歳。いつキャリアの幕を引いてもおかしくない年齢です。
2学年上のパッキャオとは真逆で、キャリア後半になってから激闘型になったことからもダメージは相当蓄積されているはずです。
【素晴らしいキャリアを走り続けているコットですが、トレーナーに恵まれているとは言えません。現在、コーナーについているのはフレディ・ローチ。「攻撃偏重」と言われ、コットにとっては良くないと見る専門家も少なくありません。今の所、メイウェザーとカネロに判定負けした以外は結果が出てるとはいえ…。=リング誌2015年12月号から】
ボクシングを始めたのは11歳のとき。アマチュアでは125勝23敗と優秀な成績を収めていますが、世界的なタイトルは取れてないんです。1993年(当時13歳)にあのイバン・カルデロンに負けてるのは有名ですね。
2000年にはプエルトリコ代表としてシドニー五輪に挑みましたが、無念の1回戦負け。このときの相手がウズベキスタンのムハンマド・アブデュラエフで、勝ち上がって金メダルを獲得しました。
このアブデュラエフとは、コットがWBOジュニアウェルター級王者として三度目の防衛戦で〝再戦〟、9ラウンドTKOで退けています。アマチュア実績には目を見張るものがなかったものの、若い頃からコットは「プロ向き」と言われていましたが、それを証明した一戦でした。
WBOジュニアウェルター級のタイトルは6度防衛、ランドール・ベイリー、デマーカス・コーリー、ポール・マリナッジといった強豪を明白に打ち倒して、中量級スターウォーズの惑星の一つになります。
2006年にWBAのウェルター級王者になってからの約2年間が、プエルトリコが生んだ最大のスターの全盛期でした。サブ・ジュダー、シェーン・モズリーというビッグネームからも勝利をもぎ取り、最もレベルの高いウェルター級で最強と言われるようになります。
コットとの対戦を煽るメディアやファンに「コットと戦ってもビジネスにならない」とメイウェザーが言い訳した一方、コットはメイウェザーを挑発することもなく「与えられた相手を倒すだけ」とプロフェッショナルの姿勢を貫きました。
そう、対戦相手を選ばないことも、この寡黙なプエルトリカンが絶大な人気者になった大きな理由です。
しかし、その男気が、この好漢のキャリアにとって仇になってしまうのです。
やはり、メイウェザーやオスカー・デラホーヤが対戦を回避した、当時日の出の勢いでウェルター級を席巻していたアントニオ・マルガリートを、2008年7月26日、5度目の防衛戦の相手に選んでしまいます。
しかも、場所はアウェーのラスベガス、MGMグランドガーデンアリーナ。Aサイドのコットなら、熱狂的なサポーターが詰めかけるホームのニューヨークを選択することもできたはずですが…。
デラホーヤやメイウェザーと戦うとなればコットといえどもBサイド、彼らの拠点、西海岸のリングに上がることになります。
しかし、その予行演習にしてはティファナの竜巻はあまりにも強過ぎました。
しかも、直後のモズリーとの試合でマルガリートは拳を石膏のようなもので固めていた〝ハンドラップ〟事件が発覚、このコット戦でも異物を仕込んでいた可能性が十分あるのですが、もはや確かめようはありません。
11ラウンドで、マルガリートの軍門に下ってしまいます。
ここで、強豪ばかりと激闘を繰り広げてきたにもかかわらず、無敗の快進撃を続けてきた眩しすぎるキャリアは、無念、ストップしてしまいます。
【マルガリートとは2011年に再戦、9ラウンドTKOで雪辱しましたが、コットがキャッチウェイトを突きつけた試合で、何よりも、パッキャオ戦で破壊されたマルガリートの眼窩底は完治していませんでした。そういえばコットの右耳後ろには「未月来」と漢字三文字の刺青が彫られていますが、これは「ミゲール」の当て字なんでしょうか?日本人がアルファベットを格好いいと感じるように、欧米からは漢字がすごくクールに見えるようですが、なんだかなぁな感じはありますね。=リング誌2012年3月号から】
マルガリート第1戦で、コットは致命的なダメージを負ってしまったように見えます。
また、この頃は、折り悪くもトレーナーである叔父のイバンゲリスタ・コットとの関係が悪化、チームとして機能していませんでした。
叔父との確執は、2009年4月に乱闘事件まで発展し、警察が出動する騒ぎまで起こしてしまいます。
そして、サブトレーナーのホセ・サンティアゴが〝昇格〟するのですが、こいつが近年稀に見る暗愚なトレーナーでした。
2009年にWBOバージョンで世界ウェルター級王座を奪還したコットには、一世一代の大勝負が迫っていました。
遥か下のフライ級王者からフィクションのようにスター選手を蹴散らしながら、ウェルター級まで駆け上がってきたアジアの奇跡との決戦です。
しかし、そんな大事な試合の前哨戦でも、コットには難敵が用意されます。やはり、多くの選手が対戦を回避していたガーナのグランド・マスター(巨匠)、ジョシュア・クロッティです。2009年6月13日、今度はホーム、マジソン・スクエア・ガーデン。
フルハウスに膨れ上がったガーデンが最も盛り上がったのは、試合前のセレモニーの途中、リング頭上の巨大ビジョンにマニー・パッキャオが映し出され、万雷の拍手に応えてフィリピン人が席を立って手を振った時でした。
コットは第1ラウンドにジャブのカウンターを決めて美しいダウンを奪います。しかし、その後はタフなガーナ人の反撃にあい、コーナーのサンティアゴは無策のまま。何とかスプリットデジションで逃げ切りましたが、プライムタイムを迎えているパックマンに対抗するにはその姿はあまりにも弱々しいものでした。
そして、2009年11月14日、MGMグランドアリーナ。運命の日が訪れてしまいます。
コットの持つWBO世界ウェルター級王座をパッキャオが奪取すると、史上初の7階級制覇が達成されます。
1年前はジュニアライト級で戦っていたフィリピン人が、わずか2年足らずの期間で全階級を通じて最もレベルが高いライト、ジュニアウェルター、ウェルターの3階級を、一気に食い尽くそうとしているのです。
その言葉はスポーツの世界では安易に使われがちですが、マニー・パッキャオ、この時の彼は、まさに「怪物」でした。
【アジアの誇りパッキャオの人気は日本でも絶大です。日本のメディアだけが「6階級制覇」としているのは笑えますが。パッキャオが獲得した最も価値がある王座はフェザー級とジュニアウェルター級と言われているのに「4団体」に固執して、この2階級を無視するのですから理解に苦しみます。=ボクシングマガジン2010年1月号から】
このメガファイトは最初からパッキャオのために用意されたものでした。王者コットは145ポンドのキャッチウェイトを「147だからウェルター。145ならウェルター級じゃないからタイトルは賭けない」と主張していましたが、何の関係もないWBCがしゃしゃり出て「ウェルター級のダイアモンド王者決定戦にします」といつものようにわけのわからないことを言い出します。
これが、なんの定義も根拠もない、WBCが単に高いベルトを売りつけたいというダイアモンドベルトの始まりでした。
この珍妙なベルトをWBCは5万ドルで売ろうとしますが、これには寛容なパッキャオも「5万ドルも払うなら要らない」と拒否、立場のないWBCは結局無償で渡したといわれています。
恥知らずのWBCは、先日のカネロvsチャベスJr.戦でも「メキシコベルト」なるものを作成して売りつけようとしましたが、関係が悪化しているカネロに「WBCのベルトなんて無料でも要らないし、そんな汚らしいベルトはリングにも上げるな」と唾棄されてしまい、あの美しいベルトは日の目を見ないまま。今はどこにあるのでしょうか?
両者の最低保障の報酬はパッキャオが2200万ドル、コットが1200万ドル。オッズは3−1〜4−1でパッキャオ。試合は素晴らしい立ち上がりを見せます。第1ラウンドからジャブの応酬。
探り合いというにはあまりにも鋭利なジャブの差し合い、次の強打がいつ炸裂するかわからない緊張感。
最初の3分間が終わった時に、大観衆は名勝負になるに違いない予感に我慢ができず、スタンディングオベーションが自然発生、その光景は壮観でした。
ボクシングの試合でスタンディングオベーションは、非常に珍しいことです。
パッキャオのガードを綺麗に弾くコットのジャブ!クロッティを倒した、鋭く伸びるあの美しいジャブです。第1ラウンドはコットが取りました。コットの勝機がジャブの差し合いから距離をとることであるのは素人でもわかっていましたが、わかってない愚鈍な男が一人だけいました。そうです。サンティアゴです。よりによって、コットのコーナーにいたのです。
第2ラウンドもジャブの差し合いが続きますが、この展開を打開すべくパッキャオは波状攻撃を仕掛けるタイミングを計り、距離を潰そうとしてきます。
第2ラウンドが終わってインタバル、「距離が近づいている。パッキャオのフェイントがわからない」と相談するコットに、サンティアゴはあろうことか「打ち合え、ロープに詰めろ」と指示します。接近戦でパッキャオと打ち合っていいのは、ロベルト・デュランくらいなものです、まさに自殺行為です。
第3ラウンドからは一方的な展開になります。リングサイドで応援していたコットの美しい奥さんは9ラウンドで、目の前で父親が切り刻まれる光景に泣きじゃくる子供の視線を覆いながら席を立ちます。
11ラウンド終了のインタバルでコットは「パッキャオは本当に強い、過去最強の相手だ。俺の負けだ」と棄権を相談しますが、サンティアゴはどこまでも愚かです。「ウェルター級のパンチが一発当たればパッキャオなんて簡単に沈む。諦めるな」。12ラウンド、もはや一滴のエネルギーも残っていないコットを救ったのはサンティアゴではなく、レフェリーのケニー・ベイレスでした。
この試合でコットはサンティアゴを見限り、あのエマヌエル・スチュワードに師事します。
しかし、身長、リーチを生かすクロンクのスタイルは、短躯のコットには合わず、キューバのペドロ・ルイス・ディアスの門を叩きますが、ギレルモ・リゴンドーやホルヘ・カサマヨルらを教えた名伯楽の言葉も響きませんでした。
そして、ミドル級に進出した2013年からはフレディ・ローチとタッグを組んでいます。
現時点のコットの評価は、「2009年のクロッティ戦を最後に旬の強豪には勝っていない」「ジュニアミドルからミドル級で勝ったのはマルガリートやリカルド・マヨルガといった終わったボクサーと、ユーリ・フォアマンやセルヒオ・マルチネスら膝に重傷を抱えてリングに上がったボクサーしかいない」「5年前にオースティン・トラウトに完封されている事実(今は更に劣化している)」…非常に厳しいものがあります。
だからこそ、石橋を叩いて、今回選んだのが亀海です。しかし、コットにとっては簡単な試合にはならないでしょう。身長、リーチで大きく上回る激闘型の亀海は、コットにとって厄介な相手です。マルガリートをスケールダウンしたイメージでしょうか。
一方でトップレベルで戦った経験差は如何とも埋めがたいものがあります。亀海のテクニック、スピード、パワー、打たれ強さ、何一つとしてコットを驚かせるものはありえません。
コットは、遥かに凄まじい経験を、怒涛の修羅場を数えきれないほど、かいくぐっって来ました。もし、コットに驚くことがあるとしたら、凡庸な亀海のボクシングに、思うように反応できない自らの衰えた肉体に対してでしょうか。
そして、そうなる可能性は十二分にあります。
「ゴールデン・ボーイ・プロモーションと大型契約を結んだ選手は、最初の一歩で躓く」。マルコ・アントニオ・バレラやホルヘ・リナレスらが絡め取られた〝GBPの呪い〟もまた、コットには気になるところです。
大きな、大きな、とてつもない大きなチャンスが亀海喜寛と日本のボクシング界に巡ってきました。
亀海は「勝ってリング誌の年間最大番狂わせ賞を狙う」と語っていましたが、オッズの上からはおそらく「大番狂わせ(Big Upset)」にはならないでしょう。
オッズはまだ見当たりませんが、3〜4−1でコットというレベルと思われます。いわゆる「Mild Upset」の範囲です。それほど、コットは衰えてると考えられています。
しかし、コットが無名のアジア人に敗れる、そのニュースは世界中のボクシングファンは大きな衝撃をもって受け止めるしかありません。ミゲール・コットは、それほどのビッグネームなのです。
そんなグレートと、日本人が真剣勝負で相見えるのです!これは、もう、日本のボクシングファンなら、MUST SEE、何があっても見なけりゃいけません!
コットに勝てば、次の試合はビッグネームから引く手数多です。
日本人でウェルター級だった亀海には、ずっと「かわいそうに」という思いがありました。
米国に戦場を移してからも、世界の最前線から離れたポジションで一進一退を繰り返す姿に「日本人でウェルター級なんて逆立ちしたって報われない」と、やはり同情しながら応援してました。
申し訳ありませんでした。私の不徳の致すところです。
ウェルター級で戦っている限り、どこにどんなチャンスが転がっているかわからないものです。
まさか、ミゲール・コットなんて!
亀海のおかげで、これから日本人がパッキャオと戦おうが、メイウェザーと戦おうが、うろたえるほどには、もう驚きません。
とんでもなく、すごいことです。あのコットと同じリングに上がるなんて。
でも、それだけで終わりにするには、あまりにも惜しい、どデカ過ぎるチャンスです。カリフォルニアの一夜限りの夢で終わらせてはなりません、絶対に。
何が何でも、勝ちましょう。勝ちましょう、勝ちましょう、絶対に勝ちましょう!
頑張れ、亀海!偉大な伝説のキャリアに、ピリオドを打つのだ!
階級最強と見られる王者や、ボクシングファンが認める強豪選手は、せっかく育てたジムの秘蔵っ子と戦わすには危険すぎます。ボクシングの場合、惨敗したら「いい経験をした」では済みません。心身ともにキャリアに重大な影響を与える可能性もあります。
仕方がありません。そういう部分は大いにあります。自分が大手ジムの経営者で「有望なホープを階級最強王者に挑戦させるか?」と聞かれて、「ファンのためにそうする!」と言い切れる人は、もしいるとしたら大嘘つきです。
そして何より、有名選手はおいそれと日本には来てくれません。
長谷川穂積と統一戦を戦ったフェルナンド・モンティエルは当時、誰もが認める階級最弱王者でしたが(過小評価されていた部分は大きく、逆に過大評価の長谷川は大きなツケを払わされてしまいます)、それでも交渉は難航、そんなモンティエルの条件ですら、どんどん釣り上げられていきました。
軽量級でも日本人がビッグネームと戦うのはレアケースなのに、中量級となるともう夢の世界です。
8月26日に亀海喜寛が拳を交えるミゲール・コットなんて、フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ、昔ならシュガー・レイ・レナードやトーマス・ハーンズと同じ世界の住人です。日本人が戦うなんて妄想するのもおこがましい存在でした。
昨年の暮れあたりからコットの対戦相手として名前が浮上していましたが、いやぁ、まさかまさかの展開です。
今夜はミゲール・コットについてです。
私自身は、いつも無表情でトラッシュトークも控えめで、リング外ではファンサービスのかけらも見せない無愛想なコットは今ひとつ好きになれなかったのですが、ファンの方も多いと思います。
ファンになる気持ちもよーくわかる、今時珍しい、本当にプロボクサーらしいプロボクサーなんです…あれ?好きなのかもしれません、私も。
1980年10月29日生まれですから、36歳。いつキャリアの幕を引いてもおかしくない年齢です。
2学年上のパッキャオとは真逆で、キャリア後半になってから激闘型になったことからもダメージは相当蓄積されているはずです。
【素晴らしいキャリアを走り続けているコットですが、トレーナーに恵まれているとは言えません。現在、コーナーについているのはフレディ・ローチ。「攻撃偏重」と言われ、コットにとっては良くないと見る専門家も少なくありません。今の所、メイウェザーとカネロに判定負けした以外は結果が出てるとはいえ…。=リング誌2015年12月号から】
ボクシングを始めたのは11歳のとき。アマチュアでは125勝23敗と優秀な成績を収めていますが、世界的なタイトルは取れてないんです。1993年(当時13歳)にあのイバン・カルデロンに負けてるのは有名ですね。
2000年にはプエルトリコ代表としてシドニー五輪に挑みましたが、無念の1回戦負け。このときの相手がウズベキスタンのムハンマド・アブデュラエフで、勝ち上がって金メダルを獲得しました。
このアブデュラエフとは、コットがWBOジュニアウェルター級王者として三度目の防衛戦で〝再戦〟、9ラウンドTKOで退けています。アマチュア実績には目を見張るものがなかったものの、若い頃からコットは「プロ向き」と言われていましたが、それを証明した一戦でした。
WBOジュニアウェルター級のタイトルは6度防衛、ランドール・ベイリー、デマーカス・コーリー、ポール・マリナッジといった強豪を明白に打ち倒して、中量級スターウォーズの惑星の一つになります。
2006年にWBAのウェルター級王者になってからの約2年間が、プエルトリコが生んだ最大のスターの全盛期でした。サブ・ジュダー、シェーン・モズリーというビッグネームからも勝利をもぎ取り、最もレベルの高いウェルター級で最強と言われるようになります。
コットとの対戦を煽るメディアやファンに「コットと戦ってもビジネスにならない」とメイウェザーが言い訳した一方、コットはメイウェザーを挑発することもなく「与えられた相手を倒すだけ」とプロフェッショナルの姿勢を貫きました。
そう、対戦相手を選ばないことも、この寡黙なプエルトリカンが絶大な人気者になった大きな理由です。
しかし、その男気が、この好漢のキャリアにとって仇になってしまうのです。
やはり、メイウェザーやオスカー・デラホーヤが対戦を回避した、当時日の出の勢いでウェルター級を席巻していたアントニオ・マルガリートを、2008年7月26日、5度目の防衛戦の相手に選んでしまいます。
しかも、場所はアウェーのラスベガス、MGMグランドガーデンアリーナ。Aサイドのコットなら、熱狂的なサポーターが詰めかけるホームのニューヨークを選択することもできたはずですが…。
デラホーヤやメイウェザーと戦うとなればコットといえどもBサイド、彼らの拠点、西海岸のリングに上がることになります。
しかし、その予行演習にしてはティファナの竜巻はあまりにも強過ぎました。
しかも、直後のモズリーとの試合でマルガリートは拳を石膏のようなもので固めていた〝ハンドラップ〟事件が発覚、このコット戦でも異物を仕込んでいた可能性が十分あるのですが、もはや確かめようはありません。
11ラウンドで、マルガリートの軍門に下ってしまいます。
ここで、強豪ばかりと激闘を繰り広げてきたにもかかわらず、無敗の快進撃を続けてきた眩しすぎるキャリアは、無念、ストップしてしまいます。
【マルガリートとは2011年に再戦、9ラウンドTKOで雪辱しましたが、コットがキャッチウェイトを突きつけた試合で、何よりも、パッキャオ戦で破壊されたマルガリートの眼窩底は完治していませんでした。そういえばコットの右耳後ろには「未月来」と漢字三文字の刺青が彫られていますが、これは「ミゲール」の当て字なんでしょうか?日本人がアルファベットを格好いいと感じるように、欧米からは漢字がすごくクールに見えるようですが、なんだかなぁな感じはありますね。=リング誌2012年3月号から】
マルガリート第1戦で、コットは致命的なダメージを負ってしまったように見えます。
また、この頃は、折り悪くもトレーナーである叔父のイバンゲリスタ・コットとの関係が悪化、チームとして機能していませんでした。
叔父との確執は、2009年4月に乱闘事件まで発展し、警察が出動する騒ぎまで起こしてしまいます。
そして、サブトレーナーのホセ・サンティアゴが〝昇格〟するのですが、こいつが近年稀に見る暗愚なトレーナーでした。
2009年にWBOバージョンで世界ウェルター級王座を奪還したコットには、一世一代の大勝負が迫っていました。
遥か下のフライ級王者からフィクションのようにスター選手を蹴散らしながら、ウェルター級まで駆け上がってきたアジアの奇跡との決戦です。
しかし、そんな大事な試合の前哨戦でも、コットには難敵が用意されます。やはり、多くの選手が対戦を回避していたガーナのグランド・マスター(巨匠)、ジョシュア・クロッティです。2009年6月13日、今度はホーム、マジソン・スクエア・ガーデン。
フルハウスに膨れ上がったガーデンが最も盛り上がったのは、試合前のセレモニーの途中、リング頭上の巨大ビジョンにマニー・パッキャオが映し出され、万雷の拍手に応えてフィリピン人が席を立って手を振った時でした。
コットは第1ラウンドにジャブのカウンターを決めて美しいダウンを奪います。しかし、その後はタフなガーナ人の反撃にあい、コーナーのサンティアゴは無策のまま。何とかスプリットデジションで逃げ切りましたが、プライムタイムを迎えているパックマンに対抗するにはその姿はあまりにも弱々しいものでした。
そして、2009年11月14日、MGMグランドアリーナ。運命の日が訪れてしまいます。
コットの持つWBO世界ウェルター級王座をパッキャオが奪取すると、史上初の7階級制覇が達成されます。
1年前はジュニアライト級で戦っていたフィリピン人が、わずか2年足らずの期間で全階級を通じて最もレベルが高いライト、ジュニアウェルター、ウェルターの3階級を、一気に食い尽くそうとしているのです。
その言葉はスポーツの世界では安易に使われがちですが、マニー・パッキャオ、この時の彼は、まさに「怪物」でした。
【アジアの誇りパッキャオの人気は日本でも絶大です。日本のメディアだけが「6階級制覇」としているのは笑えますが。パッキャオが獲得した最も価値がある王座はフェザー級とジュニアウェルター級と言われているのに「4団体」に固執して、この2階級を無視するのですから理解に苦しみます。=ボクシングマガジン2010年1月号から】
このメガファイトは最初からパッキャオのために用意されたものでした。王者コットは145ポンドのキャッチウェイトを「147だからウェルター。145ならウェルター級じゃないからタイトルは賭けない」と主張していましたが、何の関係もないWBCがしゃしゃり出て「ウェルター級のダイアモンド王者決定戦にします」といつものようにわけのわからないことを言い出します。
これが、なんの定義も根拠もない、WBCが単に高いベルトを売りつけたいというダイアモンドベルトの始まりでした。
この珍妙なベルトをWBCは5万ドルで売ろうとしますが、これには寛容なパッキャオも「5万ドルも払うなら要らない」と拒否、立場のないWBCは結局無償で渡したといわれています。
恥知らずのWBCは、先日のカネロvsチャベスJr.戦でも「メキシコベルト」なるものを作成して売りつけようとしましたが、関係が悪化しているカネロに「WBCのベルトなんて無料でも要らないし、そんな汚らしいベルトはリングにも上げるな」と唾棄されてしまい、あの美しいベルトは日の目を見ないまま。今はどこにあるのでしょうか?
両者の最低保障の報酬はパッキャオが2200万ドル、コットが1200万ドル。オッズは3−1〜4−1でパッキャオ。試合は素晴らしい立ち上がりを見せます。第1ラウンドからジャブの応酬。
探り合いというにはあまりにも鋭利なジャブの差し合い、次の強打がいつ炸裂するかわからない緊張感。
最初の3分間が終わった時に、大観衆は名勝負になるに違いない予感に我慢ができず、スタンディングオベーションが自然発生、その光景は壮観でした。
ボクシングの試合でスタンディングオベーションは、非常に珍しいことです。
パッキャオのガードを綺麗に弾くコットのジャブ!クロッティを倒した、鋭く伸びるあの美しいジャブです。第1ラウンドはコットが取りました。コットの勝機がジャブの差し合いから距離をとることであるのは素人でもわかっていましたが、わかってない愚鈍な男が一人だけいました。そうです。サンティアゴです。よりによって、コットのコーナーにいたのです。
第2ラウンドもジャブの差し合いが続きますが、この展開を打開すべくパッキャオは波状攻撃を仕掛けるタイミングを計り、距離を潰そうとしてきます。
第2ラウンドが終わってインタバル、「距離が近づいている。パッキャオのフェイントがわからない」と相談するコットに、サンティアゴはあろうことか「打ち合え、ロープに詰めろ」と指示します。接近戦でパッキャオと打ち合っていいのは、ロベルト・デュランくらいなものです、まさに自殺行為です。
第3ラウンドからは一方的な展開になります。リングサイドで応援していたコットの美しい奥さんは9ラウンドで、目の前で父親が切り刻まれる光景に泣きじゃくる子供の視線を覆いながら席を立ちます。
11ラウンド終了のインタバルでコットは「パッキャオは本当に強い、過去最強の相手だ。俺の負けだ」と棄権を相談しますが、サンティアゴはどこまでも愚かです。「ウェルター級のパンチが一発当たればパッキャオなんて簡単に沈む。諦めるな」。12ラウンド、もはや一滴のエネルギーも残っていないコットを救ったのはサンティアゴではなく、レフェリーのケニー・ベイレスでした。
この試合でコットはサンティアゴを見限り、あのエマヌエル・スチュワードに師事します。
しかし、身長、リーチを生かすクロンクのスタイルは、短躯のコットには合わず、キューバのペドロ・ルイス・ディアスの門を叩きますが、ギレルモ・リゴンドーやホルヘ・カサマヨルらを教えた名伯楽の言葉も響きませんでした。
そして、ミドル級に進出した2013年からはフレディ・ローチとタッグを組んでいます。
現時点のコットの評価は、「2009年のクロッティ戦を最後に旬の強豪には勝っていない」「ジュニアミドルからミドル級で勝ったのはマルガリートやリカルド・マヨルガといった終わったボクサーと、ユーリ・フォアマンやセルヒオ・マルチネスら膝に重傷を抱えてリングに上がったボクサーしかいない」「5年前にオースティン・トラウトに完封されている事実(今は更に劣化している)」…非常に厳しいものがあります。
だからこそ、石橋を叩いて、今回選んだのが亀海です。しかし、コットにとっては簡単な試合にはならないでしょう。身長、リーチで大きく上回る激闘型の亀海は、コットにとって厄介な相手です。マルガリートをスケールダウンしたイメージでしょうか。
一方でトップレベルで戦った経験差は如何とも埋めがたいものがあります。亀海のテクニック、スピード、パワー、打たれ強さ、何一つとしてコットを驚かせるものはありえません。
コットは、遥かに凄まじい経験を、怒涛の修羅場を数えきれないほど、かいくぐっって来ました。もし、コットに驚くことがあるとしたら、凡庸な亀海のボクシングに、思うように反応できない自らの衰えた肉体に対してでしょうか。
そして、そうなる可能性は十二分にあります。
「ゴールデン・ボーイ・プロモーションと大型契約を結んだ選手は、最初の一歩で躓く」。マルコ・アントニオ・バレラやホルヘ・リナレスらが絡め取られた〝GBPの呪い〟もまた、コットには気になるところです。
大きな、大きな、とてつもない大きなチャンスが亀海喜寛と日本のボクシング界に巡ってきました。
亀海は「勝ってリング誌の年間最大番狂わせ賞を狙う」と語っていましたが、オッズの上からはおそらく「大番狂わせ(Big Upset)」にはならないでしょう。
オッズはまだ見当たりませんが、3〜4−1でコットというレベルと思われます。いわゆる「Mild Upset」の範囲です。それほど、コットは衰えてると考えられています。
しかし、コットが無名のアジア人に敗れる、そのニュースは世界中のボクシングファンは大きな衝撃をもって受け止めるしかありません。ミゲール・コットは、それほどのビッグネームなのです。
そんなグレートと、日本人が真剣勝負で相見えるのです!これは、もう、日本のボクシングファンなら、MUST SEE、何があっても見なけりゃいけません!
コットに勝てば、次の試合はビッグネームから引く手数多です。
日本人でウェルター級だった亀海には、ずっと「かわいそうに」という思いがありました。
米国に戦場を移してからも、世界の最前線から離れたポジションで一進一退を繰り返す姿に「日本人でウェルター級なんて逆立ちしたって報われない」と、やはり同情しながら応援してました。
申し訳ありませんでした。私の不徳の致すところです。
ウェルター級で戦っている限り、どこにどんなチャンスが転がっているかわからないものです。
まさか、ミゲール・コットなんて!
亀海のおかげで、これから日本人がパッキャオと戦おうが、メイウェザーと戦おうが、うろたえるほどには、もう驚きません。
とんでもなく、すごいことです。あのコットと同じリングに上がるなんて。
でも、それだけで終わりにするには、あまりにも惜しい、どデカ過ぎるチャンスです。カリフォルニアの一夜限りの夢で終わらせてはなりません、絶対に。
何が何でも、勝ちましょう。勝ちましょう、勝ちましょう、絶対に勝ちましょう!
頑張れ、亀海!偉大な伝説のキャリアに、ピリオドを打つのだ!
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