「どこに眼ェつけとんねん!」と並んで、誤審を生み出してしまうもう一つの元凶に進みます。

★「現在の判定慣例が明らかに間違っとる!」★

まず、ボクシングのジャッジは、信じられないほどレベルが低い人でものうのうと仕事に就き続けているのが問題です。

MLBやNFLの審判はその能力の検査や、判定基準の確認などのために厳格な試験やトレーニングを毎年受けていますが、ボクシングのジャッジにはこういう内部監査が一切ありません。

運転免許の更新のようなことすらしていないのですから、視力や視野が大きく落ちても、認知症が進行しても、ボクシングの世界ではジャッジの席に座れるのです。こんな馬鹿げた話がありますか?

そもそも、アルファベットの承認団体こそが内部監査などありえない、旧態依然に既得権益に固執する唾棄すべき団体です。全ての団体で幹部の選出は密室で行われ、WBAとWBCに至っては会長職は〝完全世襲制〟です。

今回の村田vsエンダムの一件で、WBAのヒルベルト・メンドサ会長が謝罪声明を出し、ジャッジ二人を資格停止処分しましたが、そんなに責任感じてるならまず己が会長の座を退け、ってことです。不祥事を起こした団体の責任者のくせに、他人事なんです。日本ではなぜか(帝拳のおかげでしょうか?)、好意的に見られるWBCも本当に劣悪で卑怯な団体です。

承認団体がいくつもあって、王者が乱立するのは、もう今更どうしようもありませんし、WBCやWBAにどこかの国みたいな世襲制はやめてもっと運営を透明化しろ、と言っても無駄ですが、採点方法についてはその徹底と、何よりジャッジの教育が必要です。

そして、よく悪く言われる10ポイントマストシステムが、多くのファンに誤解されています。そして、無能なジャッジがこのシステムに縛られて、おかしなジャッジを犯してしまうのです。

【COMMON-SENCE SCORING(常識的な判定を!)ジャッジは10−9に縛られてはいけない〜元ジャッジで、HBOのコメンテーターを務めるハロルド・レダーマンは「どうしても判定不能だと思えば、そのラウンドは10−10に付けなければならない」と進言しています。】

どんなスポーツでも引き分けがあります(延長戦を行うMLBのような例もありますが、それでも引き分けの概念はあります)。ボクシングでも引き分けがあるのに、どうして独立した試合として見るべき各ラウンドだけ10-10=ドローが滅多にないのでしょうか?
白黒ハッキリつけなくてはならないルールだとファンが誤解し、一部の無能なジャッジがサイコロを転がすように10−9と無理やり振り分けるのは「10−10を付けると、判定能力が無いとみなされてしまう」という脅迫観念からです。

繰り返しになりますが、判定基準の優先順位は①EFFECTIVE AGGRESSION(攻勢/有効打)、②RING GENERATIONSHIP(主導権/相手を動かしているのはどっちだ)、③ AGGRESSION(勇気を持って前進しているのか/恐れて下がっているのか)、です。4番目の要素にdefenseがあげられることもありますが、怒涛の猛攻撃を受けても完璧な防御で一発のクリーンヒットも許さなかったとしても、パンチを出さなければポイントには結びつきません。

この採点基準でも判断できない時も、当然あります。その時は10−10を付けるべきなのです。10−10は判定を放棄した結果でもなく、そのジャッジの無能さを表すスコアでもありません。

10ポイントマストシステムが、あたかも10−9システムと誤解され、一部(多数?)のジャッジは「10−10を付けたら無能だと思われるから、心の中のサイコロを転がす」なんて異常な状況がまかり通っているのです。

こんな誤解や、ジャッジが脅迫観念に縛られるきっかけになったのは、またもやシュガー・レナード絡みです。キャッチウエイトにランキングの操作(WBCがレナードに忖度した結果ですが、主犯はレナードですね)、悪弊のほとんどがこの人を起源としています。ある意味、凄い人です。

1980年のレナードvsロベルト・デュラン第1戦。いつ見ても、ぞくぞくする名勝負です。今のビッグファイトは「負けたくない」という気持ちが先走りして塩分過多のつまらない展開になってしまいがちですが、この時の二人は「勝ちたい」、その一心で15ラウンドもの間、拳を振るい続けたのです。

野球やサッカー、テニスのプロは、目を見張る高等技術を売れば、それでお仕事完了です。しかし、プロボクサーは高等技術だけを並べても、誰もチケットを買ってくれません。ファンがプロボクサーから買いたいのは、高等技術よりも勇気、なんです。

ヒスパニックでも米国人でもないマニー・パッキャオがどうして、スターダムの頂点に駆け上がることができたのか?神の配剤としか思えない、ライバルたちに恵まれたから、それだけではありません。リングの上で、これ以上ない上質な勇気を見せたからです。

ギレルモ・リゴンドーが全く売れないのは、キューバ人だからじゃありません。彼は高等技術の百貨店です。しかし、彼の売り場の何処を探しても、ファンが一番求めている勇気が見つからないからです。

話が逸れてしまいました。

レナードvsデュランは、ニューヨーク・タイムズが144−142でレナードにつけるなどレナード支持も一部ではありましたが、3−0でパナマの英雄が勝利したとする公式判定で多くの人は納得したはずです。


【レナードvsデュラン、歴史に残る名勝負です。そして、この試合の判定の影響で、のちのジャッジが「10−10」と付けることを憚ってしまう一因になったとも言われています。今回ばかりはレナード本人の責任ではないのですが、ボクシング界の悪弊を辿ると、だいたいがこの御仁に行き着きます。】

この試合でジャッジの一人、アンジェロ・ポレッティは148−147でデュランを支持しました。

148−147。そうです、当時15ラウンド制ですから、10−9に振り分けたラウンドはわずか5つ。残りの10のラウンド全てを10−10、イーブンと判定したのです。ちなみに、144−142と採点したニューヨーク・タイムスも1つのラウンドを「10−10」と判定しています。

この試合の判定は、比較的すんなり世界が受け入れたにもかかわらず、イーブンを10度もつけたポレッティに「判定を投げ出した」「ジャッジの意味がない」という批判も浴びせられました。

私は、あの試合を最も的確に再現したのはポレッティのスコアカードだと思います。それでも、この一件が「振り分けないと何言われるかわからない」と、のちのジャッジに思わせたことは容易に想像できますね。

また、ネバダ州で長年ジャッジを務めているデュアン・フォードは「10−8」のつけ方にも疑問を呈しています。「最近のジャッジはダウンがなければ10−8を付けない場合が多い」。ダウンがなくても、終始相手を圧倒していたら10−8を付けるべきなんですね。

さらに、フォードは「2分55秒まで明らかにラウンドを支配していたボクサーが、終了間際にスリップしたのを主審が『ダウン』と判定した時、暗愚なジャッジは10−8を付けてしまう。この場合は10−9か10−10にすべきで、ラウンドの大半を占める2分55秒を切り捨てるようなことは絶対にしてはいけない」と、能力のないジャッジが多いことを嘆いています。

ジャッジは、主審から独立して判定すべきなのです。主審に従わなければいけないのは、ローブローなどで減点が宣告された時だけです。スリップを主審が「ダウン」と誤審したとみたら、その「ダウン」は無視して構わないのです。

最後に、素晴らしいジャッジの例を。

2013年のWBOウェルター級タイトルマッチ、ティモシー・ブラッドリー対ルスラン・プロボドニコフの第1ラウンドです。

【ブラッドリーも、よくよく判定で揉める選手です。肉体美と反比例してパンチが弱く、しかも勇気もないから後ろがかりの重心で軽打の回転力だけで戦うのですから仕方ありませんが。】

第1ラウンド、ブラッドリーは明らかにロシア人のパンチを受けてダウンしたのに、主審は、その瞬間を見逃したのでしょう、シレッと「スリップ」と判定しました。しかし、その瞬間をしっかり見ていた3人のジャッジは、公式にはダウンがなかったこのラウンドを10−8で勇敢なロシア人に与えたのです。

ちなみに、この主審、今年69歳になるパット・ラッセルは、1月の三浦隆司vsミゲール・ローマン戦でもジャッジの一人としてリングサイドに座っているんです。ものすごく心配でしたが、さすがに火を噴くようなボンバーレフトはラッセル爺さんでも視認できました。

何れにしても、ボクシング界は魑魅魍魎、ロクでもない世界なのです。

とにかく、ジャッジ、もちろん主審も、少なくとも年に1回は定期検診して、不適格なら職を解くべきです。

早く実施しないと、村田vsエンダムが、またどこかで繰り返されるだけです。