ウィルフレド・ゴメスはどうなのでしょう? 私は軽量級スパースターの認識を持っていましたが、彼もまた、世界のボクシングシーンの力学によってスルーされていた存在なのでしょうか?
vsサラテ戦、vsサンチェス戦、vsピントール戦、いづれもリアタイ視聴の僥倖に恵まれましたが、いまYouTubedなどで当時の映像を見直しても、それは思い出補正などではなく、まごうことなきメガマッチに見えます。vsピントール戦はハーンズvsベニテスの前座でしたがね。
まあ、メガマッチの定義にもよるのでしょう。ボクシングで動くお金の額は時を重ねるにつれて大きくなっていますが、人々の関心やプレゼンスに関しては、必ずしもお金の増大に比例していないと感じますね。
2020-08-31 14:25:51 返信編集 匿名 111.239.147.191
ボクシングの「ビッグネーム」や「メガファイト」に明確な定義など存在しません。
井上尚弥や井岡一翔、ノニト・ドネアらは米国ではコアなボクシングマニアがようやく認知する、一般のスポーツファンはおろかボクシングファンにすら「全く無名の存在」ですが、彼らを「ビッグネーム」と表現することは間違いではありません。
Many fight fans have never heard of Inoue.〜米国のボクシングファンの多くは井上の名前すらも聞いたことがない。
そして、多くの井上信者らが幻覚している「メガファイト」の定義は「ラスベガスやニューヨークの大会場でPPV50万件セールスをマーク、両者それぞれの報酬が1000万ドル越え」となるでしょうか。
これをクリアするには、フォーブス誌のThe World’s Highest-Paid Athletesで上位40位には食い込まなければ話にならないレベルです。
ボクシングの「ビッグネーム」や「メガファイト」に明確な定義など存在しません。
井上尚弥や井岡一翔、ノニト・ドネアらは米国ではコアなボクシングマニアがようやく認知する、一般のスポーツファンはおろかボクシングファンにすら「全く無名の存在」ですが、彼らを「ビッグネーム」と表現することは間違いではありません。
Many fight fans have never heard of Inoue.〜米国のボクシングファンの多くは井上の名前すらも聞いたことがない。
そして、多くの井上信者らが幻覚している「メガファイト」の定義は「ラスベガスやニューヨークの大会場でPPV50万件セールスをマーク、両者それぞれの報酬が1000万ドル越え」となるでしょうか。
これをクリアするには、フォーブス誌のThe World’s Highest-Paid Athletesで上位40位には食い込まなければ話にならないレベルです。
ボクサーではタイソン・フューリーが11位にランクイン。ファイトマネー5000万ドル+エンドースメント(スポンサー収入)700万ドル=5700万ドルを稼ぎました。
続いて、19位にアンソニー・ジョシュア。ファイトマネー3600万ドル+エンドースメント1100万ドル=4700万ドル。
デオンティ・ワイルダーがジョシュアに肉薄、20位。4600万ドル+50万ドル=4650万ドル。
メイウェザーの退場から北米ボクシング界の顔だったカネロ・アルバレスはパンデミックの影響から1試合はやり逃してしまい3500万ドル+200万ドル=3700万ドルの30位と伸び悩みました。
日本の大坂なおみは29位で、そのカネロをかわしました。メキシコと日本という経済格差、endorsementを考慮すると経済的インパクトにおいて、大坂はもちろん錦織圭もあらゆるボクサーを上回っていると言えるかもしれません。
さらに、欧米のスポーツファンの認知度で、フューリーやカネロは大阪と錦織の足元にも及ばないでしょう。さらに、バンタム級で戦う井上尚弥に至っては、同列で語るべきではない、もはや別の惑星の生き物です。
これは、ニッチスポーツ、ボクシングの中でも不人気階級で開催されたWBSSのような舞台の延長上にある世界ではありません。
ただ、フォーブス誌のThe World’s Highest-Paid Athletes 企画は1990年に始まっていることに注目すると、20世紀末にアスリートの報酬が大きな変革期を迎えたことも透けて見えてきます。
何度も書いているので簡単におさらいしますが、プロスポーツ選手の報酬は長らく「ゲート収入」によって決められていました。誤解を恐れずに言えば、ゲート収入は選手報酬と直結していました。
ラジオやテレビの時代を迎えて「放映権料」が大きな存在になり、選手に宣伝タレントとしての魅力が見出されると「スポンサー収入」が巨額になります。
報酬を決める最も大きな要素は「ゲート収入」(古代ローマ時代〜1950年代)➡︎「放映権料」(1950年代〜1990年代)➡︎「スポンサー収入」(1990年代〜)と変遷してきました。
そうです、1990年代からは「スポンサー料」こそがThe World’s Highest-Paid Athletesの上位に食い込むための最も重要な要素になっているのです。
もちろん、スポーツによって年代や構造は違います。ゴルフでは1990年以前から「スポンサー料」が選手報酬を大きく上回っていました。
一方で、ボクシングは特別な階級のほんの一握りの選手が「放映権料」の亜種といえるクローズド・サーキットやPPVで莫大な富を手にして、他のスポーツのトップを圧倒してきましたが「スポンサー料」はゼロに等しく〝スポンサー料〟時代に完全に乗り遅れています。
スポンサー収入の時代を迎えてもほとんど選手報酬だけで The World’s Highest-Paid Athletes の上位30位にランクされるフューリーら4人はまさしく特別な階級のほんの一握りのボクサーです。
あろうことか2015年にワンツーフィニッシュを飾ったメイパックに至っては、特別な階級なども超越した突然変異の二人だったと言えるでしょう。
ちなみにジュニアウェルター級以下のボクサーがこのランキングの100位以内に入ったことは過去一度もありません。
前置きが長くなりました。
スポーツとしてのステイタスが泥沼のジリ貧を辿り、スポンサー収入から見放されたボクシング。
しかし、時代を遡るとステイタスは上昇するわけです。そして、ボクサーが恩恵に浴せないスポンサー収入の存在感も希薄になります。
もし、フォーブス誌が20世紀初頭からThe World’s Highest-Paid Athletes を企画編集していたら…おそらく1970年代まではプロボクサーが上位を独占し続けていたでしょう。
1923年に2万3000人を収容したポログラウンズで行われたジミー・ワイルドvsパンチョ・ビラの世界タイトルマッチは、堂々のメガファイト、その報酬はメジャーリーグのタイトルホルダーを凌駕していたはずです。フライ級の試合だというのに、です。
1920年代のThe World’s Highest-Paid Athleteの記録はあるはずもないですが、ジャック・デンプシーで100%間違いありません。多くのメディアで「デンプシーの1試合のファイトマネーは大統領の年収を凌ぐ」と報じられ、当時のもう一人のアメリカンヒーローであったベーブ・ルースも「私の年俸はデンプシーと比べて低すぎる」と嘆いています。
もちろん、デンプシーやルースの時代はアスリートの報酬が大統領の年収を超えることがニュースになった時代です。
今では到底考えられません。総資産はともかく、大統領報酬と選手報酬の比較では、トランプよりもバンタム級の井上ですら上です。
The World’s Highest-Paid Athletes がスタートした、いわゆる〝ポスト1990年〟とは時代背景も、スポーツ興行の仕組みも全く違う時代です。
では…。米国でいつから軽量級のメガファイトが絶滅してしまったのでしょうか?
そして「パンチョ・ビラ」はもう二度と生き返ることはないのでしょうか?
日本の大坂なおみは29位で、そのカネロをかわしました。メキシコと日本という経済格差、endorsementを考慮すると経済的インパクトにおいて、大坂はもちろん錦織圭もあらゆるボクサーを上回っていると言えるかもしれません。
さらに、欧米のスポーツファンの認知度で、フューリーやカネロは大阪と錦織の足元にも及ばないでしょう。さらに、バンタム級で戦う井上尚弥に至っては、同列で語るべきではない、もはや別の惑星の生き物です。
これは、ニッチスポーツ、ボクシングの中でも不人気階級で開催されたWBSSのような舞台の延長上にある世界ではありません。
ただ、フォーブス誌のThe World’s Highest-Paid Athletes 企画は1990年に始まっていることに注目すると、20世紀末にアスリートの報酬が大きな変革期を迎えたことも透けて見えてきます。
何度も書いているので簡単におさらいしますが、プロスポーツ選手の報酬は長らく「ゲート収入」によって決められていました。誤解を恐れずに言えば、ゲート収入は選手報酬と直結していました。
ラジオやテレビの時代を迎えて「放映権料」が大きな存在になり、選手に宣伝タレントとしての魅力が見出されると「スポンサー収入」が巨額になります。
報酬を決める最も大きな要素は「ゲート収入」(古代ローマ時代〜1950年代)➡︎「放映権料」(1950年代〜1990年代)➡︎「スポンサー収入」(1990年代〜)と変遷してきました。
そうです、1990年代からは「スポンサー料」こそがThe World’s Highest-Paid Athletesの上位に食い込むための最も重要な要素になっているのです。
もちろん、スポーツによって年代や構造は違います。ゴルフでは1990年以前から「スポンサー料」が選手報酬を大きく上回っていました。
一方で、ボクシングは特別な階級のほんの一握りの選手が「放映権料」の亜種といえるクローズド・サーキットやPPVで莫大な富を手にして、他のスポーツのトップを圧倒してきましたが「スポンサー料」はゼロに等しく〝スポンサー料〟時代に完全に乗り遅れています。
もし、スポンサー料を差し引いた選手報酬だけだと1位のロジャー・フェデラーはわずか630万ドルに過ぎないのです。$1億630万ドル(114億5900万円)のうちの1億ドルがスポンサー料という、ボクシングの世界では考えられない構成比です。
スポンサー収入の時代を迎えてもほとんど選手報酬だけで The World’s Highest-Paid Athletes の上位30位にランクされるフューリーら4人はまさしく特別な階級のほんの一握りのボクサーです。
あろうことか2015年にワンツーフィニッシュを飾ったメイパックに至っては、特別な階級なども超越した突然変異の二人だったと言えるでしょう。
ちなみにジュニアウェルター級以下のボクサーがこのランキングの100位以内に入ったことは過去一度もありません。
大坂は女子アスリートの歴史で最も巨額の報酬を稼ぎました。
前置きが長くなりました。
スポーツとしてのステイタスが泥沼のジリ貧を辿り、スポンサー収入から見放されたボクシング。
しかし、時代を遡るとステイタスは上昇するわけです。そして、ボクサーが恩恵に浴せないスポンサー収入の存在感も希薄になります。
もし、フォーブス誌が20世紀初頭からThe World’s Highest-Paid Athletes を企画編集していたら…おそらく1970年代まではプロボクサーが上位を独占し続けていたでしょう。
1923年に2万3000人を収容したポログラウンズで行われたジミー・ワイルドvsパンチョ・ビラの世界タイトルマッチは、堂々のメガファイト、その報酬はメジャーリーグのタイトルホルダーを凌駕していたはずです。フライ級の試合だというのに、です。
1920年代のThe World’s Highest-Paid Athleteの記録はあるはずもないですが、ジャック・デンプシーで100%間違いありません。多くのメディアで「デンプシーの1試合のファイトマネーは大統領の年収を凌ぐ」と報じられ、当時のもう一人のアメリカンヒーローであったベーブ・ルースも「私の年俸はデンプシーと比べて低すぎる」と嘆いています。
もちろん、デンプシーやルースの時代はアスリートの報酬が大統領の年収を超えることがニュースになった時代です。
今では到底考えられません。総資産はともかく、大統領報酬と選手報酬の比較では、トランプよりもバンタム級の井上ですら上です。
The World’s Highest-Paid Athletes がスタートした、いわゆる〝ポスト1990年〟とは時代背景も、スポーツ興行の仕組みも全く違う時代です。
では…。米国でいつから軽量級のメガファイトが絶滅してしまったのでしょうか?
そして「パンチョ・ビラ」はもう二度と生き返ることはないのでしょうか?
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