創設から44年、国民栄誉賞は1976年の第1回・王貞治から、直近2016年の伊調馨まで11人と1チームが受賞してきました。

この12の個人とチームが、国民栄誉賞にふさわしい日本国民に深い感動を与えてくれた素晴らしいアスリートであることは間違いありません。

ボクシングのステイタスは1970年代をピークに坂道を転がり続けていますが、かつて具志堅用高も国民栄誉賞の俎上に上ることがありました。

1980年のことでした。

当時の具志堅は連続防衛記録の日本記録を更新中で、総理官邸に招かれ祝福される「国民的英雄」でした。 

今では信じられないでしょうが、当時の日本国内での具志堅のアスリートとしてのステイタスはニューヨーク・ヤンキースの田中将大や、シカゴ・カブスのダルビッシュ有を凌駕する ものだったのです。

しかし、当時の政府は、具志堅への国民栄誉賞を見送ります。「ボクシングは国民の支持が薄く、特に青少年の支持が希薄」と、その理由を発表しました。

しかし、当時小中学生だった私でも具志堅の試合はクラスでふつうに話題になり、担任の先生が「お前ら、昨日の具志堅を見たか?」と朝礼前に話したことも覚えています。 

ボクシングマガジンの読者投稿欄では「確かに王貞治と比べたら具志堅のインパクトはやや小さかったかもしれないが、(二人目の受賞者)古賀政男は国民と青少年の支持が厚かったとでもいうのだろうか?」と、激しく納得するしかない至極真っ当な意見も展開されていました。

そして、その投稿欄には「具志堅内定のニュースを聞いたときは、これがボクシング復活のきっかけになると期待したのに」という声も。

ここから読み取れるのは、①当時も今も政府は行き当たりばったりの低脳 、②40年前でもボクシングは落ち目でファンは危機を感じていた、という二点です。

このブログでも「ボクシングでニュース速報が流れるのってどんな偉業?」とか、「号外が出るならどんなビッグマッチに日本人が勝ったとき?」なんて話を、ちょくちょくしてました。

具志堅のときはニュース速報は流れていないはずです。当時のメディアは新聞もテレビもスポーツに割く面積や時間は少なく、具志堅の号外も出てなかったんじゃないでしょうか?
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「ニュース速報」「号外」となると、おそらく「日本人がテレンス・クロフォードに圧勝してウェルター級王座を獲得した」では無理でしょう。一般のスポーツファンはピンときません。 

クロフォードを粉砕、その偉業が日本に〝逆輸入〟される形で、一般ファンが〝ピンとくる〟ようになれば、その後の試合でジュニアミドルのジャーメルも駆逐、ミドルのカネロも蹴散らす頃になると、日本列島も沸騰しているでしょうから、号外も国民栄誉賞もありえます。

しかし、道は長いです。道は険しいです。

その意味では、穴王者攻略でも「ヘビー級王者獲得」なら、一発該当しそうです。 



今日は、ファイティング原田を「これぞ日本男児の誉れ」と愛した三島由紀夫の〝50周年〟 。

原田は当時、国民栄誉賞があれば文句なしに受賞してました。



少し酔った電車の中で思いついた「大きな賞の存在感」と「ファン心理の乖離」について、少し前にお休みしていたシリーズの再会です。

次回は、太平洋を超えて、米国で〝具志堅と同じような理由〟で、やはり〝大きな賞〟を落選したマニー・パッキャオと、同じ年にパッキャオと同じ理由では受け入れがたい落選に甘んじたウサイン・ボルトのお話、そこからまた日本に戻ってきます。